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カテゴリ: 雑感
今日は、まさに雑感です。独り言です。

今日の教会の説教は、マタイによる福音書でした。
その中で偽善者の話が出てきました。

偽善者とは、もともとの意味は俳優だそうですが、それが転じて言うことと行なうことが矛盾している者のことになったとか。

私たちは、実際の自分はそれほどでもないと知っているのに、自分を大きく見せたり、よく見せたりすることがあります。逆にありのままの自分でいるということは本当に難しいことで、どこかで自分を飾っています。

今日の説教では、偽善者のようになるなということでしたが、これは、ありのままの自分でいいよ、無理しなくていいよというメッセージであり、神様がいつも見ていてくださり、そんな自分を受け入れてくれるんだということです。

自分に自信のない人がいます。無理をしようとするとますますうまくいかなくてまた自信をなくしてしまいます。

神様は、自分を着飾るなと言っています。自分を着飾る無理がある時、その行為はうまくいきません。それがまた自信喪失へとつながります。

一方、私たちは、何かをするときに、自分がどんな風に見られるのか、どう評価されているのかが気になります。



自分が、たとえば、弱い人のためにとか虐げられている人のために、何かをやろうとしたとき、本当はそんな人たちのために言ったりやったりしていることなのに、自分のそのやり方とか、言い方とか、そんなことを気にしてしまって、つまり、自分がどんな評価を受けるのかに気をとられてしまう。時にはほめてもらった事さえ、素直に受け取れないこともある。

一緒に弱い人のためにがんばりましょうと言ってくれた人に、自分の能力はこうだからとか、私はまだ若いからとか、私はそんな立場にありませんとか、それはあなたの仕事でしょうとか言ってしまう。

結局自分のことしか考えていないのです。誰のためなのかという目的がなくなってしまっている。これこそ偽善者だと思います。

自分に力がなくても、そんなことは関係ないのです。なりふり構わず弱い人のためにものすごい情熱を持って自分を用いてほしいと言いたいものです。





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最終更新日  2008.06.01 22:11:08
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