ひなたぼっこルーム

シェルター編

NGとデンバーの動物シェルター

英語力がまだまだ足りず、しかも、アメリカは獣医さんの受け付けなどでもタイプがきちんと打てるとか、経験のある人を優先するのでその当時、やはり動物と関わりたかった私はだんなに相談してみた。‘それならシェルターでボランティアでもしてみたら?’

‘シェルターって、保健所のこと?’恐る恐る尋ねた。

‘ちがうよ、保健所よりも動物にチャンスを与えられる場所だよ。’

日本で育った私は一体なんのことやらちょっとわかりにくかった。彼はコーヒーを片手に説明してくれた。

デンバーにはアメリカでもトップ10に入れるくらい、きちんと設備のされたシェルターがあるんだ。飼い主がもう飼えなくなったとか、野良犬をみつけた、とか、新しい動物が欲しいとか、迷子になった子を探してるっていう時、アメリカには保健所もあるけれどみんなまずこのシェルターに行くんだ。

残念ながらあんまりのお年寄りや体の不自由な子や狂暴な子はやっぱり安楽死させられるけど一度譲渡が可能と決まればできるだけ、長くそこで新しい家族を見つけれるまで待てるんだ。

‘NG’もそこから来たんだよ。

‘NGって???’

NGはシーズーミックスの、虐待されてた子だったんだ。そのシェルターにかなり長い事いたらしいんだけど、新しい飼い主に恵まれなくてシェルターがローカルのテレビ局に頼んでテレビで放送してもらえるようにしたんだ。
夕方のニュースでその子は放送されたんだ。

‘このシェルターにはこんなかわいい子がいるんですよ。’
‘傷ついて、いじめられたけど、このシェルターでこんなに元気になったんです。どうか、この子に2度目のチャンスを、与えませんか?’

ってね。
たまたまうちの母さんがそれをみて、あまりに哀れなその子のいきさつにいてもたってもいられなくなっちゃったんだ。ニュースが終わる前にはもうそのシェルターに車を走らせてたさ。

同じようにその子を哀れに思った人がもうすでにシェルターにいたんだけど、母さんはそこのしくみをよく知ってたから(彼女は何度もそこで動物を引き取ったりしてたからね。)まずは受け付け用と面接用の書類を書き上げてから列に並んだ。母さんは列でも最後の方だったらしいんだ。それなのに面接にもOKがでて、NGはさっさと母さんと一緒に家に帰れることになったんだよ。ところが列の一番前にいた親父がカンカンになってさ、

‘俺が列で一番前だったのに’ってね。その親父は書類に手を付けてなかったから書類を書いてる時に母さんがNGを確保しちゃったわけさ。
今でも母さんはNGの話をするたび‘NGはここの子になるべく子だった’って言ってるよ。

NGは子供の僕の初めてといっていい犬だった。うちにはいつも動物がいたんだけど、僕はまだ小さかったからNGの前の犬達のことはあまり覚えてないんだよ。だからNGは僕に一番親しかったんだ。いっつも一緒に寝てたし、ベースボールではいっつもボールを追っかけてたしね。

おかしな話がこいつにはたくさんあるんだ。
僕の家族の友達で双子の姉妹がいたんだけど、僕たちはその片一方が大っ嫌いだったんだ。いっつもすっとんきょうな声をあげるし、すぐ泣くしさ。
NGが来てから初めてその家族が遊びに来たんだけどさ、NGったらその双子の姉妹を追いかけて、事もあろうか、僕たちの嫌ってた方の女の子のおしりをね、ガブッってね、

大笑いしたよ。痛快だったな。それからはその子達がくるたび2人とも同じ服来て同じ顔してるのに僕たちの嫌いな子ばかりを追いかけてたよ。

‘あら、いじわるねぇ。’

それから、こんなこともあったっけ。郵便局のおじさんが小包を届けて下さったんだけどユニフォームが彼を怖がらせたのか、噛んじゃったんだ。
アメリカでは郵便局の人を犬が噛んだら保健所で安楽死させられるんだ。かなり厳しい法律があるんだよ。NGはくさりが大っ嫌いだったからいつも庭で放し飼いしてたから母さんの名演技(?)で保健所の方がくさりをつけて家で3ヶ月の検疫刑にして下さったんだ。
NGはふてくされてたけど、僕たちは精いっぱいだったよ。

‘よかったねぇ、NG,またチャンスがもらえて。ね、NGってどういう意味があるの?’

