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2005.10.01
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カテゴリ: カテゴリ未分類
神という存在はどんな宗教の中にも存在するいわば概念的なものです。
それが人格を持っているのかは問題にしないとすれば、です。
一つの性質を代表してるもの、全ての事物を含む包括的、絶対的存在。
要するに何かの事物の完成形を神に求めてるといえます。
人間が万物の表象を五感で感じ取っているとすると、一つの概念的なものが派生します。
物事に名前をつけるということは定義するということです。
その瞬間にその物は何らかの本質を含む存在へと変貌を遂げます。
本質を「神」と規定することに意味があったのではないでしょうか。
たとえばリンゴをたとえに考えてみると、

その中に共通の本質を見出しているからでしょうか?
それは世界というものにも当てはまります。
人が世界を概念的に認識した時、どう考えるのか。
人が事物が動くのに法則性を見出した時。
つまりその動作の中に必然性を感じたとき神は生まれるのだと思います。
でなければ何故どうしてそれは動くのかという問いかけに答えられません。
自分でも釈然としないものに結論付けるために何らかの絶対的基準、あるいは何らかの形で対象を相対化するという動作が必要になるのだと思います。
「神」-世界を動かす絶対的存在-この存在によって初めて昔の人間は世界を相対化することに成功した、そうではないでしょうか

もう文章めちゃくちゃなのはカンベン





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Last updated  2005.10.02 01:21:56
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