臥して想うおむすび
今年の二月末から三月初めにかけての一週間、生まれて初めて、寝たきりの生活を余儀なくされた。
ある病気の治療と検査のため、入院したその日からの絶対安静を申し渡されたのである。
トイレに行く以外は、ベッドの上で横になっていなければならないらしい(しかも、小用は出来れば溲瓶で済ませるようにとの指導も受けた)。如何に頭痛や神経痛がひどかったとはいえ、散歩くらいは可能で、それがむしろ気晴らしになっていた身としては、寝たきりの生活は不快なことこの上ない。
もちろん、食事も寝たきりで摂る。食べやすくするため、病院食の米飯が、毎回小さなおむすび二つになって出てくる。簡単な工夫だが、これが実に有難かった。残念ながらおかずのほうには、寝たきり患者に対応した工夫はみられなかったものの、この小さな配慮のおかげで、私はストレスの幾分かを軽減できたものと思っている。
点滴の管が付いているほうの手でも、おむすびならば、容易につまんで食べられる。茶碗を持って飯を箸でかき込むような芸当は、腹ばいにでもなれば可能だろうが、首が若干不自由な私には、それは到底無理な話である。
朝昼晩と、ピンポン球よりやや大きいおむすび二つが食膳に登場するわけだが、何故か昼食時だけ、白い飯ではなく、ふりかけがかけてあったり、じゃこが混ぜ込んであったりした。
ぺったりと貼られた小さな海苔の深緑と、飯粒の白、これが普段着のおむすびだとすれば、黄色やピンク、グレイなどの色がちらほらと見えるおむすびは、まるで晴れ着を纏ったようでもある。
入院中の身には、そんな連想は似つかわしくないな、などと思いながら、にぎやかな色のおむすびを頬張ると、切なさと安堵感がないまぜになった、何やら不思議な感覚に襲われた。と同時に、昔むかしに食べた、思い出深いおむすびの味も、頭の中に蘇ってきたのである。
おむすびの思い出といえば、たいていの人は母の味、と答えるに違いないが、残念ながら、何故か、母のおむすびを特別に旨いと思った記憶が、私には殆どない。
私の母は、余りおむすびが得意ではなかったのだろうか。いや、そうではなくて、もっと強烈なおむすびの記憶を、私が後生大事にしてきたせいであろう。
それは、父方の祖母が作るおむすびだった。父方の祖父母は、たまに車を飛ばして、私たち孫の顔を見にくることがあった。祖父は大層せっかちな人で、その日の昼ころ着くと連絡をしておいても、早朝の四時には家を出て、信号の少ない北海道の田舎道を猛スピードで飛ばし、私たちが朝食を食べ終えた頃には、もう庭先に現れるのが常だった。
そんな祖父に付き従ってくる祖母は、母に昼食の心配をさせては悪いと思ったのか、いつも重箱一杯のおかずと、大きなおむすびを沢山作って持参した。私たち孫四人と父母、それに祖父母が昼時にそれを食べても、かなり余ってしまうほどの量だった。中でも、おむすびは、ソフトボールくらいの大きさがあり、一つあたり米を一合余は使ったのではないだろうか。大人でもひとつ食べれば満腹になりそうな代物である。具はこれまた大きな梅漬(土用干ししない梅を塩と紫蘇で漬けたもの)か、醤油をかけたおかかだったように記憶している。そして一番の特徴は、全面を海苔で覆い尽くしたために、真っ黒な色で登場することだった。
アルミホイルを開いた瞬間、黒い大砲の弾のような物体がぞろりと現れる様は、子供ながらに驚きだった。そしてもっと驚いたのは、大して良い米を使っているわけでもないのに、歯ごたえと塩加減が絶妙で、たまらなく旨かったことである。具に行き着くまでに、相当量の飯を食わなければならない巨大なおむすびと格闘しながらも、存分に引き出された米の旨味を味わいながら、おばあちゃん、おいしいね、と幾度となく言ったものである。
樺太で一財を成した実業家の長女で、お嬢様育ち、人一倍プライドが高かった祖母は、孫にべったりと付き合うような人ではなかったが、おむすびを褒められるとは予想していなかったのか、ちょっと驚いた表情を、その度毎に見せていた。そして、おいしいかい、もっとお食べ、と、またひとつ、アルミホイルの包みを開けて、私に手渡してくれた。
思うに、私の学生時代の大食漢ぶりは、この頃形成されたものではなかったか。
その祖母も随分前に他界し、あのおむすびの味は、永遠に味わうことの出来ないものとなってしまった。病院で出されるおむすびに不満はなかったが、それらを口に運ぶ毎に、あの巨大な、真っ黒なおむすびが思い出された。
晴れ着を纏ったような、カラフルで小さなおむすび。寝たきり生活で華やかさに欠ける私には、寧ろこれがお似合いだったろうか。しかし、大きさはともかく、海苔を全面に巻いた真っ黒な、威容を誇るおむすびにも、出会ってみたいものだ。些かセンチメンタルな気分になりがちな入院生活が、少し刺激的になりそうな気がする。無論、こんな身勝手な要求は、却下されるに決まっているけれど。
来月にはまた、入院生活が始まる。こぢんまりとしたおむすび達を友として、約二週間を過ごさねばならぬ。妻は、おむすびを見るのも嫌になるんじゃない、などとからかうが、そんなことはあるまいと思う。ただ、前回の入院時、一度だけ出てきた食パンに、言い知れぬ歓びを感じたのは事実である。やはり、おむすびを嫌いにならないために、真っ黒で刺激的なおむすびを、私はリクエストすべきであろうか。