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果物屋や八百屋やスーパーなどの店頭で、さくらんぼを見かけるようになった。 そう思っていたら、お客様からいただいてしまった。思いが通じたのだろうか。 それはともかくとして、「さくらんぼの実る頃」。有名な歌だ。 YouTubeで見つけたいくつかの良い演奏をメモしておきたい。・イヴ・モンタン・ジュリエット・グレコ・加藤登紀子・フェムエフェム MAI & タケゴロ Wikipediaの Le Temps des cerises を見てみると、作詞者のジャン=バティスト・クレマンのポートレイトが添えられている。ナダールが撮影したようだ。
2010.07.03
今日は父の78回目の誕生日である。 ホレス・シルヴァーの「ソング・フォー・マイ・ファーザー」を改めて聴いてみた。やはりいつ聴いても良い曲である。 CD付属のレナード・フェザーの解説文に、こんなことが書いてあった。 “私の母はアイルランド人と黒人の 子孫で、父はポルトガル系でした。” とホレスは言う。“彼はカーボベル デ諸島のマイオ島で生まれましたが、 若いときにこの国に来たのです。” (拙訳) ジャケットを良く見ると、「Song for my father」と記された下に、小さく( Cantiga para meu pai )とある。これこそが、父に捧げたタイトルなのだろう。 写真の人物は実際にホレスの父で、ジョン・タヴァレス・シルヴァー John Tavares Silver とのこと。
2010.04.26
いったい誰が このドア開けるの? どうして小さな ひさしがあるの? 冒頭から意味不明な詩と写真で、読者の皆様には申し訳ないと思う。しかし、自宅の近所にあるこのドアが、私には気になって仕方がない。 外から人が入るわけがないのに、しっかりとノブのついたドア。何のために存在するのかわからない、小ぶりなひさし。これら自体が奇怪だという理由のほかに、「カンサツ」を強烈に思い出すという理由もある。 当ブログに、かつて顔を出していた映画サークルのことを何度か書いたことがあるが、もうひとつ忘れられないサークルがある。「観察倶楽部」。これが通称「カンサツ」なのである。 私はメンバーの一人とたまたま仲が良かったため、飲み会などに参加しているうちになんとなく親交ができた。彼・彼女らは、ちょっと変わったことが好きな連中だった。 その活動体験談の中で私が面白いと思ったのは、ゴムボートで神田川を下った話だった。そんなことをよく思いついたな、という驚きもあったが、そのやり方が笑えた。途中で当局に制止させられないよう、全員白衣を着用し、《実験中》と大書したプラカードを掲げて乗船したそうである。 当時私はオートバイによく乗っていたが、ごく一般的な車輌だった。一方「カンサツ」のメンバーの愛車は、だいたい60~70年代のモデルだった。私の仲良しは富士重工のラビットを見つけてきて乗っていた。その白煙と独特の排気音は私の記憶に焼きついている。 そんなハイセンス(?)なメンバーたちの教科書のひとつとなっていたのが、赤瀬川原平『超芸術トマソン』だった。私の本棚には、このちくま文庫版がある。文庫とはいえ厚みのある本で、けっこう邪魔だ。しかし、処分できない。自分のkoike booksに出してしまおうとも考えるのだが、手放してしまうのに抵抗がある。写真のような《トマソン》のドアを見ると、どうしてもこの本を読み返したくなるのだ。 ところで、「カンサツ」のみんなは、元気だろうか?今日から勤務先の仕事は休みだ。『~トマソン』でも読んで、彼・彼女たちのことでも思い出してみることにしよう。※《トマソン》については、トマソン・トーキョーにわかりやすい解説と実例が掲載されています。ご参照ください。
2005.12.29
