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今朝の高知新聞より『こども食堂が高知県内で拡大中 新たな居場所づくりへ』https://www.kochinews.co.jp/article/51725/ なんだかなぁ。 この記事、私には、「これでまた、アレルギー児がおいてけぼりになる。」という感想しか持てないや。 ある雑誌に、「子ども食堂に、アレルギー児が来たらどうしますか。」という質問に、「そういうのは、はっきり断って下さい。」と言う、と、書かれてあった。あの時のショックは、今思い出しても、涙が出る。 そりゃ、わからないではないけれど、書き方。 当事者がどんな気持ちで居るか考えたことあるの? 何人が読んでいるか分からないけど、その印刷物に、一人憤慨したものです。 でも、所詮大きな力には勝てないから、じっと耐えるのみ。 去年、中学校給食の担当栄養士に「今まで(小学校で)除去して貰っていたということ自体、考えられません。」と、冷たく一蹴された時の悔し涙を、つい思い出してしまいます。 帰り道、息子に背中をトントンと叩かれながら、「俺のせいで、ごめん。」と優しくされたことに、また涙…。 …謝らせてしまって、こっちこそ、ごめんと、心で呟いた。 それを思い出すたび、また涙。 (これ、久しぶりに園長に話していて、泣いて話が出来なかった…まだ吹っ切れてないんだと自分でびっくりした。) 何も、一人分だけ別に作って欲しいとは言ってないし、親が楽したいとか、欲で言ってるわけじゃない。 そりゃ、正直しんどいとは思うけど。 親なら、みんなと同じ暖かい食事させてやりたいと思うのは普通じゃないの? 30数名の生徒がいる中、たった1人だけ黒板に向かって、皆と違う弁当箱を広げ、黙々と食べている姿を想像するのがどんな気持ちか、わかる? 食べられないものだけ除去してくれれば、後は代替えのものを持たせるつもりだったけど、 栄養士は全く取り付く島なし。 栄養士、こっちの目も見ない。はぁ? 分かりました、無理を言ってすみませんでした、お弁当を持たせるようにします、どうもお時間をいただきましてありがとうございました…と言っているうちに、さっさと荷物をまとめて教室から出て行ってしまったよ。 小学校担当栄養士の言葉と、高知市教育委員会に時間を割いて貰って、ある団体の一部の人に、風当たりが強くなるからやめてと反対されながら、じゃあ個人名で行きますからと半ば強引に、何度も何度もやりとりして、あれだけ話し合いを重ねたのに、全部無駄になってしまった。 高知の公立中学校の給食は、保護者が署名運動をして勝ち得たもの。 貧困だったり、親が忙しかったりという理由。(市のサイトに載っているはず) それはすばらしい前進だと思いました…が、じゃあ、貧困で、親が忙しくて、その上アレルギー児童だったら? あの時、悔しくて悔しくて高知新聞に投書したけど。「ああ切実です。中略…是非取材させてください。」とすごく親身になってくれた記者の方…、あれ以来連絡なし。 ま~ったく、動いている気配なしか~? なんでやねん。 『本当に困っている子どもや家庭にどうアプローチするか、頻度をどう上げるか。課題を認識しながらも、青木代表は言う。』と書かれてあるけど、アレルギー児以外の、と、文頭に着くんだろうな~。なんて卑屈感が増幅。 また、置いて行かれたなぁ…。 もう、笑うしかない。 すみません、何年ぶりの記事なのに、感情的になりました。 強く言っておきますが、この取り組みそのものを批判しているのではなく、他意は有りません、悪しからず。
2017年05月27日
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とあるやり取りの後、私は動けなくなった。そのまま1時間ほど倒れたまま、少し寒い風が入って来ても、構うことが出来ず震えながら、ただ横たわったいた。やがて、私はこうして居られない、主婦なんだから、主婦の仕事をしなければならない、家族の食事のための買い物を、しなければならない、ということを自分に思い、なんとか気持ちを奮い立たせ、立った。予定より2時間遅れて、予定行動を始めた。こんな時、アレルギーがいなければ、晩御飯は、惣菜でも、外食でも出来るのに。
2013年09月09日
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息子、小学2年生。まあ、まだ赤ちゃんと少年の狭間である。来年は、「ギャングエイジ」と呼ばれる年になる。確かに、最近「俺を見るな」とか、いきなりキックとか、訳のわからない『やんちゃ』が発展してきて、ちゅーの数も少なくなって来た。それでもしてくれるだけ、まだいい。さて、そんな中ほっとした出来事。後は寝るだけという時になって「僕ね、早く寝てもうひと用事しなくちゃならないから。」というから、「なんで?」と聞くと、「昨日、夢の中で会って遊んでた子に、『またね』って言ったから。」だから、今日また寝てから会いに行くのだそうだ。なんてかわいい。久々のヒット!?まだまだ幼い部分があって、少しホッとしたよ、母は。その子に会えたかな?
