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今月の岩波新書はジェーン・オースティンについて、『自負と偏見のイギリス文化』です。イギリスの昔の女性というと、すぐにヴィクトリア朝のことを想起し、お上品で冗談の一つも言わない、つんと澄ました、しかし、すぐに気絶する女性を思い浮かべてしまいます。しかし、ジェーン・オースティンの生きたリージェント時代というのは、その対極にある、軽薄で下品なところも多々あった時代であり、ジェーン・オースティンこそ、その時代の申し子であり、それ故にこそ人気があるのだということです。その裏返しで、しゃれや冗談が多く、深遠な思想もなければ波瀾万丈の展開もない分だけ、ジェーン・オースティンは日本での人気が今ひとつ、よく比較されるブロンテ姉妹よりも文学的な評価が低いという説は、なるほどと頷けます。日本人、本当にお勉強になる小説が好きですからね。ですが、同じブロンテ姉妹とはいえ、『嵐が丘』はともかく、『ジェーン・エア』との比較なら、そんなに悪くないと思うのですが、どうなのでしょうか。
2008年10月10日
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ノーベル文学賞作家でもあるフランスのマルタン・デュ・ガール、日本でも昔は人気がありましたが、ほぼ唯一といってもいい有名な作品『チボー家の人々』が大河小説のせいなのか、最近ではまず読まれることもありませんが、本国では数年前にテレビドラマ化されて、それが更にDVD化されています。『[DVDソフト] チボー家の人々』全体で六時間以上に及ぶ大作で、日本でもDVDが発売されています。私も買ったのですが、問題はいつ見ようかということです。ところで、それに合わせてなのか、Collection FOLIOのLes Thibaultもリニューアルされて改版が出ました。テクスト・クリティークの要素が今回の改版に入っているのかどうかは知りませんが、最大の違いはこれまで五巻組だったものが、三巻組に変わったことです。当然のことながら、各巻の収録内容も異なっていますが、5→3という変更なので、旧版第一巻と第二巻が新版の第一巻に、というような具合にはいきません。それの何がいけないのかというと、実は個人的になんですが面倒なことになりました。私のLes Thibaultの購入史は以下の通り。1.その昔、文学少年だった頃に白水社の翻訳全12か13巻を購入して読む。2. その後、仏文学徒になって、初めてのフランス渡航の際、パリの古本屋でたまたま最初の3巻が売られているのを見つけて買いました。3.残りの2巻は古本が見つからなかったので、やむを得ず、FNACで購入。4.数年前、昔読んだ名作の読み返しがマイブームになり、Les Thibaultも十年以上振りに取り出されたのですが、読んでいる内に第1巻が崩壊。もともと、古本だし、買った時点でかなり傷んではいたのですが、このままでは途中のページがなくなるかもしれない状態に。商品としては無価値に近いものですが、初めてのパリで買った思い出の品なので、空中分解というか紛失は悲しく、やむを得ず丸善で第1巻を購入。読み進める内に第2、第3巻も買おうと計画。5. La belle saison(旧版の第1巻に収録)の辺りで、マイブームが別のものに移り、途中で放棄。意外なまでに細部をよく覚えていたことも、途中でやめた一因。6. でも、老後の楽しみ(?)にと、いつかは全巻きれいなもので揃えようと思っていたら、今回の改版。きれいな第2、第3巻を手に入れるチャンスを逃す。まあ、そんなどうでもいい話なのです。今度、パリの古本屋で状態のよいものを探すしかないですかね。あるいは、新版で買い直すか。ちなみに写真は左から旧版第1巻(古本)、旧版第1巻(新本)、旧版第2巻(古本)、1番左のものがすっかり崩壊してしまっていること、真ん中の方にはしおりのひもが上から出ていて、読みかけで放棄したことなどが見て取れます。
2008年09月10日
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中央公論新社から創業120周年記念出版として刊行されていた『哲学の歴史』全12巻+別巻1巻がついに完結しました。最後に出たのは『哲学の歴史(別巻)』です。12巻に及ぶ本篇は平均700頁強で、全体としては一万頁近くになる、日本語で読めるものとしては最大級の哲学通史なのですが、平均価格も3,500円以上なので、全巻揃えると4万円を超えてしまいます。ところで、このような立派なシリーズものというのは、別巻がいちばん面白いことをご存じでしょうか。『哲学の歴史』もご多分に漏れず、膨大な索引だけでも手元に置いておく価値があります。索引をひいても、その先の本篇がなければ意味がないのではと思われるかもしれませんが、そんなこともありません。たとえば、似たような概念が時代を超えて繰り返し問題とされてきたことが分かったりもして、索引だけでも十分に面白かったりするのです。かくいう私も、古代~中世の3冊と別巻しか購入していません。ゆくゆくは全巻揃えたいとは思うのですが、何年がかりになることか、想像するに、その前に手に入らなくなるでしょう。少し悲観的かもしれませんが、、、『哲学の歴史(第1巻(古代 1))』『哲学の歴史(第2巻(古代 2))』『哲学の歴史(第3巻(中世))』『哲学の歴史(第4巻(15ー16世紀))』『哲学の歴史(第5巻(17世紀))』『哲学の歴史(第6巻(18世紀))』『哲学の歴史(第7巻(18ー19世紀))』『哲学の歴史(第8巻(18ー20世紀))』『哲学の歴史(第9巻(19ー20世紀))』『哲学の歴史(第10巻(20世紀 1))』『哲学の歴史(第11巻(20世紀 2))』『哲学の歴史(第12巻(20世紀 3))』『哲学の歴史(別巻)』
2008年09月03日
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岩波文庫今月の新刊はなんとオウィディウスの『恋愛指南』です。原題Ars amatoria、そのまま訳せば『恋の技法』となり、事実、そのタイトルで平凡社ライブラリーから刊行されていた作品の新訳です。内容的には、女性の膝のほこりは払ってあげなさいとか、曖昧な約束はいけませんとか、そんな内容なので、確かに『恋愛指南』とは言い得て妙かもしれません。実際、こんなけしからん書物を著すとはなにごとだと、オウィディウスはローマを追放されてしまったくらいなのですから。もっとも、今回の訳者はその後書きで、オウィディウスがローマを追放されたとき、『恋愛指南』刊行から十年は経っており、これは単なる追放の口実に過ぎず、なにか他の理由が本当はあったに違いないと主張しています。ところで、今回の新訳、ローマの大詩人オウィディウスだからなのか、少々格調の高い訳文で読みやすいとは言えませんが、ぎこちなかったり古めかしかったり難解だったりする訳ではありません。オウィディウスは『変身物語』も同じ岩波文庫から刊行されています。
2008年08月27日
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中公新書の今月の新刊に、井村順一著『美しい言葉づかい ―フランス人の表現の技術』があります。前書きやら帯のたたき文句には、フランス人の言葉への関心を通して、表現の技術を考えなおす手がかりに、というような類のことが書いてありますが、これは「正しい日本語」とか「品格のある言葉づかい」とか、そんなのが好きな人が間違って買ってしまうように、無理矢理にとってつけたものでしょう。本当の主題は、十七世紀フランスの文法家ヴォージュラ、ヴォージュラの主著『フランス語に関する注意書き』、そして、彼を取り巻く時代背景です。ヴォージュラ、フランス人でさえかろうじて名前を聞いたことがあるという程度の存在、日本では仏文の学生でもまずは知らないというような、今となってはずいぶんとマイナーな人なのですが、そんな人の単行本が刊行されること自体が驚き。日本の出版社も捨てたものではありません。
2008年08月19日
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新潮文庫からチェーホフの超短編集『チェーホフ・ユモレスカ』が出ています。これは大判で2年前に刊行され、そこそこの評判になっていたシリーズの第1巻が文庫化されたものです。たったの2年で文庫に収録とは少し驚きです。しかも、文庫化に際して、あまりにも時代にコミットしすぎた作品が二つ、現代の読者には理解困難であろうという理由から、別の作品に差し替えられているのです。私は大判で買った口なのですが、まさか2作品のためだけに文庫で買い直す気にはなれず、立ち読みで済ませてしまいました。新潮社さん、ごめんなさいね。ところで、大判の元シリーズはつい最近第3巻が出たばかりなのですが、これも文庫化されるのでしょうか。もしそうなら、文庫で出るまで待とうかなとも思いますが、第3巻が文庫に収録されるのは2年先なのかな?
2008年08月04日
光文社のサイトによると、古典新訳文庫、次の配本はルソー『人間不平等起源論』とデュマ・フィスの『椿姫』のようです。私としてはできるだけ早く『アンナ・カレーニナ』の残り2巻を出して欲しいところです。それにしても、この古典新訳文庫のシリーズ、仏文だけなんだかラインナップが微妙な気がしてなりません。バタイユ、コクトー、ブルトン。なんだか偏っていませんか?露文、英文などで、いわゆる超名作が新訳になっているのに対し、独仏は「そりゃあ、まあ確かに名作だけど、古典的作品だけど、でもねえ、他にもっとあるでしょ」と言いたくなる品揃え。仏文ではかろうじてスタンダールがあるだけ、まだましかなと思います。アランとかフロイトとか訳してる場合じゃないとも思うのですが。いっそうのこと、デュマなら父親の方、『ダルタニャン物語』三部作全部出してみるのとかはいかがでしょうか?
2008年08月01日
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西洋中世の民衆史を知るためには、教訓的な逸話集と並んで欠かすことのできない、驚異譚集『皇帝の閑暇』が文庫化されました。これはそれ自体が驚異的なことです。皇帝の閑暇 講談社学術文庫などといっても、ほとんどの人の興味は惹かないと思いますが。この『皇帝の閑暇』という書物は中世の「民俗学者」とも言えるティルベリのゲルウァシウスが、旅先などで見聞した不思議な物語をまとめ上げたものです。こういう驚異譚集のことをミラビリア mirabilia と言い、これは「驚くべき」という意味のラテン語 mirabilis の中性複数形です。まあ、「驚くべきものごと」くらいに考えておいてください。それが何故に歴史研究にとって重要なのかというと、公的な歴史には記録されることのない、当時の民衆の心性の痕跡がそこに見いだせるからです。写本の挿絵や教会などの図像でも、こういうミラビリアが、直接の原典とまでは言えないにしても、その解釈のヒントになることが多々あります。というわけで、中世史家は当然ですが、西洋中世の文学研究者や美術愛好家も必読の書というわけです。このように書いてみると、この文庫が以下にわずかな人だけを対象としたものかと言うことが分かります。この文庫のなにが驚異的かというと、そんなマイナーなものが文庫になってしまったことです。さすがは学術文庫ですね。
2008年07月28日
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気づけば、世間ではハリー・ポッター最終刊の発売日ですが、我が家ではすでに読み終えているので、いまいち盛り上がりに欠けています。まあ、そう言いながらも本日中に買うのですが。それはさておき、平凡社ライブラリーから出色のエッセイが出ています。鶴ヶ谷真一 『[増補]書を読んで羊を失う増補』日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した本作は、いわば、そのおもしろさは折り紙付きなのですが、その特徴は古今東西、その話題の幅広さにあると言えるでしょう。西洋も東洋も両方扱っている書物についての本というのが珍しいわけではありませんが、どうしても作者の得意分野というのが出てくるものです。ところが、『書を読んで羊を失う名』では、中国の古典も出てくれば、ボルヘスにも言及しているという幅広さ。芭蕉とポワンカレが両方登場する本というのは滅多にないでしょう。若干、西洋よりも東洋の話題の方が多いかもしれませんが、個人的にはより不得意な分野なので歓迎です。ところで、タイトルにもなっている『書を読んで羊を失う』ですが、これは故事成語の「読書亡羊」にちなんでいます。私は最初、本の装丁にはその昔羊皮紙を使っていたので、本を読むと、つまり、本を作ると、その分だけ羊がいなくなりますよ、という意味かと思いました。すぐに「読書亡羊」を思い出しましたが、一瞬だけ本気でそう信じかけました。少しロマンのありそうな解釈のような気もしますが、やはり、冷静になってみると、自らの無知、というか、西洋への偏りをさらけ出しているだけとも思えます。
2008年07月23日
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なぜか、このところ文庫でカフカが脚光を浴びています。もともと日本では非常に人気の高い作家で、翻訳も古くからたくさんあるのですが、ここにきて光文社古典新訳文庫で『変身』が訳され、短編の全集がちくま文庫から刊行中です。特に生誕○○周年とかいうわけではないのですが。というわけで、今手に入る文庫で読むカフカ特集です。 カフカ短編集 カフカ寓話集岩波文庫からは短編集が2冊出ていますが、どちらもドイツ文学者池内紀の翻訳で、この人には『ファウスト』に出色の名訳がありますが、当然カフカも非常に読みやすい翻訳になっています。ところが、岩波文庫は肝心の『変身』がよくない。古くて読みづらいのです。そんなにひどいわけではないのですが、池内訳の2冊がよくできているだけに、『変身』がこれではつらい。というわけで、ここは古典新訳文庫の出番です。変身もちろん、読みやすいことにかけては数ある『変身』の邦訳の中でもいちばんであり、岩波版などと比べると、前回紹介した『アンナ・カレーニナ』のイギリス版とアメリカ版の違いにも匹敵するような差があります。ところで、実は読みやすさとか翻訳の質とかを超えて、今一番気になっているのが、ちくま文庫から刊行中の『カフカ・セレクション』です。カフカ・セレクション(1)今のところ、まだ第1巻だけですが、全3巻が揃うと、長編をのぞいたカフカのほぼすべての原稿、短編から断片までが網羅されることになります。かなり購入意欲をかき立てられるのですが、惜しむらくは翻訳が堅い。完全に学者の翻訳です。独文の研究者ではない私には少し荷が重い。とはいえ、カフカ愛好家なら持っておくべきでしょう。
2008年07月19日
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光文社古典新訳文庫から待望の『アンナ・カレーニナ』が出ました。 アンナ・カレーニナ(1) アンナ・カレーニナ(2)今のところ、全4巻のうちの最初の2巻だけですが、ざっと目を通した限りでは、やはり古典新訳文庫ならではの読みやすさです。ところで、今を去ること二十年近く前、まだ高校生であった私はなにをトチ狂ったのか、『アンナ・カレーニナ』の英訳を買い込んだのでした。もちろん、読破されることもなく、いまだにうちの本棚の肥やしになっていますが、そのとき感じたのが、なんて読みやすい英語なんだという思いでした。当時、『アンナ・カレーニナ』の邦訳はすでに古めかしくなっているものしかなく、それでも、「これこそが露文の香り」などと訳の分からんことを言いながら喜んで読んでいたのです。しかし、英訳を一読、まさに目から鱗が落ちたと言いますか、翻訳感がすっかり変わってしまいました。しょせんは翻訳なんだから、どんなに格調高い名文であっても、それは翻訳者や日本語の作り出した香りであって、原書の持つ味わいとは違うのだ、だから、翻訳なんて分かりやすく読みやすいものに越したことはないと考えるようになりました。古典新訳文庫刊行開始以来、常にこのシリーズを取り上げてきたのには、上記のような翻訳感を私が持っていたからなのですが、そもそもの始まりが『アンナ・カレーニナ』だったものですから、ついのこの日がやって来た!と感慨もひとしおです。Anna Karenina (Signet Classics)ところで、件の読みやすい英訳というのは、種を明かすとアメリカで翻訳されたもので、Signet Classicというシリーズに入っています。とにかく、このSignet Classicの翻訳物は読みやすいことこの上なしです。読みやすさだけを追い求めるのなら、間違ってもPenguin ClassicsやOxford World's Classicsのものを買ってはいけません。そこには格調高いBritish Englishが待ち構えていますから。脚注や校訂についての情報などが欲しいのであれば、Oxford World's Classicsは正しい選択ですが、読みやすさだけはどう逆立ちしたって、Signet Classicにはかないません。そんなに違いがあるのかと疑問に思われる方もいるかとは思いますが、これだけは百聞は一見にしかず、実際に読み比べてください。最初の数行だけでその差は歴然としています。Amazonの なか見!検索 というプレビュー機能で、Signet ClassicとOxford World's Classicsの両方の1ページ目が読めます。しかも、Signet Classicシリーズは安い。紙の質が悪いのと装丁がばらけやすいという欠点がありますが。
2008年07月16日
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今日、7月14日はフランスの革命記念日、Quatorze Juillet、なぜか日本では巴里祭と呼ばれる祝日です。それに合わせるかのように、ルネ・クレール監督の名作Quatorze JuilletのDVDが間もなく再発売されます。今から70年以上も前の古い映画ですが、日本公開時に邦題として『巴里祭』と名付けられ、以来、日本では7月14日が巴里祭と呼ばれるようになったというのは有名な話です。巴里祭と言われるとなんだかとってもおしゃれな雰囲気ですが、シャンゼリゼをポリテクニスィアンやら戦車やらが整列して行進するなど、別に外国人が見ても楽しいものではありません。まあ、花火くらいなら楽しめますが。ところで、現タイトルにもなっているQuatorze Juilletとは7月14日という意味で、この祝日、実は名前がついていません。起源は革命記念日なのですが、そういう呼び方もしません。カレンダーなどを見ると国民の祝日 fête nationale とのみ記されています。1790年7月14日には Fête de la Fédération という、たいそうな名称の記念日だったのですが。
2008年07月13日
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我が家の車が絶不調でディーラー通いが続き、本を読んでいるどころではありません。イモビライザーが誤作動し続けた挙げ句、バッテリーがあがってしまいました。というわけで、バッテリーを交換したり、ついでにいろいろと見てもらっている間、またもやあの晴海トリトンスクエアの書店に行き、『パリとセーヌ川』という中公新書を買って、近くのカフェで読もうとしています。まあ、パリ関連の本としてはよくあるテーマですね。実は、いったい修理が終わったときいくら請求されるのかと思うと気が気でならず、読んでも少しも頭に入ってこないのですが。少なくとも、今、この不安に打ち勝てるほどの力強い文体ではありません。なんか、悪口ばっかり書いてますが、車のご機嫌がよくなったら、改めてこの本を紹介し直します。本当に、今のところ、まだまともに読めていないのですから、面白いのか凡庸なのかも判断つきません。
