ら ぶ り ぃ 釜 山

聖霊に満たされるとは?


真面目に日曜日には礼拝、週に1度のサランパンモイムも欠かさず通った。
日曜日の礼拝はよんよんがまだ小さくて
離れられずに最後まで幼稚室でよんよんに付きっきりということがほとんどのため、
私にとって御言葉に接する機会というのはサランパンモイムが主だった。


サランパンモイムではいつも
『セルライフ』という小冊子に出ている問題に答える形で進められる。
ハサモニムが進行役で他の人たちが順に答えていくのだが、
3月のはじめに
「聖霊の満たされたことがあるか」
というような内容の質問があった。
その時の私には聖霊に満たされるというのがどんなことなのか全く分からず、
ハサモニムに
「祈りに答えてもらった経験のことですか?」
という質問をした。するとサモニムは驚いて
「違いますよ。じゃ、まだ聖霊に満たされた経験がないんですか?」
と。
そしてそんな私に、
「信じているのか信じていないのか曖昧な姿勢じゃダメですよ」
というようなことを言った。


そんな風に言われて以降、
私はだんだん自分が本当に神様のことを信じているのか自信がなくなった。


最初の祈祷応答の後、2月はじめのサランパンモイムで
階下の人からの苦情の件でお祈りしてもらったら
これまたすぐに答えてもらえたということがあったし、
(お祈りしたその日に偶然エレベーターで階下の人と一緒になり、
 私たちがお互いクリスチャンだということや
 うるさい原因が長男ではなく、まだちっちゃい次男であるということを
 話したんだけど、その後苦情を言われなくなった)
夫に対する疑いの心が芽生えてどうしようもなくなった時に
ハサモニムから夫のためのお祈りの本をもらい
どういう風に対処したらいいのかを導いてもらって穏やかになったりと、
私にとっていいことばかりがあって
(やっぱり神様はいるんだ!)
という気持ちが大きくなっていたんだけれど・・・


聖霊に満たされたことがない私は、
本当に神様のことを信じているとは言えないんじゃないかと思うようになった。
それと同時に
やっぱり神様はいないんじゃないかとも思い始めた。


祈祷応答の件も
お祈りしたからじゃなくて、偶然が重なっただけなんじゃないか、とか
夫への懐疑心だって
私の気持ち次第でどういう風にでも変われるんじゃないか
などと思うようになり、
神様を否定するような考え方が芽生え始めてしまった。


ちょうどその頃、
きーくんの幼稚園の慣らし期間のため
2週間ほどサランパンモイムを休んだのだけれど、
その間もいろんな気持ちが交差した。
でも最終的には
ハサモニムに聖霊に満たされるということについてもう一度質問してみよう
という結論に至り、
4月はじめのサランパンモイムの前の勉強時間に思い切って聞いてみた。


すると
聖霊に満たされるというのには2種類あって、
1つはイエスキリストを迎え入れた(迎接)時に聖霊に満たされるとのこと。
そしてもう1つは、聖書の使徒たちが経験したように
伝道をする力を与えられるという意味での聖霊充満。
3月の時の質問では、
多分サモニムは1つ目の意味で聞いたのに私から答えがなかったため
上に書いたようなことを言ったんだと思う。
ただ、サモニムは私に言ったことを覚えていないみたいだった。


というわけで
サモニムに振り回された感がないでもないが、
とりあえず私も最初の頃にイエスキリストを迎え入れた時点で
聖霊に満たされていたんだということが分かりホッとした。
というか、あの迎え入れの時は
何が何だかよく分からず、後について言っていただけだったのにな
とも思うんだけどね。


2010/4/21

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