2012年02月16日
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えっ?新聞の訃報欄に目が止まった。アレルギーの会で、子どもが同い年で、一度病院でお会いしたときに、「これから出産なの。 私が入院している間、この子は検査入院するの。」と、話していた。下のお子さんが生まれて、アレルギーの会に復活して、さあ、これから頑張るからーなんて、ついこないだ、お話したばかりなのに。まだ43歳という若さで、亡くなってしまった。クリクリ頭のかわいい女の子。息子と同い年。確か、卵・乳・大豆アレルギーで、これから誰が食事を作るんだろう。生まれた下のお子さんは?あの子たちを置いて逝くなんて、さぞかし無念だったろうと思う。
2012年02月13日
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今日は、命の授業と題しての参観日だった。2~3日前に赤ちゃんの時の写真を提出していたので、生まれて来てありがとう、とか、そんな授業なのかな、と、参観していると…。「2億匹の精子の一等賞が。…卵子が。お父さんとお母さんがラブラブで。合体…」「ちょ、ちょ、ちょーっ!」なんやそれ、聞いてないし、はぁ???小学二年生で、もうそんな正確に性教育なんですかっ!?びびった~。産道を通って…とか言ってる。(うちは、帝王切開。子どもに聞かれたらどう説明する?)最後に、陣痛から破水、生まれるまでの経過を、日赤病院の助産師さんによる寸劇で締めくくり、拍手して花束贈呈。うーん…。なんだかなぁ。もう必要なのかなぁ。うちの子には、まだ早いと思ったんだけど…。
2012年01月22日
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小学校生活も、2年目に突入すると、「ぼく」は、突然「俺!」になったりする。何だかおかしいけど、うちもご多聞に漏れずだ。2年生になったとたん、レジャーで歩き疲れて、「おんぶしてあげようか?」と聞くと、「人前で、恥ずかしい。」などと返された時は、ハッとしたと同時に、さびしい気持ちになったものだ。まあ、まだまだ赤ちゃんの部分が残っていて、家で二人きりになると、抱っこだの、おんぶだの、挙句の果ては、こっそり「お乳」を飲みにきたりするのが、おかしいやら、愛おしいやら。(笑)そのギャップが、何とも言えない。今が一番楽しい時期なのかも知れない。さて、8月恒例のの血液検査、いつものようにバスタオルにグルグル巻かれて、国立病院の採血は、あっという間に終わる。本人が、経口誘発試験をなかなかやってくれなくなったので、これで目星を取るしかない。残念ながら、今年も数値が落ち着くことはなく、成長に比例して、IgEは上がりっぱなし、卵や乳は、相変わらずのランクのままだった。予想していたとはいえ、特にひどかったのが、「杉」だ。0だった杉も、年々ランクが上がり、今年は5になっていた。まだ症状が少なくて助かってはいるが、やがて、「花粉の季節が…」なんて言う日も近いだろう。さて、今回はアレルギーが本題ではない。息子は一週間も熱と咳が続き、吸入液がなくなったのと、さすがに、これは肺炎ではなかろうかと気になり、小児科へ連れて行き、採血することになった。喘息のような感じではないが、ただの風邪にしては長い。今年はマイコプラズマも流行っているらしい。採血が決まったあと、吸入やなんやで待ち時間の間中、彼はビビっていた。「また注射するの」「針って、縦に入れるの」「1分以上、針を刺しっぱなしにするの」と、どこからこんな疑問が湧くのか、とにかく不安で一杯の彼の気持ちを、早くほっとさせてあげたかったが、いかんせん待たされるわ、待たされるわ、彼の不安は、ますます大きくなるばかり。「大丈夫、上手な看護師さんがやれば、20秒くらいですぐ終わるから。」と言ったものの、私も不安だった。ここは、普段あまり注射器を見ない診療所的な小さい小児科。上の子が点滴するとき、針刺しを何度も失敗された記憶も、新しい。やっと来た。採血注射セット。針を見た息子の息が、どんどん荒くなる。緊張が伝わる。それでも、セットを置いたままどこかへ消えること3回。ここは、小さな診療所。とても忙しい。看護師さんたちも一人何役もこなすため、じっくりとできないことが多い。泣きそうな彼のもとに、やっと看護師が二人やって来た。ずーっとセットを見つめていた息子の視線が、看護師さんに動いた。「お母さんは、脚を…。」やっぱり私も脚を抑える必要があるらしい。小さな病院は、そんなもんだ。太ももを押さえた。皮膚は熱い。息子の二の腕に、ゴムがまかれる。「掌を、ぎゅーっと握ってごらん。」と看護師が優しく言う。右の二の腕から、左に変えられる「掌を、ぎゅーっと、もっと力を入れて握ってみて。」何度も何度も、血管を確認しているが、一向に始まらない。血管が見つからないのか。もう彼の緊張と言ったら、ここで表現出来ないくらい頂点に近づく。唇が切れて、血がにじんでいる。紫色の唇に、血がやけに赤い。やっと、注射器が看護師の手に持たれた。同時についに彼はペソをかきだしてしまった。更に何度も確認作業をする。右腕に決まったようだ。プス注射針が、彼の皮膚を通過すると同時に、彼の泣き声は、大きくなった。注射器の中に血が…なかなか来ない。少し引く。また差し込む。少し引く。角度を変えて、また刺す。何度も繰り返すが、一向に血が来ない。「あ、来た」と、一時そこに居た全員がほっとしたが、すぐに止まる。「なんで?」怒りが湧いてくるが、声が出せない。ゆうに1分は過ぎた。「いやー、もう諦めてくれませんか、他の人にバトンタッチしてもらえませんか。」心で叫んだ。「そんなに何度も何度も刺すなよっ。」「ほんとにもう、やめてやってくれーーっ」彼は、ますます過呼吸気味に泣いている。紫色の唇が、震えている。とうとう看護師は、諦め、潔く針を抜いた。「採血お願いします。」先生に告げる。「えーーーっ?」奥から、いや、表か。先生が少し呆れたように発する。まもなく先生が来て、左腕にゴムを巻き、あっという間に採血してしまった。おいおいおいおいおいおいおいおいおいーーーっ!!!!!いやー、ちょーっと腹立つよねー。こんなに泣いている息子を、ものすごく不憫に思った。いくら先生が忙しいからって、そんなに失敗するヤツをよこすなっ!そんな気持ちでいっぱいだった。あっというまに終わるとか、20秒くらいとか、いろいろと…、結果的に息子に嘘をついてしまった。左右の肘関節に絆創膏を貼られた息子が痛々しかった。しばらく待合室で検査の結果を待ち、本日2度目の診察室。ふと、学校の用意をしてきていることを思い出す。今日は休みたくない。遅刻してでも行く。と言った。もう2時間目終わったかな。さて、血液検査も、尿検査も、心配したほどの結果ではない。つまり、ただの風邪だ。咳がひどいけど、喘息も大したことはなさそう。とりあえずホッとする。支払いが終わり、薬を処方され、外に出た。「学校休んでもいいし、調子が悪かったら、体育も見学していいし…」と言いきらないうちに、「行く。」と息子。そんなに咳が出て、しんどそうなのに。そんなに針刺されて、精神的にショックだろうに。成長したなー。でも、驚いたのはその後に続いた息子の言葉。「ねえ、お母さん、僕の顔、泣いた跡が付いてない?」いやいやいや、驚きましたよ。息子。さっきまで、あんなに苦しそうに泣いていたのに、いつの間にそんなに逞しくなったの。うるうる。泣いたのがみんなにバレるのが嫌なのか。けなげや、けなげやー。息子はすっかり、自分で「今から学校に行くモード」に切り替えていた。そのまま小学校に積んで行き、駐車し、着いたよと振り向いた。するともうランドセルを背負い、黒い阪神のキャップの下から歯をみせている息子が車のドアに手をかけていた。そして、「いってらっしゃい」という私に、「いってきます」と小さく返事をし、ちらっと私の顔を見ると、すぐに車から出て行き、後は一度も振り向くことなく一直線に自分の教室を目指した。一度も振り返らずに。
2011年10月05日
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「恋が実る」と、娘が買ってきたワイルドストロベリー。娘が家を出た次の日、花が咲きました。
2011年08月22日
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どうにもうまくいかず、17歳で一人暮らしを始めた娘。人と人って、うまくいかない。それが娘でも。さて、数年前にアレルギーの会のクリスマスで貰ってきたケーキについていた、ちっちゃなちっちゃなミントの葉を、鉢植えしてたら、どんどん増えて、今年は花が咲きました。どっちも、いつまでもけなげに咲いていて欲しいです。
2011年08月21日
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おじいちゃん、おばあちゃんが利用している老人施設で、「花火をみながら御家族とバイキング料理を楽しみましょう」という企画がきた。嫌な予感。いつもなら即断るけど、今回は、「老い先短い老人の頼みを聞いて欲しい」と、実の息子の頼み、つまり夫の頼みにより、あー、また私か。と思いながら、打ち合わせに行った。シェフ「私たちは、一人でも多くの方に来ていただき、おいしく頂いて欲しいし、学校給食でのちゃんとしたアレルギー除去の料理も経験しているので…」と、一生懸命アピールするので、これならいいかもと、申し込みをした。さて、その日がやってきた。料理を出す前に、声をかけてくれとのことだったので、調理場に案内されて、出される予定の料理を見て、最初はその豪華さにビックリ。次に、目が飛び出す出来事が起こった。どう見ても、にぎり寿司に《玉子握り》、そうめんに、《卵入りかまぼこ》。 ショック・・・。これ、何の間違い?しかも、「これは、卵ではないですか。」という問いに、シェフは今気づいた様子で、慌てふためいて「あっ、本当ですね。」と言いながら、手袋をとってきて、それ(玉子握り)を除いて他の握りをその場所に寄せ集めた。「あのー、それはもう卵が並んでいたところに詰められても、もう食べることは・・・。」(打ち合わせの時に言ったよね、確か。)少しでもくっついたらだめですよね、と言ったのは、あなたですよ、シェフ。「あ、すぐに握り直します。材料はありますから。」と言って、玉子握りの入っていた皿と、そうめんの皿を取り除き、慌てて、「これは、私が作ったのではなく、他のものに任せたので…」などと、ぶつぶつ言い訳をしながら、厨房の奥へ。その後出されたのが、下の写真。小学生の刺身の皿に一センチ角の《わさび》が真ん中にドーンと乗せるか。左に映っているのはわさびの塊。とにかく、食べるまでにすったもんだがあったことは知らない息子。豪華で、とてもおいしくて、満足した様子。嬉しそうにパクパク、初めて食べる味に舌鼓。連れてきて、まあ、良かったよね。おばあちゃんも喜んでる。と思っているうち、「お母さん、かゆい。」 ドキっ!!何と、太ももの裏側にじんましん。えーーーーーっ!太ももってことは、食べ物ではないのか。そう、食べ物にばかり気を使っていて、椅子にまで気が回らなかったのだ。ここは、老人が集う場所。食べ物をこぼすのは日常茶飯事。椅子にこぼれた牛乳を、普通に雑巾で拭いただけでは、きっと残っている。両足の太ももがぼこぼこだ。息子は手づかみで寿司を食べているから、あっちこっち触っているだろう。そのうち何が起こるのか解らない。それなのに、私は薬を家に忘れてきたことに気が付き、気が動転していた。まあしかし、口の周りが少し赤い気もしたが、それ以上のことは起こらず、無事花火を見てみんな満足して帰途に着いた。途中、途中で、すぐ隣でアイスクリームを食べられるわ、ジュースはだめだと言ってるはずなのに、気を利かせて注ぎに来るたび断わり、気を遣い、二度と嫌だと思ったけど、私以外の人は満足している様子だったので、来年も参加するのだろう。あー、嫌だ嫌だ。本当にこんな病気は、辛い。
