わたしのこだわりブログ(仮)

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2010年01月24日
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カテゴリ: 歴史の旅

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星先ず答えは カルナック・アメン大神殿 です。
でも神殿は次回で、今回は古代テーベ、現在のルクソールのナイル川の写真を載せます。

エジプト 13 (古代テーベ、ナイル川)

エジプト・アラブ共和国(Arab Republic of Egypt)ルクソール(Luxor)
古代テーベ

位置の確認地図です。
ナイル川地図
ナイル川の全長は6650 km、9ヵ国を通過する国際河川です。
地中海からナイルを遡るとその源流はアフリカ大陸中南部のブルジン共和国のルヴィロンザ川に到達
するようです。

古代テーベ
さて、 カルナック・アメン大神殿の神殿はカイロより上流に670km程行ったルクソール(古代テーベ)の都にあります 。(下の写真では左手少し下流の向こう岸です。)

古代テーベは最初のエジプト統一王朝の始祖ナルメル王がメンフィスを首都しとながらも上エジプトの支配をもくろみ、ここに町を築いたのに始まるようです。
しかし、大きく歴史の表舞台に出るのは 新王国の第17王朝からで続く18、19王朝にテーベは繁栄のピークを迎える ようです。

向こう岸がルクソール
ルクソール、ナイル 1
テーベはこのナイル流域を指したようですが、ルクソールはナイル東岸のみ。
写真の船は観光のチャーター船。

ナイル東岸のテーベには、
現在のルクソールには、今回の カルナック・アモン大神殿とルクソール神殿があります。
新王国時代ここは人口100万人を越えていたようで、今よりもはるかに人口の多い大都市だったそうです。

ナイル川沿いにあるルクソール神殿。停泊しているのはナイル川のクルーズ船。
ルクソール、ナイル 6

ナイル西岸のテーべには
この新王国時代には王家の墓が造られています。それは、砂漠の奥深い山の中なら盗掘に合いにくい・・と言う考えもあったようです。

太陽の沈む西岸の砂漠は、古来ネクロポリス(死の世界)と呼ばれ、ナイル西岸のクルナ村はルクソールに住む人の墓所としてあった場所 です。
新王国時代にはテーベの都の繁栄に比例してクルナ村の墓所も壮大な物となったようです。

西岸に見える山が王家の谷のある山
ルクソール、ナイル 2
西の岸から谷まで車で20分くらい。
アラビア語で交渉できるならタクシーでチャーターして50ポンド(900円)くらい。(所要時間は往復40分の観光タイム1.5時間くらい。)
たいていはツアーで観光バスです。こんな行き方はしません。

東から西の岸に渡るには乗合船があります。
ルクソール、ナイル 3
料金は現在0.5ポンド(9円)です。
東側はルクソール神殿の近くから出ています。

東岸の船着き場上には月が・・・。
ルクソール、ナイル 5

夕闇迫る穏やかなナイル川です。
ルクソール、ナイル 4

中王国時代(第12王朝頃)テーベはアメン神の信仰が盛んになり、新王国時代に全盛を迎えます。カルナック・アメン大神殿はその頃に増築されてりっぱな神殿になります。

次回カルナック・アメン大神殿行きます。
リンク ​ エジプト 14 (中王国とカルナック神殿)






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Last updated  2020年10月10日 15時35分59秒
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