バレエ

私は、今から三十数年前、小学3年生の頃からバレエを始めました。
その頃母が教えをしていたので、なんとなく気が付いたら始めていました。
ところが、その頃の母はスパルタで、私は一度も誉められた事がなく、
特に私に対しての厳しさは、特別なものが有りましたし、
今のように『コンクール』という目標も無い頃でしたし、ただ辛くて、辛くて
4年後、「私バレエやめる。」と言って、ポイッとやめてしまったのです。
それでもやはり踊ることが好きなので、数ヶ月後、中学生になってから、
先生にお願いして、改めて通うことになりました。
でも、「今度はやめません。」と宣言したにもかかわらず、
1人で遠くまで通うことに挫折して、またやめてしまったのです。

しばらくバレエのことは忘れていました。
バレエだけでなく、全てにおいて中途半端な私は、とうとう高校を中退して、
いわゆる「不良」への道に走ってしまったのです。
17歳の頃、『仕事』探しをしていて気が付きました。
中卒の小娘が働ける場所があまりにもない。
特にまた、私の場合は「小柄」で「童顔」でしたので、雇ってもらえるところがない。
家にも居づらいし、このままでは自分が駄目な人間のまま終わってしまう。
・・・そこへタイミング良く、「夜間の高校を受験する」と、いとこが私に言いました。
私は夜間の高校があることすら知らなかったし、
もしかして、高卒のほうが就職し易いのでは、という単純な考えのもとに、
「じゃあ、私も受ける。」と、返事をしていました。
4年後、卒業式で私は泣きながら「答辞」を読んでいました。
今までの人生の中で、一番苦しくて、厳しかった4年間。
人間には厳しさもあり、優しさもある。憎しみ、悲しみ、そして喜びがある。
そんな『基礎』を教えてくれた定時制高校で、
私は私という人間を改めて見つめなおすことが出来たのです。

卒業式を目前に控えた私と、
私達、家族に大きな出来事が待ちうけていました。
「父の死」です。
残された私、母、私の妹の3人は、涙が枯れるまで泣きました。
それは悲しみというよりも、後悔の涙だったのかも知れません。
それぞれがいかに勝手に生きていたのか・・・。
3人それぞれが「バラバラだった家族」を心の中で詫び、
父に「さよなら」を告げました。
お互い口には出さないけれど、家族だからこそ理解出来た、
最初の『心』です。


父が死に、始めてのお正月に「映画でも見にいこうか・・・」と言うことで、
「コーラスライン」を見に行きました。
少しでも外に出てこの暗い気持ちを何とかしたい、と思ったのです。
何でも良かったのですが、映画にしました。
さて、そこで受けた衝撃は言葉では言い表せないものでした。
いろんな人生を生きている人の姿や、
「基本はバレエだ。」という言葉そのものが、感覚的になぜか忘れられない。
単なる映画なのに、どうして・・・。
それが、私の中に眠り続けていた「バレエへの思い」だと気が付くまでには
そう時間はかかりませんでした。
まず妹が「バレエを習う」と言い始めました。
その時にはまだ、私自身気が付いてはいませんでしたが、
母が嬉しそうに「バレエだったら月謝を出すから」
と言ったので、「じゃあ、私も」と、答えていました。
  注:最初の数ヶ月は月謝も出してくれましたが・・・。(笑)

それから十数年、カチカチだったドヘタの私も、何とか「買える舞台写真」が
登場するまでになり、今ではもう、離れられないものになっています。
3度の食事と同じようにレッスンしなければ調子が悪いし、
出産前後の1年半休んだ以外はずっと通っています。


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