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にほんブログ村 鬼滅の刃と、日本の神様の関係を考察したいと思います。私は鬼滅の刃は原作を読んでいません。ですから、劇場版・アニメ版をご覧の方ならネタバレもありません。主人公、竈門 炭治郎。その名からも、火の神・かまどの神との関連が連想されます。実際、炭次郎は「水の呼吸」と「火の神神楽」を使って戦います。なぜ炭次郎は、火と水を使うのでしょうか。かまど神は民間信仰の神様ですが、日本神話の火の神は「火之迦具土神(ヒノカグツチノカミ)」。火の神カグツチは、イザナミから生まれました。しかしイザナミは、出産時の火傷で死んでしまいます。妻イザナミの死に怒ったイザナギは、生まれたばかりのカグツチの首を切り落とします。そのカグツチの血から、水の神・闇淤加美神(クラオカミノカミ)が生まれました。火の神から、水の神が生まれたのです。火の神から、水の神が生まれた理由。それは、火はあまりに危険で、その制御には水が必要だからとされています。(各地の秋葉神社には、火の神・カグツチが祀られます)鬼滅の刃で炭次郎が水の呼吸を使う時、炭次郎は鬼にさえ、慈悲の刃で対します。一方で、火の神神楽を使う炭次郎は怒りに身を任せ、自身の身さえ滅ぼしかねません。火を扱うには、水の癒しの力が必要なのです。今、世界は東欧州を中心に、怒りの炎に包まれようとしています。今ほど、火を治める水の力が必要な時はありません。冷静に火をなだめ、世界にいやしを諭すこと。それが私達にはできるはず。私達は、火の神の恐ろしさと、水の神のいやしの力を知る、長い歴史を受け継ぐ国の民なのだから。【 バランスが崩れると・・・ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2022.03.15
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にほんブログ村 伊奴神社から庄内川を越え、さらに少し歩いた場所。そこにある、名古屋市西区の星神社をご紹介します。星神社には、独自の七夕伝説があります。近くの庄内川を挟み、青年と娘が住んでいました。青年は庄内川を泳いで娘に会いに来ていましたが、その日は増水し荒れていました。流れに飲まれて青年は溺れ、娘も後を追い庄内川に身を投げたと伝わります。星神社は縁結び、夫婦円満のご利益があるとされます。近くの安産祈願の伊奴神社とともに、恋人達や夫婦の参拝が多い神社です。しかし実際は、星神社も伊奴神社も水害の危険を伝える神社。以前の名古屋の大洪水でも、庄内川は氾濫しました。神社が伝える真の戒めを、決して忘れてはなりません。【 星の王子様 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2021.12.11
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にほんブログ村 中国の地理書「山海経」に「化蛇(かだ)」という獣が描かれています。化蛇は陽水と呼ばれる川に住むとされます。化蛇は人頭で、山犬の体と蛇の姿で、翼もあります。その鳴き声には、喚く様な不快さがあると言われます。そして化蛇が現れると、洪水が起きるとされます。(画像出典: 国立国会図書館「山海経」)今回の土砂崩れによる被害。洪水や土石流には、蛇の姿。土石流の轟音は、化蛇の鳴き声。その速さは、翼を持つ獣の様。化蛇は、洪水・土石流の恐怖が生み出した、人々の教えを具現化した姿なのでしょう。伝承の神獣や妖怪の姿には意味がある。今回の土砂崩れの被害では、化蛇の姿を想いました。今回、被災されました、熱海の地の早期復興を祈念致します。【 非常食にビスコ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2021.07.05
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にほんブログ村 愛知県岡崎市の六所神社。徳川家康の手形もあります。手形は私の手よりやや小さく、特に指が短めでした。それよりも、私が気になっていたのは次の写真。オオシャコガイですね。2枚1対あります。なぜここにあるのでしょうか。説明書きなどありませんので、推定してみましょう。六所神社の祭神は、次の六神。塩土老翁命,猿田彦命,衝立船戸命,太田命,興玉命,事勝国勝長挟命。ここで猿田彦命に、シャコガイとの関連が考えられます。猿田彦命は伊勢の海で漁をしていて、比良夫貝(ひらふがい)に手を挟まれました。この貝が、シャコガイと考えられています。この際に、溺れた猿田彦命が吐いた泡から3神が生まれました。神が生まれたのですから、シャコガイは安産の象徴とも考えられます。その意味で、シャコガイが六所神社に奉納されたのでしょう。しかし猿田彦命は、この貝に挟まれて溺死したとも言われます。宿敵シャコガイを目の前に、猿田彦命は不愉快にはならないでしょうか?●【六所神社】 「岡崎市 六所神社」【 お酒に合いそう 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから >にほんブログ村
2021.05.08
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アニメ「犬と猫どっちも飼ってると毎日たのしい」がとても楽しい。アニメ「犬と猫・・・」は、1話が1分30秒の短編アニメ。しかし、犬猫好きなら共感できる、楽しいアニメです。YouTubeに公式動画がありましたので、紹介します。公式動画7話。公式動画8話。犬猫好きの方は、ぜひご覧ください。【 犬と猫どっちもグッズ 】 にほんブログ村
2020.11.26
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三河地区の「天の岩屋戸」を御紹介しましょう。ここは、愛知県安城市の根崎八幡神社。この神社には、天の岩屋戸があります。安城市の三河万歳には、「天の岩戸開きの舞」の演目があります。この神社に天の岩屋戸があるのも、この伝統文化財とも関連があるのかもしれません。古事記より。天照大御神が天の岩屋戸の中に引きこもり。そのため、世は暗闇に包まれます。まず、アメノコヤオメミコトが、「フトノリトコト」を大声で述べました。これが「祝詞(のりと)」の始まり。次に、アメノウズメノミコトが岩屋戸の前で舞をされました、これが「神楽(かぐら)」の始まり。外のにぎやかさに、天照大御神が岩戸を開けて外を見ました。その時、タチカラオノミコトが岩戸を引き開け、天照大御神を外に出します。そうして、世はまた光を取り戻しました。岩戸の中には、まだ天照大御神がおられます。まだ、”STAY HOME”されています。今年、世界が闇に包まれたのは、このためかもしれません。【 縁起をかつぐ / 太陽のランタンで光を灯す(陶磁器 マイセン・プレート) 】 にほんブログ村
2020.10.31
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日本の神仏が分かりにくい理由に、様々な神仏の同一視があります。その代表的な神様のひとつに、猿田彦大神があります。猿田彦大神は神様から庚申に到るまで、様々に同一視・混同されています。その大神は、古事記と日本書紀に登場します。いずれの神話でも、猿田彦大神は道案内をする神です。日本書紀には、猿田彦大神の容姿が書かれています。その姿は、「其鼻長七咫、背長七尺餘」とあります。ここで「咫(あた)」という単位が難しい。日本に「尺」が伝わるまで、日本では「咫」=「尺」でした。しかし尺の伝来後は、咫は尺より少し短い18~24cm程度として扱われました。そして同時に咫は単位ではなく、大きさの”概念”に変わりました。例えば、「八咫烏」。これは「大きさ144cmのカラス」ではなく、「大きなカラス」となります。猿田彦大神を「鼻の長さ126cm、身長210cm」と表現した例も見かけます。しかしこれではあまりに不自然。猿田彦大神も「鼻が長い」神様と理解すべきでしょう。浅野祥雲さんも、猿田彦大神を幾つも作製しています。次の像は、名古屋市の浅野祥雲邸の玄関前にあります。場所は公開情報もありますが、個人宅ですので詳細は控えさせて頂きます。撮影時期は、クリスマスツリーでおわかりでしょう。この像の高さは、約3.5m。大柄ですが、鼻は長くありません。容姿の記述は日本書紀だけですので、古事記の記述に従ったのでしょう。傍には荒神もあります。台座は荒神社で、以前は内部が公開されていました。今は塀もあり、内部は非公開となっています。ニニギノミコトの道案内をした猿田彦大神。様々な神と同一視され、様々な幸運に”みちびく”神になりました。猿田彦大神様。頼もしいその力で、私達を幸運に導いてください。【導いてあげて】
