気がつけば、思い出し笑い

ショートストーリー9


血の繋がった祖父母はこの世にはいない。
子供のころ、お世話になった方にりんどうの鉢植えを贈ったのだ。

その人の名をギンコさんという。
当時、私は小学校5年生、ギンコさんは50をいくつか過ぎたぐらいだったと
思う。

当時ではまだ珍しかったコリーを飼っており、転勤族で社宅住いの私には
ものめずらしく、羨ましく思えた。
家が近所だったせいもあり、私はよくお宅にお邪魔した。
それというもの 当時の私は今の100万倍ぼーっといており よく鍵を忘れた。
首から吊り下げられた鍵がないことに気づくのは決まって、友達に「バイバイ」を
告げ、家のポストを開けたときだった。

家の階段に座り込んで母を待っている私を、ギンコさんはよく招いてくれた。そして
お手製の焼きリンゴなどをふるまってくれた。バターと砂糖が溶けて はしっこがかりっと
しているのに中は半透明のりんごの甘酸っぱさは今でも 舌が覚えている。

夕食の支度をするギンコさんの横で私は、何を話していたんだろう。
きっとたわいもないこと、でも11歳の女の子にとっては結構重要なこと。
転校したての学校生活がブリリアントではなかったことは 当時の思い出がなんとなく
うすぼんやりとしたものであることが 物語っている。
ギンコさんは下町生まれの もと看護婦さんで しゃきしゃきした 物言いのはっきりした
人だった。そのせいか、よく叱られた。今の私からは想像できないくらい 11歳の
女の子は優柔不断で引っ込み思案だったから。

でもそうやって 人が生きていくうえで 大切なことを教えてもらった気がする。
大事なことは 他人からのほうが よく心に染み入る。家族の言葉は 甘えのせいか
なかなか素直に聞き入れることが難しいものだ。

夏休みは毎日6時に起きて、犬の散歩に近くの多摩湖まで出掛けた。
40キロ近いコリー犬のリードは 手ごたえがあり、毎朝よその犬とすれ違うたび
緊張したものだった。もっとも、コリー犬はものすごく 温和な性格だったため
大事に至ることはなかったが。

途中、コリーに水を飲ませる公園のそばに小さな雑貨屋があり、そこで朝ごはんの
焼きそばパンやハムかつサンドを買ってもらったものだ。
いまでも コンビニでこれらのパンを発見すると懐かしくて、つい手にとってしまう。

一緒に過ごしたのは3年に満たないくらいの期間だったが、私にとっては祖母みたいなもの。
いや、祖母以上かな。
近所のおばさんというだけで、面倒をみてもらったり、叱られたり。
今の私が同じことをできるかと問われれば 甚だ疑わしい。
それでも 今現在 出会って別れていく一瞬のつきあいのなかで できることはしてあげたい、
そう 思えるのはギンコさんのような人達からもらったものがたくさんあるせいだろう。


今、ギンコさんは小型犬と2人暮らし。
ギンコさんは後妻だったので 子供たちと折り合いが悪く 昔住んでいた場所にはいない。
お花のお礼が留守番電話のメッセージに涙声で残されていたのを聞いて、近いうちに
訪ねていこう、と思った。
お土産は リンゴにしようかな。

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