勤務先の用事で、広尾へ行った。 日が落ちて、寒い。コーヒーでも一杯飲んで、温まってから帰りたい。 通りの角の目立つところに、カフェ・デ・プレというお店があった。空いている店内の窓際の席で、私より少し年上と思われる髪の長い女性がひとり、こちらに向かって座っていた。あまりにもお洒落な雰囲気が恐くて、入れない。 通りの反対側に、アンナミラーズがあった。そうだ、アンナミラーズ… 身長170cmでとても脚の長い、Nさんを思い出した。昔よく遊びに行っていた映画サークルのメンバーのひとりだった。彼女がアンナミラーズでアルバイトをしているというので、わざわざお店まで行ったことがあったのだ。 Nさんは学校を卒業して国内の某航空会社に客室乗務員として入社し、サークル時代とは打って変わった華麗な女性に変身して私たちを驚かせた。そして数年勤務した後、アメリカへ行って日本語の教師になりたい、と職を辞したらしい。その後の消息は、わからない。どうしているのだろう… 「いらっしゃいませ!」くだんのアンナミラーズに入ると、サービス係の若い女性が、元気良く声をかけてくれた。 うっ。目のやり場に困る、というのはこのことだろう。店内の女性たちのユニフォームが、刺激的である。やけに胸元の膨らみを強調する、吊りスカート。しかも色がピンクで、膝上15cmくらいである。見てはいけない、と思いながらも、白い太ももに目が行く。 コーヒーを注文してやや落ち着くと、ふと思った。15年くらい前に、Nさんもこんなエロいユニフォームを着ていたのだろうか?まったくそんな記憶がない。とはいえアンナミラーズは、短いスカートのユニフォームが、ずっと特徴になっていると思うのだが…? そんなことを考えているうちに、ひとつの結論に達した。Nさんは、確か高校時代にソフトボール部で活躍していた。私より全然長いその脚は鍛えられた筋肉で満たされており、彼女であれば膝上20cmに達していたであろう短いスカートでも、淫靡さとは程遠いストイックな美を発していたのではないかと… 「コーヒーのおかわりは、いかがですか?」「あっ、お願い、しまっす。」 見てはいけない、と思いながらも、また白い太ももに目が行く。 満たされたコーヒー・カップが置かれ、私の思い出はまた別の方向へ行く。 昨年の今頃、卓球仲間の一人・B君が日本語学校の宴会に誘ってくれた。見ず知らずの人たちが集まる酒席に突然参加するのも、嫌いではない。私は、会社帰りのサラリーマン然とした三つ揃いの背広で出席した。 周囲にいたのは、日本語教師志望の20代の女性たちと、世界各国から来た外国人の生徒たちだった。彼・彼女たちの生活では、私のような典型的ニッポン・サラリーマンと接することがないようで、けっこう面白がられた。 そこで、なぜかアンナミラーズの話になった。近くの席に、アメリカ生まれの50歳近い男性がいて、私は彼に尋ねた。「アンナミラーズって、知ってますか?」「いいえ。何ですか?」「ファミリー・レストランです。短いスカートがイイんですよ。」 隣でこの会話を聴いていた女性が、面白がって紙ナプキンにエロチックなユニフォームのイラストを描き始めた。そのとき、そのアメリカ生まれの男性の顔つきが変わった。 「あー、アメリカにフッターズっていうレストランがありますよ。週末は、みんなでそこへ行きました。」「え?フッターズ、っていうんですか?」「そう、フッターズ。セクシーなレストラン!」 満面の笑み、であった… 2杯のコーヒーで、冷えた体も温まった。 支払いをする。レジの女性が、両手で私の片手を包み込むように、お釣りを渡してきた。やわらかな手のひらが、上下から軽く触れた。ドキッとした。 広尾へ行ったら、またアンナミラーズに寄ってしまいそうだ。
2005.12.26
先日、「青春バトン」というのが回付されてきた。 さーて、どんな回答をしようか…と考えながら、私にバトンを託した知人の解答を眺めていた。 そこで思ったのは、バトンが相手を知る良いチャンスになっているなぁ、ということ。 日頃、ブログをはじめとしたネット上のやりとりでは、「質問」に「回答」するということがほとんどない。確かに、何らかの問い合わせやコメントが入れば、対応はする。しかしそのやりとりは、自らが種をまいた事柄から派生しているものであり、ほぼテーマに沿って話が展開する。 この流れは、「質問」への「回答」とはちょっと違う、と私は思う。 