琴子のあじさいの部屋

琴子のあじさいの部屋

琴子的 解釈(工事中)少し追記♪


hanakago


1 正見

物事を善悪で捉えると、正しく見ることはできません。
善い悪いと評価するのではなく、ありのままを認識しましょう♪
「評価」と「認識」はまったく別のものです。



”一億総評論家”なんて言葉を聴いて久しいですが(笑)

大体物事を見るとき
自分の価値観に置き換えています。
その人そのままを見てることって
そんなには無いのではないでしょうか

人のことって良く分かるんです。
「あんなところを直せばいいのにね」
「あんなにいい所もあったのね・・・。」
良きにしろ悪にしろ
はじめの印象なんて
どんどん変わるでしょ?

できごとだって、
そのときの自分の状態で
同じ事だって
全く違うものに感じるんです
この事は
誰でも経験があると思います

立場が違えば
変わるんです

自分が見ているものは
他の位置の人が見れば
違って見えているかもしれないと思いませんか!?

判断基準はあくまで自分の位置や
価値観によって
フィルターがかけられています。

一番 当てにならない
感情のフィルターもさらにかかってしまいます

何のフィルターもかかっていない
そのままを見ている自信がありますか!?

私は、ありません

だから、いつもこの言葉を
読み返します



2 正思惟

何かを考えるとき、
欲を捨て、こだわりを捨てましょう。
悩むことと、考えることは違います。
悩んでも、成長はしません。
自分の利益から離れて、全体のことを考えましょう♪



いつもいつも
悩みを深くするものは
自分のこだわりです

ふっと思ったりするんです
「これって、変えてはいけないことなの?」

でも、
執着しているんですよ
捨てられない
忘れられない

自分からその想いを
放そうとしていない

そういう時って
たいてい
自分の事ばかり考えていることに気付きました

だから

この言葉を読み返しています




3 正語

正しい言葉を話すこと。嘘を言わないこと。
乱暴な言葉を使わないこと。
いい加減なことを言わないこと。



気持ちが荒れているときって
言葉も汚くなっていると思いませんか!?

自分の気持ちが落ち着いているときは
わりと、落ち着いた言葉を選んでいますよね

私は、
連動しているように思えるのです

荒れた心 乱れた心から
荒れた言葉 乱れた言葉が発せられる気がするのです

でも、
この判断もあくまで私の主観ですので

どこからがきれいで
どこからが汚いのかは
その人の価値観しだいです

ただ、
悪い感情を抱かせる効果のある言葉は
良くはないのだと思います

自分も、
いい気持ちではないでしょ!?

あ、私の場合です・・

子供の頃から
言葉には気をつけなさいと
うるさく言われてきました

その反動で
わざと汚い言葉を選んだりしたこともあります

でも、
それで良いとは思えませんでした

うそなんて
本当に何のために使わないといけないのでしょう?

どんどん自分がつらくなるだけですもの

できるだけ、
素直で気持ちのいい言葉を選びたいです

でも、実際は
中身に伴い
それ相応に、言葉が出てきていますけど・・・
まぁ、
これも嘘がつけないということで・・(笑)



4 正業


業とは、行為のことです。
「業が深い」という考えを捨て、
誓いを捨て、願いを捨て、苦行を捨て、安楽を捨て
善悪にとらわれず、
やるべきことを、やっていきましょう



”業が深い”
良くこの言葉理解できないのですが・・・
なんだか、自己正当化のような気がするの。
だからしょうがないでしょ!!って開き直ってるみたいで好きじゃないの。

誓いを捨て以下の部分は
結局、こだわりを捨てなさいって事だと思います。

こだわりから色々なものって生まれてくるものね。

もっと素直にナチュラルに
その時そのときの感性にゆだねて良いという事なのかも知れません。

中道も大切
偏らない心

それも表現が難しいのですが・・・
無理しないって事だと思うよ♪

そして
できる事を精一杯がんばる!!

5 正命

贅沢することなく、むさぼることなく、生死にとらわれず、
執着を捨て、生活しましょう♪


”生死にとらわれず”がうまく解釈できないのですが・・・。
他の部分はなんとか。。。。

執着というものが、すべての悩みの種だと思うのです。
自分の価値観にこだわらなければ
本当に自由に
ありのままを受け入れ
見つめる事が出来ると思うのです

贅沢がしたいということにしても
何が贅沢なのか?
これはほとんどその人その人の思い入れです

物質的なものなのか
精神的なものなのか

内省的なものなのか

依存心一杯に偏ったものなのか

執着とは鎖で縛るものに他ならないようです。

しかし、
この程度は実に難しく・・・・

ただ、人それぞれに違うものというのは
大事にしなくてはいけないと思うのです。

その意味でも
執着・・・自分の意見 思想 理想
それらを他の人に重ねるのは  苦しいものです。

自分以外のものや人に求めてしまう事が苦しみの元になる。
求める場所が違うんです。

”贅沢 むさぼり”これは自分以外のところに
答えを求めようとしている姿の事ではないかと思います。

6 正精進

無理をせず、我楽に耽ることなく、
正しい努力が、悟りに導くということです。
一生懸命に努力する必要はありません。



これも”中道”を説いていると思います。

一生懸命というのは正しいかと思われますが
実の所
”無理している”という状態と紙一重だと思います。

自然な気持ちが大切です。

心からわきあがる自然な思い。

うまく言えないのですが
きっと分かると思います。

どうしようもない素直な思い

表面的ではない魂からの声
きっと聞いた事があると思います

瞬間しか聞こえないから
しっかりと覚えていてね

自分の無理や執着から生まれた声でかき消さないでね

その思いで進んでいけば必ず
それがあなたの道だと信じます。

7 正念

つねに、平静であること。
他と比べて、同じだとか、
優れているとも劣っているとも思わず
惑わされることの無い、自覚を持つこと。


8 正定

心を落ち着けて考えること。
何かを得ようとして、修行しないこと。
この方法が最高であるなどと、思い込まないこと






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