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スペイン(Espana)
アンダルシア(Andalucía)州
マラガ(Málaga)県ロンダ(Ronda)
闘牛場近くのペドロ・ロメロ通り。奥に見えるのがソコーロ教会。
闘牛場方面から撮影。教会前の広場は新市街で一番賑わった所であるが、かつてスペイン独立戦争では壊滅的な打撃を受けて近年復興したそうです。
スペイン独立戦争(Guerra de la Independencia Española)(1808年~1814年)
呼び名はいろいろあるようですが・・・。
結論は ナポレオン軍によるフランス支配からの独立をスペイン民衆のゲリラ戦で勝ち取った戦い
なのです。(イギリスが援助し、ナポレオンは失脚。)
そもそもは「大陸封鎖令」でイギリスを大陸から締め出そうとした事が発端であるが、 直接のスペイン蜂起問題はナポレオンが兄ジョゼフをスペイン国王にした事が発端である
。
同じく闘牛場近くのタホ並木公園(ペドロ・ロメロ(Pedro Romero)像があった公園)の前にある修道会は複雑な歴史のある教会です。
メルセー教会と修道院(Iglesia de la Merced)
1551年メルセス会聖母の名の下に創設
されたが教会は一部しか完成出来なかった。1882年に修道士が足りなくなり、メルセス会の修道会は閉じられたが、その後 偶然ここにカルメル会創設者の聖遺物である左手の骨が持ち込まれたそうです。
亡命してスペイン全土に散っていたポルトガル修道女を集めて1924年にロンダ・カルメル会の修道会を発足。
現在ここは 当初と異なるけれど同じように神に奉仕する女性達の僧坊となっている
そうです。
そして彼女達の作 るお菓子が評判
なのです。(どんなのか知りませんが・・。)
プエンテ・ヌエーボ(Puente Nuevo)「新しい橋」を渡った新市街入り口、パラドール・デ・ロンダ(ホテル)の隣はエスパナ広場(Plaza de Espana)。
絶壁ギリギリまで眺望を有効利用したオシャレなレストランやカフェが多い。
海抜780mの立地は極寒の冬と快適な夏という実質2つの季節を持ち合わせ、特に 夏の冷涼で乾いた空気は呼吸器障害の患者にとって理想的な療養場所
だったそうです。
加えて、この街は長い間南部アンダルシアの首都の置かれていた場所でもあったので、 宮廷人やブルジョア階級が静寂と清涼を求めて避暑に訪れていた。だから公爵家宮殿や侯爵家の館等が多いようです。
プチホテル? 新市街側の旧市街を見渡せるベスト・ビューの家々も昔は個人の別荘のようだ。
「スペイン・ミハス 1」で紹介したが 白壁の家々が寄り集まったプエブラ・ブランカ(Puebla Blanca)「白い街
」。ここは 「絶壁の上に乗っかっている白い街
」である。
イスラムの邸宅を改築してホテルになっている所も多い。
絶壁好きにはたまらない街かも知れないが、実はここに宿泊するツアーは滅多にない。
大変だが、のんびり回るには個人で来ないとね
こんな街ではあるが、ビックリな事に新市街に鉄道が通っていて案外利便は良さそうなのだ。
タホ並木公園の突端
ロンダっ子の郷愁をさそう場所だそうです。
アンダルシア、グラナダ生まれの反戦詩人ガルシア・ロルカ(1898年~1936年)はこの国で最も詩的な豊かさと生命力を持つもの、世界で最も教養的なフェスタ(祭り)が闘牛だと言ったそうだ。
また、ジャン・コクトーは闘牛は舞踏だと言い。ピカソは他の芸術にはない力を感じたそうだし、ダリはミノタウロスを感じたのだと言う。
多くの芸術家を感銘させる闘牛。その闘牛は岩山の上のロンダで芸術となった。
考えればこんな岩山の上に闘牛場がある事じたい不思議な事である。
フランシスコ・ロメロに始まるロメロ・ファミリーは神に近い所で天啓でも受けたのか?
闘牛はスペインの国技となり、スペイン全土で催されるけれどロンダと言う地形と、ロンダのゴジェスカ闘牛(Corrida Goyesca)に勝るものはないかもしれない。
動物愛護団体のせいで肩身の狭い思いをしている闘牛界であるが、芸術は芸術家に語りかけるのかもしれない。
彼らが生きていたら今の闘牛界をきっとなげくに違いない。
おわり
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