ひなたぼっこルーム

本当に辛い事。



2004-01-26

ずっと、自分のHPを作ったら、いつか絶対書きたい、と思っていたことがあったのでそれを記しておきたいと思う。

日本には動物シェルターという設備がない、と聞きいていた。私も日本に住んでいた10年、11年前の事で覚えている、ということはシェルターなんかより程遠い‘保健所’という所だけだった。迷子になった動物や、‘不要品’というレッテルをはられて飼い主自らが今まで飼っていた動物を連れていく、という所。。。。
収容期間は様々ではあるけれど、即日から長くて一週間でその動物たちは安楽死させられる。しかも、ガス殺で、みぃんな、一度にひとつの部屋に収容されて。

私がデンバーに来てしばらくしてからボランティアとして参加し、後に正社員として2年、ボランティア時代とあわせたら約7年は行き来していた動物シェルターがある。そこはアメリカでもかなり設備の整っている、と言われるシェルターだ。そんな大きく、設備も整っているのに毎年毎年、ケージがたりなくなるくらいの動物が連れてこられる。

私が働いていた課はフォスターと言って、怪我や病気をした子、臆病な子、生後8週間にならない子犬、小猫達、授乳中のお母さんと子供達、を元気になって新しい飼い主さんが見つかるまで、いわゆる‘仮の里親’課であった。私の仕事は課に来た動物に餌をやり、薬をやり、バンドエードを張り替え、ケージをそうじし、データエントリーや電話応対、そして私の課に来るボランティアさん達をトレーニングしてもいた。毎日の仕事は本当に好きだった。

私の課に来る動物たちはシェルターで生き延びる、最後のチャンスを得たものだった。仮に私達がその子達を引き取れない場合は安楽死させられることになるからだ。決断をするのは私達の一番難しい事だった。引き取れない理由は様々で、年老いてもう、目も耳も遠くなって食べられない子、人間に対して狂暴な子、あまりにも傷ついていたり、病気で治療法のない子、あまりにも若く、まだ目も開いていないような子なのにお母さんがいない時、そして私はこれが一番辛かった理由のひとつで、収容場所がない、だった。そんな時は‘ごめんなさい、引き取れません。’というと安楽死をケネル課がして下さった。でも、一旦引き受けた動物が病気になって、ひどくなったり、どうしようもなくなってしまった場合、私の課でも安楽死は場合によって行わなければならなかった。

このシェルターでは安楽死は一匹、一匹、薬物注入で行っていた。私達は‘安楽死’の部屋と、呼ぶのが嫌でいつも、部屋の番号‘315’と呼んでいた。初めてその部屋へ入り実際に安楽死を行っている所を見せられた時の、あの、ショックは今でもどう表現していいのかわからない。

朝、大体6時には仕事場について真っ先にすることは課のケージに収容されている動物たち全てが‘生きているか’確認することだった。引き取る大半の子達がまだ生後4、5週間で、免疫もなく、風邪をこじらせていたりすると一晩の間で症状が悪化し、息も絶え絶えになっていたり、もう、冷たくなっている子がいた。

私は私のボスとよく、‘命の質を一番に、命の数を数える前に。’とよく言った。でも毎年、春先から初雪が訪れる頃まで続く小猫シーズンで、私達は厳選なる調査の結果受け入れた小猫たちが次から次へと死んでしまい、もし受け入れていたら健康になって里親探しができたかもしれない子達は全く収容場所がない、という理由で安楽死された。

私が働いた、最後の年、2001年では、私の課から2000匹以上の動物が里親と出会うことができた。それは考え様によっては全く驚異の数の動物だった。だって、私の課には、私を含めてボスともう一人のアシスタントの、たった、3人だけの、小さな、小さな課だったからだ。

その知らせを受けた時、私は確かにうれしかった。だけど、有頂天には全然なれなかった。

その2000匹の子達はもう、虐待されずに、おいしいご飯とおやつをもらいながら、あったかいベッドでぐっすり眠ることができ、家族みんなに愛されて命を全うすることができる。私の課が、2000匹、という、膨大な命を救えることができた、というのは本当に素晴らしいことだ。

でも。。。。。

あの、小さな、冷たい部屋の中、死の匂いが充満した部屋で、生きるチャンスを奪われた物達の事を考えると。。。。

私は答えのでない問いかけを投げかけていた。
どうして?
これが私の仕事なんだろう?
これって、こんな愛しい、美しい命をポイっと捨てることができるだけの、心臓に毛が生えたような人間が、するべきことじゃあなかったのか?

こんな、無垢な命なのに、愛されることも知らぬまま、死んでいかなければならないこの子達はなんのために生まれてきたのだろう?

私は注入をすることが全くできなかったので、いつも動物を固定する側だった。病気の子達も、元気なのに収容場所がないから安楽死させられる子も、みんな、みんな、いい子達ばかりだった。私がその子達、一匹、一匹を抱きかかえると、どの子もみんな、しっぽを振ったり、顔をなめてきたり、グルグルと、のどをならした子達ばかりだった。

人間は愚かだ。

火をおこすことができる、とわかると戦争が始まった。ものすごく速いレースカーを作る方法は知っていてもそのおかげでどれほどの海が汚されていることは知ろうともしない。医学が発達して今やクローンなんてものを作り出そうとしているこの世の中なのに、‘命’そのものがどれだけ大切なのかわからなくなってしまった。

人間も動物だけれど、こんなにも愚かになってしまったのは、どうしてだろう?