2008年07月07日
前回、モームの『月と六ペンス』について、今度こそは読破できるのでしょうかというようなことを書きましたが、ということは、つまり、まだ読破できていない、いや、それどころが読み始めてさえいないのが実情です。そして、どうやら、それどころではなくなるであろうことが判明しました。古典新訳文庫の次の配本が、なんと、あの『アンナ・カレーニナ』なのです。モームとトルストイ、どっちを優先するかというと、そんなことは言わずとしれたことです。さよなら、ゴーギャン。こんにちは、アンナ。発売日が待ち遠しい限りです。
2008年07月04日
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古典新訳文庫、今月(先月?)の新刊はサマセット・モームの『月と六ペンス』です。モームの『月と六ペンス』と言えば、英文学史に燦然と輝く(ということに日本ではなぜかされている)名作ですが、実は私は何度も読もうとしては挫折を繰り返しています。古くからある新潮文庫版、さらに岩波文庫版、果てはPenguinでも読もうとしたのですが、ことごとく睡魔に打ち砕かれました。というわけで、今度こそは読破できるのでしょうか。古典新訳文庫の名訳に期待です。
2008年07月01日
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今日、我が家の車のディーラーに行ったついでに、晴海トリトンスクウェアにも立ち寄りました。そこの本屋にふらっと入って目撃したものは、、、 なんと、講談社現代新書から出ている『はじめてのラテン語』の平積みでした。新書の新刊が平積みになっているのなら話も分かりますが、もう何年も前に出版されたこの本が今更のように平積み、それも十冊近く積まれていました。これって、もしかしたら、私が日本にいない間に、巷ではラテン語が大ブームになっていたのか、、、なんて訳ありませんが、それにしてもどうしてなんでしょうか?まあ、再版というか、再印刷されたのでしょうが、それにしても多すぎるだろう、十冊は。こんな無謀な(失礼!)品揃えに果敢に挑む書店に拍手喝采を。いや、どうせなら買ってあげてください。まあ、かくいう私はとっくの昔に買って持っているので、手にも取りませんでしたが。ところで、上の画像、古すぎやしませんか、、、
2008年06月26日
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デロンギをはじめとしたエスプレッソマシン用のカフェポッドは、メーカーを問わず統一規格なので、自分の好みにあったものをいろいろと探す楽しみがあります。我が家でも、デロンギのEC200N-Rを購入して以来、国内外のカフェポッドを試しています。今のところ、イタリアのMusettiのカフェポッドが、エスプレッソらしい味がして一番いいと思います。ところで、Musettiのカフェポッドには味の違いで三種類あります。エスプレッソカフェポッド Musettiムセッティお試しセット一番苦みが強くコクのあるものから順に、 ROSSA CREMISSIMO EVOLUZIONEとなります。(写真はおそらく逆順に並んでいる)日本向けのパンフレットなどでは、ROSSAがカプチーノ向け、残り二つがエスプレッソ向けとなっています。写真のような三種お試しセットもあります。で、実際のところ、味はどうなのかといいますと、EVOLUZIONEは酸味が強いので、確かに日本人好みなのかもしれませんが、イタリアやフランスのカフェで飲むエスプレッソからはほど遠く、個人的にはあまり好みではありません。砂糖をたっぷり入れて甘くして飲むのであれば、やはり、もっとも深煎りのROSSAが最適でしょう。また、そこまで苦いのはちょっとという人や、砂糖を少し控えめにして飲みたいときには、CREMISSIMOも、十分にコクがあってよいのではないでしょうか。もちろん、CREMISSIMOは砂糖をたっぷり入れても、十分に楽しめます。価格もなぜか苦みのある方が安く、ROSSAが一番安価ですので、まとめ買いすれば一杯40円程度にまでなります。ところで、味については好みの問題もありますので、あまり独りよがりにならないよう家族の意見も参考にしていますが、所詮はいつも同じものを飲み食いしている家族なので、好みの傾向については似たり寄ったりかもしれません。
2008年04月09日
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ジェイン・オースティンの『高慢と偏見』を読んでいると、なかばを過ぎたあたりで、末娘のリディアが駆け落ちをして、スコットランドのグレトナグリーンという町に行こうとする件が出てきます。このグレトナグリーン、イギリス文学ではおなじみの地名で、イングランドでは法律で規制されている駆け落ち婚がスコットランドでは可能であり、イングランドとスコットランドの国境にあるグレトナグリーンまで逃れれば、その場で結婚の既成事実を作り上げられるというのです。『イギリス式結婚狂騒曲』 おおよその事情は分かってはいたのですが、イングランドで禁止されているというのはどういうこと?スコットランドで可能なのはなぜ?スコットランドで婚姻して、それはイングランドでも有効なの?などなど、疑問はたくさんありましたが、真剣に調べてみることもなく、そのままなんとなく分かったつもりになっていました。その辺りの事情を詳細に調べ上げ、法律的な問題、過去や現代の駆け落ち婚事情、文学作品での実例など、くわしく解説してくれるのがこの『イギリス式結婚狂騒曲』なのです。サブタイトルに「駆け落ちは馬車に乗って」とあるように、正に馬車に乗ってスコットランドまで逃げようとするカップルの話で、文学作品の例として、件のリディア・ベネットも出てきます。イギリス文学に興味のある方はぜひご一読を。ところで、オースティンの『高慢と偏見』は、いちばん読みやすいと思われるちくま文庫版と同じ訳が、ダウンロードできる電子テキスト版であるようです。高慢と偏見(上) 高慢と偏見(下)
2008年03月31日
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読書のお供においしいエスプレッソとおいしいお菓子を、というとき、日本では意外とおいしいエスプレッソに巡り会えないという話を以前しましたが、その究極の解決策は?もちろん、自分の家でエスプレッソを淹れてしまうことです。とはいえ、手間がかかっては性格上長続きしないので、少々初期投資(?)が必要でも、手軽で使い続けられるものであることが必須です。という訳で、私が選んだものは、イタリアはデロンギ(DeLonghi)のエスプレッソメーカーです。【送料無料】エスプレッソ・カプチーノメーカーデロンギ EC200N 選択のポイントはいくつかありますが、抽出圧の高さ、カフェポッド対応、デザインでしょう。デロンギのエスプレッソメーカーは上記の点をたいてい満たしています。知り合いのコーヒー豆専門店のオーナー曰く、エスプレッソの味は圧力で決まるのだそうで、その点は特に要注意です。カフェポッドというのは、コーヒー豆がエスプレッソ用に一杯分ずつパックされたティーバッグのようなもので、これをエスプレッソメーカーの専用ホルダーにセットするだけというお手軽さです。もちろん、コーヒー豆を自分で挽いていれるほうが安価ですが、そんな面倒なことを、少なくとも私は、毎回やる気には慣れません。まあ、豆を手動でぐるぐると挽くのはいい気晴らしになるので、それを楽しめるだけの余裕のあるときにはどうぞ。このカフェポッドというのは世界標準規格で、どこのメーカーのものでも使えますので、色々と味を試してみて、自分好みのものを探すという楽しみもあります。まあ、私はとりあえず、Musetti社の rossa というもの専門ですが。デロンギのエスプレッソメーカーには、このMusetti社のコーヒーポッドお試し引き替えはがきがついています。デザインに関しては好き好きですが、私は丸みを帯びたこのいかにもヨーロッパ家電風のものが気に入っています。色は他に黒もありました。問題は価格で、本体は二万円弱で手に入ります。安いところなら一万五千を切ります。決して安いものではありませんが。カフェポッドは大量購入すれば、一杯当たり50円程度になります。若干みみっちい計算をしてみましょう。一日にエスプレッソ二杯飲むとして(本当はもっと飲みますが、控えめな試算のため)、カフェでエスプレッソを飲めば、少なくとも2~300円、一日当たり400円はうく計算になります。そうすると、本体を二万円で買ったとしても、五十日で元が取れることになります。まあ、水道代や電気代もかかるとしても、二月あれば十分でしょう。私はこのちまちまとした計算で家族を口説き落としました。
2008年03月31日

ベランジェをフランス語で読もうと思っても、すでに書いたとおり、ベランジェの本を手に入れるのはたやすくありません。いくつか考えられる方法を書いてみましょう。1. 十九世紀の詩のアンソロジーにはたいてい収録されています。しかし、数はせいぜい二、三篇がいいところでしょう。2. フランスで古本屋巡り。十九世紀に売れに売れただけあって、かなりの確率で見つけることができるらしいですが、さすがに安くはありません。3. 新本の売れ残りを探す。日本と違い返本制度はないので、いつまでも売れ残っていることがあります。とはいえ、二十世紀の本ならいざ知らず、さすがにこれは現実味がありません。4. 電子図書館というわけで、たくさん読みたい場合は、これが唯一の解決策となります。フランス語の代表的な電子図書館は、Gallicaといって、これは bibliothèque numérique de la Bibliothèque nationale de France、つまり、フランス国立図書館の電子版なのです。当然、著作権の問題で古いテキストしかありませんが、pdfでダウンロードもできるので、ベランジェのような新本が入手困難なテクストを参照したいときには便利です。
2008年03月29日

スタンダールの『赤と黒』を読んでいると、何度か当時の国民的詩人としてベランジェという名前が出てきます。Pierre-Jean de Béranger 王政復古のフランスにあって、反権力的なシャンソンをものし、投獄までされた反骨の詩人で、ベランジェのシャンソン集は当時、デュマの『三銃士』の何倍もの出版部数を誇っていました。『赤と黒』の中では隠れナポレオン主義者のジュリアンが、貴族のサロンでベランジェの悪口を聞いて腹を立てるというような場面があります。ところで、ベランジェの名前を知っている人がいったいどれくらいいるのでしょうか。普通の人はまず知らないでしょう。仏文科の学生でもまずは知りません。フランス人でさえ聞いたことないという人も多いでしょう。ベランジェは風刺シャンソンという現代となってはあまりにも特殊なジャンルを採用したがために、文学史から置き去りにされてしまった詩人なのです。ここでいうシャンソンとは詩とほぼ同意なのですが、それでもシャンソンというくらいですから、当時は節がつけられて口ずさまれていたものと思われます。それ故、時代が下がってそのメロディーが失われると、詩人そのものも忘れ去られてしまったのです。なにしろ、フランス本国でさえ、ベランジェの詩集を新本で手に入れるのは困難なほどです。amazon.fr などで検索をかけても何点かヒットしますが、在庫はありません。ところが、なんとこの日本でかつてベランジェのモノグラフィーが出版されていたのです。林田遼右 『ベランジェという詩人がいた―フランス革命からブルボン復古王朝まで』 新潮社著者の林田遼右先生は千葉大名誉教授で、一昔前のNHKフランス語講座の人気講師でもあった人です。かくいう私もこの先生のラジオ講座から入門した門下生(?)です。今のような初心者に迎合して文法項目をむやみに避けようとする低級講座とは違い、ちゃんと半年で接続法辺りまで教えながらも、それでも何倍も面白い内容で、継続して勉強できる講座でした。というわけで、このブログでは通常敬称は省略しているのですが、今回だけは私の一方的な思い入れにより先生です。もちろん、私はただのラジオ講座聴講生なのですが。残念ながら、ベランジェの本は絶版ですが、今ならまだ入手可能です。十九世紀フランス、特に世紀前半に関心のある人は必読の書です。ベランジェのことを知らずして、その時代のフランスを語ることはできません。
2008年03月28日
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『「かわいい」論』は二年くらい前に出版された新書です。買うだけ買って読まずにいたのですが、ふと気になってざっと目を通してみました。『「かわいい」論』「かわいい」という言葉の使われ方や、それが具体的に現れた現象の分析を通じて、「かわいい」が、未成熟・未完成・不完全であることをそのまま肯定しうる概念であるとしています。そう言えば、この本が出た直後に、この本の主張を超歴史主義だと批判していた論客がいたような気がします。もうよくは覚えていないのですが、少なくとも、「かわいい」を現代日本に特有の歴史的事象としてではなく、より広い概念として捉えようとしている筆者に対して、つまり、歴史的制約を超えたところにある「かわいい」の概念を対象としている人に対して、超歴史主義だと批判するのは、トートロジー以外の何ものでもなく、批判の内容は論理的であっても、批判することに意義はありません。この『「かわいい」論』の最大の問題点は、そのようなところにはありません。詳細に検討したわけではなく、ざっと読んでの感想でしかありませんが、この本が抱え込んでいる最大の問題は、「かわいい」の指し示す範囲の確定でしょう。言い換えるならば、この本で分析の対象とされている様々な「かわいい」現象が、果たして、何らかの共通点のある一つの概念の多様な現れであるのか、それとも、たまたま「かわいい」という言葉しかないので、ひっくるめてその語で指し示されているだけの雑多な現象なのかということが問われていないのです。ピカチューを子どもが「かわいい」というのと、キティーちゃんを女子高生が「かわいい」というのと、アニメキャラをアキバボーイが「かわいい」というのと、果たしてこれらはすべて同じ「かわいい」なのか。それとも、「かわいい」という語しか、それらの事態を指し示しうる語をもたないので、偶発的に一つの「かわいい」という範疇に収まっているだけなのではないのか。決して、「かわいい」というイデアがあって、その様々な現れを指示するために「かわいい」という語が存在しているわけではなく、「かわいい」という語があって、その語の使用が「かわいい」という意味範疇を形作っているのです。そこまで考えると、分析の対象をどこまで広げ、どこで打ち切るのかという問題は、決して「かわいい」だけではなく、あらゆる文化論に突きつけられている方法論上の難題なのです。もちろん、新書の分量でそこまで突き詰めるのは不可能ですが。
2008年03月26日
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ヴィスコンティの映画で有名な『山猫』は、ランペドゥーサの原作もイタリアでは非常に人気のある小説です。しかし、日本ではずっと長い間、映画は公開できず、小説もフランス語からの古い重訳しかないという不遇の時期が続いていました。それが数年前、映画についてはイタリア語音声で修復されて、完全版と称して公開され、さらにはDVDも発売され、ようやく今の時代に蘇ったという感がありました。後は小説の方も、新しい翻訳が出ないかと待ち望んでいたところ、岩波文庫からイタリア語原典から訳したものが出版されたので取り上げておきます。実は小説では映画よりもずっと長い時間の物語が描かれていて、より複雑で入り組んだ構成になっており、ヴィスコンティの映画はそのうちのごく一瞬でしかない舞踏会のシーンを肥大化させることによって、反対に『山猫』の世界を描ききっているのです。ランペドゥーサもヴィスコンティも、そして『山猫』の主要人物もみな同じ没落貴族同士にして、初めてなせる力業であったのかもしれません。したがって、映画『山猫』を愛する者は小説『山猫』を読むべきなのです。映画の話ばかりになってしまいましたが、今回の岩波文庫版については、訳文の文体に関して、訳者自ら敢えて平易すぎるものは避けたと言っているくらいですが、それでも十分に読みやすいものです。これでようやく、映画よりもさらに奥深いランペドゥーサの世界が誰にでも読めるようになったというわけです。ちなみに、訳者によると、ランペドゥーサのイタリア語はかなり難解なものだそうです。いつか原典に挑戦してみようと密かに考えていたのですが、、、『山猫』岩波文庫 DVD 山猫 【イタリア語・完全版】
2008年03月24日
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中公文庫より刊行中の『世界の歴史』シリーズ、三回目の配本は第六巻、『隋唐帝国と古代朝鮮』です。世界の歴史(6)中国は古代日本とも関わりの深い、ある意味ではメジャーな時代が扱われていますが、やはり、この巻の目玉は二百頁近い分量に及ぶ、九世紀辺りまでの古代朝鮮についての記述でしょう。かくいう私もその一員ですが、日本人はどうしても西洋贔屓になりがちなのですが、個人の趣味の問題はさておき、少なくとも知識のレベルでは偏りはできる限りないほうがいいのは確かです。文庫でこの時代について書かれたものなど皆無に近い現状、非常に得難い本なのではないでしょうか。
2008年03月23日

ラテン語学習の友とも言える 501 LATIN VERBS の第2版が出ています。501 Latin Verbsラテン語の501動詞の活用表が延々と載っているだけ、という一種風変わりな本ですが、ラテン語やフランス語、イタリア語など、動詞の活用がたいへんな言語を勉強したことのある人ならご存じの通り、初学者の頃は活用した動詞の意味を調べようと思っても、不定詞が分からないので辞書さえ引けないということがあり得るのです。というわけで、この 501 LATIN VERBS にはちゃんとした存在意義があり、需要もしっかりとあり、版を重ねたわけです。また、501 LATIN VERBS には最重要の55動詞のリストがあるので、ラテン語学習者はできる限り早い段階で、この55動詞の活用を丸暗記してしまうことをお勧めします。501 LATIN VERBS 第2版からは16ページにわたるラテン語動詞体型の概観が巻頭に収録されています。いきなりこれを読んでも役に立ちませんが、ある程度学習が進んでから読み返すといい復習になるでしょう。ちなみに、このシリーズには 501 Japanese Verbs というのもあり、第3版まで改訂されています。どんな内容なのか一度見てみたいと思っています。まあ、どんな内容もなにも、ひたすら動詞の活用が載っているだけなのですが。
2008年03月22日

少なくとも『赤と黒』の時代に、女性がラテン語を学ぶことはなかったというのはすでに見たとおりですが、では、男性なら、どのような者がどこで学ぶのでしょうか?その典型的な答はやはり『赤と黒』にあります。まず、ジュリアンは親戚の軍医からラテン語の手ほどきを受けています。そして、『赤と黒』の中には、ラテン語で会話がなされる場所が出てきます。それはジュリアンが進んだ神学校でのことです。そのジュリアンが家庭教師として貴族の家に住み込み、そこの子どもにラテン語を教えているはずです。直接、そのような場面はなかったかもしれませんが。つまり、神学生と医学生、この二つは容易に想像のつくことですが、ラテン語習得が求められていたのです。まあ、ジュリアンは医学生ではありませんが。それから、後は金持ち。これは出世と教養のためです。まあ、見栄のためと言い換えてもいいかもしれません。以上の話は、あくまでも『赤と黒』に出てくる例であって、もちろん、これがすべてというわけではありません。法学や哲学などもありますから。
2008年03月22日
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スタンダールの『赤と黒』から、もう少しラテン語についての言及を見てみましょう。今回は十九世紀初頭の比較的裕福な階級において、女性とラテン語がどのような関係にあったかが分かります。まあ、どんな階級であろうと、結論は関係などなかったということなのですが。ラテン語がいくらできても、しょせんは農民ですから (光文社古典新訳文庫『赤と黒』上巻 p.259)これは夫にジュリアンとの浮気を疑われているレナール夫人が、疑いの目をそらすためにわざとジュリアンの悪口を言っている場面なのですが、ラテン語ができること自体は特筆するに値する能力であるとみなされているようです。しかし、ジュリアン自身、とある午餐に招かれた席で、ラテン語の聖書の知識をひとしきり披露した後で、こうも言っています。奥様方の前で長々とラテン語など話すのは何とも気が引けます (光文社古典新訳文庫『赤と黒』上巻 p.276)気が引けるのでどうするのかというと、ラテン語で聖書を引用するのではなく、ラテン語で聖書のある箇所を支持してもらえば、続く部分を翻訳してみせるのです。つまり、奥様方にはラテン語は分からないという大前提がここにはあるわけです。そして、当時の女性への教育などを考えてみれば、この前提は至極もっともな話で、どんなに裕福な、あるいはよい家系の女性であっても、ラテン語教育を受けるようなことはあり得なかったのです。『赤と黒(上)』 『赤と黒(下)』
2008年03月22日
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スタンダール『赤と黒』の主人公ジュリヤンは、新約聖書をまるごと、それもラテン語で暗記していたことで周囲の尊敬を集めます。しかし、そういった聖職者の世界とは違い、当時台頭しつつあったブルジョア階級で、ラテン語が一般的にどんなふうに受けとめられていたかが垣間見える場面があります。ジュリヤンが初めて家庭教師に入る町長の家で、やがてジュリヤンと不倫関係に陥るレナール夫人が、家庭教師というものに対してそもそも抱いていたイメージの中に出てきます。ラテン語などという、それを口実に息子たちが鞭打たれる野蛮な言葉 (光文社古典新訳文庫『赤と黒』上巻 p.55)「野蛮な」というのは、第一には鞭打つ家庭教師に対する評価であり、ひいては、そのような事態を引き起こすラテン語への評価でもあるのです。ここから読み取れるのは、ラテン語の知識は必要なこととはみなされながらも、決して好意的には受けとめられていない、ラテン語への相反する態度、アンビバレンスでしょう。ちょうど、今の日本人が英語に対して抱いている好きだけど嫌いという気持ちと同じように。『赤と黒(上)』 『赤と黒(下)』
2008年03月19日
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スタンダールの代表作『赤と黒』は、最新の訳で光文社の古典新訳文庫から出ています。実はこの文庫版、古典新訳文庫の常として読みやすい訳文なのは当然なのですが、上巻の巻末にある「読書ガイド」がよく出来ていて、時代背景を知るのに便利です。フランスの王政復古期が舞台の作品ですが、この時期はフランス革命からナポレオンの時代を経て、ブルボン王朝が完全に歴史から退場するまでの過渡期にあたり、様々な流派が対立しながら時代背景をなしています。ジェズィット(イエズス会)やナポレオン主義者といった名前こそは知られているものの、改めて聞かれると詳しくは分からないから、ジャンセニスト(キリスト教の一派)やユルトラ(ultra 過激な王統派)など、聞いたこともほとんどないような流派までが複雑に対立し合っています。個々の流派の説明こそは少ないものの、一読すれば、対立軸が明確になるので、『赤と黒』の物語の中で、誰と誰がいがみ合っているのかがよく分かります。特に、タイトルにもなっている赤(軍人)と黒(僧侶)の対立軸など、『赤と黒』を、いえ、スタンダールのどの作品であれ、読むにあたって知っておいて損はない情報を得ることができる便利なガイドでしょう。なお、『赤と黒』の映像化はジェラール・フィリップ主演のものが有名で、日本でもDVD化されています。『赤と黒(上)』 『赤と黒(下)』 ◆新品DVD★ 『赤と黒』
2008年03月17日
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フランスの作家アラン・ロブ=グリエが先月なくなりましたが、le Monde紙はその訃報に際して、アラン・ロブ=グリエのことを、二十世紀後半において世界でもっとも評価され、フランスでもっとも読まれなかった作家と評していました。実際、アラン・ロブ=グリエは日本やアメリカで高く評価された実験的な作家でした。そもそも、本が売れないと嘆いている日本の出版界で、なぜ、アラン・ロブ=グリエのような作家が?と思われるかもしれませんが、別に日本でもアラン・ロブ=グリエの作品が売れたという話は聞きません。つまり、アラン・ロブ=グリエの評価を支えていたのは大学の仏文科ということです。文学研究の大先生がすごいすごいと言い続け、翻訳もたくさん出されましたが、今となっては入手困難かもしれません。はっきり言ってしまえば、正に二十世紀後半の文学です。言うなれば永遠のアヴァンギャルドであり、アヴァンギャルドはアヴァンギャルドでありつづける限り、決して広く支持されることはないのです。『反復』
2008年03月14日
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結論から言うと、この学者にはタブーなどありません。誰のことかというと、中村桃子という言語学者です。この人が既存の言語学の枠組みに収まるとしての話ですが。『〈性〉と日本語 ことばがつくる女と男』 この本は「男らしさ」や「女らしさ」というカテゴリーがあって、そこから「女らしい言葉づかい」、つまり、「女ことば」が自然発生的に生まれてくるのではなく、「男ことば」という資源が「男らしさ」を「女ことば」という資源が「女らしさ」を作り上げてゆく過程を鮮やかに説明してくれます。その材料として分析の対象となるのが、マンガであったり、ハーレークイーンロマンスであったり、果てはスパムメールであったりするのです。伝統的なというか、主流派の言語学者が見たら、なんて品のないコーパスとあきれかえりそうですが、そして、際物視して言語学の周辺に位置づけられそうな研究です。しかし、マンガは小説の何倍、いや、何百倍も売れているし、ハーレークイーンロマンスも莫大な読者を持って、毎月新刊が続々と出ている、さらには現代人の主要なコミュニケーション手段であるメールの実に90%がスパムだという現状を考慮すれば、ご立派な文学作品や新聞と、ごく一部の、それもたいていは教養ある人の話し言葉しか研究対象にならない主流派より、よっぽど本来のあるべき姿に近いことが分かるでしょう。この人の研究には、似非科学者では太刀打ちできないラディカルさがあります。本来、学問にはタブーなどないはずなのですから。とまあ、ここまでは『〈性〉と日本語』の言語学的な評価ですが、この本を読んで、私がずっと感じていた疑問のうち少なくとも三つが解けました。1. なぜ、翻訳小説では下層階級や黒人の人たちに訳の分からない方言もどきをしゃべらせるのか?「そうでごぜえやすだ、旦那様」の類ですね。2. どうしてハーレークイーンロマンスは翻訳物しかないのか?日本人が書いたものは必ずと言っていいほど雰囲気が違ってきます。3. セカチュウのような下らない三文小説がなぜ支持されるのか?ファンの方ごめんなさい。でも、冷静になって考えれば、あまりにも安っぽい純愛ものですよね。これらの文学についての疑問に、言葉づかいという観点から『〈性〉と日本語』は一つの回答を与えてくれます。もちろん、必ずしも直接応えてくれるわけではありませんが。というわけで、この本は言語学に興味がある人だけではなく、およそ本を読むのが好きな人のすべてに読んで欲しいくらいなのですが、実は一つだけ欠点があります。それは意外と難解だということです。神話の再生産、この表現を聞いてなにを言わんとしているのかピンと来ないと、少し読むのに手間取るかもしれません。読みやすそうに見えて、そういった学問的な言葉づかいが多用されているのです。
2008年03月11日
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ずっと前から気になっていながら、なかなか読む機会のなかった梨木香歩著『西の魔女が死んだ』を読みました。話としては、いじめにあって学校に行けなくなった主人公が、一風変わった親類、ここではお祖母さんの家に預けられ、そのふれあいの中で強く成長してゆくという、ありがちなものです。しかし、『西の魔女が死んだ』には類似作品にはないいくつかの特徴があります。一つはタイトルにもあるとおりの「魔女」という要素で、別に作品の中に魔法が出てくるわけではありませんが、この超自然的な話がうまく主人公に成長をうながす要素として使われています。ですが、魔法の導入というのはこの作品に限ったことではなく、『西の魔女が死んだ』の最大の特徴でもありません。それでは、『西の魔女が死んだ』を特徴づける最大のポイントはなにかというと、それはノスタルジーであると言えます。野いちごを煮てジャムを手作りしてみたり、庭から野菜を摘んでサンドイッチを作ってみたり、たらいに水を汲んで洗濯してみたりという、おばあちゃんのライフスタイル。自らオールドファッションと言っているくらいです。また、おばあちゃんの家を取り囲む豊かな自然。最近では珍しいとさえ言える様々な草木の描写。そして、そういったよい意味での田舎が、実に郷愁を誘うように美しく描かれているのです。自然をただ単にていねいに描写しているだけではなく、死んだおじいさんの思い出と重ねるなど、追憶の世界を同時に語りかけてきます。それゆえ、『西の魔女が死んだ』はただの若者向けの読み物としてではなく、大人が読むに足る文学作品になり得ているのでしょう。願わくは、この『西の魔女が死んだ』が映画化される際に、ただの甘ったるいお涙ちょうだいのストーリーになっていませんように。
2008年03月08日