2020.06.08
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そのお寺には、かぼちゃがありました。ここは、愛知県西尾市東幡豆町の妙善寺。通称、かぼちゃ寺です。妙善寺には次の話が伝わります。むかし、観音様からお告げがありました。「福徳をさずけるから浜に出てみよ」寺の前の浜に出ると、浜にはたくさんの丸いものが。村人がそれを煮て食べると、とても美味しく、健康になりました。その後、村人はそれをかぼちゃと知りました。まだかぼちゃが良く知られていなかった頃の話です。上の写真の左側が「百寿かぼちゃ観世音」様。これは「幸せのかぼちゃ」。毎年12月22日の冬至には、全国各地から奉納された南瓜で「かぼちゃしるこ」を作り、参拝者に振舞うそうです。かぼちゃしるこ、どんな味でしょうか。合掌。【日記】 「へちま薬師(東充寺)」【楽天: 巨大かぼちゃに挑戦!】にほんブログ村
2020.04.02
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突然、通り雨が降り出しました。急な雨に、近くにいた猫も雨宿りにやってきました。雨粒が落ち、水面にも波紋が広がります。思いがけない雨に、虫たちも大慌て。雨が嫌いな猫たちは雨を避けようと、坂を駆け下ります。あわてものの猫は、思わず飛び降りてしまう始末。そんなにあわてなくても大丈夫。雨はまもなく止みました。雨上がりの美しい夕焼けを、ぼくは時を忘れて眺めていました。気がつけば、夕闇が広がってきています。もう家に帰りましょう。家では温かなベッドが待っています。今日の疲れと安心から、ほどなく夢の世界に誘われます。その日の夢は、海の冒険。一緒に泳ぐクジラの背中には、一匹の猫が乗っていました。さあ行こう、どこまでも続く海の彼方へ。ぼくたちの冒険は、まだ始まったばかりなのだから。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今日も名古屋駅地下街、ルーセントアベニュー。最後の海を泳ぐ魚の写真は、本当は天井を写したもの。写真の上下を反転させて、足元を泳ぐ魚の様に見せています。【ルーセントアベニューの日記】 「地下にうごめく、ひとならぬモノ」【楽天】
2020.03.23
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にほんブログ村なぜかお寺の境内に橋があります。この橋も、愛知県刈谷市の密蔵院にあります。近づくと、橋の下に・・・。なんと、仏様が布団の中でお休み中。実はこれ、弘法大師が四国を行脚中に野宿した、愛媛県の十夜ヶ橋(とよがはし)がモチーフです。大師様でさえも空腹や寒さで、一夜の野宿が十日に思うほど長く感じられたといいます。本家は、愛媛県大洲市にある別格霊場8番札所「十夜ヶ橋」。四国八十八ヶ所の番外札所です。本家も橋の下にあり、2018年には水没の被害に遭いました。四国のお遍路では、橋の上で杖をつかないという決まり事があるそうです。弘法大師様が安眠できるようにとの想いから。お遍路さんのやさしさを知りました。【日記1】 「こわくなんかないよ!」【楽天商品】 にほんブログ村
2020.03.12
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秋田には、与次郎という名のキツネの伝説があります。これは、その与次郎狐のキャラクター像。今日は、与次郎狐の伝説をお話ししましょう。*****佐竹義宣公が、秋田に久保田城を築いた時のことです。庭に一匹の大狐が現れました。その狐は義宣公に訴えます。「築城により、私は住処を失いました。 代わりの住処を下さるなら、貴殿のお役に立ちましょう。」何をしてくれるかと義宣公が問うと、俊足の飛脚になると狐は答えました。実際、その狐は俊足で、江戸往復を6日で駆ける飛脚となりました。義宣公は喜び、その狐に住処と「与次郎」の名を与えました。しかし、それを喜ばない者もいました。間右衛門は、宿場への飛脚の宿泊が減ったのは、与次郎のためと逆恨み。与次郎の殺害を企て、罠を仕掛けました。罠を見抜いた与次郎でしたが、捕らえられて殺されました。死の寸前、与次郎は最後の力で御状を空に飛ばし、飛脚としての役目は果たします。間右衛門らは、与次郎の死肉を食らい、奪った金で祝いの席を設けました。しかし次々と乱心するものが村に現れ、村人は狂い死にしました。惨状を耳にした幕府は、与次郎を神社に祀りました。すると村の惨劇は止みましたが、間右衛門らは一家全滅してしまいました。義宣公は与次郎の死を悲しみ、与次郎稲荷神社への参拝を欠かしません。手厚く祀られた与次郎でしたが、時すでに遅しでした。*****海外では、キツネは狡猾な動物として語られます。しかし日本の物語では、狐をねたみ、だまし、殺すのは、常に人なのです。【与次郎稲荷神社】*****「楽天商品」
2019.09.28
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空に浮かぶ織女星(ベガ)と牽牛星(アルタイル)。ふたつの星は、どのぐらい離れているのだろう。ベガは、地球から25光年。アルタイルは、地球から17光年。そしてふたつの星は、14.4光年離れている。光の速さで進んでも、14年以上かかる距離。それは決して短い距離ではない。しかし地球から見た、ふたつの星はとても近い。視野で33.3度と、ふたつの星は近くなる。見る角度の不思議さで、ふたりの距離は近くなる。私たちの視線では、ふたりは近づくことを許される。それならば、地球とは別の星、違う角度で夜空を見れば、ふたりは手を触れあえるほどに、近づくことができるだろう。地球とは別の星。そこで語られる七夕は、もっと幸せな恋の物語なのかもしれない。(画像出典: ウィキペディア)****「楽天商品 月ごよみ」
2019.07.07
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各地で出会うことが多い、六地蔵様。今更ですが、なぜ地蔵様は”六体”なのかを語りましょう。地蔵様は、慈悲深い菩薩。地獄に落ちた者まで、分け隔てなく救ってくれます。地蔵様は救済のため、六道を巡ります。六道とは仏教の六つの世界。地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道を意味します。六道を巡り救済するため、六体の地蔵様が現れます。地獄道でも、餓鬼道でも、修羅道でも。苦しむ人々を救う、優しい地蔵様。六地蔵様に、出会う度にお願いします。「私も忘れず救ってね。」『名古屋市 笠寺観音の六地蔵様』****「楽天商品 かわいいけど、救ってね」
2019.03.23
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冬に星カノープスは、水平線のわずか上に頭を出す程度です。そのため、見ることができると縁起が良い星とも言われています。水平線近くですから、日本でも北の方では見ることができません。福島県相馬市付近が、カノープスの観察可能な北限となります。東京ぐらいなら、見つけやすいとも言われます。カノープスは中国では、「南極老人星」と呼ばれます。南極老人星は、「戦乱時には隠れ、天下泰平で顔を出す」と言われます。日本が戦火に巻き込まれる可能性も、絵空事ではなくなってきました。戦乱時には見えないという、カノープス。今年の冬は、日本の空にカノープスは顔を出すでしょうか。
2017.09.23
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中国の北東は、異民族の遊牧民が住む地域でした。そのため北東を恐ろしい方角、つまり「鬼門」と見なしました。北東は干支でいえば「丑寅」の方角。そのため、鬼は牛(丑)の角を生やし、虎(寅)のパンツをはいています。鬼門の反対側は、裏鬼門。裏鬼門は「未申」の方向です。鬼退治の桃太郎は、裏鬼門のお供を引き連れるべきでしょう。しかし桃太郎は、羊(未)は連れて行きませんでした。未に続く干支の申酉戌、つまり猿、雉、犬を桃太郎は引き連れました。桃太郎が、なぜ羊をお供にしなかったかはわかりません。羊と猿を連れた桃太郎。強そうにも思えますが、鬼に勝てるでしょうか?
2017.09.03
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童話「ごんぎつね」の幕切れは、秀逸だと思っています。「ごんぎつね」の最後は、下記のとおりです。*「ごん、お前だったのか。いつもくりをくれたのは。」 ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなづきました。 兵十は、火なわじゅうをばたりと取り落としました。青いけむりが、まだつつ口から細く出ていました。*善意で接しようとする相手に誤解され、撃たれる悲劇。取り返しのつかない過ちを犯した兵十を、冷酷に見つめる青い煙。そして、それは安易に武器を使ってしまった愚かさ故の出来事。数行の幕切れが、このお話に深みを与えています。残念なのは、YouTubeの動画などで、「ごんぎつね」の幕切れが改変されていること。昨日の動画の幕切れは下記でした。 「ごんの足からは、真っ赤な血が流れていました。」「足」と限定したことで、ごんは死なせたくなかったのかもしれません。しかし「真っ赤な血」は残酷さが強調されすぎて、兵十やごんの気持ちが見えてきません。他の動画では下記でした。 「兵十はごんを抱えて、おいおいと涙を流しました。」これでは直接的過ぎて、深みがありません。煙が示す冷酷な事実、武器の持つ冷たさ、行き違う気持ちの悲劇が表現できていません。新美南吉がどの様な思いで「ごんぎつね」を書いたか。作者の想いを偲んで、安易な話の改変は避けてほしいと思いました。「手袋を買いに」
2017.06.19
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幸運”fortune”の語源となった女神、フォルトゥーナ。幸運の名を持つにも関わらず、フォルトゥーナは不幸に思えます。なぜなら、彼女は不安定な球に乗り、底の抜けた壺を持つのだから。不安定な球体は、定まらない運命を示します。そして、底の抜けた壺は、幸福が満ちることがないことを示すのです。さらに彼女が履く羽の生えた靴は、逃げやすい幸福を、後ろに束ねた髪は、チャンスは後からはつかめないことを示しています。身をもって、幸運の儚さや得難さを示す女神、フォルトゥーナ。せめて、球は安定する様に1か所削り、壺の底はふさいでほしい。フォルトゥーナ、あなたは真面目すぎると、私は思う。※画像はウィキペディアより。 (この絵では、彼女は球から降りて、ずるしています。 その代わり、幸福をためる壺もありませんが・・・)
2017.06.15
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オディロン・ルドンの絵「キュクロープス」をご存知の方は多いでしょう。この絵に絵がかれているのは、一つ目の巨人キュクロープスのポリュペーモス。ポリュペーモスは、海のニンフ、ガラテアに恋します。しかし、ガラテアには、人間の恋人アキスがいました。それでもポリュペーモスは、かなわぬ恋をあきらめず、ガラテアを追い続けます。ある日、ポリュペーモスは、アキスと戯れるガラテアを見つけます。怒りに狂った彼は、二人に大岩を投げつけます。不幸なアキスは、大岩につぶされます。ガラテアは逃げましたが、ポリュペーモスの想いがかなうはずもありません。ポリュペーモスの一つ目は、偏った見方、偏見を示します。偏見を持つものが、おのれの巨大な力も知らず暴走すれば、不幸しか残りません。ポリュペーモスは肉体は大人でも、心も感情も幼児同然。彼は殺人を犯しても罪の意識はなく、感情を爆発させた爽快さすら感じています。巨大な力を持つポリュペーモスは、誰にも罰せられず、理不尽に殺されたアキスには、何の救いもありません。ルドンはキュクロープスで、偏見を持つ者が巨大な力を持つ恐怖を描きました。その者が、幼稚な心で自己の主張を押し通す時、恐ろしい破局が訪れます。現代の世界でも、あなたは幼稚で醜悪なキュクロープスのその視線に、恐怖せざるを得ません。巨大な力と偏見を持つその者の、海の向こうからのその視線に。※ ルドン 「キュクロープス」: ウィキペディア フリーライセンス画像より
2017.06.06
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むかし、中国の崑崙山(こんろんさん)に、女神の西王母(せいおうぼ)が住んでいました。西王母には、女官の嫦娥(じょうが)が使えていました。ある日、嫦娥は西王母が持つ不老不死の仙薬を盗んで飲んでしまいました。もちろん、西王母は激怒しました。嫦娥は追われ、月に逃げ込みました。月は、西王母が不老不死の仙薬を作る場所でした。不老不死の仙薬は、月桂樹を臼と杵でついて作ります。西王母は嫦娥をガマガエルに変え、仙薬を作るように命じました。それ以来、蛙になった嫦娥は、月で杵をついて仙薬を作り続けているのです。*月にいるのは、本来は蛙でした。持つ杵は竪杵で、竪杵とは餅ではなく、粉を作るための杵でした。驚くのは、不老不死の原料が、月桂樹だったということ。急いで月桂樹を物色すべきかもしれません。早速、楽天で月桂樹を探してみましょうか。
2017.03.01
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ドラマ「ドクターX」が、相変わらずの人気です。ドラマの人気は、時代の世相をよく映しているという。「ドクターX」も「半沢直樹」も、主人公は権力に対抗して自らの正義を貫く。その姿を誰もが讃えるのは、自身の今にそれがないから。今、多くの人が権力を前に信念を曲げ、あるべき姿を貫けないでいる。サラリーマン社長、サラリーマン役員、会社の言いなりの社員たち。資金集めのパフォーマンスに奔走し、論文の数を数を競う教授たち。ドラマの主人公に憧れるのは、今の自分にない姿。本来は、こうありたかったと思う姿。高慢にも、あなたのために意見しよう。今の時代に生きる、すべてのひとに意見しよう。一度しかない人生の証に、あなたは子供の頃に夢見た自分の時を刻んでいますか。今のあなたのままで良いですか。なにか、悲しくはありませんか。人生をおもしろおかしく、生きてみてはいかがですか。ぼくは自分らしく、楽しく人生を歩むから、たった一度の人生を、あるべきあなたでいてほしい。
2016.11.18
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「彗星のように現れる」という言葉は、今でも意味が通じるでしょうか?異才の人物が突然に現れることを意味する、この言葉。それは、あくまで彗星が「突然に」現れるから意味を成しました。科学が進展し、天文観測の技術も発達し、彗星が突然に現れることは稀になりました。彗星の軌道は計算され、いつ地球に接近するかも分かるようになりました。天文学の知識も深まり、彗星は氷と塵の塊と誰もが知るようになりました。科学の進展は彗星がきれいな星ではなく、宇宙のほこりだと教えてくれました。時に知識は、人の夢を奪います。知らない方が、良い知識もあります。知識に夢を奪われた、そんな時は、夢のある本を読んでみたい。ジュール・ベルヌの「彗星飛行」を読んでみたい。私もまだ読まないその本は、ベルヌには珍しい奇想天外な本だと言われます。あらすじは、次の様。*ある日、地球に彗星が衝突します。大地は激しく揺れ、天候が変わります。その時、人々は気づきました。地球が彗星になったのだと。人々は彗星になった地球とともに、宇宙の旅に出発します。*彗星は地球に衝突しても命を奪うのではなく、人々に冒険の旅を与えます。知識に縛られない世界は、夢と冒険にあふれています。時には、彗星に乗って、遠く宇宙を旅してみたい。 ※ジュール・ベルヌ「彗星飛行」原作の映画「彗星に乗って」です。
2016.10.26
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残念なことに、わんこそばは食ったことがあるが、にゃんこそばには、いまだに出会ったことがない。わんこそばで次々とわんこが差し出されるように、にゃんこそばでは、文字通りにゃんこが次々と出されるのだ。わんこそばの「わんこ」は「椀子」だから、にゃんこそばはない。そう君は異論を唱える。君はわかっていないのだ。にゃんこはあくまでにゃんこであって、にゃんこ以外の何者でもない。にゃんこそばでは、客は出されるにゃんこに抱きつき、もふもふを堪能する。抱きつく腕を緩めるや否や、さっと新たなにゃんこが差し出される。にゃんこそばは、そういうスピード感もあるものだ。だが、にゃんこそばでは、止め時が難しい。わんこそばでは椀の蓋を閉じれば終わるが、にゃんこそばでは蓋がない。それ以前に、もふもふを楽しむ客には止める意思がないから、にゃんこそばには止め時が存在しない。やはり、にゃんこそばには、制限時間が決められているのだろう。それは10分程度の微妙な時間で、終わり際には、こちらにもかわいいにゃんこがいますがいかがでしょうかと、店は延長の誘いをかけるに違いない。さらには肉球に触れることは禁止され、触れれば即中止と、厳しいルールも決められているかもしれない。おそろしいことだ。わんこそばが過食の罠であるように、にゃんこそばには、客を悶え死にさせようという殺意が秘められている。そういえば、江戸の頃には、にゃんこそば禁止令が出されたという噂があったりなかったりするという。あぁ、ますます、にゃんこそばに出会いたくなった。これだけぼくがにゃんこそばの魅力を語っても、君はにゃんこそばを否定するのか。君は言う。にゃんこはともかく、にゃんこそばには「そば」がないではないかと。一体、何を言っているのだ、にゃんこそばの「そば」は、「傍」に決まっているではないか。
2016.09.26
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涅槃図などの仏教絵画には、猫はあまり描かれません。それは、猫とネズミのお話が理由です。釈迦が病床に就いた時、釈迦の亡き母が、天から薬袋(または衣鉢袋)を投げました。しかし、その薬袋は、沙羅双樹の枝に掛かりました。ネズミは薬袋を釈迦に届けようと、沙羅樹に向かいました。しかし、そのネズミは猫に捕まり、食べられてしまいます。結局、薬は釈迦に届きませんでした。そのため、釈迦は亡くなってしまったと言われます。釈迦の使いのネズミを捕らえ、釈迦を苦しめた猫は、涅槃図には描かれません。その習性ゆえ、猫はのけ者になりました。ごく当たり前と思う行いが、ある人にはうとまれる。猫がいない涅槃図は、その人生の理を教えてくれます。
2016.06.14
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その白い犬は「白」と呼ばれていました。ある静かな春の日、白は仲良しの「黒」が犬殺しに狙われているのを見ました。あぶない、と思った時、犬殺しは殺気の籠った目で白をにらみました。思わず逃げ出した白の背後から、かわいそうな黒の悲鳴が聞こえました。「きゃあん。きゃあん。助けて!」死に物狂いで白は家に駆け帰り、ご主人様に怖かったよと叫びます。しかし、ご主人様は白を冷淡に迎えました。「このすごく吠えている黒犬、きっと狂犬よ」そうなのです。驚いたことに白の体は、なぜか真っ黒の毛並みに変わっていたのです。白は血がにじむほど強く石を投げつけられ、なすすべなくご主人様のもとを去りました。あてどもなくさまよう白の心には、最期の黒の声が響いていました。助けてというあの声は、臆病だった白の罪を咎めているようでした。「ぼくはなぜ、黒を助けなかったのだろう」白は火事場に飛び込み人を救い、暴風雨に遭難した人を安全な場所へ導きました。大蛇を退治し猫を救い、動物園から逃げ出した狼さえ撃退しました。それらの行いは白の贖罪であり、黒く染まった自らの体を滅ぼしたいという願いからでもありました。しかし、白は如何に危険な場所に飛び込んでも、死ぬことはできませんでした。ある秋の夜、疲れ切った白は月に願います。「わたしは黒を見殺しにしました。 そのため、私の体は黒く染まり、ご主人様からも追われました。 ご主人様に会えば、私は狂犬として打ち殺されてしまうかもしれません。 それでもかまいません。最期にもう一度、ご主人様に会わせてください。」半年ぶりに家に戻った白は、月に願うとそのまま深い眠りに落ちました。朝、懐かしいその声を聞くまでは。「白。帰ってきたの? 一体、どこに行っていたのよ」白は思わず飛び退きかけましたが、ご主人様のお嬢さんの瞳に映る自らの姿に魅入られます。お嬢さんの瞳に映るのは、白い体に戻った一匹の犬でした。やがて、その瞳に映る白犬の姿は揺れ滲み、お嬢さんの頬を涙が伝いました。「白、よく帰ってきたね」白はもう、涙をこらえることができませんでした。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・芥川龍之介の名作「白」に、今年のあり方を想う。【青空文庫】 「白」【過去の日記】 「きみに ちかう - 捨て犬 -」
2016.01.02
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白はすべての可視光を反射するから白く見え、黒はすべての可視光を吸収するから黒く見える。白の内には光がなく黒く、黒の内は収めた光に満たされて白い。白と黒は、外と内で違うものだ。白と黒は、表裏一体の関係にある。この関係は、人の生き方にも似ている。聖人は自ら欲せず、他人に与えるからとても白い。だが、自身は窮し、満たされない黒に耐える。貪欲に人から奪えば、自らは白く満たされるが、見るほどに黒くなる。欲求に翻弄された争いは、世界に黒を広げ続ける。現代は古代より物に満ち、欲求は満たされやすいはずである。それなのに、今の世界は、とても黒い。
2015.09.22
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和邇(ワニ)の上を跳んで渡る、因幡の白兎。この「和邇」とは何か?それは、今も議論が続いています。因幡の白兎が登場するのは、712年編纂の古事記。そこでは、白兎は和邇の上を跳んでいきます。和邇は、サメとも言われます。古代の山陰地方では、サメをワニと呼んだとするのがその理由。しかし、713~733年編纂の出雲風土記には「沙魚(サメ)」の表記があります。また、この時代の木簡にも「佐米(サメ)」が登場します。因幡の白兎が書かれた時代の出雲でも、ワニとサメは区別されていました。和邇は「サメに似て非なる生物」とする解釈があります。島根県では、古くは「ハナニメノアルテカケノワニ」と呼ばれる魚がいました。鼻に目がある、手掛けの様な頭のワニ。つまり、シュモクザメのことです。このことから、和邇をシュモクザメとする説もあります。しかし、絵本では、多くはサメを鮫として描いています。しろうさぎ、君を傷つけたのは誰なのか。答えがない問いかけが続きます。
2015.03.05
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あの日、きみと出会った日を、ぼくは、いまも覚えている。あの頃、ぼくはまだ小さくて、そして弱かった。おおきなきみは、でもやさしくて、いつも、やさしく接してくれた。きみと一緒にいるだけで、とてもやすらかな気持ちに、ぼくはなった。やがて、時間がほんの少し流れ、弱かったぼくも、大きくなった。そして、きみは、それほど強くないと知った。ぼくのちからは、きみを傷つける。だから、きみに、やさしく、キスをした。ぼくが、きみを、まもってあげる。そうして、ふたりの時間が、また流れた。気がつけば、ぼくは年老いていた。眼も、耳も、力も衰えた。でも、なぜだろう。きみは、かわらない。こんなにも、ぼくが老いたのに、きみはかわらない。ぼくだけが、老いてしまう。きみを、守らならければ、ならないのに。でも、残酷に時は流れ、別れが来たのを、ぼくは知った。ごめん、もうきみをまもれない。でも、もう泣かないで。やはり、きみは、ぼくより強い。ぼくがいなくても、きみは生きていける。ありがとう。ぼくと、一緒にいてくれて。きみとの時は、わすれない。だから、ぼくのために、泣かないで。・・・・・・・・・・・・・・犬や猫の小動物は、なぜひとより寿命が短いのでしょう。【過去の日記】 「きみに ちかう - 捨て犬 -」
2014.07.21
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とある、ふたりの会話が聞こえます。A:「きみ、炭酸飲料なんかを飲んでいるの?」B:「うん、おいしいからね」A:「ぼくは、炭酸飲料は飲まないよ」B:「えっ、なぜ?」A:「だって、炭酸飲料を飲むと骨が溶けるじゃない」B:「・・・。それって、さあ、都市伝説だよ」A:「ええっ!」*「炭酸飲料を飲むと骨が溶ける」は、都市伝説でも最も有名ではないかと思います。炭酸飲料に骨をそのまま漬けると、たしかに骨は溶けます。炭酸水は、酸性ですから。これが都市伝説特有の「ちょっぴり真実」。しかし炭酸飲料を飲んでも、その酸が直接体内に取り込まれるわけではありません。体内には、もっと強い酸の「胃液」もあるほど。胃液が体内で、骨を溶かさないことからも分かります。炭酸飲料で危険なのは、むしろ飲料に含まれる「糖分」。「糖分」は、虫歯の原因など弊害も多いので要注意。もちろん、糖分の影響は、炭酸飲料に限りません。おや、ふたりがまた会話を始めました。*A:「そうなんだ。安心して炭酸飲料を飲んでもいいんだね」B:「もちろん、でも、糖分の取りすぎには注意して」A:「あと、健康に良いので、お酢も飲んでいるよ」B:「そうなんだ、それは良いかもね」A:「うん、健康に良いし、お酢を飲むと体がやわらかくなるって言うじゃない」B:「・・・」*まぁ、いろいろありますね。炭酸飲料が骨を溶かさないことについては、下記の日本コカ・コーラのHPにも明言されています。【日本コカ・コーラ】 「骨は溶けません」
2014.03.08
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「死体洗いのバイト」、反響がありましたので、補足します。都市伝説は「ちょっぴり真実」が含まれているのが厄介なところです。ポイントは、あのお話全体が真実ではないということ。もちろん、葬儀にあたって遺体を綺麗にするお仕事はあります。いわゆる「おくり」のお仕事です。それでも、ホルマリンで洗うことはありません。最大の嘘は「ホルマリン・プール」。ホルマリンの性質を考えれば、プールはありえません。ホルムアルデヒド液、通称ホルマリンは「劇物」です。刺激の強い消毒液ですから、人体には有毒。多量摂取で、死の恐れすらあります。ホルムアルデヒドを含むその蒸気は、強い眼の刺激や呼吸器系の炎症を招きます。さらに皮膚も炎症を起こし、中枢神経系に障害も現われます。発がん性もありますので、液の廃棄もできません。扱う場所の換気も厳しく管理されます。さらにホルマリンは、引火点66℃の危険物。蒸気が有毒、引火の危険もあるホルマリンを、プールにためるなどありえません。「密室にあるホルマリン・プール」の部屋に長時間いれば、死体になるのはアルバイトする人自身でしょう。学生時代、理系の私が、あの都市伝説を信じたのは情けないこと。それでも「ありそう」と思うのは、都市伝説に「ちょっぴり真実」があるからでしょう。街にあふれる、都市伝説。あなたはどれが真実か、見抜いていますか。【過去の日記】 「友達の友達は働き者 - 死体洗いのバイト -」※ウィキペディアに「死体洗いのアルバイト」の解説がありました。 こちらが分かりやすいかもしれません。 【ウィキペディア】 「死体洗いのアルバイト」
2014.03.04
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ヘブライ語で書かれた聖書から、ギリシア語への翻訳。ヨブ記にある「老いたライオン、獲物を獲ずに滅ぶ」の文は、翻訳者を悩ませました。そして、悩んだ末、翻訳者は「老いたライオン」を、「アリライオン」と誤訳しました。アリライオンは、肉食の父親と、草食の母親を持つとされました。アリライオンは、頭がライオン、体がアリです。そのため、アリライオンは肉を食べても消化できず、滅ぶしかありません。聖書を手に、人々は悩みました。餓死するアリライオンは、何を語っているのかと。そして人々は、気づきます。アリとライオン、相反するふたつの道を歩むものの象徴だと。ふたつの道、それはこころの表と裏。人々は、気づきます。表と裏をこころに持つものは、いつかは滅ぶのだと。アリライオン。誤訳から生まれた、その生物は、人々を善の生き方に誘いました。あやまちが、そして誤解が、善の教義を生み出すなら、人のこころの本質は、やはり善なのかもしれません。【アリライオン】
2013.08.02
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サメの上を飛び跳ねて、海を渡った因幡の白兎。白兎がだました、サメの種類は何でしょうか。因幡の白兎は、「古事記」と「因幡国風土記」に登場します。そこで、白兎は「サメ」ではなく「ワニ(和邇)」の上を渡ります。サメになったのは、明治30年の国定教科書で「ワニザメ」と書かれてから。「出雲風土記」など、昔のサメは「沙魚(さめ)」や「佐米」と記されています。つまり「サメ」と「ワニ」は別種でした。和邇が何かは、諸説あります。有力な説では、和邇は「シュモクザメ」とされています。でもそれが、真実か否かはわかりません。因幡の白兎がだました、和邇の群れ。しかし、本当にだまされたのは、明治から和邇をサメと信じさせられた、私たちかもしれません。【ウィキペディア】 「シュモクザメ」
2013.05.03
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国津神の長、オオクニヌシ(大国主命)。八十神を平定したその神も、初めは弱い神でした。オオクニヌシは、スサノオの子孫。多くの乱暴な神々、八十神を兄に持ちます。オオクヌヌシは弱く、2度も八十神に殺されます。しかし、その試練は、オオクニヌシの成長に必要なものでした。そのオオクニヌシの力は、優しさでした。因幡の白兎を助けた話は、その優しさを伝えます。その後、八十神が武力で国を治めようとしますが、失敗します。一方、オオクニヌシが使ったのは、相手を殺さず、生かす武器。生太刀、生弓矢で、人を癒し、国を治めることに成功します。試練は、成長のために。そして、優しさは、力に勝る。はるか神話の時代から変わらない真理が、今に伝わります。
2013.04.06
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血液型にこだわりすぎる人がいるとしたら、彼はそのひとりである。きみはA型だから、真面目すぎる。あいつはB型だから、自由奔放すぎる。とにかく、人を血液型で先入観を持ってみてしまう。しかも、欠点にばかりに目が行くようだ。もし彼の先入観からずれた行動を取ったり、意見を二転三転させようものなら大変である。「きみは血液型キメラか!」それが、彼の捨て台詞である。血液型キメラ。70万人にひとり、2種類の血液型、つまり2種類の赤血球を持つ人がいるという。彼の思いからずれた人物は、彼にとってはこの血液型キメラに等しいらしい。きみは血液型キメラかは、彼自身は最悪の罵詈雑言と思っているようだ。彼は孤独である。彼はまだ、ほんとうの血液型キメラに出会っていない。数十万回、彼が血液型キメラの捨て台詞を繰り返し、そして、ついに、ほんとうの血液型キメラに出会ったなら。その時に、彼はどんな顔をするだろうか。ぜひ、見たいものである。
2013.03.31
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當麻寺のそばに、中将姫の墓があります。写真の十三重塔が、その墓と呼ばれる石塔です。ただし様式は鎌倉時代のもので、中将姫の時代とは大きな隔たりがあります。中将姫は、747年に右大臣・藤原豊成の娘として生まれました。しかし5歳で母は亡くなり、その後、継母に疎まれ、虐待されます。美貌に恵まれた中将姫でしたが、藤原豊成の外出中、ついに継母は家臣・松井嘉藤太に中将姫の殺害を命じます。命を惜しむでもなく、極楽浄土を願い読経を続ける、わずか14歳の中将姫。その姿に、嘉藤太は中将姫を殺めることなく、青蓮寺に隠します。その後、16歳で、淳仁天皇に、後宮に入ることを望まれます。しかし、これを辞し、當麻寺の尼僧となります。26歳の時、中将姫が一夜で織ったと呼ばれる当麻曼荼羅は有名です。そして、29歳の時、中将姫は西方極楽浄土に召されたと伝わります。*さて、この中将姫の墓の隣には、五輪塔板碑が多くありました。「クマタツ1847」さんがご紹介されていた、塔が2個並ぶ碑は残念ながらありませんでした。ただ、奈良にも五輪塔板碑があることを確認しましたので、ご紹介します。・・・・・・・・・・・・楽天写真館からの写真が、横向きになるのはなぜでしょう。アップロード前に縦に回転させているのですが。どなたかご存知でしたら、ご教授おねがいします。 → 判明しました。mamatam さん、ありがとうございます。
2013.03.28
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當麻寺の日記へコメント、ありがとうございます。コメントの中に、私が知らないことがありました。それは、「中将姫」から「バスクリン」を連想するというもの。「天星音1005」さんからコメントを頂きました。かつて、入浴剤の「バスクリン」に、中将姫のデザインが使われていました。理由は、バスクリンが和漢薬「中将湯」から生まれたから。バスクリンの株式会社ツムラ(津村順天堂)の創業者は、「中将湯」を販売しました。そのきっかけは、創業者の津村重舎氏が、奈良の出身だったため。津村氏の母方の実家、藤村家は、中将姫が最初に身を寄せた場所。その時、中将姫が藤村家に伝えた薬が、中将湯の起源となりました。悲劇のヒロイン中将姫には、薬を伝えたという伝説もありました。中将姫、藤村家、津村重舎氏、ツムラ、中将湯、バスクリン。実に意外な、つながりでした。・・・・・・・・皆様のコメント、いつも感謝しています。おかげさまで、新たな知識も広がります。これからも、長くよろしくお願いします。
2013.03.26
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漢字の発明者をご存知でしょうか。発明者は、伝説の帝、黄帝に仕えた蒼頡(そうけつ)です。蒼頡は、動物の足跡から、漢字を思い付いたと言われます。動物の足跡から、その動物が特定できることからの発想です。優れた人と思われますが、意外に平凡。目が4つあるだけの、よく見かける人物です。もし街中で、4つ目の人を見かけたなら、漢字の発明者の子孫かもしれません。
2013.03.20
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ピューマに人を襲わせて遊ぶ、酩酊したバッカス。神の身でありながら。襲われたのは、月の女神の女官、アメジスト。アメジストを救おうと、月の女神は彼女を白い水晶に変えました。酔いが冷めて、素面に戻ったバッカス。バッカスが、水晶にワインを注ぐと、美しい紫色の宝石になりました。その宝石が、アメジストです。古代ローマでは、酒杯をアメジストで作ったという。アメジストには、悪酔いを防ぐ力があるから。アメジストには、人生さえ悪酔いさせない力があるから。迷い迷って、千鳥足で。人生の悪酔いを、楽しみに変えて。アメジストの酒杯を手に入れる、その日まで。
2012.04.02
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電線にとまるスズメは、なぜ感電しないのか?「スズメの両足間の電位差が小さく、スズメの電気抵抗が大きいので電気が流れないから」が、模範解答だという。しかし、本当にそうだろうか?雨に日に濡れながら電線にとまる、あのスズメたちは、本当に感電しないのだろうか?水に濡れれば、いくらスズメたちでも少しはピリピリしそうなものである。それともあのスズメたちの足は、かたくなに電気を通さない、ゴムブーツなのだとでもいうのだろうか。百歩譲って、スズメの足が、指付きの便利なゴムブーツなのだとしてみよう。それなら、きっとスズメたちは、「最近、ちょとピリピリするようになって。 年を取ると、足の皮が薄くなるのかしら。いやねぇ。」などと、電線談義で盛り上がっていることだろう。あのピーチクうるさい電線のスズメたちの会話を、ちょっと解読したいものである。そもそも、いくら抵抗値が大きくても少しは電流が流れそうなもので、もしスズメがその指付きブーツではなく、くちばしで電線をつつこうものなら、たちまちに感電して、電線の下には焼き鳥が並びそうなものである。しかしそんな話は、少しも聞かない。おそらく、人は電気というものを知っているから感電するのだ。感電という言葉すら知らなければ、感電したとわかるはずもないではないか。実はスズメたちは電線でピリピリしているけれども、それが静電気のピリピリと区別すらつかないのではないだろうか。それどころか、人がせっせと肩こりに悩まされながら働いて作った電気を、無料でスズメたちはピリピリと楽しんで、電気治療のごとく肩の凝りを取っているにちがいない。もっとも、スズメたちの”肩”がどこかは知らないが。人は電気を知っているから感電もするし、苦しみもするのだ。実際、今年はいやというほど、電気というものに苦しめられたではないか。人はむやみに知っているから、スズメの様に電線にとまれないのだ。実に単純な理由だが、電線にとまるには、人は頭が重すぎるのだ。いや、ほんとうに、頭が重すぎるのだ。【過去の日記】 「コパンダは 電気うなぎの夢を見るか? ― 感電 ―」
2011.11.13
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神はアダムの肋骨から、イヴを創った。有名な男尊女卑の思想。男女の肋骨の数が同じと分かった時、キリスト教の教義を疑う、大問題になったと言う。楽園を追われたふたり。アダムが創った獣は「益獣」になり、イヴが創った獣は「害獣」になった。やはり、ここでも男尊女卑。時代は、21世紀。そろそろ、男尊女卑の思想を、見直してはいかがでしょうか。ちなみに、猫は、アダムが創ったか、イヴが創ったかは分からないと言う。昔も、今も、猫は謎多き存在です。
2011.10.10
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干支に入らない猫。釈迦入滅を悲しむ12匹の動物に、猫はいません。ネズミに嘘の集合時間を教えられ、参加できなかった猫。猫年がない理由の、昔ばなし。ユニークな昔話ですが、猫は冤罪をかけられることになります。一部では、猫は「仏敵」とされたのです。釈迦入滅に、立ち会えない話。それをユニークと思う人ばかりではありません。不謹慎と感じる人もいます。軽い冗談が、批判を浴びる。猫も、その受難者なのです。
2011.09.23
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7月19日、早朝6時25分。品川駅の朝。それは、新幹線改札口を通った、キオスクの前。飲み物を買う、私。私から、10mほど離れて立つ警備員。警備員の約5mむこうは、改札口。キオスクで料金を支払う、その時。うっという、うめき声。どうした? と、キオスクの店員。振り向く、私。視界に入ったものは、うつぶせに倒れこみ、もがく警備員。呆然とたたずむ、周囲の人々。発作? と思いましたが、実は違いました。警備員は、腹部を刺された様子。上下ベージュの服を着た若い男が、犯人との情報。乗車時間の関係から新幹線ホームに降りると、犯人を捜す多数の警備員。新幹線ホームからは、到着した救急車も見えました。「6時32分の新幹線に乗ったかも?」との情報も。怖いのは、10m横の事件に、私が気づかなかったこと。私は背中すら向けていました。この事件、ニュースでも見かけません。東京ではこのぐらいの事件は、数多いのかもしれません。あらためて、都会の怖さを知った、夏のある日の恐怖体験。
2011.07.24
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奈良県 矢田寺の味噌なめ地蔵。その由来を知りたいとの声、多くいただきました。味噌作りをする、女の夢の中。その夢の中、矢田寺の地蔵様が現れます。お地蔵様は、言いました。味噌を食べさせてくれたら、味噌を美味しくしてあげる。女は味噌を、地蔵様の口に塗りました。すると、自宅の味噌が、とても美味しくなったとか。それ以来、自宅の味噌を美味しくするため、人々は、矢田寺の味噌なめ地蔵の口に、味噌を塗るようになったそうです。最近では、味噌を作る人も減りました。お地蔵様も、おなかがすいているかもしれませんね。【日記】 「道をうしなう 紫陽花の中 - 矢田寺 -」
2011.07.12
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テーマ日記「華々しい 過去の栄光」過去を懐かしみ、縛られること。その否定と、あせり。学会賞を頂きました。先日、お話した学会賞とは、異分野、異学会、異業績の受賞。今年は、別業績で2つの受賞という、珍しい年となりました。あまりに違う内容で戸惑うかたもみえるかもしれませんが、今回が本来の専門分野です。しかし、賞は過去の業績の評価。その意味で、賞は「過去の栄光」にほかなりません。私も過去へのこだわりを、捨てることができません。年を重ねて想うこと。人生は、想像以上に、儚く短い。夢をかなえたいと願う時、それをかなえる力がない。夢をかなえる力を得た時、それをかなえるには時間が残っていない。その繰り返しで、時が過ぎてゆく。しかし古代ギリシアの先人は、すでにその答えを出しています。ギリシア語には、ふたつの「時」を示す言葉があります。それは、「クロノス」と「カイノス」。クロノスは、1日24時間の誰にも不変の絶対時間。しかし、充実した時をすごすとき、時間がゆっくり進んで感じられることがあります。この感覚的な時間が、カイノス。カイノスは、私たちの生き方で、長くできる可変な時間。クロノスの、時の制約には縛られない。変える儚い人生を、時の制約を超えて。必要なのは、過去の栄光よりも、充実した今の生き方。
2010.06.07
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「ペットにつけたい花の名前」忠実な、いぬのきみに、つけるその名は「ホップ」。ホップ、その花言葉は、きみの「信じるこころ」にふさわしい。もうひとつの花言葉、「希望」はきみのために。しかし、いま、希望のない「捨て犬」がふえている。捨て犬達の声が、きみには聴こえるだろうか。***いつものさんぽの、つもりだった。でも、しらない山に、ひとり残された。すてられたはずはない、みとめたくない。でも、ひとりでは、生きられない。やがて、なかまができた。群れることでしか、生きられない。ある日、たべものをもとめて、まちにでた。そこにあらわれた、こわいひと。なぜか、こわいと、すぐわかった。「にげて!」ちからのかぎり、そうさけんだ。でも、なかまの彼女が、うごけない。やせ衰えた、そのからだは、恐怖にすくんでうごけない。こわいひとに、彼女はつれていかれてしまった。おかあさんのように、やさしかった、彼女はもういない。「さつしょぶん」そういうことばを、そのとき、きいた。ひとは、こわい。だから、たべものはなくても、やまにもどった。でも・・・。おなかがすいて、もううごけない。けがしたあしが、うんでいたい。きっともう、ながくは生きられない。おなかがすいた。いたい。それよりも、さびしい。ごめんなさい。あのいたずらを、おこっているの?わからない、どうしてなのか。あなたとずっと、いっしょにいたかった。ただそれだけが、わたしの願いだったのに。***ごめん、きみ。きみの名は、やはり、スターチスにしよう。その名を呼ぶたび、その花言葉で、きみに誓おう。スターチス。ぼくはきみに約束する、「永遠に変わらないこころ」を。(画像出典: パブリックドメインQ)にほんブログ村
2010.05.29
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テーマ日記「結婚式の引き出物、何がほしい」何が欲しいかと問われれば、当然、西洋陶器。しかしこだわりで、並のものでは納得しません。私の希望に従えば、きっと他の誰にも受け入れられない、特殊な引き出物になるでしょう。しかし、なぜ男女は互いに惹きあうのでしょう。男女が背中合わせに、一体になった種族がいました。ゼウスは、この種族を一刀両断。男女が、別に分かれます。分かれた男女は、互いに惹きあいます。完全体になるために。両性具有の完全体、アンドロギュノス。その姿は、究極の理想形。神は、アダムの肋骨からイブを創りました。アダムの性格は、アンドロギュノス。そして、そのイブの創生は、クローン技術に他なりません。男女の愛は、アンドロギュノスへの渇望。そのアンドロギュノスの力は、今、かなえられようとしています。ためらいの、クローン技術によって。愛がクローンを求めるならば、私たちが、クローン技術を畏怖するのはなぜでしょう。ゼウスが、アンドロギュノスが、そして愛が望むクローン技術。それならば、開かれるそのパンドラの箱の宿命を、誰が拒むことができるのでしょう。【過去の日記】 無限の時を 生き続ける ―ベニクラゲ―
2010.05.27
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夜空にひときわ輝くオリオン座。オリオン座は、夏の星座サソリ座とは、ともに夜空に輝くことはありません。オリオンを刺したサソリ。両者は避けあいつつ、今も夜空に広がります。オリオン座が西に動くその視線の先、すばる(プレアデス星団)が輝きます。すばるはプレアデスの七姉妹。七姉妹に恋心を抱いたオリオンは、今でもすばるを西に追い続けます。しかしプレアデスの七姉妹は、月の女神アルテミスの侍女。アルテミスは、オリオンが好きでした。アルテミスの兄、太陽神アポロン。アポロンはその恋が気に入らず、ある罠を仕掛けます。アポロンはオリオンを光で照らします。そして狩の名人でもあるアルテミスに、あの光を射よと命じます。見事光を射たアルテミスが見たものは、変わり果てたオリオンでした。プレアデスの七姉妹は、オリオンに追われて星座になり、オリオンは、死後にアルテミスの願いで星座になります。そして月の女神アルテミスは、今もオリオン座のただ見て動くばかり。オリオン、すばる、月。ただ追い続ける者たち。夜空の恋のドラマは、今もまだ続いています。
2009.11.29
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みなさんは、かえるの宮殿をご存知ですか?楽天ブログで連載されていた、夕香さんの「かえる宮殿」が出版されました。ハーリー皇太子のいる宮殿。そこには、魔法のかえるさんたちが住んでいます。賢く、善悪を見抜く、かえるさんたち。彼ら彼女らはその不思議な力で、まだ若いハーリーを助けます。ときには、ちょっとふざけながら。水に遊ぶ、かえるさんたち。その姿は、純粋さと喜びに満ちています。それに比べ、ハーリーの住む社会は争いや陰謀ばかり。ハーリーは、深く傷つき、悩みます。なぜ、かえるさんたちは、ハーリーを助けるのでしょう。その理由は、物語の中で明かされます。そして純粋にも、かえるさんたちのハーリーを想う心に胸打たれます。かえるさんは、ハーリーを想う。ハーリーは、国民を想う。自分のためではなく人を想う気持ちが、すばらしい奇跡を起こします。夢の様な、かえるの宮殿はどこに?碧い鳥、そして金色の鳥の謎とは?百年の魔法の秘密とは?その謎解きに、みなさんもハーリーとともに挑戦なさってください。【参考図書】 秋月夕香:「かえる宮殿」,てらいんく,2009年,246P
2009.10.20
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マイケル・ジャクソンさんの死。大きすぎる富は、人を不幸にするものなのでしょう。***男は転んだ拍子に、わらしべをつかみました。ついてないなと思ったものの、そのわらしべにアブをくくりつけると意外に楽しい。すっかり気分も良くなり、男はふたたび歩き始めました。その後、わらしべを蜜柑と、蜜柑を布と、布を馬と交換しました。そしてついには、男は長者の家を手にいれたのです。長者になった男は考えます。村人に、富を少し分けてあげようと。貧乏だった男が、村人に同情したのも無理もないことでした。男は村人に富の一部を分け与え、村人も喜んでいるようにみえました。しかし間もなく彼の耳に、村人の声が聞こえてきました。あいつはテングになってないか、運がいいだけなのに。あいつがあれほど、財産を持っているのはおかしい。金持ちのくせに、これだけしかくれないのか。あぶく銭だろ、もっとよこせ!村人が怖くなり、誰も信じられなくなり、男は屋敷の外に出られなくなりました。大きく荘厳な屋敷は、まるで頑強な男のための牢屋でした。今、わらしべに縛られているのは、アブではなく男自身。暗い屋敷の中から、窓越しに明るい空を眺めて彼はつぶやきます。わらしべにつけた、あのアブの羽、きらきらして綺麗だったな。でも、アブには気の毒だった。もしあの時に戻れたら、あのアブの縛りを解き、空に逃がしてやりたい。しかしそれが叶わぬ願いであることは、男が誰よりも一番よく知っていました。*************(注)このお話は私の創作です。紛らわしい掲載方法ですみません。
2009.06.28
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桃から生まれた、桃太郎。室町時代に成立した桃太郎の話。初期の話は、今とは違います。川を流れてきたひとつの桃。桃から生まれた桃太郎は、異常な速さで成長します。その桃太郎が向かうのは、黄泉(よみ)の国。目的は鬼の財宝を取るため。黍団子、犬、猿、雉も登場します。しかし彼は、なぜ桃から生まれるのでしょう。古代中国では、鬼門である東北方向に大きな桃の木がありました。鬼たちはその桃をさけ、鬼門を出入りしたといわれます。桃には魔除けの力があります。日本でも、「古事記」でイザナギノミコトは、黄泉の国の八雷神に桃を投げて追い払います。桃太郎は、魔除けの桃から生まれたのです。桃には魔除けのほかに、不老長寿の力もあるといわれます。桃から生まれて鬼退治するよりも、私は美味しい桃を食べ、長生きしたいと思うのです。 11/2夜開始。5日目で「雑貨ブログ」も1位になりました。ありがとうございます。
2008.11.06
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1921年アメリカで、ある事件が起きました。その古い館に住む高齢の女性は、車椅子の助けを借りて生活していました。その館は養護施設として使われていました。そしてもちろん生活には、ヘルパーの人の助けが必要でした。しかし彼女には、それでも生きがいがありました。それは、愛犬のゴールデン・レトリバーとすごすこと。その愛犬は、猟犬になり損ねた犬。狩猟の下手なその犬は、あやうく猟師に処分されるところだったそうです。それを彼女のため、家族が引き取りました。施設では、その犬はみんなにも愛されていました。そしてその日、事件は起きました。その館から火が出たのです。たちまち現場は大混乱となり、歩くことのできない彼女は逃げ遅れたかと思われました。事実、多くの人が命を落としました。しかし消防士は、シダの茂みに横たわる彼女を発見します。彼女は燃える館から、逃げ出すことができたのです。車椅子生活の彼女は、なぜ逃げおおせたのでしょうか。火事のとき、彼女は愛犬に起されたそうです。そして愛犬の首につかまり、腕と愛犬の力ではうようにして脱出したのでした。それは低い姿勢を保つことにもなり、有毒な煙を吸うこともありませんでした。愛犬が一緒にいたからこその、救出劇でした。そして、大型犬だから可能なことでもありました。かつて、家族に命を助けられたその恩を、その愛犬は忘れてはいませんでした。優しい心が救うもの。それは、自分の命かもしれません。***里親会開催中● 救いを待つ子達 ●● よし@兵庫さんのブログ ●
2008.10.04
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