2006年08月15日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
前回の日記を書いてから、本格的な猛暑が始まり、
今日は8月15日。
こころフロリダでは先週から新学期が始まり、
まだまだ続く暑さの中、子供達もだるい体をひきずりながら登校しています。

この夏も色々な学びがありました。
大きな収穫は、親も子供も、
娘の自立へと焦点をしぼり、
あえて、心を鬼にして、
一人でやる、

切り替えたことだと思います。

そのきっかけは、5月末に参加した
National Federation for the Blind
会議で、スピーカーとして講演をしてくださった
ニュージャージー州に住む、お母さんと全盲の娘さんとの出会いでした。

この娘さんは未熟児網膜症で
多少、光は感じるようですが、
生まれつきの全盲だそうです。

幼稚園の時から普通の公立に通い、
現在は大学に進学しルームメートと二人の寮生活をしながら
福祉のカウンセラーになる為の勉強しているそうです。


「まず、自分の子供の障碍が何かをいち早く見つけ、
そして、ではそこから何がその子にベストな訓練・教育かを探していく事。」

また、育てていく過程でも、
「もし、その子の目が見えたとしたら、その子の障碍が無いとしたら、
その子は一体、何をやりたいか、何が好きか、その子の性格も考えてあげ、


そして、社会の中で、(この場合、メインストリームをさしていた)
成功していくには、
「なるべく、自立させること。
なるべく、何でも自分で出来るように親も学校も、
子供を指導していくこと。
小学校ぐらいまでは、補助の先生についてもらっていても、
中学になったら、補助の先生を放していくこと。
中学・高校になって、クラスメートに頼ることが少なければ少ないほど、
つまりクラスメートが助けてくれなくても、
ひとりで学校生活を送ることができれば、
クラスメートのお荷物にもならずに、
良い友達関係も作れる。

現在の多忙な日々のなかで、親がやってあげた方が、
周りの人間がやってあげた方が、よほど早い事が多く
親にとっても、スムーズで楽だけど、
でも、そこでじっと我慢。忍耐です。
時間がかかっても、一人でやらせなさい。
そして、毎朝、毎朝、
今日もなにか少しでも一人で出来る事を増やしてあげよう
と、親は自分に言い聞かせ、努力する事です。」

この3点が、私の心に大きく響いた言葉です。
確かにこの娘さんは、利発で優秀な生徒さんだと思うのですが、
子供それぞれ、障碍も違い、
出来る範囲に個人差は沢山あっても、
以上の3点は、資格障碍児を育てる親として、
学ぶ点が大きいと思いました。

私が狭い会議室から、娘が椅子にぶつからないようにと
彼女の手を引いて、ドアの方へと導こうとすると、
すかさず、そのお母さんが
「そうやって、何でも、手を貸さないことよ」
と注意し、ニコッと笑ってくれました。

そうなんですよね、、
知らず、知らずの内に、家の外では
彼女の手を引くのがあたりまえ。
特に、車社会のフロリダの町で、
駐車場からショッピングセンターの中へ、
または、レストランの入り口へ、、
建物の中でも、
目的の場所へ、
そして椅子が並んだ部屋の中でと、、。

とくに早歩きでせっかちな私は、
いつも彼女のサイト・ガイドとなり、
娘は娘で、私に頼り切っていたのです。

その娘さんを見いていると、
ホテルの周辺の移動でも、白杖を片手に
どんどん進んで行きます。
確かに、人に頼らずに自分で歩く事で、
体の五感、六感が磨かれるのではないでしょうか、、。