2011年08月09日
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膝が痛い。完全にに水が溜まっている状態。前にもここに書いたけど…、5月30日に、整形外科に飛び込んだら、レントゲン撮ってシップが処方された。2日後の6月1日、良くならず、階段の上り下りが辛い。その日は、水を抜いて、とりあえずヒアルロン酸を注射。水(関節液)を抜くと、膝が曲がりはじめ、少しの間は楽になる。が、やはりそれでは良くならず、6月6日、診察をしたら、MRIを撮りましょうと。でも、その日は予約が一杯で、次の日に予約を入れて、足を引きずりながら、アイスパックを買って帰る…。あー、主婦はこういうとき家事が辛い。立ちっ放しでの料理が辛い。アレルギーが無ければ、コロッケでも買って帰るのに…。次の日、初MRIを経験。トローンと眠くなること40分。「骨も、腱も、軟骨も上等。ただ、半月板が少し変形している。」とのことで、「では注射しましょうかね。」と言っていとも簡単に、注射をして貰った。ネットで少しは調べていたから、「先生、これはステロイドですか。」と質問をしてみる。「そうですよ。」そりゃ効くだろう。そう。ずいぶんと効き目があり、1週間目の診察ではヒアルロン酸を注射するのみで、なーんにも痛くない。ここで、スポーツしまくってしまったのがいけなかったのか。。。治ったと思っていたから。痛くなかったから。膝は良し。次は手だ。ずっと痛くてボーリングに誘われても断り、リンゴの皮を剥くのが嫌で今年は買わず、(息子よ、ごめん。)我慢していた右手指のばね指の治療をして貰った。レントゲンを撮って、ステロイド。6月21日だ。掌に、手の平に、ステロイドだー。覚悟。あーもう、手がはち切れるかと思ったよ。すごいね。麻酔入りステロイド。次の日、人の指かと思うくらい、指が異次元の世界に行った。前よりも痛くて、パソコンに向かって調べまくり。だって、あの整形の先生、ほんっと説明が無い。質問には優しく答えてくれるけど、肝心なことは得られないから。そしたら、一週間ほど我慢してみるべしという答えが出た。そして一週間後、これはいける。あまり痛くない。てな調子で、どんどん回復に向かっていた。…手も足も。と、思い込んでいた。とりあえず、言われた通り通院し、28日には膝のヒアルロン酸注射。でも…その後嫌な予感。膝のあたりに、だんだん違和感。やっぱ、根本治療にはなってなかったんだよね。自分のことになると、ほんとう目が見えなくなるよね。また水が溜まりだし、7月4日に、また水を抜いてステロイドを…。いいの?繰り返してるよ。ネットでは、何度も打つもんじゃないって書いてあったよ。1か月以上治療してるんですけど。先生…「これでもう、注射はしばらく打てないから」はっきりは言わなかったけど、このように受け取れた。もしまた腫れたら…?「いえ、もう良くなるはずですよ。」のような、良くなって行きますのようなことを、するりスルリと、何度か口にする先生…。途方に暮れましたよ、はい。絶対なるよね。根本治療でなく、対処療法なんだから。またまたネットで調べまくり。本も買った。運動してとか、体重減らせとか。最悪は手術か。…絶対嫌だ。今の私には何の助けにもならない。仕方が無い。安静にする覚悟を決めるか。スポーツジムの先生方に、しばらく休むと報告。そこで、ダンスの先生に「私が行ってる整骨院に行ってみますか。」と紹介していただき、わらをもつかむ気持ちで通い始めた。もっと早く来てれば良かったよ。まだ腫れてるけど、説明はしてくれるし、痛みもまだあるけどマシ。運動も、痛くなければどんどんやるべしで、あとは私がフォローしますよと言ってくれた。腱鞘炎も、全然痛くなくなった。バレエ復活は未定だけど、近いかも。6月はテンション低かったけど、少し気持ちが晴れた。
2011年07月21日
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何気なく夕刊を見ていると…、放射性セシウムが含まれている可能性のある牛肉…の文字が飛び込んできた。よく見ると、いつも買ってるスーパーが…えっ。その後、テレビのニュースで映っていたのが、毎日のように行くスーパー…。そういえば、ガイガーカウンターらしきものを持ってる男の人が、数日前に居たわ。間違いない。買ってるわ私。家計簿を見る。食物日誌を見る。やっぱり買ってるわ。まあね。全国放送で流れて騒がれて不安をあおられてるから、一瞬ドキドキしたけれど、食べたものは仕方がないし、健康被害のあるほどのものではないと言ってるから、まあいいか。農薬や添加物の方が、日常で口に入ってきてる。そっちのがよほど恐いわ。なんて、すぐに冷静になった。福島の方たちは、もっと大変な思いをしてる。でも、スーパーに、「お心当たりの方は、申し出て下さい」と書いて貼ってあるから、何気に声をかけた。「もしかしたら、ですけど…」すると!!「お名前を頂ければ、購入されたかどうか、判ります。」と言われ、苗字を告げると、「はい、6月9日に448円のご購入でございます。」と言われ、返金され、丁寧に謝罪された。私、セシウムを摂取したことよりも、誰が何を買ったか把握されているのをまざまざ見せつけられて、そっちの方が恐かったよ。個人情報か~…。
2011年07月13日