ところでこのバトン遊び、いろいろな種類のものが出回っている。 まず私が接したのが、「ミュージカル・バトン」。音楽に関する質問だった(6月20日の日記で回答)。それ以後、恋愛バトン、ブック・バトン、調味料バトン、酒バトン…最近では、フェチ・バトンなど。いろいろなパターンをネット上で見た。中には、そんなことまでさらけ出さなくても、と言いたくなるような大胆な回答も見られ、結構面白いものだった。それになんと言っても、書き手の人物像が何となくわかってくるのが良かった。 新しい職場/新しい学校/各種セレモニー/各種パーティー/飲み屋/クラブ/合コン/旅先…要するに何でも良いのだが、よく知らない相手との会話は他愛もない「質問」と「回答」からスタートするはずだ。こんにちのネット上の往来ではそれが欠落しているため、人は各種のバトンを回してケーブルの向こうにいる人物を知ろうとしているのではないか。 いつもながら、前置きばかりだ… 断っておくが、私の青春時代は、非常に地味である。はたして、これが青春か?ともかく、回答を記そう。◇Q1 小・中・高の中で一番思い出深い時期は? >A1;小学校だと思う。 このブログを長くご覧になっている方は既にご存知かもしれないが、私が卒業した小学校は、すでに廃校になっている。それゆえに、小学校なのかもしれない。また、6年間という長い時間のせいもあるだろう。 付け加えて言うと、中学校以降のことになると記憶がはっきりしている部分があり、思い出とは言い難い。◇Q2 得意だった科目は? ◇Q3 苦手だった科目は? >A2、A3; 得意:国・英・音がなんとなく得意 苦手:その他すべてがなんとなく苦手 実際は、中学を卒業するまで得意も苦手も意識がなかった。勉学には、全く興味なしだった。机に向かって勉強した覚えもない。 中3の時に、ディープ・パープルの『マシン・ヘッド』を買ってシビれた。歌詞を英語で記憶して、エラくなった気でいた。バカな中学生だったと思う。 高校では、授業終了後のひまつぶしに本屋へ通うようになる。なぜか文学作品を読むようになり、国語がちょっと好きになった。 運動は、それほどできたわけではない。ただ、卓球は中学の部活で2年強やっていたので、今でも何とかサマになる。 全般的に、学校へ行くのは楽しくもないし、つまらなくもなかった。Q4 思い出に残った学校行事を3つ?>A4;1.長距離走大会 2.毎日の掃除 3.小学校の卒業式1.小学3年の時、最下位になった。恥ずかしかった。以来、長距離走にコンプレックスあり。2.小・中では、朝と授業終了後の2回掃除があった。今も変わっていないだろうか?私は結構きちんとやる生徒だった(と思う)。3.6年生が「昔ギリシャのイカロスは、蝋で固めた鳥の羽根…」で始まる『勇気ひとつを友にして』を斉唱する場面があった。あの無謀な歌詞。こともあろうに、卒業式で歌わせることを思いついた教師は誰だ!?Q5 学生時代の友達からの呼び名は?>A5;小・中の頃のものに、抵抗あり。高校からコイケになって、ホッとした。Q6 好きな給食のメニューは? >A6;難しい… かなり忘れている。好き嫌いがあまりなかったせいかもしれない。ただ、鳥のから揚げはとても美味だったのを覚えている。 それから、小学3年の時に米飯給食が始まったことが、しっかりと記憶に残っている。給食はパンと決まっていたのが、急にご飯が出るようになり、違和感があった。Q7 学生時代に出会えた友人は、あなたにとってどんな存在ですか?>A7;これも難しい… 学生時代の友人は、年賀状フレンドばかり…Q8 次にバトンを渡す5人 >A8;どなたか、ご随意にお受け取りを。―――――――――――――――――――――――― ところで、《青春》の次は?《朱夏》。で、次は…この詩の人。『薔薇二曲』 一 薔薇ノ木ニ 薔薇ノ花サク。 ナニゴトノ不思議ナケレド。 二 薔薇ノ花。 ナニゴトノ不思議ナケレド。 照リ極マレバ木ヨリコボルル。 光リコボルル 北原《白秋》である。 ちなみに、次は《玄冬》へと続くそうだ…いったいなぜ、《青春》だけが、違う扱いを受けているのだろうか?
2005.09.15
まだ20代前半だった頃、しょっちゅうオートバイに乗っていた。 そんな私は、片岡義男『彼のオートバイ、彼女の島』が好きだった。タイトルにも表れているように、恋愛物語がベースになっているので、ヘソ曲がりで気取り屋の私はこの本を読んでいるということを人に言えなかった。今も、こう書いているのが少し恥ずかしくもある。 しかし、オートバイの独特な感じが良く表現されていた、と断言することには全く抵抗がない。エンジンの震動や、クラッチを繋いで走り出す感触、シフト・ペダルの動かし方。それらの様子が的確に文字になっていた。 このところ、生田耕作の訳でマンディアルグ著『オートバイ』をポツポツ読んでいるが、肝心のオートバイのことになると、酷い文章が連なることに気が滅入る。日本有数の仏文学者は、二輪車に触れたことがなかったに違いない。それとも、マンディアルグの文章自体酷かったのだろうか。確認が必要かもしれない。 話がやや脱線したが、『彼の~』で主人公・コオが乗っているのは、カワサキ650RS(通称:W3《ダブサン》)である。これが近年リニューアルされカワサキW650となって発売されている。 古くからの友人Tが、今このW650で北海道を走っている。Livedoorのブログが携帯から日々更新されていて、けっこう面白い。短い日記と一枚だけの小さな写真の中に、オートバイの旅の雰囲気が強く感じられる。もっとも、私自身も同じように道内を走ったことがあるから、そう感じるのかもしれないが。 「いいなぁ、オレも行きてぇ。」友人Tの新しい記事が出てくるたびに、そんな言葉が数回漏れてしまう。私がオートバイに乗らなくなって、そろそろ10年くらいになるだろうか。
2005.08.10
ブログを開始して5ヶ月強。出来事をただ日記にするだけでは面白くないと思い、一個の読み物として完結させてやる、という気構えで書いてきたつもりだが、一日の出来事が多いとそうもいかなくなる。この日はいろいろあった。 演劇組織 夜の樹の公演を、高円寺カフェに観に行く。ハロルド・ピンター作『沈黙』。主演女優の姫遊里さんが書いているブログが結構面白いので、ご本人がどんな方か見てみようと思ったのだ。 事前にピンターについて少し調べたが、不条理劇という言葉に何度か行き当たった。眠いだろう、と思っていたら、やはり眠かった。本当に、眠ってしまった。 終演後、姫さんと話すチャンスがあったので、自己紹介の次に「すみません、寝てました。」と自己申告。「いえ、いいんです。いい劇って、眠いんです。わたしもよく眠ります。」とのご返答。 某大学の演劇学科に在籍中とのこと。とても学生さんには見えない…。また機会があれば、彼女の芝居を観に行きたいと思った。 東京日仏学院の音楽まつり Fete de la musique に出かける。当ブログでお知らせを出した効果なのかどうかわからないが、20人以上の友人・知人が来てくれた。Pongistes のひとりP.さんとその奥様のT.さん、同じくPongistesのひとり Tennis-boy M.の顔も見えた。 私は、M.とその仲間のパフォーマンスのアナウンサー。曲目の紹介と、ちょっと笑いの要素を加えたおしゃべり。気合いを入れて仏語も付けたのでかなり緊張したが、客席の反応は悪くなく、安心した。M.が歌ったオッフェンバック作曲のオペラ『ホフマン物語』のオランピア(機械じかけの人形)のアリア「森の小鳥は憧れを歌う」が好評であった。 21時過ぎには、学院内のブラッスリーで大騒ぎ大会スタート。承前の役目が終わって安心した私は、ビール数杯でかなりいい気分。DJがビートルズの『ツイスト・アンド・シャウト』を回したところで、スパーク… 音楽まつりにご来場の楽天ブロガーパリのダヴィッドさん同行で、23時頃に日仏学院を出発、渋谷・宇田川町ラヴァーズ・ロックに向かう。偶数月第4土曜日に行われる「Ocean liner」が目当てだ。スカやカリプソやメントなどの音楽も良し、雰囲気もグッドの楽しさいっぱいのイベント。 なんとこの日は思いがけず、San fernando mento patrolのライブに遭遇。興奮は頂点に達した。 こんな具合で騒ぎ過ぎて疲れたため、フロアのソファに腰掛けたら、ぐっすり眠ってしまった。気がついたら窓の外がすっかり明るくなっているではないか。 それにしても早朝のセンター街、若者も多いがカラスも多いなぁ…
2005.06.25
