誕生して1ヶ月しかたってない我が子が 何故こんなにも痩せたか。
最近、新聞などでよく「母乳で育てましょう」という言葉を目にする。
10年前、長女を出産したとき、帝王切開と極度の冷え性な人(私)は、
あなたは母乳は出ないよ、と聞かされ、信じ、安易にミルクで育てた。
ミルクのメーカーさんも、「成分は、母乳とほとんど変わりませんよ。」と言ってるし、
のほほんと何にも考えずに与えた。
10年ぶりに妊娠し、2003年10月に前と同じ病院で出産した。
骨盤に問題があった私は、また帝王切開で出産した。
しかも、切迫早産になったものだから、ウテメリンに24時間×1ヶ月縛られていた。
今回は、職業病もあり、冷え性が進行していた。
更に、「点滴を打つ日が長かったから、母乳が出にくい。」というオマケの言葉まで頂いた。
漠然と、『年は取りたくないな~。』などと思いながら退院した。
これだけ悪条件が揃う中、誰が母乳で育てなきゃ、と思うか…。
と、また、10年前と同様、安易にミルクに切り替えつつあった。
母体もかなり衰弱していて、退院後の来客にもうんざりしていたし。
が、心の中に罪悪感みたいなものがあって、「少しでもお乳を吸わせていよう。」と
ミルクを与える前に30分とか1時間とか、おっぱいを吸わせ続けてはいた。
これだけ吸わせても、本当に出ないんだから、と言い訳が出来るからだったかも知れない。
知人に、病気でお乳を与える事が出来ず、子供にかわいそうなことをした、という人がいる。
その子は今、立派に社会人になり、子供も出来た。
罪悪感を感じる度に、その知人の事を思い出した。
1ヶ月健診で、かかりつけのお医者さん(小児科)にたしなめられた。
絶対に母乳は出るんだから、ミルクを早く止めなさい。
アレルギー、アトピー、中耳炎などが母乳と関係していることを聞かされた。
長女は、アレルギー性アトピーと、喘息を持っている。
小学生になっても長期の旅行にも行けず、学校の体育の時間には、予防薬を投与している。
本当は、そこまでひどくはないのだが、本人が精神的に病んでいる。
この10年、親子でどれだけ苦労をしたか。
だから、少しでも要因があるのなら、それが母乳で改善されるなら、母乳を与えなければ。
母乳を与えずに、この子をアトピーにしてしまったら、私の責任だ、
長女は、私が母乳を諦めたからアトピーにしたんだ、と自分を責めた。
先生の「出るから」という言葉と、「吸わせれば吸わせただけ出る」という
掲示板などの体験談を頼りに、自己流で徐々にミルクを減らし、
母乳を吸わせ続けた。
1週間は体重が減るよ、という先生の言葉通り、体重が減り続けた。
2週間目ぐらいから少しずつ体重が増えだすと思うよ、
もし増える様子が無いとか、少しでも心配なことがあったら来なさい…。
と言われていたのに、うまくいくはずと信じ、2週間まるまる痩せ続けさせてしまった。
当時、体重なんて量ってなかったし、私は「痩せている」とは思わなかった。
周囲の人たちは、どんどん痩せていく赤ちゃんを見て、
「これではかわいそうだから、ミルクを足さないと駄目。」と当然のように私を責め、意見した。
そんな言葉が、逆に私を意固地にさせた。
掲示板にも、この言葉に負けては駄目と、書いてあるじゃないか。
ある日、主人がキレた。
泣いて泣いて、夜もなかなか寝られず、だんだんオムツに付くオシッコの尿が少なくなり、
声が出なくなり、ひー、ひー、としか言えなくなった、かわいそうなこの子のもう一人の親だ。
完全母乳にして3日目の事だった。
この子を寝かしつけてくれていた主人は、私がグッタリと布団で熟睡している隙に、
ミルクを80CC与えた。
すると、「急に顔色が良くなって、すーっと気持ちよさそうに寝た。」と言った。
「母乳育児をやめるわけにはいかないか。」と言った。
実は、その日の昼、オムツにオレンジの尿が付いていたのを見て、少し恐くなっていた。
完全に脱水症状である。
「今、母乳をやめるわけにはいかないから。」といったものの、迷っていた。
次の日に、ベビースケールをレンタルしてきてくれるように頼み、
もし母乳が出てないようだったら、考えるから。と、とりあえず寝不足のまどろみのなかで、
夢うつつのような返事をした。
その頃、いろいろと母乳育児の情報を集めていた中で、
母乳のマッサージなるものが存在している事を知っていた。
心の中に、チラリとマッサージの言葉が浮かんだ。
つづく