0歳からのバイリンガル子育て

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中学校・高校の頃 その2



★英語の壁★

中学のときはす~っと入っていけた英語の授業。
ところが高校になってからは
覚える単語の量が増える、本文が長くなる、
授業も作文、文法など細かく分かれる…など急に難しくなり
結構とまどいました。

中学校のときは、すべて教科書を暗誦していて、
それが基礎体力のようになっていたのですが、
高校の最初のテストの前、
副読本(マザーテレサの物語)を暗誦しようと思っても長すぎで無理…。

英語の先生とおしゃべりしているときに、
「教科書の文が長すぎて覚えられないんです~」っていうと
「べつに全部暗記しなくてもヨロシイ」といわれ、
「中学校と高校では勉強の仕方がちがうんだ…」とカルチャーショックを受けました。

高校ではあまりまじめに勉強しなかったため
英語の成績は普通というレベルでしたが、
中学校のとき同様、一番好きな教科でした。


★映画が開いた世界への関心★

どうして英語が好きだったのか。
それはアメリカ文化が好きだったからだと思います。

当時の私は(今でもですが)映画大好き。
中学校のときに見たET,アニーに始まって
ロードショーの大作は大体見に行っていました。
金髪のかわいい男の子、女の子、
日本の田舎では見たことのないマフィンなどのお菓子…
そういったアメリカの世界に興味津々でした。
アメリカのファッションや雑貨も大好きで
「東京の新宿にアメリカのものがたくさん売っているところがある」
と聞くと電車に乗って遊びに行くほど。

いつか字幕なしで映画が見たい、
映画のようなアメリカに行ってみたい…という思いが募っていきました。


★ネイティブに英語を習う★

高1の終わりごろだったでしょうか。
そんなアメリカ★ラブな私に「英語を習いにいこう」と誘ってくれた友人がいました。
アメリカ人が教えてくれる英語教室ということで
またまた私は「やってみる~!」と大張り切り。

そこは線路沿いにある家の2階で
日本人と結婚したアメリカ人の先生がご近所の方に英語を教えるという
これまたこじんまりとした教室でした。
習いに来ていたのは高校生、
競馬の調教をしていていつかイギリスに行きたいと思っているおじさん、
婚約者がドバイに転勤になって、もうすぐ結婚するおねえさんなどでした。

張り切ってはじめたものの、
ここでも私の楽しみは来ていた人たちと仲良くなっておしゃべりするという「お遊び」になってしまい(^^;
どんな英会話を習ったかあまり覚えていません…。

記憶に残っているのはjust kidding!という表現を教わったときのこと。
ロールプレイングのようにして例文を作って演じるのですが、
微妙なニュアンスがわからず苦労したこと。
そして、英語教室の帰りにモールでアイスを食べるのを
とっても楽しみにしていたことなどです。


★高校留学★

現在は高校によっては
留学しても元の学年と一緒に卒業できるということですが、
当時は留学=留年でした。
高校で留学をするひとは学年で一人ぐらい。
3年生のときに「去年留学して戻ってきました」というひとと同じクラスになりました。

皆英語の時間は彼が教科書を読むとわくわく。
流暢な発音に一同うっとりでした。

学校の廊下には「留学生募集●●留学協会」といったポスターが貼ってあり、
私はいつもそれをじーっと見ていました。

「私も留学したい」と親に言うと
「だめ」の一言。

映画を見ながらますます外国への憧れが大きなものになっていきました。


★受験勉強の英語★

3年生になると受験ムード一色に。
物理や数学が苦手な私は私立文系の語学系の学校に志望を定め
英語・国語・世界史で受験することに決めました。

ほとんどの時間を英語に費やしていたかなあ。

一冊自分にあった文法書を決めて、
それを全部できるようになるまで何度も何度もやりました。
リーディングは一冊をベースに、
それが終わったらそれをもう一度読みながらもう一冊増やす。
繰り返すこと、特に間違えた部分を繰り返すこと。
これが効果がありました。

今日新しく覚えた単語をリーディングの教材で見つける。
そんな発見がうれしくてけっこう夢中になりました。

弊害があるとも言われる受験英語ですが、
その後の英語のベース・原点はここにあったような気がします。

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