気がつけば、思い出し笑い

ショートストーリー2



暮れかかる空の下、満員電車の中から外を眺め、周りの人に気づかれないようにため息をついた。デパートの食料品がつまったポリエチレンの袋が電車が左右、前後に揺れるたびにカサコソと音をたて、憂うつな気持ちになる。

 このところ、ずっと残業続きで2人そろって食卓を囲む時間もなかった。共働きを理由にして、手抜きばかりの家事に文句さえ言わない物分りのいい夫である。だからせめて、たまには夕食の支度くらいはしたいし 一緒に向かい合って食べたい。でも、もしかしたら、夫に食べさせたいのではなく、私がいっしょにいたいだけなのかもしれない。

 そんなふうに言うと「新婚みたいね」と周りのの人に揶揄されてしまう。 
 もともと学生時代のサークルで先輩後輩の関係が、なれそめであるが、決して熱愛ではなかった。2年間いっしょのサークルにいた頃は、2人きりでお茶すらしたこともなかった。卒業後 偶然会社近くの書店で再会し、夕刻だったため、どちらからともなく食事をしましょうということになった。それからなんとなく、会社帰りに書店で待ち合わすことが増えた。それまでの経験したいくつかの恋とは違ったおだやかな気持ちがずっと継続した。いつも私は、恋に夢中で、それでいて非常に自分本位だった。好きでいればいるほど、消耗していく。

 夫は、普通の人の倍くらい無口だ。人の話はきちんと聞いているが、あまり自分から饒舌に話すことは少ない。最初は沈黙が耐えられなくて、必要以上につまらない冗談と飛ばしていた私も、いつしか夫のペースに慣れ、話したいことだけを話すようになった。その分、思ったことを言葉にするときにちゃんと考えてから話せるようになった。そして ふと黙り込んだ私が、時折目を上げると、夫が「ん?」という目でこちらを見ていて、なんだか守られているようで嬉しくなってしまうのだ。

 いくつになっても、風邪をひいて寝込んだ時は心細い。
 熱にうなされて時間の感覚がなくなり、うとうとしていると、いつのまにか夫が帰宅している。親の帰りを待っていた子供のように胸のあたりに安堵という温かい液体がじわあっと広がっていく。
 しばらくすると 桃の缶詰をガラスの器にいれてやってくる。甘えたいばっかりに「食べたくない」と言うと、困った顔して額のタオルを裏返したりする。
 しばらくすると、かすかにラジオから音楽が流れている。
 台所でなにかを作っている夫の気配。
 それだけで なんだかありがたい気持ちになって手をあわせたくなる。


 いつもよりもちょっと重たい買い物袋のなかには衝動買いしてしまったアルザスの白ワインも入ってる。
 いつも私の愚痴や甘えにつきあってくれる夫へのささやかな感謝の気持ち。
 今日は3回目の結婚記念日。

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