bon voyage!

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Korea 4 days


ソウル・扶余・儒城・慶州・釜山4日間

世界遺産の寺院や庭園の佇まい
活気あふれる街と人々
日本文化のルーツを訪ねて・・・。


【ソウル観光】

日本航空にて成田から空路約2時間半でソウルへ。
今回JL955利用。聞き覚えのある便だと思ったら
管制塔指令ミスで事故起こしそうになった便だった。
それにしてもJALのF/A英語って意外とできないんだね・・・。
韓国人乗客に「にほんごおんりー」???
え?何それ?せめて「じゃぱにーずおんりー」って言ってよ。
国際線なんだから、もうちょっと頑張ろうよ。
なして私が座席モニターの説明してる・・・。

夜便だったので、着後カルビの夕食、
OP:ソウルタワー夜景干渉と東大門市場散策
OP:韓国式(汗蒸幕)エステ
11:50頃ホテルイン。

翌日からソウル市内観光スタート。

『ソウル ワールドカップ競技場』

1998年10月~2001年12月まで38ヶ月の工事期間をかけて建築されました。
全体の敷地面積は216,712㎡、収容人員は64,677席あります。
地下1F~地上6Fで球技場の形は、21世紀の希望と
真心・豊かさを象徴する韓国固有の小磐と八角形の御盆を重ね合わせ、
世界的な祭りを準備する韓国国民の真心を込めたイメージを表しているそうです。
屋根は統一への希望と人類への希望を上げる伝統的な意味の「とんび凧」と
麻浦渡し場を出入りした黄布帆船が集まっている様子を表現しているそうです。

競技場前の漢江に設置されたワールドカップ噴水は、
アメリカのバウンティンヒル噴水(170m)より32m高い202mで世界最高の高さの噴水。
ちなみに202mというのは、2002年FIFAワールドカップの開催の成功を祈る
心を込めた象徴的な高さといわれています。

OPEN:9:00~
(バス下車して写真撮影)

『国立中央博物館』韓国の歴史と美術の宝庫。

13万5千点あまりの収蔵遺物のうち、
約5,500点を18の展示室で常設展示しています。
主に高麗磁器・朝鮮粉青沙器・朝鮮白磁器・仏教彫刻・金属工芸・書画など。

国立中央博物館から車で数分の所に大統領府があります。
建物は塀に囲まれていますが、
それぞれの門には警備兵が厳しい表情で立っています。
撮影は一切禁止されています。見つかった場合はカメラを没収されるそうです。

『徳寿宮』

徳寿宮はもともと世祖の一番上の孫である月山大君という人の邸宅でした。
しかし朝鮮時代中期、豊臣秀吉による壬辰倭乱が起こり、
ソウルのほとんどの宮殿が破壊され、
避難先から臨時的に王の居所がここに移されました。
徳寿宮の建物のほとんどは韓国の建築様式ではなく、
西洋の建築様式によって立てられたものが多い。
19世紀以降、新しい西洋の文明が朝鮮に入るようになり、
朝鮮の国力は限りなく衰えるようになってしまったのだそうです。

OPEN:9:00-17:00(3-10月は18:00迄)
料金:19-24歳300W
   25-64歳700W


【扶余観光】

扶余は百済最後の都が置かれた土地です。
当時は「シヒ城」と呼ばれ、歴史上は著名な都だったのだそうです。
しかし現在は何も残っていない地方の田舎といった感じです。
なぜなら、百済滅亡の際、唐と新羅の連合軍や寺院を含め、
建物という建物を徹底的に破壊し、さらに百済文明を受け継ぐべく王族達が、
国家再建を諦めて日本などに亡命してしまい、
扶余の地に戻る事がなかったからだそうです。
百済が滅亡したのは660年7月18日。

『定林寺跡』石塔と石仏だけが残る百済後期の寺院跡。
百済後期6世紀中頃の創建とされています。
門・塔・金堂・講堂などもあったらしいが、
現在残っているのは「百済塔」と呼ばれる5層の石塔と高麗時代の石仏1体のみ。
石塔はよく磨かれた149枚の石を使って造成され、高さは8.33m。
一番下の層に「大唐平百済国碑銘」の文字が刻まれています。
これは唐・新羅が百済の都扶余を平定し、
寺院を破壊した時に勝利の記念に刻んだと言われています。

『扶蘇山城』百済の王都・シヒ城の逃げ込み城として作られた山城
海抜106m、首都であるシヒ城の北に接し、
前には白馬江が流れている天然的な要塞。
660年に百済が滅亡するまで、その王都を守ってきました。
現在百済時代の建物は残っていないが、
池の跡や軍倉跡などが発掘されているそうです。
ここの見所は『百花亭』と『皐蘭寺』。
『皐蘭寺』の建設期は不明で、
恐らく高麗時代の初期頃ではないかとMS韓が言っていました。
この寺は660年の百済滅亡の際、新羅・唐連合軍の兵に捕まる事を嫌って、
落花岩から身を投げた官女達約3000人の霊を鎮めるために建築された。
落花岩とは、亡国の恨みを胸に抱いて、
白馬江の中に次々に身を投げた彼女達の姿・衣装等が、
まるで花が落ちていくようだったということで名付けられたのだそうです。


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