MとSと。

先輩はずっと言っていた「人間は騙される人間と騙す人間に分かれるんだ」
「おまえならきっとうまく騙せるな」
「騙すってことは罪じゃない、2種類しかいない人間の中で騙されている人間も罪深いんだ」


何度も何度も私はあの80歳の社長の顔を思い出す。
実印を取りに席を立った時の先輩の「うまくいったな」と言う嘲笑混じりの声にもならない口の動きも。



80歳で月々のリース料金はいくらになるのだろう。
そもそもリースというシステムを皆さんはご存じだろうか?

レンタル以上、購入未満。

私はそう解釈している。
そう基本はレンタルなのだ。
所謂複合機など…皆さんの家庭事情を考えるとパソコンのモデムを思い描いてほしい、それを貸し出されて毎月いくらかのレンタル料金を払う。
所有権はモデムの会社にある。
リースの期間が満了すれば返却するか、買い上げをしなくてはならない。

基本的に借りる貸す。
そこから料金を発生させる、そんな仕事を私はしていた。

「1ポイント1万円」

ある電話回線を…そう、NTTドコモやヤフーIP電話などの回線。
その新しい回線を顧客をテレフォンアポイントメントで引っ張り3ポイント、もらえる仕事もした。
お得ラ○ンと言う回線であった。


結果私はトップの成績で営業をこなした。

「騙す」

「騙される」

なんでこんな自分になってしまったんだろう?
会社に居る間に涙をトイレで流し嘔吐を繰り返した。
1回線3ポイント、その3ポイントを得るために100本の電話を朝から晩まで掛けた。

「騙す」

「騙される」

自分が嫌になる。
死んでしまおうとも思った。
だがこの会社は短大で推薦されて入社した会社だった。
逃げようがない。

自分が嫌になった。
テレフォンアポイントメント中、衝動的にハサミを手首に押し当てたこともある。
生きるための自傷ではない。
死ぬための自傷だ。


でも私は手首すら切れなかった。
涙が流れる。
嘔吐を繰り返す。


朝起きるとまた青黒い痣が増えている。



~~~~~~


結局私は会社を辞め実家で療養をする事に相成った。
心についた傷は簡単に癒えるものではない。
いや、心ではない。
脳に異変が起きたのだ。
眩暈と耳鳴りが絶え間なく続く。
断続的に声が聞こえる。
死んでいった友人にも会った。

私は心を病んだのか?
一人毎日出来たばかりの痣を見ては笑っていた。
涙は枯れ果てたのだろう。


家族は私と父と母の3人だ。
一人娘の奇行を心配して24時間監視体制の中で私は数か月を過ごした。


その間も新しい痣は消えては浮き出てくる。

昨日あった場所の痣は消え、翌日になると新しい場所に痣ができている。
誰にも相談をしなかった。
ごく当り前の現象だったからだ。


~~~~~


やっと心の傷が癒えはじめ、新しい職を探して見ようとコンビニにバイト求人誌を探しに行った。
タウンワークを取りに駅の構内に足を運んだ。
何冊も何冊も熟読した。
しかしどれも裏を見てしまう。

居酒屋だとしたら… 汚い話だが客の嘔吐の処理。
レストランだとしたら人間不信になった私が接客…
夜の街に繰り出そうかとも思った。
しかしそこまで踏ん切りはつかなかった。

夜回り先生をご存じだろうか?
水谷修。

私は心病み彼にずっと連絡を取っていた。
精神科へ行くたびにもらえる処方薬のオーバードーズ(過剰摂取)
自殺願望。
全てを彼に話した。
彼は全てを受け入れて「心配いらない、キミは水谷の生徒だ、明日を考えよう」と言ってくれた。
その言葉はどのカウンセラーの言葉よりも心の奥に響いた。

「明日」

今日は死んでいく。 消えていく。 過去になる時点で終わりを迎える。

「明るい」 「日」この言葉を作った人を私は尊敬する。

そう明日はやってくる。
過ぎ去った事を気にしても明日はやってくる。

でも私は犯した罪…

200万円のリース料金の償いをしなければならない。

辞表を出した会社に電話をした。

…受話器の向こうから聞こえる「現在この電話番号は使われておりません、番号をお確かめの上…」


私は償う手段を失った。
毎日電話でアポイントメントを取って何百の会社を回ったのだ。
もうあの80歳の社長が居る会社の場所は忘れてしまった。

悔やんでも悔やんでも、謝っても涙を流しても償えないものを私は背負う事になった。


この瞬間私は痣を自分でも作るようになった。
他人からは見えない太もも、二の腕、痛さより心地よさが私を包み込んだ。
しかしこの行為で罪を償えるなどと毛頭考えていない。



今日もタウンワークを貰いに駅にきた。
一冊誰かが読んで内側にメガホンのように丸めてごみ箱に捨ててあるタウンワークがあった。
私は興味本位でそれを手にしていた。
ページをめくると赤い鉛筆で1-5など奇怪な文字が書いてあった。

競馬の予想だと気付くのに少々の時間を費やした。

しかし面白い。
ニートな私にぴったりの堕落したタウンワークだ。
家に持ち帰り何10冊にも重ねられたタウンワークの一番上にそれを置いた。

何日か平穏な日々が過ぎた。
穏やかで安定剤すら要らないような日々だった。
もしかしたらあのタウンワークが私を救ってくれたのかもしれない。

そう思ってページを無造作に開いた。

そこには「公共図書館で業務をしてみませんか?」という文字があった。
私は安定という言葉が好きだ。

時間に追われる日々。
自分に追われる日々。
お金に追われる日々。

それから逃げられる… 言い方は悪いがそう、思った。
思ったと同時に私はその図書館の電話番号を携帯でプッシュしていた。


「タウンワークを見て応募を…」

「以前図書館でお勤めになった事はありますか?」

「いえ、初めてです。」

「では、アルバイトの求人広告をご覧になったのでしょうか?」

「はい、タウンワークで…」

「でしたら面接を行いますので翌週の月曜日、ご都合はよろしいでしょうか?」

「はい、午前と午後ともに時間があります」


私の第一歩がここから始まった。


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