セックスをして、子供ができるのは誰だって知っている。でも、その後、子供を愛し、援助し、教育し、心身共に健康な子を育てるのは毎日の積み重ねでものすごい努力が必要なんだ、ということは知らない。
一体、いつから人間は常識を失ったのだろう?

動物に対しても、シェルターに送り込まれた数々の動物はさまざまな人間の身勝手な理由からばかりだった。

‘いつのまにやら8匹も子犬を産んでましてね。’

去勢、避妊をどうしてしなかったのですか?

お金がかかるから。

動物を飼うにはお金も必要なのですよ。

子供の教育にいいと思って。

そんなのたくさんのビデオやテレビ番組がありますよ。

体に良くないと聞きましたが?

去勢避妊をしているほうが、女の子は乳がんになる確率が少ないし、男の子もガンになる確率が減る上、テリトリーの取り合いをすることも、マーキングすることも、遠吠えや発情期の叫び声もしなくなりますよ。

‘でも、もう産んじゃったし、世話したくないから、よろしくお願いしますよ。’

-何をよろしく、なんだ???-

新しいアパートは動物飼えないんです。

飼えるアパート、探しましょうね。アメリカは日本に比べてずっと動物オーケーのアパートが増えていますよ。私も家を買うまで3回、引っ越しましたけど、いつも動物オーケーのアパートを見つけれましたよ。お値段はそりゃ少し高いですけどね、でも、さっき言ったように、趣味で何かするにもお金はかかるわけでしょう?命をお世話してるんですよ、もうちょっとマシな理由、浮かびませんか?

‘嫁が妊娠しちゃって、もう、猫砂を変えられないから。。。’

じゃ、ご主人、あなたの出番ですね。これからも二人三脚、いいことも、悪いことも一緒に通っていきましょう。奥様に猫砂の変えかた、教えてもらいましょ。たったの10ヶ月ですよ、ご主人にだって、きっとできることだと思います。生まれてくるお子さんのよいお手本にもなりますよ。

‘この犬ったら全然言うこと聞かないもの。’

お嬢さん、犬はグループで生活するのをご存知ですか?どうもお忙しいスケジュールですね、ボーイフレンドに、お仕事に、お友達とのつきあいに、コンピューターで遊ぶ時間ももちろん必要ですものね。で、このわんちゃんと過ごす時間はどのくらいですか?え?わからない?それほど少ないのなら、トレーニングすることもできないですよね?もちろんですよ、トレーニングは毎日毎日の積み重ねです。言うことを聞いてもらいたかったら、あなたもそれなりのことはしなくっちゃね。

‘引っ越すんだ。’

私、日本から、アメリカまで引越しました。犬も猫も、一緒にです。しかも、うちのは2匹とも、完璧な雑種です。お宅のような純血統のセイントバーナードでもないです、しかも、もう10歳。人間にしたらもう、80歳くらいのおじいちゃんですよね?で、目も見えなくて、耳も聞こえなくて、最近食べなくなった?それでもあなた、シェルターに連れてくる度胸だけは立派にありますね。

それなのに、私がシェルターで働いていた、と言うと、今度は‘でも、そのシェルター、無実な動物を殺すんだろ?’とか、‘たかが犬猫に目くじら立てて’とか‘動物と人間を一緒にするな’とか、平気で言える無神経で、無教育な人に出会ってしまう。どうしてシェルターがあることには疑問を持たないで、シェルターで働く人が悪くなるんだろう?そもそも、シェルターがあること自体、まちがっているのに。殺したくて殺してるんじゃないのに。誰かが、責任を持たなかったから、そいつの尻拭い、してるだけなのに。一人、一人が責任を持って、動物を飼えばシェルターや、保健所なんていらないはずなのに。

きちんと、去勢、避妊をして、犬ならしつけ教室でしっかりしつけして、猫なら家猫なら言うこと無しだけど、家/外兼用猫なら毎年の予防接種、マイクロチップ、獣医さんのチェックアップ、は最低限、そして、外に出す時はリードをつけ一緒にいること、夜は出さないようにする、糞の後始末を必ずする、老後の面倒を必ず見る、たっぷりの時間を動物に費やすことを忘れない、そのための費用は貯金しておく。。。。。

私にとってそんなことは、動物を飼うなら‘当たり前’のことなのに、それを、知らない、できない、しない、人の意見を聞こうとしない、人達がたくさんいるから、‘無実の動物’は安楽死されてしまう。この世の中、人間が人間を糸も簡単に殺しあえる物騒な時代に、人間を頼って生きようとしてくれる動物を、無防備にどうしてほうっておくことができるのだろう?

‘ごめんね、また、助けてあげることができなかったよ。馬鹿な人間を許してね。こんな所より、今からもっと素敵な場所へ行けるから。また元気になって走り回れるから。安らかにね、いつか、どこかでまた会おうね。’

安楽死が行われる‘315’で、純粋な目で見つめられ、最後にかけた言葉。。。。

今はもうシェルターで、動物たちを安楽死させることはないけれど、猫を放し飼いにしている人や、くさりにつながれたままの犬を近所でみかけると、辛くなる。あの、‘315’で見た、純粋無垢なあの瞳が、昨日のことのように蘇るからだ。そして、放し飼いをしている猫を見ると‘早く、おうちにお帰り。お外は危険だらけだよ。’と声をかけ、くさりにつながれたままの犬を見ると‘ごはんはもらっているかい?ごめんね、何もしてやれなくて。’と心の中でつぶやいている。。。


© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: