真理を求めて

真理を求めて

2003.12.14
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カテゴリ: カテゴリ未分類
批判的なことを語る人に対して、「批判ばかりしないでもっと建設的なことを言え」という反批判が出ることがあるけれど、これは論理としてはかなりおかしい場合がある。批判に対して論理的な批判が出来ないので、批判すること自体を問題にしたいという心情はよく分かるけれど、批判に対する反批判は、批判が持っている論理性をつくものでなければならない。反批判は批判そのものの間違いを指摘すべきなのだ。そして、相手の批判が正しいと認めるのなら、その上でそれではあなたならどういう方向をとるべきだと考えるのか、という方向へ行くべきだ。

批判というのは、ある主張の間違いを指摘して批判するのである。たとえばアメリカのイラク政策を批判するというのは、それの間違いがあるという指摘をもとに批判するのである。だから反批判としては、その指摘が間違っているとか、指摘は正しくて確かに間違いはあるけれども、現実的にそうせざるを得ないという必然性があるとか言って反批判をすべきだ。そうすれば、その反批判に間違いがあれば、論争は論理的な発展をする。

批判ばかりせずに、どうするかを示せというのは、批判を封じたいという意識のもとに言われているようにしか感じない。

たとえば次のようなことを考えたい。子供を読書好きにしたいという願いは教員や親によくあるものだ。その時に、子供に読書感想文を書かせようという指導がある。この読書感想文を強制して無理矢理に書かせようとする指導は最悪のものになり、子供を読書好きにするどころか読書嫌いにするために絶大な効果を発揮する。だから、読書好きにしたければ、絶対に読書感想文を強制してはならないと、言う批判をしたとしよう。

このときそれでは、子供を読書好きにする有効な指導を示せといわれても、それはどの子にも有効な指導なんかないというしかない。読書なんていう個人的な楽しみは、その子供の自発性に期待して待つ以外にはないのだから、無理矢理に読書好きにさせるという指導そのものがそもそも成り立たないのだ。しかし、読書感想文を強制すれば、これは確実に子供を読書嫌いにする。そういうことが分かっているときは、間違った指導を批判するのが当然だ。そして、この批判は、最悪の結果を避けるという効果さえ発揮できるならばそれでいいのだ。結果的に読書好きにするという効果を生む必要はない。

自衛隊派遣の批判の問題にしても、イラクに自衛隊を派遣すれば、必ず攻撃の対象になり犠牲が出るというのは誰もがいうことだ。このことに反対する人はほとんどいない。もし反対する人がいて、そ
の人の言うとおり、イラクで自衛隊に全く犠牲が出なければ、このことを批判の根拠にしていた我々は自分たちの間違いを反省しなければならない。しかし、犠牲が生まれるようなら我々の批判は当た
っているという風に言わなければならないのだ。そして、問題は犠牲を避けるべきか、犠牲が出てもあえて送るべきかという議論になってこなければならない。

自衛隊派遣の批判に対する反批判として、じゃあ自衛隊を送らないのなら他に何をするのだと問うのは、反批判にはなっていないということを考えるべきじゃないかと思う。何をするかは非常に難しい問題で、これをすれば解決するなどという便利な方法はない。僕は、アメリカの暴走を止めて、いま敵対しているイラクの側の人々と交渉の席を設ける努力をすべきだと思っている。これは一見テロに屈していると見られるかもしれないが、敵対している人間がイラクの一部の少数派でなく、一定の多数を占める勢力だったら、民主主義の原則からいっても彼らの意見を無視するのは間違いではないかと思う。彼らの言い分が間違いであればそれを批判すればいい。それを全く聞かずに、武力で解決しようとしているのがいまの状態だ。その方法は、相手を全滅させない限り終わらない。たとえ味方にどれだけの犠牲が出ても、相手を殲滅するまで武力解決を目指す方をとるのだろうか。僕が考えている方法は必ずしも成功するとは限らない。イスラエルとパレスチナの状況を見ていると、彼らはなかなか相手を信じて交渉の席に座るということがないからだ。同じように、イラクとアメリカの側で互いの信頼を確立するのは至難の業だろう。



イラク関係のニュースで気になるのは次のものだ。

「イラク派遣 陸自、劣化ウラン弾対策
 線量計携行を検討
 防衛庁は十二日、イラクに派遣される陸上自衛隊部隊について、劣化ウラン弾への安全対策を取る方針を固めた。派遣部隊に放射線の量を測定する「線量計」を携行させ、活動地域の安全性を確認することなどが検討されている。同庁では十八日にも、部隊の安全対策などを盛り込んだ自衛隊派遣のための実施要項を策定することにしている。」

http://www.tokyo-np.co.jp/00/sei/20031213/mng_____sei_____000.shtml

劣化ウランの影響に関しては、アメリカは否定している。そうすると、たとえ自衛隊員にその影響が出て体に変調を来しても、それが正しく対処されないという心配も出てくる。もしも被曝による癌が発生したら日本政府はその責任をどうとるのだろうか。

批判をするということは、批判をすること自体に価値がある。批判をして、今後このような心配が存在すると主張することは、その心配が現実になったときに、それを受け入れなかった権力の側に責任を問うことになるからだ。もし批判がなかったら、予想できなかったこととして言い訳されてしまう。批判するのは、責任逃れを許さないための被権力側の方法だ。こういう心配があるという批判は大いにするべきだ。そして権力の側は、その心配はないのだという反批判をしなければならない。そして、批判する側は、批判が間違っいたら率直に反省するだけだ。権力の側は、反批判が間違ってい
たときはしかるべき責任をとらなければならない。それが権力を持っているということの意味なのだと思う。





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最終更新日  2003.12.14 00:16:59
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Re:批判するということ(12/14)  
msk222  さん
僕のイラク問題への日記に対して、ときに私書箱で「政治的なこと」を扱うことへの疑問を呈してくれる人がいます。

僕はその時、自分の心の中にあることを書いていて、脱線してしまうことも少なからずあります。
それに対して、これこれが間違っているというご指摘であれば、自分の考えとあわせて検討してみるということもできます。
議論とは、そのようにして合意形成がなされてゆくのだと思います。
しかし、あきらかにすれ違いの議論となることが予想される場合は、一度だけ考え方を述べあうだけで置こうと思います。その先は読む人が判断すればいいのですから…。

それはそれとして、今日の「批判するということ」の内容には同感です。
基本的には、自分のHPで意見を書いて、それに共感する人たちの輪が広がるということが、HPの賢いつかいかたではないかと思います。
(2003.12.14 02:19:47)

Re:Re:批判するということ(12/14)  
秀0430  さん
msk222さん

僕は、基本的に言論の自由というのは、何を書いてもいいと言うことが言論の自由だと思っています。ただ、言っていることが間違っていれば、その間違いには責任をとらなければならないと言うことが言論の自由に対する規制だろうと思います。

楽しいことを書いてもいいし、政治的な発言をしてもいいし、その題材に何を選ぼうと自由だと思います。ただ、楽しいことなら言っていることに間違いが入る恐れは少ないですが、政治的な発言は間違いが入る恐れが充分ありますから、間違いに対しては責任をとる覚悟はいると思います。

この責任は立場によって違うと思います。多くの人に影響を与える地位にある人の間違いに対する責任はは当然重くなります。我々のような庶民は、そこまでは重い責任を背負う必要はないと思います。庶民はもっと自由に政治的意見を表明してもいいという空気を持つのが、本当の民主主義国家だろうと思います。

ドイツではアウシュビッツを否定するような論理は法律違反になります。これは言論の自由という観点から言うと重大な問題だと思います。難しくて、軽々しくどうだとは言えませんが、望ましいのは、間違った言論は民主的に淘汰されると言うことの方だろうと僕は思います。

もし間違った言論が民主的に淘汰されないとすると、それはその国の民度の低さを物語ることになるんだと受け止めたいと思います。

結論をぶつけ合う議論は、すれ違う議論にしかならないだろうと思います。問題は、その結論を導いた条件にあるのだと思います。議論が、その条件の正しさの検討に進めば議論する価値がありますが、結論を対立させるだけなら、それは解釈の違いにすぎないもので終わるだろうと思います。賛成か反対かの意見表明以上の議論にはなりません。僕はそう思います。 (2003.12.14 10:28:14)

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