いつも使っている通りに、新しいお店ができた。 その通りは、「麻雀」「スナック」「PUB」「BAR」などの看板が目立って、それはそれで風情があって良いのだが、どこかパッとしないところがあった。そんなところへ、ケーキ屋さんがお目見えした。「Noa PaPa」という名前で、とても明るい雰囲気だ。店員さんたちとも気楽におしゃべりできる感じで、街の新しい顔になりそうである。 この「Noa PaPa」は、高円寺・中目黒・駿河台・中野と、私が好きな地域に出店している。今後が楽しみだ。ちなみに、今日買ったガレットは、素朴な味ながらおいしかった。
2005.04.15
髪が伸びたので、美容院Concentへ行った。 ご担当のカミ☆ヒデさんには失礼にあたるのだが、私はヘアースタイルにこだわりが少なく、床屋でも美容院でもなんでもいい、と基本的には思っている。しかし、ここは気に入って連続して行っている。それは、周辺の地域情報を得られるからである。実際、以前教えてもらった飲み屋(焼き鳥屋)が、とても良かったのだ。 このConcent、近隣の他業種のお店と協力して小さなタウンガイドマップを作ったりもしている。ローカルさが心地良い。
2005.04.02
3月いっぱいで、職場で同じ課だったK君が異動した。気配りの細かい彼は、お世話になったしるし、と私たち各々に記念の品々を用意していて、年度末の小さな宴会でそれを配った。私には、歌舞伎座近くにある有名な和装関係のお店の包みであった。これは、とすぐにわかった。包みを開けると、思った通り手ぬぐいだった。赤く染まった空の背景に黒い牛のシルエットが点在する、とても綺麗なものであった。 K君は、以前話したことをよく覚えていて、これを選んだのかもしれない。話したこととは、父のことである。 焼肉屋で忘年会か何かをしたときだった。私が内臓系のものばかり注文するので、K君が興味を示した。そこで、もの知りヅラをして父から教えられた牛にまつわる話をした。 この目の前にあるハラミ、カルビなんかと比べて安いからと言って侮るべからず。一頭から取れる量はそう多くないから実は貴重な肉なんだ・・・ミノやらギアラやらいろいろあるが、牛と同じくひづめが2本あるヤギなんかも胃袋が複数ある。同じ草食動物でも馬のひづめは一本だろう、こっちは反芻しないんだよ・・・等々。そして、父の話に移行した。 「俺は、バクロウだった。」父が昔話をすると、必ず出てくる言葉である。この「バクロウ」に出合えるのは総武線快速の駅名か、さもなくば中上健次の小説くらいだろう。 バクロウ=馬喰(あるいは博労・伯楽)とは、牛や馬を売買・周旋する人であり、父の言い回しを用いれば「牛・馬のバイヤー」である。私が生まれる以前、父はこの仕事にかなり力を入れており、全国各地で子牛を買い上げては地元の牧場主に売り飛ばしていたそうだ。そんな生業のなか、グロテスクな臓物に嗜好が向いたり、白飯に牛乳をかけて食べる習慣を身に付けたらしい。 確か、とりとめもなく、こんな話をしたように記憶している。 K君が用意してくれた牛の手ぬぐいは、ゴールデンウィークに帰省したときに、父にあげよう。その方が、ふさわしいと思う。 そう言えば、父の73回目の誕生日も近い。
2005.04.01
先日(20日)東京日仏学院で行われたフランコフォニー・パーティーと、Heavy sick zeroでのイベントとでトロトロ・ハッピーに溶けてしまったため、朝から結構疲れ気味であった。 M.と近所のスパゲティ屋さんO.で昼食、ようやく体力も持ち直し、高円寺へ向かう。 前々からとても気になっていた古着屋さん・U.へ行く。昭和30~40年代あたり(60s、70sという表現は避けたい)の婦人服や雑貨が豊富に揃っていて、価格も良心的で感心した。M.が着る水色のテーラーカラーのジャケットを購入。 あやしげな特徴のある中古品のお店・A.に立ち寄り、ポーリーヌ・レアージュ 澁澤龍彦訳『オー嬢の物語』河出書房 1966年(Pauline Réage "L'Histoire d'O")に目がとまる。2月20日の日記に記している、バタイユ『眼球譚』も読み切っていないのにと思ったが、これまた金子國義のエロチックな挿絵に惹かれてしまい、結局購入。しかし、いつ読むのだろう? その後、バー・A.のマスター・K.氏ご夫妻とばったり会った。どうでも良いのだが、ハンチングをかぶったK.氏は太宰治によく似ている・・・。 帰宅し、借り物のフェルナンド・トルエバ監督『Calle 54』のDVDを観る。ラテン・ジャズの映画で、スタジオでの演奏とドキュメンタリータッチの映像とが交互に登場する。ミシェル・カミーロ、ガトー・バルビエリ、チューチョ・バルデス等々、大御所が連続で出てくるので、中南米系音楽好きにはたまらない。 ティト・プエンテがティンバレスだけでなくビブラフォンも叩いており、少し驚く。しかも、デイブ・バランタンがフルートで参加・・・いいものを観て一日を終われそうだ。お貸しくださったF.さんに感謝。
2005.03.21
朝~昼、IFJTにてR.先生の講義。 その後、神楽坂の Saint Martin にて先生と私たち聴講生とで昼食会。私は、大好きなフライドポテト添えのローストチキンを食べた。おいしくて、ビールにぴったり。 とても楽しい席で、ブログで得たラフカディオ・ハーンの情報などを披露したら、周囲の方々の注目を集めた。alex99さんに感謝。 夜は、Bonjourのライブを見に三茶グレープフルーツムーンへ行く。同行のY.C.さんとN.T.さんと騒いだ。Co1600、Snackutoの各氏とも会い、前から欲しかった Don't stop easy listening のTシャツも購入。ハッピーになって、溶けてしまった・・・ セガレン関係など、詳細はまた後で記入する予定。
2005.03.12
楽天の哲7010さんのサイトで、大変興味深い映画が紹介されている。アレクサンドル・ソクーロフの『太陽』という作品である。これは、公開されたら是非見てみたい!六本木シネヴィヴァン(今もあるのだろうか?)で、ソクーロフの映画を見たのは、もう10年くらい前だったろうか?作品のことは全く覚えていない。公開後に蓮實重彦氏の講演が付いていて、たくさん人がいたことだけが記憶に残っている。久々にソクーロフの名前を見かけたと思ったら、こんな作品でびっくりだ。本国ロシアでは既に上映開始となっているのだろうか?
2005.02.23
Il faisait froid. P. a commence a courir autour de la table pour chauffer. Et apres, il m'a dit qu'il transpirait plus que d'habitude. J'ai imagine les mamelons de Sharapova. Non,non,non, une faute. P. n'a pas transparu….Par consequent, il a eu soif, et a bu du "C.C. Lemon". M. m'a dit que nous prenons les memes boissons tous les dimanches. Euh… P: C.C.Lemon, M: Gatorade, K: Iemon. Seulement H. n'a pas le sien. Eureka!! Quand nous arretons les notres, nous pourrons lui battre. Dis donc, M… Ah, il etait aux toilettes. Depuis combien de fois ce matin?P., comme professeur de francais, nous a appris un mot special pour indiquer ceux qui vont faire pipi assez souvent, mais je l'ai tout oublie.
2005.02.21
母と姉が郷里から遊びに来た。M.と私を含めて四人で蕎麦を食べた。M.が、ワタシわさびが苦手で・・・などとおしゃべりしていて、そこからパクチーの話になった。パクチーは独特の香りがする、あの噛んだ時の感覚、まるで《わくさ》を噛んでいるかのような・・・こんな内容で、四人で笑った。《わくさ》とは、あの臭いで《わー、くさっ!》となるところから発生しており、おそらく郷里の一帯だけで使われている方言ではないか、と姉は推測していたが、実際どうなのだろうか?それはともかく、この《わくさ》とは、昆虫のカメムシのことである。カメムシのことを、フランス語で《pentatome》と言うそうだ。この言葉は、偶然仏和辞書(『ロワイヤル仏和中辞典』)で発見したのだが、なるほど、と妙に感心してしまった。横文字を勉強していると、ギリシャやラテン起源の言葉に出会うことしばしばだが、このpentaなどはその代表格とも言える。アメリカ国防総省の建物は、ペンタゴンである。音楽をかじったことのある人なら、ペンタトニックという言葉にも馴染みかもしれない。そう、pentaは5をあらわしている。カメムシは、体の形が五角形をしている。そのため、《pentatome》と名づけられた。仏和辞書には、そこまで解説がなかったが、ほぼ間違いないであろう。おもしろいネーミングである。他にも似たような観点で、おもしろく思うことがある。