「失敗したな、、、。もっと、早くから、
心して、手を貸さずに
一人で出来るように育てるべきだったな、、。」
と後悔の念にかられている私の話を聞きながら、

「いいのよ、いいのよ。今日からがまた、
新しいスタートでしょ?」
と笑顔で励ましてくれたお母さん。

高校生になった娘と母。
そう、今日からまた、スタートです。

*  *  *

その会議の会場となったホテルでは、
あちらでも、こちらでも、多くの視覚障害者の方々が、
サイト・ガイドに頼ることなく、、、

白杖を片手に、
また、盲導犬と一緒に、
行き止まりの壁にぶつかりながらも、
人にぶつかりそうになりながらも、
わが道をしっかりと進んでいました。

盲学校という安全で、設備も整った
天国のような環境にいると、
盲児にとって良い環境が当たり前の生活になりがちですが、

いずれ巣立って行く社会でも
親元を放れてやっていけるように、
この夏から心して、自分でやれること、やることを
増やそう!と心に誓った親子です。

「どうでも良くなる瞬間」
という表現は、あまり好きではないのですが、、

いつかは子供に家を出て、
自立してもらいたいと願う親心、
その自立の道へは、障碍があろうがなかろうが、
親の方にも、この「どうでも良くなる気持ち」
が多少なりとも必要ではあると思うのです。

前学期、チェスクラブに入って毎朝のように
授業が始まる前の練習に参加していた我が娘。

チェスの日は、私が送っていったので、
いつものスクールバス降り場ではなく、
高校の校舎の近くの駐車場に車を止め、
そこから、150メートルぐらいを最初は左に曲がり、
次でまた、ちょっと左に曲がり、
そしてT字路に来たら、右に曲がると、
最初のドアが、チェスクラブの集まりのある建物。

と何度も何度も、来る日も来る日も
一緒に歩いて練習を重ね、、
正直なところ、私の忍耐にも限界が来た頃に、、

「もう、ひとりで行ってごらん、何度も練習したんだから、大丈夫だよ。」
と励ましたような、、

「これから、ひとりで行ってごらん。もう、このぐらい出来てあたりまえだよ、難しくないんだから。」
と冷たく言い放ってしまったか、、
記憶にないのですが、、、

ある朝、私は、彼女を降ろして、一人で行かせたのです。
いくらなんでも、もう覚えて当然、と勝手に決めた私は、
後ろ姿を暫く見送ってから、
車でその場を走り去ったのですが、、
さて、裏門を出る前に、遠くに見えた娘は、
最後のT字路で躊躇したあげく、
右へ行く所を、
左の方へとさっそうと歩いていってしまったのです。

以前の私だったら、
「あ、間違った、教えなきゃ、迷子になる。クラブに遅刻しちゃ悪い。」と
多分、車をユーターンさせて、汗をかきながら走って
いとしい娘をつかまえて、
ちゃんと、
部屋の前まで送り届けていたでしょうが、、

「もう、いい加減にせい!
私のやるべき事はやった。
自分で、間違ったと気がついたら、
誰かに聞いて、もどるだろうし、
広い校舎と行っても、フェンスで囲まれているから、
迷子になったって、キャンパスポリスに探してもらえる。」

と、正直、もうどうにでもなれ、
迷子になって遅れたら、それも自分の責任。
何度も練習しても、親が一緒だからこそ、
知らず知らずのうちに頼りにして、
自分の体で覚えないのかもしれません。
自分の力で考えようとしないのかもしれない。

後で、盲学校の先生に、その時の気持ちをこぼすと、
「お母さん、そうだよ、そうだよ。
もういい加減にしろって親が思って子供を突き放すから、
子供は自立の道を勧めるんだよ。」

と、、子供を置き去りにしてちょっと後ろめたい気持ちでいた私は、
その先生の一言に、
なぜか、すがすがしい気持ちになれたのでした。

そして、娘も何事も無かったかのように、
「今日は楽しかったよ~」と帰って来ました。









お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2007年01月27日 12時34分19秒
コメント(0) | コメントを書く


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

心の目

心の目

コメント新着

梨絵ママ@ コーチのごとく 声援…わかります 何かに悩むたびに、相談したかったです。 …
あやねさん、@ Re[5]:おひさしぶり~!(05/08) 時々、ダウンタウンを歩きながら、、ICAN…
コメントの方へ@ Re[3]:おひさしぶり~!(05/08) お返事も出さずに、大変失礼いたしました…
Sakumiさん、@ Re[2]:おひさしぶり~!(05/08) いや〜〜、さらに、2年も経ちました。 そ…
カノンさん、@ Re[1]:おひさしぶり~!(05/08) 記事を書いたっきり、コメントが来ている…

© Rakuten Group, Inc.

Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: