ら ぶ り ぃ 釜 山

きっかけ


2009年6月4日の日記でも書いたことがあるけれど、
もういちどここで書いてみようと思う。


きっかけは2度あった。


1度目は
2005年、Cが完全帰国して一緒に住むことが決まった時、
どうしようもなく情緒不安定になって何かにすがりたくなり、
水営路教会に。
あの頃はまだ韓国語で説教を聞いたりするのは難しいと思い込んでて、
最初から日本語礼拝に直行。
頑張って通おうと思って日本語の聖書と賛美歌もそこで購入した。
でも
きーくんがまだ1歳前で大変だったのと、
どうもしっくりこないというのがあって
数回通っただけで行かなくなってしまった。


2度目は
2009年の5月、
義姉と電話で話していた時のこと。
義母の誕生日の件で電話したんだけど、
途中から何となくキリスト教の話になった。


義姉は以前から、
私がCのことで苦しんでるのを見て
「信仰生活をすればもっと楽になれるのに」
というようなことをよく言っていた。
でも私にとっては
Cが完全帰国する前に教会に通ったけど
特に何の助けにもならなかったというのがあったから
通っても何も変わらない
と決め付けていた。


そして晴れてCとの同居が終わり、
これで気持ち的にも解放されると思っていたら・・・
実際は以前よりも彼女の存在に苦しめられてることに気づいた私。
夫にとってCは永遠に娘で
きーくん、よんよんにとっては永遠に姉であるという事実、
頭では分かっていたけど
それが本当にこれから続くんだ、
と思うと同時に
今のまま、彼女に対して背中を向け続けていく自分の姿を想像したら
憂鬱になってしまった。


やっぱり考え方を変えないと何も変わらない、
でもそう簡単に考え方は変わらない、
一体どうしたらいいんだろう・・・
という、どうしようもない状態のところへ、
確かあの時の電話でも義姉は
「信仰生活してればCのことももっと楽だったろうに」
という言い方をしてたと思う。


そのとき私は
「あ、もしかしたら、
 神様のことを勉強すれば、何とかなるかもしれない」
と感じたのだった。


あと、それと同時に
子育てに対する不安も実はあった。
きーくんが幼稚園に行かなくなり、
相変わらず時折癇癪を起こしたりして
この先どうやって育てていったらいいんだろう、
と悩んでいた頃だったんだけど、
義姉の息子、私にとっては甥っ子にあたるユウニが
とてもいい子に育っているのに気がついた。


それを義姉に言うと、あの時義姉は
「自分たちは特に何もしていない、
 神様がユウニをいい子に育ててくれた」
というような表現をしたと記憶している。
その言葉を聞いて、
(ああ、子どものためにも
 これから教会に通ってみるのもいいかもしれない)
と、教会に一度行ってみようという気になったのだった。


2009/12/10

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