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プールが大好きな息子はお母さんにゴーグルを買ってもらいました。本当は日曜日にプールに行く予定でしたが、相変わらずお父さんは忙しいのでお風呂で使っています。ゴーグルをしてお風呂にジャブン。いろんなものが見えます。蛇やカニがいるそうです。ひっくり返って天井をお風呂の中からも見ています。よく鼻に入らないものです。それにしても水が大好きな息子。水泳はもっとも安上がりなスポーツかもしれないのでもっとやってください。次にプールに連れて行けるのは7月かも。残念!
2006.05.29
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今日息子は、保育園で鼻をぶつけて腫らしてきた。遊んでいて机に鼻をぶつけたらしい。レントゲンを撮って、湿布して、「男の子はこれくらいじゃないとね。」とお医者さんに言われてきたらしい。ぶつけたときの様子を聞くと 子「バーンとなって、机にぶつけたんだよ。鼻血がいっぱい出たんだよ。」 父「そうなんだ~、いっぱい出たんだ~」 子「そう、10センチも!」10センチというのは実際の長さではない。鼻血の量を言っている。とにかくこの調子で、間違っても何してもよくしゃべる子である。 母「ゆうちゃん、いろんなこと知ってるねぇ」 子「だって、ゆうちゃん、しりものだもん」 母「しりもの?」本当に面白い!
2006.05.24
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パソコンは立ち上げたけど、何もする気力なし。おやすみ。
2006.05.23
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今日は、宮城県利府町にある「十符の里パーク」室内温水プールへ出かけました。午後からの出発だったため、現地到着は午後3時。さすがに泳いでいる人も少なく幼児プールとウォータースライダーは貸しきり状態。思う存分遊んできました。うちの子(4歳)は、ウォータースライダーばかりやっています。もう一人でできるので、お父さんは、プールに流れ込むところで待機したかったのですが、係りの人から、目を離さないでと注意されたため、結局一緒に何度も階段を昇っていました。一緒にすべると私に押しつぶされたりする危険性のほうが増すので、出口で受け止めるほうが安全な気がしますが、何度も注意されるので、何度か息子を足で踏み潰しながら楽しんできました。結構階段が大変なのと滑って左右に揺られているうちに酔ってしまいました。息子は、まったく平気です。ちゃんと立ち上がって、あわてることもありません。泳げませんが、浮くことはできるようです。水泳指導にはまったく興味がありません。まぁ、いずれできるようになるでしょう。お父さんも始めてプールで泳いだのは小学2年生。小学校4年生で転校したときにはその学校にはプールがなかったんですから。でも、久しぶりにバタ足をしたらもう全身が疲労しています。かなりやばいかも。また、行きたいと思います。
2006.05.21
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親は自分の子が自分と同じ考えになると思う傾向がある。自分ができること感じていることは、子どももできるようになって当たり前だと思う。ところが、子どもの方が才能がある場合はどうなるのか。絵や工作、音楽、人との接し方、整理の仕方、あることへの集中力、こだわり、などなど、もしかしたら親よりうまいことがあるかもしれない。しかし、親のレベルでそれを見てしまうと、子どもには大変な興味でも大人にはまったく興味が無かったり、かえって邪魔だったりすることがある。私にも思い出がある。小さなころ粘土遊びが大好きだった。結構人の形とか動物とかうまかったような気がする。でも子どもなので人間に毛を生やしたり、動物に余計なものをつけたりとちょっと変わったことをしていた。すると先生が、「そんなことをしたら変だよ。」と言った。私には楽しかったのに、先生に止められた。それ以来、図工は苦手になった。先生の基準に合わせなくてはいけなくなったからだ。子どもが集中しているとき、何に興味があるのかじっくり見たいものだ。大概は親に余裕が無いのでそんなことができないことが多い。うちの子は、ミニカーが大好き。もうすでに何百という車がある。買い物に行くと必ず何か車に関するものを欲しがる。もう買い与えすぎだとも思うのだが、ふと思った。もし、徹底的にミニカーにこだわっていったら、将来その道のプロになるのでは…。将来までミニカーを買い続ける財力はない。子どもの才能を育てるのには、かなりの根気と財力が必要なのかもしれない。
2006.05.20
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ある夜、わたしは夢を見た神様と二人並んで わたしは砂浜を歩いていた砂の上に二組の足あとが見えていた一つは 神さまの そして一つはわたしのだった ・・・・・・・・しかし 最後にわたしが振り返って見たときところどころで足あとが一組だけしか見えなかった ・・・・・・・・「わたしの愛する子どもよわたしは けっして お前のそばを離れたことはないお前がもっとも苦しんでいたとき砂の上に一組の足あとしかなかったのはわたしがお前を抱いていたからなんだよ」M.パワーズ祈り神様、今苦しんでいる人がいます。どうぞ、あなたがそばにいて勇気付けてください。
2006.05.18
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祈りとは願い事ばかりじゃない。祈るとき、相手を思う時間ができます。祈るとき、自分を思う時間ができます。祈る時間を作りましょう。誰に祈るかって?神様に。ご飯を作るのはお母さん。でも、お祈りは神様に。ちょっと変?お祈りのときお母さんへも感謝しているよ。言葉には出ないけど。ありがとう。 by yuki
2006.05.17
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いつもお父さんは、テレビをみながら子どもの相手をする。子どもは、お父さん、お父さんと何度も呼びながら遊んで欲しがっている。お父さんは、いけないことだと思いながらも、テレビもおもしろいので見ている。子どもは、また、お父さんが半分しか聞いていないのを知りながら遊んでいる。お父さんが突然、子どもに「テレビを消して」っと言った。子どもは、「何で?」と言った。お父さんは、「遊ぼうかと思って」っといった。子どもは、ちょっとびっくりして戸惑った。「じゃあ、少し遊んでから、みたら?」「えっ、いいの?」「いいよ。」結構気を使っているようだ。
2006.05.15
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今日は、私の所属する教会で説教を担当しました。現在、牧師不在の教会であるので信者さんが交代で説教を担当するわけです。テーマは隣人でした。ルカによる福音書の善いサマリア人の箇所を読んでお話をさせていただきました。内容は一言で言うと、今このとき目の前の人に心を尽くしなさいってこと。なかなかできることじゃない。というより、できないことのほうが多い。しているつもりでも実は心を尽くすほどの煮えたぎる感情で行っていません。イエスキリストは、どんな人に対してでも断腸の思いで愛を実践しているんですよ。すごいね。それにしても今日は疲れました。牧師は偉いと思いました。
2006.05.14
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連休の様子の写真でホームページを作ってみました。まだ写真が足りないのですが、とりあえず、アップしています。もし良かったらご覧ください。Yuki's Every Moment
2006.05.08
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いよいよ新しい週が始まりました。正直今日は雨模様だったので、起きるのがつらかった。教会に行くのもギリギリになってしまいました。息子を連れて教会へ。息子にとっては教会は遊ぶところ。友達がいるから遊んでいます。お父さんは、結局3時ごろまで教会の仕事があったので息子をほったらかし。すっかり教会の人に遊んでもらいました。さすがに息子も飽きただろうと思ったら、まったくそんなことはなし。「もう、帰るの~」その後、おもちゃ屋さんなどをみていたらあっという間に夕方になり、寝る時間になりました。お風呂に入りながら、「ゆうちゃん、明日から保育園だよ。」息子:「え~、もう保育園辞めて、毎日お父さんと遊びたい」父:「それじゃあご飯が食べられなくなっちゃうよ。仕事しないと」息子:「じゃ、保育園、休み、保育園、休み、保育園、休み、保育園、休み、(30回くらい続く)になったらいいのにね。」父:「そうだよねぇ」さあ、また気合を入れなおして、次に息子と遊べる日までがんばりましょう。
2006.05.07
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ゴールデンウィークは、大変良い天気に恵まれました。日曜日は雨だそうですが、ぎりぎりまで遊ばずにゆっくりするのも良いのでは。うちの息子との3日間は、いろんな発見があった3日間でした。でももっと気になったことは、ゴールデンウィークのお父さんやお母さんの子どもたちとの格闘。いろんなところで考えさせられるシーンを見かけました。もっとも気になるのは子どもはかなり親の顔色をうかがいながら生活しているなぁということ。ちょっと気の毒なくらいです。子どもは、自分の良い悪いの判断を親の態度で判断する傾向があります。簡単に言うと、親が怒っている=自分が悪い という判断をします。これが続くと、自分が何か親の意としないことをする=親が怒ると思う となります。だから、自分の意とも反する偶発的な何かが起こったとき、自分は悪くないのに自分が悪いと思い込みます。