■映像の中の笑顔
9月24日。8回目の練習日。福祉保健課の山田さんはビデオカメラを持って来てくれた。その時間中、ビデオカメラは回しっぱなしだった。ビデオに撮られることは、特別に意識することではない。だって最初からずっと、練習にはお母さんたち観客が見守ってきた。三股町の取材のカメラも入っている。いつもと変わりない無我夢中の練習。どんなふうに周りから見えるのか、私に見えないものが映っているのか、とても楽しみ。
あとで映像を見てみた。
《入室する康子さん。ステージ衣装を家族と選んだものを持ってくる。うれしそうな恥じらうような笑顔だ。ステージが近づいたことを感じさせてくれる。ハーモニカの練習のために自主的に早く来た拓也君。張り切っているけど、そんなことはオクビにも出さない。カッコイイ拓也君を演じている、そんな笑顔。「こんばんわあ」と朝倉親子のにぎやかな登場。》
ううん。いいねえ。私がいつも見ている風景だ。だんだん練習場が暖まってくる感じ。
《拓也君とのハーモニカ練習》
ずいぶん音が出るようになったねえ。これまで決してマイナスの言葉はかけないようにしてきた。だって、息づかいは心を反映するからね。心が萎縮していたら大きな声や大きな音は出ない。
小学生の頃、私は引っ込み思案で、クラスで発表するなんてとてもできない少女だった。ホント。今では、誰もがウソ~オ!と言う。でもホントの話。5年生だったかなあ、学校で夏休みの研究発表をすることになって、クラスで何人か選ばれた。その中に私がいたんだ。確かホテイアオイの観察記録だった。記録を大きな紙にきれいにわかりやすく書く、こんなことは得意。でもね、発表する時、恥ずかしさで顔が赤くなる。声が小さくて、級友から「聞こえません」などと大きな声で言われちゃう。ますます声が出ない。「声が小さいです」なんて声がかかる。先生からも言われる。私はとうとう熱を出して、発表当日学校を休んだ。「ああよかった」と思った。少し残念だとも思った。
だから拓也君にも他の声の出ない人にも、けっして声が小さいなどとは言うまいと心に誓った。「さっきより出たね。すごいね。だんだん大きくなるね。努力してるね。どうやったら大きく出たの、教えて。その調子だね。すごいことになるね。みんなから拍手喝采だね」こんな言葉を浴びせかける。こうやって、今日の拓也君のハーモニカなんだ。もう大丈夫。
《私が「エンディングもお願いできますか」と拓也君に聞く。彼は「いいですよ」と言う。》
彼はもうミュージシャンだねえ。貫禄たっぷりだ。私だったら、え~?と言うところなのに……。すごい!拓也君の笑顔には、これまでの物語が隠れているね。多くを語らない彼だけに、秘密を知っている私は幸せ。
《「かえるのうたが~」と発声練習。さあ、いよいよ歌の練習が始まる。私がメニューの絵を指して、みんなに話しかけている。「今日は~気持ちを歌に乗せる~という練習をします」》
あっ緑さんが私の言葉を繰り返している。一心に受け止めてくれているんだ。真面目だね。笑顔にもいろいろ表情があるんだね。緑さんの笑顔、これは文句なしに天下一品。誰もが幸せになれる。純子さんの笑顔、揺れて動いてダイナミック、ちょっと離れていたいほど。恵さんの笑顔、時折みせるさびしい表情があるからだろうか、彼女の微笑みには高値が付きそうなほどの魅力がある。
みんな一生懸命に歌っているじゃないか。よく覚えてくれている。ゆかりさん、寿美子さん、歌声も大きいし、表情も明るい。貞雄君もボンゴをいろんな手つきで叩いている。工夫しているんだ。広大君も、歌ったり演奏したりみんなでやっていることが楽しくてたまらないという表情だ。「SMILE」なんて、「カーニバルのもの」という感じさえする。
《貞雄君と知毅君と拓也君がスクラムを組む。次の瞬間、弘樹君がその三人の肩に両腕を回す。曲が終わり、緑さんが手を叩いて、喜びを分かち合う賛同者を探している。知毅君が喜んで跳びあがって手をたたく。》
すっすごい映像だ。こんな楽しい映像はなかなか見られるものではない。笑顔がいっぱいあふれている。ぶっちぎりの楽しさだ。
ビデオに映っていた映像は、私を安心させるものだった。ただ「風になりたい」の楽器がガチャガチャだ。ボンゴが手を止めてしまうところもある。ガチャガチャはいいとしても、長い間奏でみんなの表情がつらそうになる。不安なのか、疲れるのか。ようし、あとはここだけだ。越えなくてはいけない山が大きすぎたら、たいていの人は無理だと思うだろう。私の場合も同じだ。ステージの話があった日から毎日「できる、イヤできない、できる、やっぱりできない…」と心の中で繰り返す自分がいた。しかし、山田さんが撮ってくれたこの映像は、私を元気にした。すごく。あとここを何とかすれば山が越せる。そう思ったときの人間の力は大きい。目の前の小さな山を越えればいいのだから。
そして、映像からもうひとつ大きな収穫があった。ステージに自信を持って乗せられるものが見つかった。彼らの笑顔だ。これをみんなに見せたいと強く思った。この笑顔が、楽しい様子が、ステージ上に溢れたらどんなにかいいだろう。迫り来る期日とのぎりぎりの戦いをしてきた私だが、いつも練習は彼らの笑顔であふれ、楽しいものだった。この楽しさがあるから、つい頑張ってしまったのだ。
では、どうやったら楽しいステージに近づくのか。歌はいい。ハーモニカもいい。スルドもいい。やはり、「風になりたい」のあの長い間奏が鬼門だ。ここをなんとかしたい。彼らに、長いと感じさせない工夫だ。間奏だけを何回も何回も聴く。すると、間奏が大きく3つの部分に分かれていることがわかった。なんだ、自分が意識していないから、めりはりも何もない、ただ疲れるだけの間奏になってしまっていたのだ。
やはり私の成長に合わせて彼らは伸びていくのだなあと感じた。自分がこれでいいと思えば、そこで彼らも落ち着いてしまう。もう少し何とかしたいと思えば、彼らも次のステップへと登る。私の責任は大きい。でも気づいただけマシ。次の練習日に備えて対策を練った。
■お母さんたちを巻き込む
8月も終わり頃、広報の岩元さんが教えてくれた。
「見学に来られているお母さん方の間で、ステージ衣装をみんなで揃えるような話が出ていますよ。黄色いTシャツとか、まあそんなふうな」
「えっ?」
しまった。先を越された。
カーニバルという名前がついた時から、ステージは「それぞれ自分がおしゃれだと思う格好で」と思っていた。せっかくの個性を一つのカラーで統一したくないと思ったからだ。「モー娘。」もよく見ると、ひとりひとり違う服装だ。帽子をかぶっていたり、リボンだったり。それでいて、統一感がある。そこまで統一感がなくてもいい。できたら、普段着よりちょっとおしゃれにしたい。ステージを重ねる毎におしゃれのセンスが磨かれて、いつもの生活でもおしゃれを楽しむようになればなおいい。第一に、ステージ衣装を統一すると、二度とその衣装は使えないし、普段着としても着られないことが多いのだ。経済的ではない。
私の主張は理解はしてもらえたが、服選びはおかあさんたちにとって頭の痛いことだった。何でも自由なことほど難しいものはない。これでいいだろうか。隣の子に比べてどうだろうか。目立たないだろうか、似合うだろうか。選ぶのが大変。統一して欲しいという意見まで出た。
しかし、私はこの点においては一歩も譲らなかった。彼らが自分の意見で選ぶにしても、家族なら言いやすい。それに、こうやってわが子の服装について考えられること、一緒に服を吟味することは、親子で過ごす幸せな時間となるはずだ。例えその時がどんなに頭の痛い時間であっても。
10月1日。9回目の練習。「今日はやりますよ~!」と誰にともなく私は宣言した。そう、山田さんが撮ってくれたビデオ映像から、今日の課題を設定していた。「風になりたい」の間奏。「今日はここを絶対に決めてやる!」と。楽器ごとに打つところや打つ回数を絵カードで表現した。我ながらとてもわかりやすい。私がわかることが先ず必要なのだ。ここだけを音楽なしで練習した後、CDと合わせることにした。先ずは、ビデオを観て、よかったところを一人ずつ褒め称えてから練習に入る。