神楽坂にサン・マルタン(Saint‐Martin)というフランス料理のレストランがある。お店が青い。おそらく、パリのサン・マルタン運河をモチーフとして、青を用いたのだろう、と私は解釈している。残念ながら、この店にはまだ入ったことがないのだが、青い色とその名前から、ある鳥を思い出す。カワセミである。カワセミは、川などで魚を捕獲している鳥だが、青を基調とした色彩がとても美しい。これがフランス語では、martin-pêcheur と呼ばれるらしい。らしい、と言うのは、フランス語圏の人がカワセミに言及したところに出くわしたことが全くないからであるが・・・martinとは、前掲の『ロワイヤル~』によれば、ムクドリのことである。また、pêcheurとは、漁師である。魚を獲るムクドリとは、よく言ったものだ。カワセミはくちばしが大きいものの、体型はムクドリに近いものがある。おまけにもう一つ。数年前に下宿していたところに、夏になると綺麗に花を咲かせる百日紅(サルスベリ)があった。今でもよく記憶している。あるとき、IFJTの図書室にて植物図鑑をぼんやりめくっていると、サルスベリの写真があった。名前は、lilas d’été 夏のリラ、である。和名も洒落ているが、フランス語もいいところを突いているではないか。図書室の司書係M.I.さんに、このことを興奮気味に話したところ、「キョウチクトウ(夾竹桃)のことは、laurier-roseって言うんだよ。」と、絶妙のレシーブを見せてくれた。たしかに、あのキョウチクトウの葉は、月桂樹に似ている。その後、そのM.I.さんはご結婚されてM.S.さんとなり、司書係も辞された。現在は兵庫にお住まいとのこと。お元気だろうか。
2005.02.11
みなさんは、ビッグイシューという雑誌をご存知だろうか?大阪、神戸、京都、東京、千葉、横浜で販売されているので、全国的にはまだ知名度は低いかもしれない。この雑誌は、「ホームレスの仕事をつくり自立を応援する」ことを目的としており、ビッグイシュー専門の販売員の方たちによって、大型ターミナル駅前などで売られている。(その販売の仕組みはこちら)内容・ジャンルは、一般的な雑誌ということができると思う。私は、最寄の駅でこの雑誌を購入しているが、いつも思うことがある。ビッグイシューの販売員の方が一人で立たれているすぐ横で、リクルートのHot pepperが配られている。アルバイトらしき二十代の若い女性が赤い服・赤い帽子で、明るく通行人にアピールする。時には大きなトウガラシの着ぐるみの助手も交えながら、随分にぎやかだ。Hot pepperのクーポンを使うと、レストランなどで飲み物が1杯無料になったり、料金が割引になるサービスが受けられるらしい。無料でクーポンが手に入っておトクになることから、受け取る通行人も多いようだ。ビッグイシューは、一冊200円。リクルートの赤いクーポン雑誌でトクした分で、お買い上げいただくのはどうだろう。過日、名古屋の白川公園でのテント撤去が話題になった。名古屋でビッグイシューは販売されていないようだが、進出の予定はないのだろうか?以下、同日に再UP。セガレン『ルネ・レイス』05年01月29日副題:「変幻自在あるいは右往左往」IFJTにて、R.先生の講義。本日の講読範囲は場面の切り替えも多く、ぼんやりしている間に、話はいろいろな方向へ向かう。義和団の乱。辛亥革命周辺の人物、孫逸仙(=孫文)、袁世凱、李鴻章、溥儀、などなど(※えんせいがい、りこうしょう、どちらも一発変換!驚き)。紫禁城の中の地理。文章中に登場する獣脂・蜜ロウ・翡翠の連関。音声構築の工夫。京劇を観る場面と、そこで引き合いに出されるオペラ・楽劇。自信満々かと思いきや、自らを皮肉るような態度にもなる話者・・・話題が多すぎて、めまいがするほどだ。次々に知らない言葉が登場するにしても、私の反応速度が遅すぎるのではなかろうか、と少々不安に思いながら、セガレンの特徴を少し考えてみる。詩集『碑(原題:Stèles)』に収められた、「いい旅人になるためには(原題:Conseil au bon voyageur)」に、何かヒントが隠されているように思う。ここでセガレンは、安住せずに「多様性=Diversité」の大河に渦巻かれよ、と提言する。つまり読者の私は、セガレンの企図する通り、多様性の流れに酔い、クラクラとめまいを感じた・・・これは正しい受容の仕方ではないか!それにしても、こじつけとして強引過ぎるだろうか?もう少し理解できるようになりたいものだ。
2005.01.29
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