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PDとの付き合い


○パニック障害○

夏休みに入り、電車に乗らない日が続きました。
たまに遊びに行く時は、ほんの10分だけ乗ったり。
そのうち、その10分も恐怖に変わってきました。
「夏休みが終わったらどうしよう・・・」
結果は目に見えていました。
ついに通学も出来なくなったのです。
友達には「クーラー病じゃないのぉ?」と言われ、
誰も理解はしてくれませんでした。

以前の心療内科ではなく、違うクリニックを受診してみる事にしました。
もうその頃は付き添いなしではバスにも乗れなくなっていました。
そこで初めて「パニック障害」と診断されました。
今まで誰も理解をしてくれなかった症状を次々に言い当てられて、
「ここに通院していれば治るかもしれない」と期待していました。
処方されたのは抗不安剤と抗鬱剤、それと漢方薬でした。
そのお医者様は漢方治療をされていました。

初診はまだ暑い頃。
大学に行けない日が続き、
新しい年になっても症状は変わりませんでした。
3月になり、通常であれば私は大学の4年に進学するはずでした。
しかし、後期の授業を1度も受けられなかった私は、
大学を自主退学せざるを得なくなりました。
休学という選択もあったのですが、
いつ治るかなんてわかりません。
通学できないのだから仕方のない事でしたが、
この決断はとても辛いものでした。
今まで小・中・高と、当たり前のように卒業できてきた私にとって、
退学しなければならなくなるなんて、考えてもみなかった事でした。

実際今でも、大学に行けば
まだあの頃の友達がいるような錯覚さえ起こしてしまいます。


○パニック障害の経過○

何も出来ず家にだけいる生活。
外に買い物にすら行けない。
たまに勇気を出して行くのは、夜中のコンビニ。
そこには混雑もなく、比較的楽に買い物できたから。
その頃は家でお風呂に入るのも恐かった時がありました。
「お風呂で気持ち悪くなったらどうしよう」
一度お風呂で気持ちが悪くなって、
いやな思いをした事があったからです。
もうそうなってしまうと、何をするにもどこへ行くにも
「~~したらどうしよう」
が頭から離れなくなりました。
友達とたまに電話で話す時でさえ。

もともと人と話すのが大好きな私は、
家にだけいる生活にストレスがたまっていきました。
もちろんバイトなんか出来るはずが無い。
だからお金も無い。
ストレス発散したい。
でも何も出来ない・・・。
こんな悪循環から抜け出せなくなっていました。
その頃ネットで、同じような症状を抱えている方々を知りました。
それは私にとって、久しぶりに家族以外の人と
コミュニケーションをもてる機会になりました。
掲示板を通じていろんな方と話しました。
「私だけじゃないんだ」
それまで全てのものを悲観的に見るようになっていたので、
ここで知り合った方々には今でもとても感謝しています。
それと同時期にチャットでも友達が出来、
病気の話をするまでになった親しい友達も出来ました。
病気の状況はあまり変わっていなかったかもしれないけど、
ネットに救われて、だいぶ前向きになっていました。

その頃は何度か薬を変え、
様子を見るということが繰り返されていました。
そうした中で私は、診察に対し疑問を持っていました。
診察で聞かれる事はいつも同じ。

先生:「どうですか?」
私:「変わりありません」
先生:「そろそろ薬が効いてくる頃なんだけどね」
私:「そうですか・・・」

この繰り返しだったと言ってもいいくらい。
そうやって、私は2000年を迎えました。


○パニック障害との付き合い○

想像していた2000年ではありませんでした。
世の中では「ミレニアム」で大騒ぎでした。
私はと言えば、もうほとんど諦め状態。後ろ向きでした。
何ヶ月経っても症状は変わらず、
取り巻く状況は悪くなるばかりです。
大学の同期達は学位を持って卒業。そして就職。
どうしようもなく現れる焦燥感と孤独感。
近所の方に道でお会いした時、
私は何をしていると答えるのだろう・・・。
親戚には?地元の友達には?
家族でもわかってくれない状況。このままどうなるんだろう。
なげやりでした。

その年の春、前の彼に出会いました。友達の友達でした。
実家でやっているカフェバーならなんとか外出が出来た私は、
「お店に行こう、そうすれば外気に触れる事が出来る」
そう思っていた頃でした。
友達の友達なので、私は最初から
「こう見えても病気なんだよ」
と正直に話す事が出来ました。
彼はそんな私に同情ではないもので、
外出の協力をしてくれました。
クリニックを変えようと思っていたので、
そこにも一緒に付き合ってくれました。
調子のいい時はお店まで行き、調子が悪ければ家から出れず。
そんな感じでしたが、徐々に彼の車での移動範囲が広がっていきました。
外食なんてもってのほかだったのが、
半年経つ頃には楽しめるようになりました。
お店もすこしずつ手伝い始め、
彼となら外出も普通に出来るようになりました。
あくまでもそれは車を使っての話。
しかも遠出は出来ませんでした。
でもここまでよくなれたのはその人の存在がとても大きかったと思っています。
今でもココロから感謝しています。

2002年の秋頃から週休2日でお店を手伝うようになり、
バーテンダーとして働いていました。
恐らくまったく他人のお店で働く事は、 無理かもしれません。

実際電車やバス、美容院や歯医者さん、
PD患者がニガテとする所はまだニガテです。
移動は車、しかも気を遣わずにいられる、
私の病気を理解してくれている人といったように、
生活面ではまだまだ辛いところがあります。
完全な復活まではまだ遠いかもしれませんが、
徐々にここまでよくなれた事を大事に思って
無理の無い程度に努力をして、
よくなっていけたら・・・そう思っています。

2000年に変えたクリニックには今もお世話になっています。

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