ちょっと躓いて転んでも、自分の痛さを我慢して、親に怒られないか心配するのです。親はそのとき、「痛くなかった大丈夫」とだけいってやればよいのですが、「だから、走るなって言っただろう」とか、「早く立ちなさい。お店の人が迷惑するでしょ」とか言ってしまいます。親が心配しているようなセリフでも「来週からまた学校が始まって休むことになったら大変でしょ」とか余計なことを付け加えてしまう親もいます。良い子に限って我慢します。親に怒られないように本当のことを言わなくなります。だから、何かをしたくてギャーと騒いでいる子どもは逆にわかりやすい。良い子はわかりにくいのです。子どもの態度に寄り添うより、感情に寄り添えるといいのですが、なかなか難しいですよねぇ。大人にはつまらないと思われる遊びに徹底してお付き合いした親はどれほどいるでしょうか。私はほとんど無理でした。それより、自分のペースに持っていきたいと思ってしまう。自分のペースにはまったときはとてもよい子で、それ以外はわがままな子にしてしまっています。子どもが成長するにつれ、より子どもの考えることがしっかりしていることに気がつかされました。
2006.05.06
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福島県のいわきにあるアクアマリンふくしまに家族で行ってきました。すごい混雑の中、押し出されるように魚たちを見てきました。息子は、滑り台がよかったとか。松島でもよかったかしら。でも、休日を久しぶりで家族で過ごしたので、そのことが一番かも。写真は後日公開します。
2006.05.05
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親は、自分の子どもにはよい子になってほしいと思います。でも気をつけないと親に対しての良い子にしてしまう傾向があります。素直に言うことを聞く子を育ててしまいます。悪いことに、素直な子を育てられないといって自分のことを責める母親もいます。素直に言うことを聞く子は、自分が無い子です。大きくなると親だけでなく、教師や、上司にたいしてもいい子でいます。そのほうが楽だからです。自分がいやなことであってもいい子でいれば自分は責められることがないからです。良い子は自分を押さえつけて生きています。抑圧です。抑圧された自分は、感情がバラバラになります。いつも良い状態でいることができないときです。自分ができないことにぶつかると、自分を責めます。そして、自分よりももっとできない人よりも優位に立とうとします。ひどいときには、相手を責めます。「こんなこともできないの」って。自分が認めたくない感情を相手に指摘されるとむかつきます。そして、また自分も他人も責めます。自分の正体がわかると、相手を受け入れることができます。自分に正直に生きましょう。すいません。今回もわかりにくかったかも。
2006.05.02
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良い子は、実は、よい子ではない。良い子は、良い子を演じているだけだ。お父さんやお母さんや先生に好かれたい。自分を正当化したい。自分が平和でいたい。自己中心的な考えを持った子が良い子である。良い子になるのは大変だ。いやなことでもやって見せる。嫌いな食べ物も食べる。人の嫌がることもする。だから自分を持っていない。自己主張はしない。すごいストレス。いつも人の注意を引くために明るく振舞う。意識していないけど。でも、本当は淋しい。愛が欲しい。自分の不安を取り除く愛が欲しい。良い子には本当の勇気が無い。現実から逃げない勇気が無い。良い子を演じてきたから。自分の生きる目的を見つけていないから。自分の生きる目的を見つければ、周りの注意を引く必要が無い。勇気を持って前に進むのだ。
2006.05.01
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よい子というのは「良い子」なのか「善い子」なのか。ワードでは、「善い」は、道徳的によいとでる。善の反対は、悪である。良の反対はわからないが、良は、段階のような気がする。そうすると良い子は誰かと比べてよい子であり、善い子は悪いことをしないいい子ということになるのかしら。自分の子どもにはどうなってほしいだろう。なんかどっちもいやだ。比較して良いなんて問題外。まして悪いことしないで生きていけるわけが無い。今日、アダムとイブの話を学生にした。アダムは、禁断の木の実を食べたのは、女(イブ)が食べろって言ったからだって人のせいにした。人間は生まれながらにして悪いことをしやすい傾向があるらしい。しかも、自分のせいにはしない癖もある。よい子になろうとしても所詮無理なのである。無理なことを子どもにさせるのはよくない。せめて人のせいにしない責任感のある人なってほしいと思う。
2006.05.01
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