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イギリスを代表する作家といえばシェイクスピアでしょう。その名を挙げることに反論するものなどいないであろう、押しも押されぬイギリス最大の詩人シェイクスピア。ところが、現代の我々が抱いているシェイクスピア作品への評価やイメージが、実はロマン主義的な解釈であると指摘されたら、みなさんは驚くでしょうか?まあ、たいていの人は別に驚かないでしょう。それよりも、ロマン主義的解釈って何ですか?というのが普通の反応だと思います。ロマン主義の特徴は、内面性や感情を重視して、想像力を解放しようとした、十九世紀ヨーロッパの支配的な思想、運動であり、芸術とは人の感情を表現したものであるとか、作者の想像力が生み出した作品とかいった、現代ではごく当たり前のように思われている芸術論が生まれたのも、実はこの頃のことなのです。そのような観点で見ると、ハムレットと一緒に悩み苦しみ、ジュリエットとともに恋をして涙するような、現代のシェイクスピア受容のあり方は、正にこのロマン主義に根ざしているといえるのです。果たして、それはシェイクスピア自身が考えていた作品受容のあり方でしょうか?それに異議を唱え、シェイクスピアが大胆にもたくらんでいた戦略を明らかにしようというのが、『シェイクスピアのたくらみ』という本です。新書版ながら、決してよくあるような通り一遍の解説書ではなく、本格的なシェイクスピアになっていますが、その一方で、決して難解で読みにくいということもなく、シェイクスピアファンや演劇ファンはいうまでもなく、広く本好きの人にお勧めできる一冊です。この本の特徴は、観客のあり方というものをシェイクスピアの作品解釈の必須要素として捉えるというもので、このような方法論には異論もたくさんあるでしょうが、劇作品の受容論としては説得力が十分にあります。登場人物にひたすら感情移入して、一緒にストーリーの荒波にもまれるのではなく、登場人物の知らない情報を得て優位な地位にある観客が、少し離れた立場から、登場人物を覚めた目で見つめるところから生じる効果。これをこの本の著者はブレヒトの異化効果になぞらえていますが、そのような観客相手の戦略がシェイクスピアにあったのだというのが、この本の主たる主張です。ただし、こんなふうに簡単にまとめてしまうと、一挙に難解な文学理論のように思えてきますが、それを具体的な証拠に基づいて分かりやすく説明してくれますので、ぜひご一読を。
2008年03月06日

カフェで読書をするという悪癖がパリで身につき、それが日本でも抜けないために苦労しています。条件は非常に簡単で、たった三つだけ エスプレッソがおいしいこと ゆっくりと長居できること お菓子がおいしいことこの条件群、実は一番目が日本ではいちばん難しく、たいていのお店のエスプレッソはくそ不味い!それはさておき、三つ目の条件はなくてもいいのですが、いちにちに何軒かハシゴをして、コーヒーも数杯目となると、なにか食べたくなってきます。普段は面倒なので、そのお店にあるもので我慢するようにしているのですが、時々、どうせならフランスのお菓子をと思い立つことがあって、我が身を追い込んでしまいます。なにしろ、日本でフランス風のお菓子を食べようとしたら、バカ高い上に、無意味に日本風にアレンジされたまったくの別物ということが多いからです。というわけで、今回は安くておいしい、しかもブルターニュ地方のお菓子という、少し変わり種が食べられる場所を紹介します。お菓子の名前は far breton、ファル・ブルトン。まあ、素朴なレーズン・プディングみたいなものです。食べられる場所は水道橋にある東京日仏学院。その入り口のところにあるセルフ方式のカフェ、Le C@féです。エスプレッソは安くておいしいし、ファル・ブルトン以外の食べ物もなかなかです。もっとも、ファル・ブルトン自体はそんなに騒ぐほど美味ではありませんが、まあ変わり種として、時々食べたくなります。ところで、このLe C@féですが、日仏学院の中の施設なので、部外者が利用可能なのかどうか知りません。多分、問題ないとは思うのですが。日仏学院のサイトはこちら
2008年03月04日
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だらだらと読んでいたらいつまで経っても終わりそうにないので、コレットの『青い麦』を一気に読み切ってしまいました。『青い麦』 集英社文庫 最初の百頁ほどに一週間かかったのですが、後半ほぼ同じ分量は一晩でした。本当は文庫で二百頁弱なので、早い人なら一日で終わるのかもしれませんが、なかなかそれだけに集中することもできず、また、『青い麦』の文体が苦手だということもあったのですが。『青い麦』は学生のときに読んだので、だいたいのストーリーは覚えていたとおりでしたが、前回はなぜかヴァンカに肩入れして読んでいた記憶があります。ヴァンカというのは主要な登場人物の一人で、いわば、『青い麦』のヒロインです。しかし、今回、別の視点から読み直してみて、やはり、ヴァンカを応援したい気持ちは止みがたいものの、あえて、別の話をしよう、トゥルゲーネフの『初恋』と比較してみようと思います。はたして、少年の淡い恋を描いた物語として、『青い麦』と『初恋』はどちらが傑作なのかという問題です。トゥルゲーネフ『初恋』どちらも、主人公の少年が大人の女性の虜になり、振り回された挙げ句に、幻滅させられるという点で共通しています。『青い麦』では、そんな主人公フィルをヴァンカが迎え入れるのですが、最終的には、ヴァンカも自分ももはや子どもの世界には戻れないことを知って、いや、ヴァンカが自分の想像していた子どもではなかったことを知って淡く幻滅してしまいます。一方で、『初恋』の主人公ウラディーミルは、初恋の相手が自分の父親と不倫の関係にあることを知って、徹底的な幻滅を味わってしまいます。ヴァンカとの初恋に戻れるフィルと、帰るべき場所を喪失するウラディーミル。どちらが好きかは趣味の問題ですが、若い恋の残酷さをうまく描いているのは『初恋』のほうでしょう。特に、この作品はヒロインのジナイーダが見せる残酷なまでの我が儘ぶりが、ファム・ファタルという普遍的な問題を提起してくれます。しかし、それだけに後味の悪さの残る作品であることも確かで、その点、『青い麦』は哲学がないと非難されつづけたコレットの作品だけのことはあり、そのような深く暗い意味はなく、フィルやヴァンカの心が揺れる様を純粋に味わうことが出来ます。もっとも、いちばん最後のところで、ヴァンカの妊娠が示唆されていると思うのですが、物語はその前、恋が淡く切ないうちに幕を閉じてしまいます。果たして、『青い麦』と『初恋』のどちらが傑作でしょうか。文学史にいつまでも残るのは間違いなく『初恋』です。それはすでに歴史が証明しているとさえ言えます。実際、文学を作者の思想の表明であると考えるならば、そして、そのような態度こそが二十世紀を支配していた文学観でもあるのですが、『青い麦』は『初恋』の足元にも及びません。しかし、『青い麦』は正にその思想性のなさ故に、二十一世紀になっても本来の価値を失わない作品であるとも言えます。
2008年03月02日
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ようやく日本語で読めるパサージュについての詳しい本が出版されました。鹿島茂 『パリのパサージュ』 現存するパサージュが写真付きで一つ一つ順に紹介されています。ギャルリー・ヴィヴィエンヌのように、近頃では観光ガイドにも取り上げられることのあるパサージュはともかくとして、パサージュ・ブラディのような、ほとんどインド街のようなところまで紹介されている、その網羅性がこの本の特徴です。150頁ほどのそれほど大部な本ではないのですが、これまでの断片的な小論しかなかった状況を思えば、一通りの情報を得られる唯一の日本語文献であり、パサージュについて知るための基本文献とも言えます。
2008年02月29日
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中公文庫から順次刊行される『世界の歴史』シリーズの第2弾は、第20巻『近代イスラームの挑戦』でした。中公文庫 『世界の歴史(20)』扱っている時代は十八世紀から二十世紀初頭まで、舞台は当然イスラム世界となります。これぞ正に私の欲しかった巻で、ハードカバーのときに購入したものは、どうしても西欧中心となってしまっていたので、今度こそは『世界の歴史』を全巻揃えたいと目論んでいます。今後の予定としては、毎月一冊のペースで刊行されてゆくようで、次回配本は第3巻『隋唐帝国と古代朝鮮』、その次の第4回配本は21巻『アメリカとフランスの革命』と予告されています。
2008年02月28日
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新刊で集英社新書から毛色の変わった紀行文(?)が出版されています。「ゲーテ『イタリア紀行』を旅する」ゲーテの『イタリア紀行』は、ゲーテの代表作の一つともいわれる紀行文の傑作です。仏文学徒でイタリア大好きの私でさえ、『イタリア紀行』といえば、スタンダールの『イタリア紀行』ではなく、ゲーテの『イタリア紀行』をまずは思い浮かべるくらいです。しかし、ゲーテの『イタリア紀行』には大きな問題があって、読了した人が非常に少ない。なぜかというと、ゲーテだけに非常に高尚というか衒学というか、早い話が難解なのです。それに輪をかけてくれるのが、岩波文庫の味わい深い名訳なのです。名訳は得てして読むのに骨の折れる名文調なのです。『イタリア紀行』が読みづらい今ひとつの理由は、『イタリア紀行』の内容そのものに関わっています。『イタリア紀行』はゲーテがイタリアで見た絵画、彫刻、建築、遺跡などについての記録という側面が強く、実際にそこで言及されている作品を知らないと、後はゲーテの舌先三寸にしてやられるしか道が残されていないのです。そんな『イタリア紀行』にとってはよろしくない状況を一挙に打破してくれるのが、今回紹介する『ゲーテ『イタリア紀行』を旅する』なのです。『イタリア紀行』から適宜引用しながらも、著者の分かりやすい解説と写真で、ゲーテと同じ順路でイタリアを旅できる本なのです。この手のよく出来たヴィジュアル版の新書の常で、出来がよければよいほど、物足りなさが残る、こんな薄い小冊子ではなく、もっともっとたくさん読みたかったという不満が残るのですが、それはとりもなおさず、この本のすばらしさを物語っています。『ゲーテ『イタリア紀行』を旅する』片手に、実際にゲーテの『イタリア紀行』を読み進めるというのも楽しいかもしれません。なお、『ゲーテ『イタリア紀行』を旅する』の著者によると、『イタリア紀行』は長らく定番であった岩波文庫ではなく、潮出版の全集の11巻が読みやすい訳文でお勧めだそうです。潮出版のゲーテ全集といえば、以前は一冊が五千円くらいはして、本当に欲しい巻しか手が出せなかったのですが、今は新装普及版があって、二千円程度になっています。『ゲーテ全集(11)新装普及版』