彼は微笑して答えた。

‘No Goodさ。’

私達は笑った。その名前は本当に想像すると、彼にはぴったりの名前だったようだった。

‘でもさ、こんなこともあったんだよ。’

学校からの帰りに2匹の大きなロットワイラーって犬に追いかけられたんだ。もの凄いいきおいでね、小学生だった僕はもう生死に関わることだから全身全力で走ったさ。家までもうすぐだったからね。
走って、走って、いつも通る近道の路地に逃げ込んだらNGがいるんだ。
僕はNGに一緒に来い、って言ったのにそれを無視してそこに立ち尽くしてるんだ。僕は叫んだ。‘NG,食い殺されちゃうよっ!’ってね。
彼は振り向いて僕が家のフェンスをくぐったのを見計らってなんと、ロットワイラーが走って来る方へと向かったんだ。‘NG,自殺行為だよっ!’僕はどうしていいのかわからなくて困ってしまった。

そうしたら、あいつ、けたたましい声を張り上げて、その2匹に立ち向かって行ったんだよ。信じられるかい?NGはたったの10キロ前後しかないチビちゃんだろ、ロットワイラーって、少なくとも50キロはあるのにさ。しかも2匹だよ。僕は流血の惨事になることを確信したたさ。
それなのに。。。。。

‘それなのに?’

あいつったら、その2匹を追い払ったんだ。

‘え???’

あいつ、ロットワイラーを負かしたんだよ。どういう手を使ってかは知らないけどね。その2匹のロットワイラーはしっぽを股の間に隠してそそくさとその場から離れて行った。

‘すっごぉーいっ!!’

だんなもちょっぴりNGを語る時、勇敢だったこのチビ犬を誇らしく思っていたようだ。

‘NGは僕のヒーローだったよ、それからはずっと。。。。’

‘それで?’

時が流れ、僕は14歳で日本へ渡った。母さんはNGの事は心配しなくていいよ、と言った。
僕もそれから7年も日本で住むとは思ってなかった。
NGは年老いて行った。。。。。
ある日、彼は忽然と姿を消したんだ。母さんは必死になって探したんだ。

何日か経ってNGがいたシェルターから連絡が入った。
道で倒れているNGを誰かが見つけて届けたそうだった。首輪にシェルターから引き取った時もらったネームタグがあったのが幸いだったんだね。
母さんは今すぐそのシェルターに行く、と言った。
シェルターの人は悲しげに言った。‘かなり衰弱していますが。’と。
母さんの目から涙が止まらなかった。‘それでは火葬してください。お骨を引き取りに行きます。’
シェルターの人も納得したように‘ごめんなさいね。’と何度も言った。

NGは小さな箱に入って家に戻ってきた。。。。。

母さんが電話で日本にいる僕にそう話してくれたんだ。
僕は最初、母さんを恨んだよ。どうして僕が帰るまで待っててくれなかったんだ、ってね。何日も、何日も泣いたよ。NGは僕のたった一人のベストフレンドだったんだ。
その死に際に側にいてやれなかった、だなんて。。。。。。

彼の目が赤くなっていた。
私も会うことがなかったこのNGを想い、涙がポロポロこぼれた。

でもね、今になって思うんだよ。
NGは僕が遠くにいる、ってこと、知ってたんじゃないかなって。
それで、自分の死を誰にも知られないように家を出たんじゃないかなってね。そして、NGは元来たシェルターで息を引き取ったんだ。。。。
NGなりの‘ありがとう、お世話になりました。’っていうことだったのかもね。。。

NGの写真は今でも彼のベッド際に飾ってある。
私はシェルターでボランティアする決意をし、電話を手に取った。。。。



NG



シェリーとフォスター(仮の里親)。

NGのおかげでシェルターでボランティアをすることになった。だんなは‘絶対家に動物を連れて帰って来ちゃいけないよ。’と口を酸っぱくして言っていた。もちろん、うちには犬嫌いなもんどがいるから、私も高を括って‘もちろんよ。’と言っていた。私は毎週水曜日、3時間だけ、シェルターへ行き、ケージをきれいにし、ごはんをあげ、犬は散歩をし、猫はじゃれてあそんであげる、という英語が話せなくてもできる(いわゆる肉体労働)
ことを主にしていた。英語を話すことが一番辛かった頃だったし、犬や猫達とは言葉がなくてもわかってもらえたたので私にはちょうどいいストレス解消の場でもあった。

さて、順調に半年ほどボランティアをしていた頃だっただろうか、ボランティア仲間の一人、シェリーという人が話し掛けてきた。‘あなた、フォスターする気はない?’あまり誰からも話し掛けられたことがなかった私は少し戸惑って、‘フォスター、って何ですか?’と聞いてみた。

‘これから、夏に入るでしょ、そうすると、これだけのケージ数があっても足らないくらいの動物がどんどん連れてこられるのよ。春の終わりから、秋の中旬までの季節をここでは‘猫シーズン’と呼んでるくらいなの。それくらい膨大な数なのよ。そこで、人間不信の子や、病気や怪我の子、健康なんだけれどまだ譲渡には出せない子を家に引き取って譲渡されるまで面倒をみることをフォスター、っていうのよ。ま、簡単に言えば仮の里親、ってこ
とかしら。もちろん、家で面倒を見ている間の時間はボランティアの時間として換算してもらえるし、お薬や、診断もこのシェルターからただでしてもらえるのよ。食事はもし自腹を切るならそれも寄付になるからレシートさえ残しておけば税金免除をしてもらえるわ。あと、おもちゃやタオル、必要なものは全部このシェルターから持って行っていいのよ。’

‘健康なのに譲渡に出せない、ってどういう理由からなんですか?’と私は聞いてみた。

シェリーは続けた。

‘アメリカには生後2ヶ月前に譲渡することは禁止されているの。というのも、動物はその期間、お母さんや兄弟から正しい行動を取ることを学ぶのよ。離乳期間も少なくとも6週間は見ておくのが一般で、その期間に必要な栄養もしっかり摂ることで健康な成犬、猫に育つのよ。そういうのを知らない人がまだまだこの世界にはいるから、法律でそう定めているの。
でもやっぱり、悪徳ブリーダーやペット店ではその時期の動物が一番かわいいのを知っているから法律を無視して売っているのも確かなのよ。シェルターに来る子達はシェルターに辿り着いただけでも不幸なんだから、譲渡するまでにできるだけ、精神面も、健康面も健康にしてあげるのが私達の使命だと思うの。’

なるほど、と思った。シェリーはもう、このシェルターで10年もボランティアを続けている。本当に動物のために一生懸命な人だった。シェルターで働いている人達からはいつも‘彼女は私達や動物のエンジェルだ。’と言われていた。シェルターのことも、法律のことも、よく知っていた。

もちろん、世の中は不公平で、物言えない動物達が哀しい思いをしている
ことも。それでもシェルターでボランティアを続ける彼女の強い意志に私は尊敬した。

‘どう?試しに一度、フォスターしてみたら?’シェリーが尋ねた。私は‘主人に連れてかえっちゃいけない、って言われているし、私も自信がないです。’と断ってみた。シェリーは微笑んでこう言った。

‘私、あなたが毎週ここへ来て、動物達とどう接しているか、よく見てきたわ。あなたなら、できる、そう思ったから聞いてみたの。無理だと思ったらいつでも
またこのシェルターへ連れてかえってくればいいことなんだし。’

-あなたなら、できる-

そんなこと、言ってもらえたのはその時が始めてだった。私はいつも
何もできないみそっかすのように思われていたし、自分でもそう思っていた。だから、何をするのも自信がなかった。

-あなたなら、できる-

思いがけない所で、思いがけない人から、こんな簡単で、しかも心に響く言葉をもらった。

できるのかな、どうなんだろう。試してみたいけれど、勇気がない。またしくじったら、どうしよう。だんなにどう言えばいいんだろう?彼が怒ったことなんて今まで一度もなかった。怒られちゃうんだろうか?

