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そういえば、今日は私の誕生日だった。もう43回目にもなるとDMで誕生日を思い出させられるほかは、すぐに忘れてしまう。今日も結局昨日からの横浜出張で一日が終わってしまった。息子も待ちくたびれて寝てしまったので楽しみの「振り返り」もできなかった。これまでの誕生日を振り返ってみても、ほとんど思い出すことができない。息子の誕生日が11月5日だから、彼が生まれた年の自分の誕生日は妻はおなかが大きかったはず、いったい何をしたっけなぁ?これほど思い出すことができないのだから、誕生日は普通の日と変わらないのですね。それにしても、ひとつぐらい思い出したいものだなぁ。妻以外の人に誕生日プレゼントをもらった最後はいつだっただろう?誕生日を祝ってもらったのはいつだろう?やめよう。空しくなるので。せめて息子の誕生日が思い出になるようにしてあげよう。
2005.10.30
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息子と一緒にお風呂に入るとき「今日の振り返り」を一緒にしている。子どもはまだ3歳なので振り返りがどういう意味かをもちろん知らないのだが、これが意外に子どもにはうけている。「おとうさん、今日も振り返りしようね」お風呂に入ってお話しすることが楽しみなのだ。「今日は、ゆうちゃん、何をして遊んだの?」「電車で遊んだだけ」これで振り返りは終わりである。もちろん誰と遊んだのか、ほかになかったのかなども聞くが、基本的にはこれだけである。「明日も振り返りしようね。」楽しみにしている様子。何か別なアプローチをして、何がうれしいのかを確かめてみたい。お父さんとお風呂に入る事だけではない何かがありそうである。
2005.10.24
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今日は、近所の温水プールに出かけた。そこにはウォータースライダー(水の流れる滑り台)があり、子どもたちには大人気の遊び場である。息子(まもなく4歳)は、これまで必ずお父さんに抱きかかえられ、しっかりとお父さんの水着を掴まないと怖くてすべらなかったが、今日はついにひとり立ち。かなりの勢いで滑り降り水に突っ込むが、しっかりと両足でたち、水も飲まずに平気な顔をしていた。よし、これでお父さんは階段を何度も昇って滑らなくてよくなった。じゃなくて、水慣れもここまでできれば、そろそろ泳ぎを教えられるかも、と感じたのでした。まもなく4歳。しっかりと成長しています。
2005.10.09
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てんかんの薬をのんでいる18歳の男の子がいる。最近授業中寝てばかりいるので、結構キツメに注意をしていた。歩いてもふらふらして、しっかり歩けない。やる気がない んじゃないかとか、反抗してるんじゃないかとかいろいろ憶測していた。ある日授業中また眠りこんだ彼は授業が終わっても起きない。揺らしても大声だしても起きない。回 りがほとほとあきらめかけた時、彼は突然わめき声をあげ走り出した。周りの人たちは必死で彼を押さえた。 今日、お母さんから電話があり、彼の体内の薬の濃度が濃くなりすぎたのが原因ということが分かった。最近の彼の行動は全て薬が原因だったのだ。 どんなにか気分が悪かったのだろうと思うと、本当に申し訳ないことをしたなと感じる。 この前までの明るさがなくなったとか、顔付きが変わったとかみんなで話し合っていたにも関わらず、彼の辛さに寄り添えなかった未熟さを反省する。 いつもの姿がみられることが本当は幸せなのに、何を彼に求めているのか。 多かれ少なかれ私たちは子どもたちに同じようなことをしていないのかと考えてしまう。 大人のかってな理想や思い入れ、無知で子どものあるべき本当の姿を曲げてしまってはいないかと思うのである。 子どもが生き生きとしているときが本当の姿なら、そうじゃないときには何かサインを出していることにあげることを忘れてはならないと思う。気付くことをせずに自分のよ い方に子どもをねじまげて理解したつもりでいてはならない。今回は本当に反省させられた。
2005.10.06
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専門学校生や大学生などと付き合っていて、同時に同じ年代の発達障害のある青年たちを見て感じることがある。発達障害のある子どもたちが青年期に入ると障害の問題に加えて、程度の差はあれ、思春期特有の行動が見られる。当たり前じゃん。ときっと専門家(じゃなくても)は言うだろうと思うが、実は親や教師などにとってはとても物事を難解にしているように思う。それはある行動が思春期の行動なのか発達の偏りによるものなのかを判断するのが難しいからだ。特に親やボランティアなど身近な人ほどそれが正常な発達によるもなのだということがわかりずらいのではないかと思う。暴れたり、ふてくされたり、言い訳したり、ムカついたり。青年ならやりそうなことを障害のせいにしがちだ。特に軽度発達障害のある子どもたちは発達が遅れているのではなく偏っていることを忘れてはならない。だから偏ってない部分は多くの若者のように接していかなくてはならないのだ。行動の原因が何処にあるのかをみつけることは障害の有無には関係がない。行動の原因に認知の偏りが原因の場合も多いだろうと思うが、それをさぐること今の多くの若者の心に寄り添うことには同レベルの難しさがある。受容や共感、そして叱咤激励も必要なのだ。叱咤激励が出来る信頼関係の構築は誰に対してでも重要なことである。その人間関係構築は一朝一夕にできるものではないのだから、逆に一つ一つの問題行動に振り回されることなく、腰を据えて向かい合いたいものである。聖書の言葉「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。」コリントの信徒への手紙一 13章4節
2005.10.03
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ここんとこ行事続きでゆっくりと息子の相手もしてあげられないが、久々の今日の日曜日も教会でほとんどがつぶれてしまった。 教会から帰ってきてもお昼ねをしていたので、結局遊び始めたのはごご4時頃。天気も悪いので家でおみせやさんごっこ。お客さんはキッコロ。声と振り付けはお父さん。 結構喉にくる高い声。 正直ちょっとつまんない。男の子ならもっと激しい遊びがいいんじゃないと思うけど、その気は無さそうである。手に着けたキッコロ人形で激しく戦いを挑んでみる。あっさ り刀で切られ、「じゃ、死んだので刺身にしましょう」って食べられちゃった。 またキッコロ買い物遊びが始まり、途中でキッコロが暴れだすと、また切られる。 仕方がないのでキッコロを尻にひいて隠すと、「キッコロ~、でておいで~」と探しだし、ぺったんこになったキッコロをみて「お父さん、ちゃんとしないと遊んであげない よ」と言う。 人はよく「今だけだよこうして遊べるのは」と言う。きっとそうなのだろうと思うけど、なんかもっとお互いが楽しめる遊びはないのかなあと思うのであります。 結局最後は息子を抱えて飛行機などをして振り回して遊びました。体力がないのですぐにギブアップでしたけどね。もちろんお父さんの事です。
2005.10.02
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保育園の初の運動会「わくわくふれあい遊び」が今日終わりました。あいにく途中から雨が降ってきたので室内に移動のハプニングもありましたが、0歳児から6歳児までの運動会にとても感動をしていました。0歳児は親子で体操。ぶーらんぶーらんとすると赤ちゃんがニコニコ笑い、会場中から歓声が上がりました。1,2歳は、親子で動物に変装しての歩いていきます。お父さんのウサギ姿が実にほほえましい。そして、わが息子の3歳児グループは、みんなで踊りを踊りました。「エビッ!カニッ!」という音楽に合わせながら腰蓑に麦藁帽子の子ども達が元気気にかわいく踊ります。またまた「かわいい!」の大歓声。今日ばかりは、親ばか丸出しの親が大勢いました。そんな中わが子のダンスは実に軽快。立派に踊っていましたよ。室内に入っては、玉ころがしなどにも挑戦。親のわくわくした顔が楽しい半日でした。。お父さんたちは、ビデオにカメラにやっぱりいっぱいでしたよ。
2005.10.01
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