2008年02月26日
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訳あってコレットの『青い麦』を読んでいます。『青い麦』と言えば、これまた青春文学の代表ともいわれる名作で、フランスはブルターニュ地方の広大な自然の中で繰り広げられる、大人に憧れる十代の甘くも切ない初恋とその悲しみが、感覚的な文体で描かれて、、、といった辺りが、一般的な『青い麦』の評価だと思いますが、そして、その評価に違わぬ名作なのですが、それ故に、この歳になって読み直すことになろうとは思いもしませんでした。あまりにも特定の時代や世代にコミットしすぎて、その時代そのものになってしまったり、ある世代を代表する作品になってしまうと、却って全般的な評価が得られなくなってしまうという好例かもしれません。コレット 『青い麦』私はコレットのプレイヤッド版第二巻で読んでいるのですが、それがまた読みにくさに輪をかけてくれます。『青い麦』の日本語訳は古くから色々と出ていますが、集英社文庫のものがよいでしょう。【DVD】青い麦<2003/06/20>映像化されたものは、昔のオータン=ララ監督の映画がDVD化されていましたが、私は見たことありませんし、今でも入手可能なのか分かりません。数年前にフランスでテレビドラマ化されていましたが、さすがにそのDVDはないようです。
2008年02月24日
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光文社古典新訳文庫では、フロイトの文明論集が刊行されています。しかし、今さらどうしてフロイトの、それも文明論集なのでしょうか。確かに、フロイトの書いたものなので、単なる文化論にはとどまらず、精神分析的眼差しにあふれた評論とはなっているので、フロイトを深く研究したい人には欠かせないものだと思うのですが、そして、それがこなれた新訳で読めるようになることは素晴らしいことだとは思うのですが、、、。どうせなら、文明論ではなく本論、精神分析そのものを中心に取り扱っている論文を出した方がよいのではないでしょうか。といっても、じゃあ、どれならいいのだという名案はないのですが。フロイトはこれ一冊だけを読めばいいという主著がありません。『幻想の未来』 『人はなぜ戦争をするのか』 ところで、この新訳って読みやすいのでしょうか。単純にそれまでの訳と比べて読みやすいという気はします。しかし、私は精神分析についてはフランスでしか学んだことがないので、根本的にこの分野の日本語の語彙や独特の表現が欠けているため、正直なところ、読んでもそのまま理解することができません。でも、多分、読みやすいいい訳文だと思います。少なくとも、信頼できる訳者ではあります。
2008年02月22日
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今日、予約注文していたDVDが届きました。あのモンティ・パイソンの日本語吹き替え版BOX SETです。空飛ぶモンティ・パイソン”日本語吹替復活”DVD BOX[7枚組]もちろん、既発売のモンティ・パイソンのDVDにも日本語吹き替え音声は収録されているのですが、今回のDVDに収録されているのは、東京12チャンネルで放送されたときのもの、つまり、日本人にとってみれば、これぞオリジナルの日本語音声なわけです。まだ、開封して付録のブックレットを眺めているだけですが、このブックレットがまた128頁もある代物で、当分の間は退屈しなくてすみそうです。文学となんの関係があるのか?まあ、イギリスのユーモアの研究ということで。
2008年02月20日
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『赤毛のアン』のことを日本でばかり人気が高くて、本国ではいまいち評価されていない作品などと貶しましたが、ふと読み返してみて、やっぱり面白いことは面白いと認めざるを得なくなってきました。そんなわけで、今度は同様に日本での評価に比して本国ではそれほど顧みられず、また、個人的にいくら読み返してみても面白いと感じられない作家を紹介します。前もって、お断りしておきますが、本国での評価というのはあくまでも文学史上の位置づけの問題であったり、本の売れ行きであったりしますが、面白いかどうかは私個人の感想です。で、それは誰かというと、モーパッサンです。モーパッサンといえば、日本ではあたかもフランス文学を代表するかのような、押しも押されぬ短編の名手であり、その上、『女の一生』のような長編も残した大作家とみなされていますが、フランスでは短編の名手であるが故に、モーパッサンの評価は非常に低い。長編も『女の一生』なんてなにそれ、フロベールの二番煎じじゃないかと思われています。モーパッサンを高く買っているのは日本とアメリカだけです。昔、アメリカに行った有名なフランス人作家が、あまりにもみんなからモーパッサン、モーパッサンと言われるので、モーパッサンなんて大した作家じゃないと発言して驚かれたというエピソードがあるくらいです。なぜ、日本とアメリカではモーパッサンは評価されるのか。それはこの二国には短編の伝統があるからというのが、よくいわれている理由です。オー・ヘンリーしかり、志賀直哉しかりですね。その反対に、日本文学が相当広く受容されているフランスでも、志賀直哉はあまり人気がありません。ところで、私個人の趣味の問題に話を移すと、昔から志賀直哉を面白いと思ったことは一度もなく、『暗夜行路』に至っては読了こそしたものの、ほとんどなにも覚えていない。ああ、主人公が父親と相撲を取るエピソードだけはかすかに記憶に残っていますが。それくらいだから、モーパッサンも好きになれるはずがないのです。もちろん、一個人の好き嫌いなので、モーパッサンの価値とはなんの関係もありませんが。自然主義という観点からもう少し真面目な話もあるのですが、今回はひとまずこれくらいにしておいて、正当にモーパッサンの短編集を紹介しておきます。もちろん、モーパッサンの短編集はたくさんありますが、岩波文庫の最新のものが、代表的な短編が収録されており、なおかつ読みやすい訳文でお勧めです。モーパッサン短篇選
2008年02月19日
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これまでにもなんどか取り上げてきた、パリにあるガラスと鉄骨のアーケード回廊パサージュですが、平凡社からパサージュの本が刊行されるようです。鹿島茂 『【予約】 パリのパサージュ 過ぎ去った夢の痕跡』著者は十九世紀のパリのことを書かせたら右に出る者のいない鹿島茂で、これまでにもパサージュを論じた小論は何篇かあったのですが、一冊まるごとパサージュというのは初めてのようです。私の十九世紀好きもこの先生のおかげなので、もう一も二もなく、購入するしかないわけです。この週末も当然のごとく書店には行ったのですが、まだ、発売されていないようなので、刊行され次第、また紹介しようと思います。
2008年02月17日

以前、どちらかというと否定的に紹介したモンゴメリの『赤毛のアン』ですが、実は今年は『赤毛のアン』が出版されて100周年にあたる記念の年なのです。anne2008.comという、その名もずばり赤毛のアン100周年を祝うためのサイトもあります。それに合わせてPenguinから2冊のアン関連の本がこの二月に出版されます。一冊目は Before Green Gablesこれはモンゴメリ自身の作品ではないのですが、タイトルの通り、アンがグリーンゲーブルズにやって来る前の物語です。紹介文にはこんなふうにあります。But when readers first meet Anne, she is eleven...11歳の女の子として登場したアンの、それ以前の生活については、少しだけアン自身による言及が作中にあるばかりで、多くのアンマニアが読んでみたいと熱望していた物語なわけです。一応、モンゴメリの子孫のお墨付きらしい。Anne of Green Gables, 100th Anniversary Edition二冊目はコレクター向けの本で、1908年に出版された『赤毛のアン』初版のファクシミリ版。オリジナルのカバーイラストも採用されているようです。こういうのって、作品そのものにはあまり興味がなくても、コレクターとして少し気になるんですよね。この二冊、最初に出版案内で見たときには2月14日発売予定だったのですが、Penguinのサイトで確認した限りでは、一週間遅れの21日に出るようです。まだ買うかどうか決めていませんが、きっと洋書屋にも並ぶと思うので、実際に手に取ってみたら衝動買いすると思います、きっと。安いし。
2008年02月14日

リサとガスパールの洋書を通販でも買えるようなので、一応紹介しておきます。送料を考慮に入れても、洋書の扱いのある大型書店で買うよりは少しは安くなりそうです。リサとガスパール デパートの一日商品名は日本語になっていますが、画像の通り、実際には Gaspard et Lisa aux Grands Magasins というタイトルのフランス語版です。とはいえ、フランスに行く知り合いに頼むほうが安上がりなのは事実です。ところで、色々と検索していて発見したのですが、こちらのサイトで、Gaspard et Lisaの日本語タイトルがリサとガスパールになった経緯が推理されています。結論から言えば、英語版経由だからということなのですが、なるほどという感じです。
2008年02月13日