シェリーは何事もなかったかのように動物達と接していた。私は彼女のとなりにいた3匹の小猫達のケージをそうじし始めた。そして、こう言った。

‘うち、犬はだめなんです。うちの犬が犬大っきらいで。でも、小猫なら、もしかして、できるかもしれません。’
シェリーの顔が見る見るうちにはじけたような笑顔を見せた。
‘あなたがやってみる、と思うなら、私からご主人にお話してもよくてよ。私が無理に押し付けたようにすれば、あなたは怒られなくて済むでしょう?’私がそうじしていた小猫達はみゃーみゃー泣いて私の腕に絡まってきた。

‘ほら、この子達、解るのね、嬉しそうだわ。’

彼女はうきうきした足取りで、私はまだ少し不安なまま、受話器を手に取った。

‘もしもし?’
彼が電話に出た。

‘あのね、私なんだけど、小猫を少しの間、引き取りたいんだけど。。。’

一瞬の沈黙があった。

‘約束しただろう?連れてかえらない、って。’

やっぱり。。。。

‘うん、でもずっとじゃないの。試しに、ね。元気になったらシェルターにまた連れてかえって、本当の飼い主さんを探すのよ。2、3週間の間だけなの。。。。。。だめ。。。。。?’

呆れた顔をした彼が目に浮かぶようだった。
‘じゃあ、僕たちが飼うってわけじゃないんだね。オーケー。でも、世話は君が全部するんだよ。’

彼はそう言って渋々納得してくれた。私はあまりにも簡単にオーケーを出してくれたのでちょっとびっくりしていた。大喧嘩になるのかと思っていた。彼は猫があまり好きじゃない、と言っていたし、約束を破ることになるのだから。

私は腕にまとわり付いた3匹の小猫を引き取り、家路についた。
新しいフォスター生活に第一歩を踏み入れた。


foster kittens



子猫のフェネギー。

私がボランティアを始めたのは確か、1994年頃だったと思う。数々の小猫達を無事育てることができ、多少のことでは動じないくらいの自信はできた。一番最初に小猫を預かった時、私はほぼ毎日のようにシェリーか、フォスター課で勤めていらっしゃる方に電話をしていた。

‘下痢気味なんですけど。。。’
‘くしゃみするんですけど。。。’
‘なんだか、元気ないみたいなんです。。。。’

その度にシェリーもフォスター課の人々も忍耐強く応答してくださった。

フォスターペアレント(借りの里親)になると、まず、緊急連絡先、薬、怪我をしている子にはバンドエードなど、ブランケット、カリカリのご飯、猫缶、猫砂、おもちゃ、食器、ケージ、など、フォスター課の人がそろえてくださる。そして、小猫が生後4週間経てば予防接種を2週間おきに予約を入れて受けることになり、その都度フォスター課の方が小猫の生育を記録し、生後8週間、または体重が2キロ強になると譲渡が可能になる、というしくみだった。フォスターの人達もシェリーも、‘あなたが連れて帰って育てた子達はみんな、ほんとにコロコロで元気一杯になって帰ってくるから譲渡も本当に簡単で、里親さんがすぐ見つかるから小猫達もシェルターにいる時間なんて、ちょっとしかないのよ。’といつも誉めてくださっていた。もちろん、小猫は大人の猫に比べると里親さんが見つかる確率はずっと高い。誉めてくださったのは私に早く泣き止んでもらいたかったからかもしれない、と今になって思う。どれだけ、自分は‘借りの里親’だと、わかりきっていても別れる時は辛い。どれだけの数の小猫達を育てても、いざ、譲渡までこぎつけるといつも泣いてしまった。‘いいおうちを探してね。いい子でね、たったの2ヶ月だったけど、楽しかったね、忘れないよ。’と。たった1ヶ月、2ヶ月一緒にいてこれだけ身を引き裂かれるような思いをするというのに、5年、10年と、共に過ごした動物達を糸も簡単にシェルターに連れてこれる人間がいるということが信じられなかった。‘不要’といって。。。

‘借りの里親’の間、その小猫達は私が命名することができる。もちろん、本当の里親さんがその名前を保持したかったらそのままだし、本当の里親さんが‘新しいスタート’と言う気持ちで名前を変えられることもある。私は命名するのが楽しかった。だんなと小猫達の性格や気性を話し合って楽しいひとときを過ごすのもうれしかった。日本語で命名すると、フォスターの方や本当の里親さんになる方がその名前の由来や意味を必ず聞いてくださるので日本語の名前をつけることもあった。
一番最初の3匹の小猫達は‘シルヴィ’、‘サンセット’、‘ロージー’、それから、‘ティガー’が来て、トロ兄弟だったっけ。トロ兄弟は猫にしてもどういうわけか何をするにも‘トロ’くて、だんなと笑いながらつけた名前だった。‘トロ吉’と、‘トロ雪’。この子達はだんなのお気に入りでもあったっけ。サボテンに顔をつけてびっくりさせたり、だんなの長靴に入り込んで出てこれなくなったり。。。。たくさん笑ったなぁ。。。それから‘赤玉’と‘シャドー’。彼らもかわいかったなぁ。シャドーは自分の影をおもちゃ変わりにしてシャドーボクシングするからという理由でつけた名前だったっけ。クリスマスツリーの中に入り込んで見つからなくて、クリスマスの日に半泣きで探しまくった‘赤玉’。頭の上にあるちっちゃい赤毛のおかげで見つかったんだ。。。。それから、家に引っ越して初めてフォスターしたのが‘隅っ子’。ソファの隅っこから出るのを拒否して2、3日はその隅っこでごはんを食べてた。いったん安全だ、ということがわかると、とんでもないオテンバさんになってたっけ。

それから。。。。ギャオスとフェネギー。
ギャオスは泣き声がとても小猫とは思えないしわがれ声だったのと、とにかくよく鳴いては自分を主張していたから。フェネギーはまっ黒の小猫で、耳が顔に比べて大きいように思えたのと、その時ちょうど、‘ぼのぼの’という漫画映画を見ていた、ということから、‘ぼのぼの’のキャラクターのうち、一番耳の大きい‘フェネギー’を拝借した。

毎日、毎日、ギャオスは食欲旺盛で、どんどんスクスク育っていくのに対して、フェネギーは風邪気味で、お薬を与えるとこんどは下痢がとまらなくなりちがうお薬を出してもらった。シェルターにいる獣医さんは‘この子はちょっと心配だね。’とおっしゃった。それでもお薬が効いている時にはギャオスと遊んだり、食欲も少しは出たりもしていたので様子を見ながらちょっとずつ、元気になってくれればいいな、と思っていた。ギャオスはあっという間に2キロ強になり、譲渡ができ、無事素敵なカップルが里親さんとして引き取ってくださった。

フェネギーは体重も増えず、体力も衰えてきた。ごはんも食べなくなってしまい、私がミルクを口に含ませることぐらいが精いっぱいになった。
ある夜、仕事から帰って真っ先にフェネギーを見に行ったら滅多に泣かないフェネギーが‘ミュ-。’と泣いて私の目を凝視した。様子がおかしい。。。。すぐに救急用の電話番号に電話をし、だんなの運転する車でシェルターへと向かった。私はブランケットにくるまれたフェネギーを抱きながら涙が止まらなかった。‘元気になってよ。死なないで。’心の中でずっとそう言っていた。シェルターへ着いて先生は‘点滴もやってみますが、あまり期待はできないですね。’と言われた。私はフェネギーを救いたい一心で‘よろしくお願いします。’と答え、フェネギーをもう一度抱きしめ‘絶対、おうちに帰ろうね。’とささやいた。だんなは無言だった。

その夜、私は夢を見た。フェネギーが私の目をずっと見つめていた。そして、ゆっくり、ゆっくり遠ざかっていき、私が‘どこへいくの?’と声をかけた時、後ろを一度振り返ってからまたどんどん遠ざかっていった。

朝いつもより早く、電話が鳴る音で目が覚めた。
シェルターからだった。
‘フェネギーの息が絶えていました。ごめんなさいね。。。’

私が借りの里親になって、初めて失った命だった。。。。。


next


© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: