前門の虎、後門の狼 <年子を抱えて>

前門の虎、後門の狼 <年子を抱えて>

七月三十日




 その日の前夜、私はイライラしていた。まず、優勝に向かって驀進中の阪神が負けた。カモにしている横浜にである。9回裏、27個目のアウトはレフトへのファウルフライ。これで万事休すだと思ったその時、テレビ画面に信じられない光景が映った。横浜の選手がグラブを出した瞬間、三塁側アルプススタンドからメガホンが投げ込まれたのである。幸い、彼は無事に捕球することができたが、これには横浜サイドのみならず阪神サイドも怒りが収まらない。何故なら、このファンの行為には野球への愛情というものが微塵も感じられないから。ひどい。許せない。まったく…。こんな輩がいるから阪神ファンはマナーが悪いと言われるんだよっ!!!

 居間でプレステのゲームに熱中していた夫におやすみと言って寝室に入ったが、どうにもこうにも眠れない。苛立つ原因はもう一つあった。今か今かと待ち望んでいるお産の兆候がみられないのである。臨月に入って、体が思うように動かない上に、お腹が張る、足の付け根が痛い、そして分娩に対する不安と、ただでさえ心身ともに苦痛を感じているのに…。予定日2週間前の検診で、もう子宮口が開いているから予定日より早そうだと言われ、すっかりその気になっていたが、何も起こらないまま、いよいよ翌日が予定日である。まぁ、予定日というのはあくまでも予定日であって、それより後になることだって多いわけで、焦る必要はない。先生がああ言ったからといっても絶対ではない。それでも、陣痛は夜中に訪れるものだとなんとなく思っていて、あぁ今日も来なかったかとがっかりして朝を迎える日が続いていた。どうせ今夜も何事もなく朝になるんだろうよ…と不貞腐れて布団をかぶった。

 日付変更線を越えても、まだ眠れなかった。寝室に置いてあった「ブラックジャックによろしく」という漫画を読むことにした。NICUの赤ちゃんの話であった。とても他人事とは思えず、涙が出そうになった。2時間くらい経過しただろうか、いよいよ眠くなってきた。

 3時半を回った頃、寝返りを打った。その際、尿が漏れたような感触があった。おりものだろうか、それにしては、いつもと違うような…。寝ぼけ眼のまま起き上がった。トイレに行って、電気の下で確認したら、一気に目が覚めた。なんと破水だったのだ。一応、そういうケースも頭の隅にはあったが、まさか破水が先とは!

 慌てて夫をたたき起こした。身支度を済ませ、玄関の戸を開けると雨が降っていた。夫は、ことあるごとに私のことを雨女だとからかうが、なんとこんな時も雨である。雨女伝説は最強らしい。

 夜中だからか、病院のインターホンを押してもすぐに応答がなかった。破水して、これから陣痛がどういう具合で訪れるのか不安な上、雨は強くなってくるし、ちょっとイライラした。
「遅くなってごめんなさいね。2階のナースステーション前まで来てください」
という助産師さんの声は、明らかに慌しかった。タイミングが悪かったのだろうか。階段をのぼっていくと、ナースステーション前には産婦の夫とみられる男性が2人、落ち着かない様子で座っていた。廊下の奥は分娩室だ。そうか、お産の最中だったのか、こんな時間じゃ助産師さんも大勢いないよね…。でも、私の体も待ったナシだから仕方ない。心配そうな旦那様たちを見て、何時間後かわからないけど私にもクライマックスがやってくるんだなと想像した。

 陣痛室にて破水の状況を確認した後、入院予定の部屋に通された。しばらくして、母が到着した。病院に行く時は連絡して欲しいと言われていたが、夜中に電話を鳴らすのは気がひけたので、妹の携帯にメールを入れた。朝起きた時にでも母に知らせてくれればいいと思っていたのだが、メールを受信した音で妹は目が覚め、その場ですぐに母に知らせたため、夜明け前のどしゃ降りの雨の中、かけつけてくれたのだ。驚いたことに、なんと妹までついてきた。自分が行っても何もできないとは思いつつ、いてもたってもいられなくなり、どうせこのまま眠れないなら病院へ行っても同じこと、会社へは病院から出勤しようと考えたらしい。そんなに姉思いだったとは…ありがとう妹よ!

 5時頃、助産師さんが分娩監視装置を持ってやってきた。お腹にベルトのようなものをつけると、モニターには規則的な波形が表れた。これが陣痛の波らしい。とはいうものの当の本人はちっとも自覚していない。痛くも痒くもないのだ。しかし、弱くて気づかないだけで、確実に陣痛は始まっている。これがどんどん強くなっていくのだなと覚悟を決めた。6時過ぎには監視装置が外され、しばらく楽にしているようにと言われた。楽にしていられるのも今のうちか…。

 この病院はすべて個室だが、私が予約した部屋は特別室である。畳コーナーまであって、広すぎて落ち着かない感じがした。しかし、そのおかげで、夫と母と妹、3人いても大丈夫だったし、妹は会社へ行くまでの間、畳に布団を敷いて仮眠できた。妹が会社へ向かった7時過ぎ、陣痛は生理痛くらいの強さになった。まだ、夫や母とたわいもない話をして笑っている余裕があった。

 8時に朝食が運ばれてきた。食べ終わってしばらくすると、急に唾液がたくさん出てきた。気持ちが悪いので、洗面所で唾液を吐こうとしたら、ついさっき食べた朝食まで戻してしまった。ちょうどその直後に回診に来た助産師さんによると、陣痛によって胃が圧迫され、船酔いのような状態になったと思われるとのことだった。お産は体力勝負だから、しっかり食べておかなければと思っていたのに、吐いてしまって、どうしよう。パンを家から持ってきたが、陣痛はだんだん強く、間隔も短くなってきているから食べている余裕はない。それでも口に入れるべきか、いや、そんなことをしたらまた吐いてしまうのではないか。

 8時45分に1階の外来診察室で先生に診てもらうことになった。陣痛が強まるにつれ、腰も痛くなってきた。夫に付き添われて診察室へ向かった。
「まだしばらくかかりそうだねぇ」
子宮口の開きは5センチとのこと。まだ半分だなんて…。全開するのは一体いつ?しばらくってどのくらい?今でも十分痛いんだけど、もっともっと痛くなるんだよねぇ。はぁ、耐えられるかしら。いや、耐えるしかないんだけど…。もう少しだよ、なんて言われるんじゃないかしらと密かに期待していただけに、がっかりして部屋に戻った。いつまで戦うことになるんだろう…。母は夕方、保育園の仕事があるから3時には出勤しなければならない。それまでに生まれるといいんだけど、こればっかりは自分の意思でどうにかなるものじゃないしなぁ。

 10時頃、助産師さんが来て、また内診した。7センチくらい開いていた。
「陣痛室に移動しましょう」
うーん、分娩室じゃなくて陣痛室!まだ1つステップがあるんだったわ。ヨボヨボのおばあさんのような歩き方で、陣痛室へと向かった。ここで1時間ほど過ごすことになるのだが、とにかく痛くて痛くてたまらない。陣痛と陣痛の間の休みなんてほとんどないくらいだった。夫と母が交代で腰をさすってくれたが、何をどうやっても痛い!子宮口が全開するより前にいきんでしまうと、赤ちゃんに酸素が行き渡らないため、呼吸法で陣痛の痛みを逃すしかないのだが、ヒーヒーフーフー言ったって、ちっとも和らぎはしない。

 痛いのは当たり前。それにしても、こんなに痛いだなんて!まさに、想像をはるかに超える痛みである。しかし、どんなに痛くても、お産から逃げられるわけでもなければ誰かに代わってもらえるわけでもない。耐えるしかないのだ。世の中のお母さんたちを尊敬した。この痛みを乗り越えているのだわ。うちのお母さんなんて、3度もこんな体験をしているのだわ。

 壮絶な戦いの最中、トイレに行きたくなった。陣痛室の向かいにトイレがある。便器に腰掛けたが、出ない。尿意はあるのに出ない。陣痛との戦いで精一杯で、膀胱のほうに意識が行かないのだろうか。腰掛けたままヒーヒー言っていた。気が遠くなりそうだった。最後は、半分泣いていた。ヒーヒーという呼吸が悲鳴のように聞こえたのか、心配した母が、トイレの戸を叩いた。出ないし、立ち上がろうにも立ち上がれないし、一体いつまで苦しんでいなければならないのか。その時ふと、血がたくさん出ていることに気づいた。こんなに出ていいのだろうか?呼び出しブザーを押して、かけつけた助産師さんに聞いたら、それは分娩が近づいている兆候だという。
「たぶん、全開に近いと思いますよ。内診してみましょう」
ほぼ全開とのことで、分娩室に移ることになった。11時を回っていた。2人の助産師さんに抱えられるようにして、隣の分娩室まで歩いた。

 ちょうど、同じ時間帯にもう1つの分娩室にいた産婦が山本さんという人だったようで、助産師さんが
「山本さん、ご主人立会いですね?」
と言っているのが聞こえ、
「はい、そうです。あ、違う!」
と言ってしまうほど私は朦朧としていた(山本は旧姓だ!)

 分娩台に上ったら、さっきまで暗い気持ちでいたのが嘘のように、目の前がパーッと開け、勇気が湧いてきた。もう、あんな我慢はしなくていい。いきんでいいんだわ。立会いのため、白衣を着た夫が入ってきた。

 助産師さんに尋ねた。
「会陰切開する場合は、麻酔を使うんですか?」
「使いますよ」
「そうですか、よかった。どうしても確かめておきたかったので…」
すると彼女はびっくりした顔で、こう言った。
「落ち着いてますね!こんな時に冷静に質問する人、なかなかいませんよ」

 いきむ前に、先生が麻酔をかけた。2箇所切ったようだ。マタニティスイミングで習った水中座禅の要領を思い出し、握った棒を手前に引くようにして踏ん張る。
「頭が見えてますよ!」
「はい、そのままそのまま!」
あと少し、というところまではいくのだが、なかなか難しい。変な話、巨大な便秘のようだ。痛みと痛みの間にはお茶を飲んで水分を補給した。

 10回くらいいきんだ時だろうか、赤ちゃんの頭が出た。ハッハッハという短い呼吸をして、助産師さんが私のお腹を思い切り押した。次の瞬間、スルッと滑るような感覚とともに赤ちゃんが誕生し、オギャーという元気な声が響いた。

 「うわぁ、すごいピンクの肌!こんなきれいな子は珍しいですね」
と助産師さんが言った。そして、臍の緒を切ったばかりの生まれたてほやほやの赤ちゃんを、私のお腹の上に乗せてくれた。赤ちゃんの体のあたたかさと重さ。これが、我が子。9ヶ月間お腹の中で育てて、生み出した生命なんだ…。なんとも筆舌に尽くしがたい喜びであふれた。

 赤ちゃんはきれいに洗って肌着を着せられ、その後すぐにナースステーション前の廊下に連れて行かれ、先に退散した夫が抱いて、双方の両親との対面を果たした。

 切開箇所の縫合や出血の処理が済んだ後、私はそのまま分娩台の上で2時間安静にした。天井を見ながら、妊娠してから今までのことを思い出した。つわりらしいつわりもなく、安定期には友達と旅行もできたし、ベビー用品のカタログを眺めてはニヤニヤし、明るく楽しい妊婦生活を送ってきた。そして、元気に生まれてきてくれた赤ちゃん。夫をはじめ、両親や友人、病院のスタッフなど、支えてくれた皆のおかげだ。同時に、お腹を痛めて私を産んで育ててくれた母への感謝、そんな母に、娘として至らなかったことへの懺悔など、一言ではとても言い表せない気持ちでいっぱいになった。

 家族と対面した赤ちゃんが戻ってきた。
「母乳、含ませてみましょうか」
助産師さんが、私の横に赤ちゃんを寝かせた。乳首をくわえさせると、懸命に吸っていた。その力強さにびっくり!教わったわけでもないのに、こんなにちゃんと吸えるなんて…。

 あれから1年。小姐は今日、初めての誕生日を迎えた。



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