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フランスに行く際に、最近お土産としてよく頼まれるのがリサとガスパールの絵本です。リサとガスパールは日本でも人気のあるキャラクターですが、元々はフランス語の絵本なので、どうせパリでは本屋にしか行かないんだから、ついでに買ってきてというわけです。『リサとガスパール デパートのいちにち』特に人気のあるのが、ギャルリー・ラファイエットにリサとガスパールが出かけるこの巻です。まあ、一つには知り合いがそういう年齢になってきた、つまり、子どものいる年齢になってきたということでもあるのですが、それにしても、リサとガスパールで、それもフランス語版で育てられるなんて、羨ましい限りです。フランスで買ってきてというのは、原書なら普通の小さいサイズのものが6ユーロ弱なので、FNACで5%引きで買えば、確実に1000円を切るからです。日本だと、日本語版が1200円程度、原書だと1600円程度なので、まあ、確かに安くはなっています。大型判だとさらに値段に開きがあるし、リサとガスパールのシリーズを全巻揃えるとなると、けっこうな差額になるというわけです。絵本なので何冊も集めると見た目以上に重くなり、毎回、スーツケースの重量との闘いとなるのが欠点です。もちろん、超えてしまえば、カバンにつめて機内持ち込みという地獄が待っています。
2008年02月12日
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チレア作曲のオペラ『アドリアーナ・ルクヴルール』を知ったのはつい先日のことだったのですが、やはり、知らないは私ばかりで、元々有名な曲であったらしく、こんなCDまで出ていました。プライド オペラ・アリア・セレクションこれはなんとあの『有閑倶楽部』の一条ゆかりが現在連載中のコミック『プライド』とのコラボレーション(?)CDなのです。私も今回初めて知って、まだ現物を手にしていないので、詳細は分からないのですが、オペラ歌手を目指す二人の女性が公私ともに激しくぶつかりあう物語で、それにちなんでなのか、あるいはコミックの中で言及されている作品をなのか、いずれにせよ、アリア集なわけです。そして、ジャケットは当然のごとく一条ゆかり画です。二枚組CDに収録されている曲目は以下の通り、プッチーニ、ヴェルディ、モーツァルトなど調大御所も多いのですが、その中にチレアも一曲入っています。[Disc1]1.プッチーニ/『ラ・ボエーム』より 私の名前はミミ2.プッチーニ/『トスカ』より 歌に生き、恋に生き3.ヴェルディ/『マクベス』より野望に満ちて4.ベルリーニ/『ノルマ』よりカスタ・ディーヴァ~清らかな女神よ5.プッチーニ/『ラ・ボエーム』より冷たきこの手6.ヴェルディ/『椿姫』より乾杯の歌7.ヨハン・シュトラウス2世/『こうもり』より 故郷の響きは憧れを募らせ8.リヒャルト・シュトラウス/楽劇『ばらの騎士』より“僕は夜明けが嫌いだ"9.リヒャルト・シュトラウス/楽劇『ばらの騎士』より “2幕のゾフィーとの二重唱"10.リヒャルト・シュトラウス/楽劇『ばらの騎士』より“3幕の三重唱"11.リヒャルト・シュトラウス/楽劇『ばらの騎士』より “あれが若さということですね"12.ドニゼッティ/『ドン・パスクワーレ』より あの騎士のまなざしは13.モーツァルト/『フィガロの結婚』より 恋人よ、早くここへ…14.リヒャルト・シュトラウス/楽劇『ばらの騎士』より “あんな男と結婚するのですか?"[Disc2]1.ヴェルディ/『リゴレット』より 慕わしき人の名は2.プッチーニ/『ジャンニ・スキッキ』より 私のお父さん3.カタラーニ/『ワリー』より さようなら、ふるさとの家よ4.チレーア/『アドリアーナ・ルクヴルール』より 哀れな花5.プッチーニ/『マノン・レスコー』より 捨てられて、一人寂しく6.ヘンデル/『リナルド』より 涙の流れるままに7.ビゼー/『カルメン』より ハバネラ8.ヴェルディ/『椿姫』より ああ、そはかの人か...花から花へ9.プッチーニ/『トゥーランドット』より お聞き下さい、王子様10.ヴェルディ/『運命の力』より 神よ、平和を与えたまえ11.プッチーニ/『トゥーランドット』より 誰も寝てはならぬ12.ヴェルディ/『リゴレット』より 風の中の羽根のように女心の歌13.ドニゼッティ/『愛の妙薬』より 人知れぬ涙14.モーツァルト/『ドン・ジョヴァンニ』より お手をどうぞ15.モーツァルト/『魔笛』より 恐れるな若者よ16.モーツァルト/『魔笛』より 復讐の心は地獄のように燃え なお、原作のコミックはこちら。今のところ、8巻まで出ているようです。 一条ゆかり 『プライド(1)』
2008年02月07日
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先日、来日中の知人とチャイコフスキー・コンクールのガラ・コンサートに行ってきました。今回は日本人がヴァイオリン部門の一位ということで、国内的にも注目を集め、私の聴いた会、サントリー・ホールでの講演もほぼ満席という盛況ぶりでした。同席の知人はヴァイオリンにはうるさいので、お互いたいして期待もしていなかったのですが、女声部門の受賞者オレシャ・ペトロヴァが歌った曲が予想外によかったという意見で一致しました。曲目は、フランチェスコ・チレア作曲 歌劇『アドリアーナ・ルクヴルール』より ブイヨン公妃のアリア「苦い喜び、甘い苦しみ(Acreba voluttà, dolce tortua)」です。「予想外に」というのは失礼な意味ではなく、こんな曲があることを知らなかった、いえ、作曲家の名前さえ知らなかったという意味です。しかし、調べてみると、フランチェスコ・チレアはプッチーニやレオンカヴァッロと同じ新イタリア楽派に属する歌劇作曲家で、『アドリアーナ・ルクヴルール』はその代表作。決してマイナーな曲などではなかったのです。普段、オペラなんてまず聴かないし、声楽のコンサートに行くこともまずないので、ふとした機会に発見があるという、喜ばしいことなんだか、無知をさらけ出しているだけなんだか、よく分からない話でした。チレア: 歌劇 アンドリアーナ・ルクヴルール(DVD) ◆20%OFF!チレア:歌劇「アドリアーナ・ルクヴルール」(全曲)
2008年02月04日

何度かフランス語のオーディオブック(livre à écouterとかlivre lu、livre sonoreと言います)の話をしてきましたが、もう最後はこれしかないだろうという決定版を見つけました。マルセル・プルースト『失われた時を求めて』を全文朗読したものです。なにしろCD 111枚組、収録時間が約140時間という代物ですから、価格もそれなりにして、365€、最近の少し円高気味のレートでなら六万円を切る程度です。出版社のサイトからは、有名な冒頭の部分を一分間試聴できます。Longtemps, je me suis couché de bonne heure. という例の部分です。でも、これを買ったとして、いったいどうやって全てを聴けばいいのでしょうか。例えば、電車通勤に三十分かけている人ならば、往復で一日一時間、一週間で五時間、単純計算で28週間、つまり、半年強で聴き終えることができます。でも、通勤なんてしないしなあ。私の場合、週に一回一時間になってしまうので、二年半以上はかかる計算になります。かといって、毎日、そのために時間を取るのは嫌だし。毎日お風呂で15分ずつというのはどうでしょうか。計算上は560日、つまり、一年半ほどで聴き終わります。でも、頭や体洗ってるときは聞こえないから、湯船につかっている時間だけだとすると、15分じゃのぼせちゃうしなあ、、、などと馬鹿げた計算をするだけでも楽しめます。それだけの膨大な録音ということですね。そもそも、こんな録音をした人がいること自体がすごい。さすがに一人だけで全編をというわけではありませんが。ところで、価格は365ユーロなので、一日1ユーロずつ貯金してゆけば一年で買えるのです。失われた時を求めて貯金。いっそ、自分で朗読して買ったつもりになって、つもり貯金でもするか、、、などと、またもや益体もないことを考え出してしまいます。なお、このCDセット、実は日本でもフランス語書籍の専門店に在庫があったりするのですが、十万円以上します。CD111枚では重量があって輸送費がかさむのかもしれませんが、それにしても高すぎるなあ。うーん、こんどFNACに行ったときに、勢い余って購入!なんてことにならないことを、我がことながらも祈っている今日この頃です。
2008年02月01日
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パリやローマの街を歩いていると、ギリシア神話・ローマ神話に取材した彫刻によく出くわします。ルネサンスやバロック絵画を見ていても、神話は重要な源泉となっています。しかし、ギリシア神話の体型だった概説書などがないため、個々の細かな知識は少しずつ増えていっても、全体像がいまだに見渡せないでいます。もちろん、これは私の個人的な話なのですが、同じような人も多いのではないでしょうか。筋道だったストーリーがあり、比較的覚えやすい宗教画との違いです。どうせ、ギリシア神話ならこれ一冊で、という決定版がないなら、徹底的に手頃なものをということで、こんなのはいかがでしょうか。里中満智子 『マンガギリシア神話(1)』 中公文庫マンガによるギリシア神話です。しかも、文庫版だから高くない。内容的にも全8巻なので、それなりに詳しいものとなっています。私はまだ第一巻しか見てないのですが、メルクリウスの杖や有翼のサンダルといったアトリビュートの由来が出てきたりして、マンガを楽しみながらよい復習になります。これを美術ガイドとして使用する際の欠点は、神々がギリシア名であることでしょう。まあ、タイトルが『マンガギリシア神話』なのですから、当然といえば当然なのですが、その一方で、美術作品のタイトルではローマ神話での呼称が用いられることの方が多いので、この対応関係が把握できていないと辛いかもしれません。事実、上記でメルクリウスの話を取り上げていますが、このマンガの中では当然のことながら、メルクリウスではなくヘルメスとされています。
2008年01月31日
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