この空のかなたに

 この空のかなたに

reflections in B.


人の人に対する見方はいろいろあると思うけど、
個人的には世の中の、たぶん大抵の人は、神様みたいな善人ではない、と思っている。

その笑顔の中に、その怒りに満ちた顔の向こうに、生きてきた中で経験した悲しみや苦悩を隠し、
己の弱さに飲み込まれたりなんだりしながら、かろうじて、日々を過ごしているんじゃないだろうか。

今回、ビル・エヴァンスについて書かれた本を読み直した。
前に読んでからかなり時間が空いていたから、すっかり忘れていたことばかりだったし、
かなり複雑な思いのすることもあった。


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彼は一つのことに入れこむタイプの人だったようで、
「僕は何かにのめり込むと、本気でのめり込んでしまうのさ。」と彼自身語っている。
そして、そういう人の周りには、似たようなタイプの人が影のように寄り添う。
最初の妻のエレインはピアノにのめりこむビルに、のめり込んでいたようだった。

ビルは自分の欲するところにとても忠実に生きた人なのだと思う。
けれど、あまりに忠実に過ぎると何処かに歪みを作ってしまうことに、きっと彼は気付いていなかった。

ある日、十二年もの間いっしょだった妻に、別の女性の存在を切り出したビル。
そんな彼を受け止められなかったエレインは、自らこの世を去った。

私が彼女の立場に立ったらどうするのか、現実の出来事としてはっきりとは想像できない。
ただ、ビルが別の女性を作った理由には、エレインの女性としてのアイデンティティに関わる部分があったようだから、
その分深く傷つくことは間違いないだろうと思う。

でも、二番目の妻と家庭を築いた彼に、運命の神様は容赦なかった。
後年、エレインと似たような形で、兄のハリーを亡くすことになったのだから。


人の一つひとつの行いや言葉は、その場その場で完結しているものではなく、
思いもよらないような形で代償を払うようになっている。
そんなことを、本を読みながら感じた。

文章から浮かび上がってきた彼の姿から思うのは、苦悩や苦痛のなかでも、
自分の弱さに溺れてしまうときも、誠実であることを忘れてはならないのではないか、ということ。
もちろん、忘れるか否かは結局のところ、それぞれの人の自由だと思うけれども。


芸術表現と人となりとのつながりについて、数文字であらわすのは無謀なことだけど、
人として立派であることと、その表現がすばらしいものであるのかどうかは、
必ずしもぴったり一致する、とは言えないのではないか、と。

というよりもむしろ、人の不完全さと表現の可能性の部分は密につながっているように思うのだ。
もちろん、エレインさんの気持を考えるなら、積極的に不完全さを肯定したくはないけれど。


ビル・エヴァンスは神様みたいな善人ではなかったかもしれないけど、
その仕事ぶりには徹底した職人気質みたいなものを感じる。
何をどうして彼の音にひかれるのかというなら、そうした部分に発端があるように思う。

CDの中の数分や数十分の向こうには、「ピアノを弾きたい」という身を焦がす情熱と、
それをささえた人々の無数の喜び、すべてを吸い込んでしまうような絶望があることを思いながら聴くと、
また別の見方や味が感じられるかもしれない。そう、思うのでした。


ここまでお付き合いくださったお礼に見合うかわかりませんが、こんなお話を。
ビル・エヴァンスは演奏のとき、お客さんにサービスのいい方ではなかったようだけど、
ある日お客さんが彼に話しかけたときのこんなエピソードがあるそうです。

「まあ、エヴァンスさん、とてもお元気そうですね。その秘訣を教えて下さいませんか?」と聞かれたビルは、
「そうですね。ジョギングをかなりしてますね…ベッドとバスルームの間を。」、と。

家族にはちょっとたまらない秘訣ですね。(笑)


あと、youtubeで見つけた、これはいいなぁと思った演奏を。
http://www.youtube.com/watch?v=WDhvCLYJfX8
・Bill Evans Trio ~I Do It For Your Love (tune2)
なんといいますか。これはなかなかに、メンソレータムな感じだわ、と思いました。
ちなみに、ポール・サイモンの元歌を聞いたのですが、「神田川」風で
調理する人の違いでこんなふうに変わるのか、と興味深かったです。


http://www.youtube.com/watch?v=FSlUM8eNr-Q
・Bill Evans ~Billie's Bounce
モントルー・ジャズ・フェスティバルで、ジョン・ルイス、マリアン・マクパートランド、
パトリース・ラッシェンと一緒に、ビルが演奏しています。
いろいろ見た中でも、心底楽しんでいそうな姿が印象に残ります。


ビル・エヴァンスに限ったことではないけど、音楽の良さは作品の中にこそあるもの。
だから、言葉にするなんて無粋なのかもしれない。
でも、それを承知で、ことばにしたいと思わせる魅力の所以はどこにあるのか。
いつか「これだ」と気付けるといいなと願いつつ、お開きとさせていただきます。

the art of joseph cornell


 参考資料
 ・「ビル・エヴァンス―ジャズ・ピアニストの肖像」
   ピーター・ペッティンガー著 水声社
 ・「文藝別冊 ビル・エヴァンス」 河出書房新社
 他、CDのライナーノート参照。



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