今日は、見学に来ているお母さんたちを巻き込む作戦。楽器導入時以来だ。音楽は一過性の芸術。後で「もう一度今のを!」と思っても、プレイバックできない。しかも大人数のバンドだ。たくさんの目で見てもらうしか方法はない。心配な箇所いくつかをあげて、ひとつひとつお母さんたちに審査員になって採点してもらおう。大きな花丸シールも折り紙で作り、やる気アップを図る。ちょっと子ども地味ていてゴメンと、どこかで思いながら。
心配なところは、「SMILE」のイントロ・間奏のスキャット・エンディング。そして「風になりたい」の間奏。この4箇所だ。
作戦は成功した。間奏もいつもよりずっと短く感じられた。お母さん方からいただいた花丸が、とてもうれしいようで、「よっしゃあ!」と力こぶを作ってみせる貞雄君。花丸は少し甘い採点だったかもしれない。だが、私もみんなも課題を意識できたことは確かだ。それが結束力を高める結果につながった。サポートメンバーが本気を出すようになったのだ。
衣装選びも、私の知らないところで着実に進行していた。女性軍から火が点いた。康子さんがキラキラの服を持ってくると、次回は寿美子さんがお母さんの手作りの服を持ってきた。ゆかりさん、めぐみさん、が次々に持ってきて着て見せてくれた。俄仕立てのファッション・ショーが始まって、見る方も楽しい。拍手と歓声が湧き起こる。みんなとてもうれしそうだ。
「リハーサルには着てくること!」と朝倉さんが通達した。それからが初めて衣装合わせとなる。今はまだまだ地味目の服だ。しかし口出しはしないと決めた。ここと違ってステージは大きい。ここでは目立ってもステージでは冴えなかったりすることに気づく。リハーサルで絶対変わるはず、と思った。男性陣も参加して、だんだんエスカレートして、もっともっと派手になっていくとうれしい。何せ、「カーニバル」なんだから。
自分一人の力は小さい。協力を得ようとする時、黙っていたら何も伝わらない。自分の思いをきちんと伝えてこそ、みんなの力が一つになり、音楽が完成する。今日は少し前進した。するとまた欲が出る。きっと次回はもっと良くなる。だって、みんなが思いを同じにするのだから。でも逆に自分の意見を言いすぎてしまうと、育たないものだってある。協力者の自主的な発想や自由な展開。これを失うことは自分の首を絞めるのと同じ。だから「言うこと」と「言わないこと」。両者のバランス、使い分け。ああ、伊達に齢はとっていない。今までのたくさんの失敗がカーニバルで生かされる。
仕上げの段階に突入した。あと1ヶ月足らず。3日後は、いよいよ文化会館スタッフとの打ち合わせだ。
■イメージが一気にふくらむ
三股町立文化会館。三股町は人口2万4千人。この会館は2002年にオープンした。それまで体育館や公民館などで音楽や演劇などを鑑賞してきた町民にとって、この文化会館設立は長い間の悲願であった。図書館もあり、今や三股町の文化の中心となっている。私はジャズ演奏会を聴きにきたことが一度だけ。ここを利用する側になるのは、初めてだ。マイクのこと。楽器の配置。音響。照明。私にとっては全く初めての経験だ。
会議室には会館の内村さん。技術の中村さん。初顔合わせだ。こちらからは、私と二川さん、朝倉親子が同席した。やっとステージを作る段階が来たこと、そして「カーニバルです」と胸張って来れた事が何よりうれしい。たった2曲のステージだが、私はここ数ヶ月をこの10分のために費やしてきた。それを花開かせてくれるのがこの会館のスタッフだ。私のイメージを伝えれば、それを汲んで会館のもっている設備・技術で表現してくれるという。これまでの練習の過程は、ここへ繋ぐまでの素材作り。これから本当のプロの技術が入るのだ。期待が高まる。
ステージに案内してもらう。真新しいフロアーを静かに照明が照らしている。想像より広い。ここにサポートメンバー4人を含む15人が楽器と共に立つ。前列に男性。後列に声がよく出て、元気な女性が並ぶ。女性が見えるだろうか。見えるかどうか心配するなんて……。15人という人数がとてもうれしい。こつこつと中央に進み客席を見る。これが400席。ここが満席になるのだ。客席は急勾配になっており、後ろの方の席からは十分全体が見える。前の方の席からは見えにくいかもしれない。しかし、今回は後列のための雛壇は設置しない。足取りもおぼつかない人もいるし、興奮して壇から落ちるのでは…という朝倉さんの意見があったからだ。
そうだ、せっかくフラットなステージに立つのだから少々動いたって危険はない。動きがあってもいいかもしれない。歌っている時ではなく、あの長い間奏だ。ぐるぐる回る。う~ん。どこへ帰るのかわからなくなりそうだ。全く自由に。う~ん。これもむずかしそうだ。みんながぶつかりあったら…。見ている人がハラハラする。動く人を決める。あっ、そうだ!喜んで動く人、練習の時の彼らの姿が浮かんだ。寿美子さん、緑さん、広大君、小山さん、そして拓也君。この5人がステージの前ぎりぎりに並んで踊る姿が目に浮かんだ。派手な照明。彼らの表情は健気なほど一生懸命で、ユーモアに満ちている。それを後列のメンバーが喜んで見守る。その喜び方も尋常ではない。楽しいステージが急に色彩と動きを伴って私の前に広がりだした。
■笑顔が最優先
ダンサーを決める。というより、私の中ではもう決まっている。イヤだと言われたら変更するだけだ。私のイメージの中で、寿美子さんは小さなマラカスを速いスピードで振る。広大君はギロをかき鳴らしながら独特の柔らかいポーズで踊る。拓也君はサンバ・ホイッスルを吹きながら身体を揺らす。サポートの小山さんはいつものように大きなお腹をたいこがわりに叩く。緑さんは、あの天下一品の笑顔をふりまきながらマラカスを振る。
その五人の名前を呼んだ。緑さんは跳びあがって喜んだ。広大君も小躍りしながら出てきた。寿美子さんは「ハイいいですよ」と、これまたうれしそう。拓也君も照れ笑いしながら出てきた。「えっ私が選ばれたのですか。光栄です。やりましょう」小山さんはお腹を叩きながら出てきた。五人があまりに張りきっているので、呼ばれなかった人もにこにこ顔だ。あとの人は後ろで楽器を奏でて盛りたてるのだ。楽しさには変わりはない。出てくるタイミングと動線を確認してから、練習に入る。もちろん、先週バッチリとまではいかなかった間奏のめりはりも、今日は決めようと決心している。ステージを意識した練習だ。
歌も安定してきた。いつもの歌入りのCDではなくて、オリジナルカラオケに切り替えてみようとした。宮沢和史さんのボーカルがなくなって、小山さんの声だけが突出した。「あっ、歌いにくい」と思った矢先、前列の広大君が後列の私に顔色を変えて必死で訴えている。「違う、違う」手振りで一生懸命訴えかける。それでも音楽はそのまま鳴り続ける。彼はカラオケになったことに気づき、不安を訴えているのだ。私はCDを止めた。もう一回やってみましょう。何回も練習すれば慣れるかもしれない。ところがもう一度同じオリジナルカラオケが流れた時、広大君は「違う!」と叫んで、そのまま床に泣き崩れた。二川さん、貞雄君、緑さん、そしてみんながかけよった。
さあ、どうする?彼を時間かけて説得するか、カラオケではなく、歌入りのCDに合わせて歌うことにするか。
彼を説得することができたとしても、カラオケに慣れるまでには、相当練習を重ねなければならない。わかっていることは、「楽しめない状態でステージには上がれない」ということ。練習でも楽しめないことは、ステージでも楽しめない。これからのリハーサルも十分楽しんでもらわないといけないのだ。苦しさを乗り越えるのではなく、楽しさをみんなにおすそ分けするのがカーニバルのステージだ。歌入りのCDに合わせて歌おう。誰が文句を言うだろうか。決めた。
「今度はCDにするからね。いつものように、BOOMに合わせてやってみましょう」
と私。
「がんばれる?」
と緑さんが広大君に声をかける。広大君も立ち上がる。みんなほっとしながらも緊張して音楽を待つ。イントロ。そして大きな歌声。いつもより緊張感があり、楽器もいい音を立てている。
間奏で「出たあ!」5人のダンス・ショー。後列のみんなも負けずに喜んで、囃し立てる。ゆかりさんがタンバリンを高い位置でふりあげる。純子さんが笑っている。恵さん、康子さんもつられて笑う。楽しさ倍増だ。やった!
■いつのまにか芽生えていたもの
10月は練習日を増やした。毎週水曜日が練習日だ。そのうち、文化会館でのリハーサルが2回。そして本番。この複雑なスケジュールに拓也君は付いて来れるだろうか。私が心配しているのは、拓也君がいつも一人で来るからだ。ご両親は仕事で帰宅が遅い。夜の道を一人自転車で来る。もちろん今までカーニバルの日を忘れたりはしなかった。ハーモニカも絶対に持ってくる。
10月8日の練習日。拓也君は大幅に遅刻した。いつも他のメンバーより30分は早く来る拓也君が来ないので、心配で練習どころではない私だ。1時間近く遅れてきた時、SMILEのイントロが始まっていた。彼はポケットからハーモニカを取り出した。すでに遅し。イントロは終わっていた。二川さんがキーボードを止める。
「滑り込み~アウト!」
拓也君がずっこけた。みんながどっと笑った。拓也君は、
「すみません。遅れてすみません」
とみんなに頭を下げた。
あっ、この前もそうだった。ハーモニカが出遅れて、もう一回やり直しということになった時、彼は
「すみません。ぼくのためにすみません」
とみんなに頭を下げた。この態度はみんなから尊敬のまなざしを集めた。拓也君の中で、カーニバルというバンドが協力というもので成り立っていること、大切な仲間であることがしっかり根付いているのだ。それはきっと拓也君ほどにきちんと伝えることができない他のメンバーも、心の中は同じなのかもしれない。みんなは遅れてきた拓也君を温かく迎えたし、緑さんなんか
「がんばろう!」
と声をかけていた。
この時、私はカーニバルの活動が始まって以来初めて、「成長」というキーワードを思い浮かべた。ああやったりこうやったりの試行錯誤。シロウトのこんな私を信じてついてきてくれるみんなに「こんなやり方でごめんね」と心の中では言いながら突っ走ってきた。そんな中でも、きちんと芽生えているものがあることを感じた瞬間だった。
■笑顔をそのままステージへ
リハーサルの日。午後7時半に文化会館集合。ステージで間隔を取って演奏し、ステージという空間をつかむこと。いつもの練習を見てもらって、技術スタッフの方々の知恵をいただく。そんなつもりで臨んだ。もちろん、私も保護者もメンバーも初めての経験だ。いつもの通り楽しくやれるのだろうか。
初めてのところでも平気な人もいるが、ゆかりさんは違う。会館に入るだけでも体が硬直してしまう。だからお母さんに少しずつ後押しされながらやっと会場のホールにたどり着いた。ステージにもやっと上がる。しかし、一度あがってしまうと平気なように見える。
スタッフとマイクの位置を決める。マイクの本数は少ない。ボンゴにも使用するので、ボーカル用のマイクが極端に少なくなる。声のバランスを見ながら修正していく。時間が掛かっても、これは大切な作業。
意外な面が見つかった。純子さんはこれまでの練習で歌をまともに歌ったことはなかった。私が純子さんを見ると、怒ったようにくるっと後ろを向いてしまい歌声が聞こえなくなる。何かの拍子で大きな声が出るということはわかっている。ところが、ところがである。拓也君や貞雄君と一緒にマイクに近づいて、「アイ~ン!」を繰り返し、喜んでいる。そしてなんと、ステージでは一生懸命歌うのだ。初めて見た。聴いた。歌えるじゃないか。
広大君も特別マイクが好き。ほとんど独り占めだ。身体の大きな小山さんも1本。男性7人に4本必要。女性は7人で2本しかない。4人でぐるっとマイクを囲む純子さん恵さんゆかりさんと私は、背の高さも合わない。そうとうキツイ。長いリハの時間で腰が痛くなった。みんなの声を聞かせたい。しかし、少ないマイクの数。
1回目のリハーサルには、役場福祉保健課の人が3人来られた。寿美子さんのマラカスが手のひらに納まってしまうサイズだったため、何も持っていないように見えると指摘された。
「でも、ないんです」
「予算があるから出しましょう。すぐ買ってください」
2回目のリハーサルの日、寿美子さんのマラカスは大きく立派に光っていた。「小さいマラカスもあることを見せたい」とやせ我慢を言いかけたけれど、言わないでよかった。やはり大きいマラカスの方が楽しそうに見えた。
2回のリハーサルで、みんなの声は急に大きくなった。間奏も自信持ってできるようになった。2曲とも私が予想した以上の出来で完成した。ステージがなかったら、私はここまで完成度を求めなかっただろう。「風になりたい」にも挑戦しなかったかもしれない。そして寿美子さんのマラカスも。ひとつの決心がなければ、そしてどれひとつ欠けても、この今はないのかもしれない。マイクを通すと、いつもは聞こえなかった声がはっきり会場に響く。
多分会場に集まる多くの人たちは、知的障害者の存在は知っている。でも目に触れることもないから日常の中で忘れられている。彼らの歌を聞いたことはないだろう。こんなにもステージを喜ぶ彼らを見たことがないだろう。初めて見るこの笑顔はきっと感動を与えることだろう。初めて私が体感した日のように。「わたしの歌を聞け!」という合言葉は、大きな声を出すために、自分たちを鼓舞するために決めた。だが私は言いたい。「彼らの歌を聞け!」と。彼らの存在を忘れるな、と。
ひとつひとつの楽器演奏に関しては、持ち方もでたらめ、演奏の仕方だってなんの指導もしていない状態だ。ボンゴなんて調整の仕方もよくわからない。台も専用のものではないから針金で縛り付けてやっと持ちこたえている。簡単そうに見えるマラカスだって、本当はもっとかっこよく持つものらしいのだ。ただ振るだけではだめなのだ。だが、彼らは嬉々として自由に、確かに演奏している。その日を待ち望んでいる。こんなにも無垢な心で「歌が好き」と表現している。