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私の大好きな理研のワカメスープが無くなっていることに気が付きました。
「どこにも売っていない。 なぜ? 」と思って気が付いた。
「そうだあれは三陸ワカメだったのだ
」
調べて見ると3月の津波の被害をもろに受けていたそうです。
本社工場(宮城県多賀城市)
仙台新港工場(仙台市)
大船渡工場(岩手県大船渡市)
浸水して機械も使えなくなってしまったとか![]()
幸い人的被害はなかったそうですが、3月はワカメの収穫の時期でもあったので、品薄どころか今年の国内産は難しいようです。
困ったね![]()
サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 3 (ブルゴス 1)
サンティアゴ・デ・コンポステーラ(Santiago de Compostela)
巡礼の案内書
ブルゴス(Burgos)
北スペインの巡礼の要所であるブルゴスは、中世のレオン王国とカスティーリャ王国の中心地だった土地で、街の中心のブルゴス大聖堂は1984年にユネスコの世界文化遺産にも登録された由緒ある美しい巡礼教会の一つです。
サンタ・マリア大聖堂(ブルゴス大聖堂)・・南西側から撮影。
でもその前に、ポピュラーな巡礼経路を紹介しておきます。
もちろんサンティアゴ・デ・コンポステーラに向かう路は無数にあるわけですが、どの方面からスペインに入るか・・と言う事がコースを決めるポイントになります。
なぜなら昔から巡礼の手引き書があり、信者はそれにそって旅をしたからです。
巡礼者の通りである事を示す道路標識。場所により絵柄は異なるみたいです。
手引き書・・・巡礼の案内書
「聖ヤコブの書」の中には「巡礼の案内書」なるものが書かれていたようです。
欧州各地からスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラに向かう順路などを記した旅の手引き
で、巡礼者はそれを手がかりに巡礼の旅に出たのだそうです。
残念ながら写真はありません。もらっていないので・・。
フランスからピレネー山脈を越えるルートは4つ
。
A. トゥールーズの道
B. ルピュイの道
C. リモージュの道
D. トゥールの道

E. オスタバ(Ostabat)
F. プエンテ・ラ・レイナ(Puente la Reina)
G. サンティアゴ・デ・コンポステーラ
上の図がポピュラーなフランスの路、スペインの路です。
しかし、巡礼路は現在の道路地図で見ると必ずしもこのように直線で通っているわけではありません。まして幹線道路ではないのです。
ポイントの街も、現代の地図の中で見つけるのが結構大変でした。
フランスの路
A. トゥールーズの道
アルル(Arles)- サン・ジル(Saint-Guilhen)- トゥールズ(Toulouse)- オロロン(Oloron)- ハカ(Jaca)- プエンテ・ラ・レイ(Puente la Reina)
B. ルピュイの道
ルピュイ(Le Puy)- コンク(Conques)- モアサック(Moissac)-オスタバ(Ostabat)
C. リモージュの道
ヴェズレー(Vezelay)- リムージュ(Limoges)-ペリグー(Perigueux)- オスタバ(Ostabat)
D. トゥールの道
パリ(Paris)- オルレアン(Orleans)-トゥールズ(Tours)-ポワティエ(Poitiers)- サント(Saintes)- ボルドー(Bordeaux)- オスタバ(Ostabat)
スペインの路
ピレネーを越えてスペインに入ってからはパンプロナやエルシドの墓のあるブルゴス、かつてのレオン王国の首都レオンなど北スペインを抜けてサンティアゴ・デ・コンポステーラに向かうのが一般的
のようです。
しかしスペインに入ってからもその道程は800kmからあります。
レオンからは300km。あるいは100km手前、ポルトマリンの聖ニコラウス教会あたりから出発する人も多いようです。
なぜなら前に紹介したように 巡礼の証明書をもらう最低条件。
徒歩で100km以上、自転車で200km以上
を満たす為です。
尚、スペインと南フランスには、完全な巡礼宿や巡礼者向けのユースホステルのような宿も点在していて、先に紹介していた巡礼者手帳があれば宿泊させてもらえるようです。
もちろん有料。
ブルゴス(Burgos)
951年から500年間カステーリャ王国の首都として栄えた街
です。
また、 レコンキスタでは戦いの拠点となり、君主(エル・シッド)と呼ばれた英雄のロドリーゴ・ディアスの生まれ故郷
でもあります。
街の創設は884年。
レコンキスタでは中心であったにもかかわらずグラナダ陥落の1492年に首都が移されると政治的にはどんどん忘れ去られた街となっていったそうです。
とは言え、 街のブルゴス大聖堂はスペインの三大カテドラルの一つであり、英雄のロドリーゴ・ディアスの墓所もありサンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼においては大きな中継点となる街
なのです。

ブルゴスの旧市街はアルランソン川の北側に位置しています。
旧市街のサンタ・マリア門と新市街地をつなぐ橋がサンタ・マリア橋
です。
写真はサンタ・マリア橋からの撮影でサンタ・マリア門、その向こうにブルゴス大聖堂の尖塔。
9世紀末、アストゥリアス王国の城塞都市として始まったブルゴスはレコンキスタの初期軍事拠点
となった地です。
(アストゥリアス王国は後のレオン王国です。)
そもそも時はイベリア半島がイスラーム勢力(ウマイヤ朝)に征服され、西ゴート王国(415年~711年)が滅亡した後です。
その滅亡した西ゴート王国の貴族だったペラーヨ( ~734年)がアストゥリアス人と共にアストゥリアス王国を建国。 イスラム勢力との戦いが始まるのです。
国土(イベリア半島)の奪還の為の戦争をレコンキスタと呼びます。
レコンキスタ(Reconquista)はスペイン語で「再征服」の意
です。
スペインを理解する上でレコンキスタは重要です。
以前あちこちで紹介していますのでそちらを見てね![]()
スペイン・セビーリャ 2 (街の歴史・イスラム編)
スペイン・セビーリャ 4 (守護聖人とフェルナンド3世) ・・2010年3月
スペイン・ロンダ 3 (要塞の街・西ゴート王国・レコンキスタ)・・2010年2月
左のこのブログの中検索・・で、「レコンキスタ」と入れると他にも出ます。
サンタ・マリア門
11世紀に城塞が築かれた時に造られた8つの門のうちの1つ。
1536年に皇帝カルロス5世の為に凱旋門に作り替えられたそうです。
一番上に聖母マリア、次に天使。そして下の6人衆の上段中がカルロス6世。その右が英雄エル・シド。
英雄エル・シドについては別の機会に。
サンタ・マリア大聖堂(ブルゴス大聖堂)・・南東面レイ・サン・フェルデナント広場から
サンタ・マリア大聖堂(ブルゴス大聖堂)東側
東側はレイ・サン・フェルナンド広場。
ブルゴス大聖堂の建築は1221年に開始され1765年まで続いたそうです。
美しいゴシック建築の際立つ教会に見えますが、実際は歴史の長さが語るようにいろいろな様式が混在しているのです。
正確には南東にあたる翼廊と交差部の天井の尖塔。
写真左の階段を上がるとカテドラルの正面に・・。
サンタ・マリア門
通常信者が入る入り口。サンタ・マリア広場から
広場の泉
近年では1936年~1939年のスペイン内戦において、ガリシア地方出身のフランコ側の拠点でもあったそうです。
次回ブルゴス大聖堂内部、予定
リンク サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 4 (ブルゴス 2)
Back number
リンク サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 1 (巡礼)
リンク サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 2 (中世の街)
リンク サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 4 (ブルゴス 2)
リンク サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 5 (ブルゴス 3)
リンク サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 6 (ブルゴス 4)
リンク ブルゴス(Burgos)番外編 エル・シド
リンク サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 7 (レオン)
リンク サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 8 (オスピタル・デ・オルビゴ橋)
リンク サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 9 (オ・セブレイロ峠)
リンク サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 10 (聖ヤコブの墓地)
リンク サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 11 (栄光の門)
リンク サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 12 (聖域、ヤコブ像)
リンク サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 13 (聖ヤコブの棺、聖なる門)
リンク サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 14 (ボタフメイロ・プロビデンスの眼)
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