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こんなこと考えられないから、記録しておく。主人が夢を見たと言った。普段こんなことを言う主人ではないので、それだけでビックリしたが、内容は、「あんたの性格を直さないと、息子に会わさない。」と私が言って、どうしても息子に会いたいのに会えなかった、というもの。なんだこれ。私と息子は、顔を見合わせて、言葉を失くしていた。よその家と違い、うちはこんな会話は絶対になり立たない。息子も目を丸くしている。困ったが、とりあえず「へぇー。」と、刺し障りのない返事をしておいた。主人が一番大切にしているものは、息子。性格を直さなければならないことに、気が付いた?主人以外の人だったなら、私も軽く笑い飛ばして突っ込むところだろうけど。こんなにも記憶に残るほど珍しいことだったので、ぜひここに残しておく。
2011年07月01日
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薄紙を剥がすように、少しずつ、少しずつ痛みが引いているような、引いていないような。でも今日は、ふと、…、普段よりも指が曲がりやすくなっているような気がします。
2011年06月25日
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去年の10月頃から、右手の中指が腱鞘炎、いわゆるバネ指になり、とうとう我慢できなくなってステロイドを注射してもらった。(デポメドロール)すぐに痛みが引くわけではなく、効くかどうかもまだ解らないという賭けみたいな注射。痛いので、二度としたくはないんだけど…。今日は二日目だが、効果のほどはまだ判明せず、相変わらず痛い。今朝なんか、指が曲がらなかった。実は、膝も水が溜まり、二週間前にステロイド注射したばかり。イタリアンフェッテのあと、何か脚がだるいなーと思っていたら、みるみる腫れてパンパンに。いつもなら、二日もすれば引く痛みだと思いきや…。あいたたた。いよいよ私も、年貢の納め時かと思ったよね。あれだけバレエを踊っているんだから、さぞかし軟骨も無くなっているのかなーと思いきや、MRIの結果、そうでもなかったのが救い。今、ヒアルロン酸注射の治療中。毎日どこか痛いのは、やはり更年期のホルモンにも関係しているのだろうか。子どもたちのネタがいろいろあっても、キーボードを打てなかった。今みたいに無理すりゃ打てないこともないけど。とりあえず、「息子が初めて作ったお話」を、画像でアップします。今回は私自身の近況報告、というわけで。腱鞘炎…、また結果報告します。(苦笑)
2011年06月22日
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息子も、なんだかんだで2年生。しっかりして来て・・・と思いきや。今日、学校から戻ってきた息子は、パンツを履いてなかった。ズボンは履いていたけど、中身のパンツが無い。?息子に聞いても、マジックかも知れない。解らない。の一点張り。学校に電話して先生に聞くと、息子さんが、いつの間にか僕はパンツを履いてないんだと相談してきた。あまりにも突拍子というか、先生もそんな相談されて困っただろう。その後、しばらくして他の生徒がパンツが落ちていたと持ってきた。もしやと思って見てもらったらそうだった。とのこと。保健室の先生が洗ってくれていたが、汚れてもいないしと不思議そうにしていたそうだ。学校に着いてから、一回もトイレにも行ってないし、体育の着替えの時間もまだだし、どう考えても腑に落ちない。どうやってパンツだけスルリと落ちるわけ?もう、先生と私、二人で不思議ねーと、笑うしかない。しかも、そのまま保健室に取りに行くのを忘れて帰ってきてしまった。息子と、朝からしてきたことを順番に話して、あれこれ考えた。一時間目には既に、履いてないことに気が付いていたそうだ。ふと、主人が「もしかして」と推理したことで糸がほどけた。真相はこうだった。朝、遅刻しそうで、慌ててトイレで大を済ましたあと、ズボンとパンツを一緒に履いた。その後ティッシュとハンカチをズボンにつっこんだ。(そういえばその時違和感を感じたが、そのまま)学校に出発した。実は、そのときパンツを片方足(もしかして両方)に通さずに履いていたようで、パンツはズボンの片方に収まっていた。で、歩いているうちに落ちた。その場所がたまたま学校だった。ということで落着。社会問題などについては、大人顔負けのコメントもする子なのに、そのギャップがおもしろいですね。と先生に言われてしまった。はー、でも、学校で良かったわ。近所の道端とかでなくて。息子のパンツは、連休の間中、学校で保管されることになった。
2011年05月02日
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小学校の給食で、いつも残して持ち帰っていたコッペパン。あの頃こうして、天然酵母で、3時間も4時間もかけて丁寧に作って貰っていたら、やっぱり残したかなあ?今は、卵・乳抜きで、息子の給食の代替えで作っている。コッペパンって、こんなにおいしかったんだ。最初のころは失敗続き。過発酵なんて言葉も知らない頃、ボウルからあふれたネタを見ても、失敗とは思わないで、オーブンに入れたことも。あー、今考えると冷や汗がでる。(笑)なーんにも知らなかったから、レシピも理解出来なかった。最近ある本で、天然酵母の正しい起こし方を知った。酵母にお湯を入れるのではなく、お湯に酵母を振り入れるのだそうで、この順番を逆にすると、全く違うものになるなんて、今まで知らなかった。温度の重要性も経験した。そして、…いろんな情報を集め、経験を積み、やっとまともに焼けだして、一番うまく焼けた記念の写真を撮ったのが、今日。焼き始めて10カ月。明日は、とびっきりおいしいコッペパンを召し上がれ。決して料理好きではなかった私が、料理の写真をブログに出すなんて、自分でもいまだに信じられない。
2011年02月20日
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息子が小学一年生になってから、一番心配だった給食も、思ったより楽が出来ている。除去は完璧。代替えは自由。クリスマスケーキなども、アレルギー用のが出て、「そっちの方がおいしそうなんて、羨ましがられた。」との報告も。同じ県内でも、地方によってはだいぶ対応が違うようで、全部コピー食弁当を持って行っているY町のアレルギーっ子ママからは、大変羨ましがられている。またお隣のN市では、食育に盛んなのは良いが毎年味噌作りを恒例としているので、来年その小学校に入学する米や大豆アレルギーを持つHちゃんのママは、ため息の毎日だ。市内でも、別の小学校では「牛の乳しぼり体験」なんてのがあり、乳アレルギーでなければ面白そうだと思うが、うちの子は「死んじまう~」なんて言いそうで、その学校でなくて良かったと、胸をなでおろしている。とはいえ、うちの息子は他の子と少しでも違うと気になる体質で、これはこれで少々困りものだ。というのも、「パン」だけは、どうしても前日に家で焼いたものを持って行かないと気が済まないのだ。同じ学校でも、2年生のSちゃんは、パンの代わりにおにぎりでも何でもオッケーなのに、息子は眉間にしわを寄せて泣きそうになるので、仕方なくパン作りなどに挑戦させていただいている。なんて言ったものの、今まであんまりパンなど作ったことがなかったので、初めはいうまでもなく大変だった。発酵しすぎてボールからあふれ出したり、なんでかカチカチになっているのをむしって、みんな無言でムシャムシャ食べたこともあったっけ。「味はいいんだけどね…」などと慰めてくれて、ありがとう(笑)。ある日、学校からの献立表に「自由献立」なるメニューを発見。なんじゃこりゃ。そこには、子どもの好きそうなメニューがずらりと並んでいる。どうやら、子どもたちが主体で、好きな食べものを選んだりする日があるらしいことがわかった。そして、パンの項目に「メロンパン」甘くておいしい…の字を見つけ、驚愕。もしかして、メロンパンを作るわけ?この私が?そして、息子からの容赦ない台詞「メロンパン楽しみ。」…、いつものように、コッペパンじゃだめ?丸く作ってやるから。「えーーーーー。」また眉間にしわだ。クラクラ…。解った。わーかった。で、レシピを探し一生懸命作った。クッキー生地?なんじゃこれ。カロリー高すぎ。おかず食べれるのか?それは、上皮がぼろぼろとこぼれ、これはパンか?というような出来だった。甘過ぎて、一個食べると他になーんにも入らない。(笑)その後たまたまアレルギーの定期検診で、先生にコツを聞くことが出来たが、霧吹きを拭いたらいいよというくらいのことで、解決できるようなものではなかった。もう2度とメロンパンの日が来ませんようにとお祈りするも、2学期になるとまた「自由献立」なる字が。嫌な予感。「帽子パン」いやいや、帽子パンって、高知が発祥のあの帽子パンですかーーー???…レシピがあるかどうか、だって発祥は高知だし…と…、インターネット時代に生きてて良かった。卵や牛乳を使っているレシピなら有った。数年前なら挫折しているところだが、ここは「失敗は成功の母」。失敗なら、今までに一杯してきている。収穫アリ。材料はメロンパン一緒じゃん。卵の代わりにタピオカ粉を使ってみよう。上にグラニュー糖が乗ってないだけで、形を帽子に整えれば…。で、以前失敗した点を改良、パンそのものを帽子に仕立てることで、形も解決。砂糖を半分はちみつにして、ザラザラ感を除去。そして手に水を付けながら形成することで、うまく張り付いたのでこんどは崩れず。サイトに「高温で短い時間」の方がうまく焼けるという、ラッキーなコツを見つけ、210度で12分(前は190度で18分)焼く。やったー。上の写真は、その時のもの。後日、帽子パンについて「給食室の職員一同、感激しました」との連絡があり、なんだか苦労が報われた気がして、涙が出た。自分で言うのもなんだけど、母の愛。すごいなー。私でも作れるんだー。アレルギーの子どもを持つお母さんたち、大変だよなー。でも、こうしてお料理の腕が上がるんだから、頑張ろうよー。以前私は、お料理大っきらい人間でした。今も、あんまり好きではないけどね。(笑)
2010年12月27日
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娘が家を出て1年とちょっと。(出て、ではなく、出されたのだけれど。)当時は、「離婚して娘を連れて出ていけ」と言われていた。「下の子は渡さない」のだから、そうすれば、一家がバラバラになる。だから、娘を実家に預けて下宿という形で一人、家から出した。以来、私は、願掛けの断酒をした。一滴も飲まなくなった。正月ですら。娘は、リスカを繰り返す。「死にたい」とメールを沢山送ってくる。お互い、どうしていいか解らず、ただただ、会える時間いっぱい会って、ひたすら話を続けていた。病院では、統合失調症の疑いも持たれてしまった。今でも治療は続いている。そして、今日。急展開。なんと、「なんで私が家を出されたのか解らない、ちゃんと話をしたい。」と、突然、娘は朝早くから訪ねてきてしまった。雨が降っていて、びしょ濡れで震えていた。「私のこと、嫌いなの?」と、父親に訪ねたいと。「ちゃんと話したいと言ってる。」と、父親にバトンタッチをした。一年以上ぶりに、顔を突き合わせて話をする親子。いくら本当の父娘ではなくても、親子なのだ。タオルと、温かい豚汁と、おにぎりを運ぶ。一時間ほど父親と娘、二人で話し合った。そして、父親は語らぬまま出かけて行ったので、娘と二人きりになった。 で、娘にどんな話し合いをしたのか聞いたら、「今年中には、家に帰れるようになった」とのこと。一睡もしていなくて、目の下に隈を作り、泣いていた。本当は、父親も気にはなっていて、一日たりとも娘のことを考えなかった日はなかったと。でも、あの日のことが忘れられず、どうしても家に戻すことが考えられなかったと。私と娘に、辛く当たり過ぎていたことを、詫びていたと。 (初めて聞いた、主人の胸の内。)今後は同じことを繰り返すことは、もうないだろう。…ことを祈って、素直に感謝しよう。協力してくれたみんなに。心配してくれたみんなに。うちの家族は、大雨が降ったけど、やっと一歩踏み出したよ。今から、地を固める作業を始められる。みんな、ありがとう。
2010年11月12日
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全部は記せないけど…。このブログには、楽しいことだけ、子育てのあれこれを書きたいから。だから、すぐに削除してしまうかも知れないけど、やっぱり記録しておきたいから。前に進みたいから。この一年、辛すぎて、更新しようとするたびに、その出来事が邪魔をして。息子の参観日や、音楽会。いろんなことを載せようとするたびに気になる「娘」のこと。 娘は、去年の9月に、「父親に家を出された。」 まだ15歳だったのに。何年もいじめに耐え、我慢して、その矛先が家族に向けられ、そして…味方をして貰えるはずの、義理の家族は、やはり他人の目を持っていて。そして、自分の血がつながっている息子がかわいいからと、娘を否定した。本当に毎日が辛い。もうすぐ17歳。誰も恨まず、必死で自分を変えようとして、幻覚や幻聴に悩まされていたことも、知らなかった。思春期外来にも、通って初めてわかった。自分を必死に立ち直らせようと、もがいて、もがいて。そして、あの最悪の高校は辞めたけど、休まずに通信高校に通っている。もうすぐだよ。頑張ってるから。解ってるから。死なないでいてくれて、ありがとう。
2010年11月06日
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夕食に玉ねぎを、揚げた。オニオンリング。去年息子に、「お母さん、お料理上手。またドーナツ作ってね。」と、言われハッとした。ドーナツなんか作ったことないのに。卵も牛乳も抜いて作ることはできる。でも、面倒なので、作ったことのない定番おやつの一つ、ドーナツ。おやつに揚げものなんか、とてもじゃないけど。ムリムリ。一年生になって、今まで保育園まかせだったおやつを、毎日考えているが、それでも揚げものだけは避けたい。嗚呼、怠慢な母を許しておくれ。息子よ、それは、ドーナツではなくて、オニオンリングだよ。今までごめん。勘違いして覚えているとは知らなかったよ。テレビや絵本では、穴があいていて茶色。確かにそういう形をしていて、それを目にするたびきっとそうと信じていたんだね。今日のおかず、これがドーナツかと。一生懸命な顔を見ていると、本当のことを言うのがなんだか可愛そうだったけど、同時におかしくて、笑いをこらえるのに必死だったよ。
2010年06月19日
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本当に、今の小学生って疲れると思う。私の頃は、ってもう何十年もたつけど。(笑)ランドセルを玄関にほったらかしにして遊びに行ったりする時間があったよね。今の一年生って、慣らし時期のようなものがないから、入学してすぐ次の週に給食が始まり、午後の授業を終えて帰るとすぐ宿題をさせられて、もうすぐにごはんやお風呂の時間で、習い事なんてしてた日にゃ…って感じ。ほんと時間がなくて、保育園生活とえらい違いだ。更に、毎日重たい荷物を背中に背負って歩いているだけで、泣けてくる。特に今年は雨が多くて、プラス傘を持って、ヨタヨタと通った。しかも、寒い日が続いたから、大変だった。さっきまで赤ちゃんだったのに、みんなえらいなー…などと思いながら見守っていた。うちの息子も、毎日晩ご飯時になるとコックリコックリと船をこぐ日がずーっと続き、心配していた。毎日毎日の、給食のアレルゲンの心配(息子は毎朝献立表と睨めっこしていた。)、家庭訪問、参観日、遠足、遠足で他の子の弁当が自分のところに何らかの形で入らないかの心配(実際空の弁当箱に友達のデザートが転がり入ってしまった。更に、先生に大丈夫よって言われた。卵焼きをつまんだ箸でデザートもつまんでいたので、大丈夫ではないのに。)。あと、自分だけ(だけではないと思うが)字が書けない悔しさ。幼稚園で硬筆をやってたりする子は、字が書けるから、新しいプリントを貰ってるんだって。うちの子は字の一つも書く気がなかったみたいだったから、なんにもやらして無かったし、鉛筆すらまともに持てないままの入学。だって、親が教えるのを嫌がるから、間違った鉛筆の持ち方をされてもいけないからね。お箸だって、まだエジソンのお箸。(笑)さて、連休前の日こと。下校予定の時間を一時間過ぎても戻らない。実は前の日に、近隣の小学校で一年生の死亡事故があったばかりだったので、かなりドキドキした。入学前まで、一人で外を歩かせたことがない。学校までは近いし、大通りなので、迷うような道のりではない。学校に電話してみようかと思っていたとき、主人が戻ってきた。さすがに主人も心配して、「通学路を見てくる」と飛び出した。間もなくムッツリとした息子を連れて帰宅。歩道の真ん中で、ランドセルも帽子も道に投げ出して、足を伸ばして座りこんでいたという。「何もかも嫌になった。夜になっても家にも帰らないつもりだった。」とのこと。いくらなんでも、一時間も座り込むなんて。大通りなのに、誰も声をかけなかったのかしら。前の日の死亡事故のことを言って、心配した旨伝えると、「そんな場所なんか行かないよ。通学路以外の道を一人で歩いてはいけないでしょう。行くわけないじゃん。」と怒っていた。あらまあ、ここがまだ子どもというか、いや何というかまだかわいい。とにかく彼は、ただただ身も心も疲れていたのだ。目に涙がたまっていて、彼は一生懸命隠そうとしていた。そんな息子を私は、ただギューっと抱きしめた。小さな逃避?冒険だったね。翌日、学童代わりに保育園に連れていくと、保育園を一緒に卒園したあとの二人も、かなり疲れていて、一人は熱を出し、もう一人も昨日はやっとの思いでうちに帰ったらしいとのことを聞く。たった6歳半の子どもが、やけくそになるほど疲れるなんて、子どもらしい子どもが育つはずのない世の中に腹立たしく思った一日でした。
2010年05月02日
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来ましたね。普通なら、ドキドキわくわくの一年生、ランドセルや机、筆箱や下敷き、ぴかぴかの文房具に胸をときめかせるところだが、うちの一年生はやはり、そんなものよりも給食にドキドキ。「いやだ、一年生になんか、なりたくない。」とのたまっていた。不安だよなー。一日入学の日から、春休み、そして入学式当日まで、学校に赴き話し合いを重ねてきた。以前、アレルギー児先輩ママの話、「アレルギーの取り扱いなんかわからないから、養護施設に入学させてくれと言われた。」とか、「牛乳嫌いの子が羨ましがるじゃないですか。」とか、「好き嫌いせずに、なんでも食べましょうという教育ができないから、受け入れられない。」とか、いろんなことを言われ、傷ついてきた。2007年から厚生労働省のマニュアルが出て、公に認められたアレルギー。これは病気なんだと、やっとやっとやっと、市民権を得た。3人に一人は、何らかのアレルギーを持っているという、おかしげな世の中。奇病。難病。一歳までには、二歳までには、…小学校入学までには治りますよ。食べられるようになりますよ。卵・乳製品のアレルギーは、他の食品よりも早く食べられるようになりますよ。何度期待してきたことか。いやいや。全部ウソだった。励ましのつもりかも知れないけれど、もーっ!期待させないでって。ホント!とうとう、うちの子は食べられるようには、ならなかった。3月の終わり。経口誘発試験をするはずが、息子があまりにも嫌がるので、中止を申し出たが、医師いわく「給食って、牛乳が毎日出るでしょ。もし隣のお友達の牛乳がピッと散って、あなたの肌に付いたらどうなるのか見たいのよ。少しでいいから。どんな状態になるのか、あなたも知っておかなければならないと思うんだけど。」そりゃそうだ。と、ヨーグルトにチャレンジ。息子は、全身全霊を持って抵抗。そう。息子は納得していない。試験はしないと言ったのに。ごめん、息子。さあ、男の子。6歳にもなると、めっぽう力が強い。暴れる息子を四方八方から押さえつける。先生は蹴られながらもヨーグルトを口に。でも目測を誤って、口の中に入れられず唇に乗ってしまった。息子はもうパニック。唇に乗ったヨーグルトを、ぶーっぶーっと息を吐き出しながら、手で左右に激しく飛ばしてしまい、そこら中ヨーグルトだらけになった。もちろんそれは、自分の顔にも飛び散るという悲惨な状況。焦点が合っていない。疲れてきた大人の隙を見計らい、押さえつけをついに跳ね除け、頭をかかえて、診察台の下に潜り込む。いやー、この間数秒。早い早い。「あ゛ーっ!あ゛ーっ!」と動物のように叫ぶ。かわいそうだけど、仕方がない。みるみる間に、飛び散った場所がはれ上がる。かゆいだろうに、薬も水道で洗うこともすべて拒否する。少し落ち着いたところで先生は、「いい?ヨーグルトとか牛乳が散ったら、こうなるから、ちゃんとすぐに洗うんやで。」と冷静に伝えてくれていた。そして、やさしく洗ってくれていた。息子は納得できただろうか。診察室から出てきたときに、遅い時間になっていたのにまだ待っていた患者さんが数名。申し訳ありません。ただ、そのうちのひと組の方が、とても怒っていて、「いいかげんにしろっ」という声が聞こえていたから、ちょっと怖かった。皆一緒だよ、わざとじゃないよー。と、心の中で弁解した。本当は、エビペンを貰うつもりだったが、更に時間がかかりそうなのでやめた。アナフィラキシーを起こすほどの症状は出ないだろうし、先生も「今まで処方しても使った人は一人も居ないし、あんまり処方したことないし、まあいいんじゃない?」と言ってたし、一本1万数千円もする代物だし。という過程を経て、いよいよ給食が始まってしまった。今日はカレーライス。学校のカレールウには、もちろん(?)乳製品がふんだんに使われているから、さすがに代替え品を持参。でも何と、学校で温めてくれて、専用の食器に盛りつけてくれて別に出してくれるそうだ。だから、冷凍のものをそのまま持たせた。やった。何という有難さ。たとえば、かきたま汁などの卵は、投入する前に息子の分だけを取り出してくれて出してくれるそうだ。「除けれるものは、除けるよ。」ということだ。思ったよりいろいろとやってくれることが判り、安心した。栄養士の先生も、とても理解してくれていて、アレルギーにも詳しい。先生自ら調理にも参加してくださるそうだ。小児科の先生ですら、いまだにアレルギーを否定する人も居るというのに。がんばれ息子。がんばろう、私。(笑)
2010年04月14日
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息子の卒園式だった。卒園児の保護者だけには、なりたくなかったけど、ついにこの日が来た。四年前、途方に暮れていた。こんなにキツいアレルギー児を入れてくれる保育園なんて、ありえないと思っていた。2歳の頃。様子見を兼ねて面接に。その初日に、超人見知りの息子がハイハイをして園長先生の膝に座った。一緒に頑張りましょう、と、即決定、4月に入園。とりあえず、お弁当を作って持って行く毎日。その年の9月には、「お母さんも大変でしょう、息子さんも暖かい味噌汁を飲みたいでしょう。」と、息子の給食を引き受けてくれた。完全除去なのに。とんでもない重症のアレルギーなのに。「お母さん、アレルギーのことをいろいろと教えて下さい、これからもアレルギーの子どもが増えてくるから、勉強をしたいのです。職員全員で、アレルギーの勉強をさせて下さい。」この日、とてつもない大きくて重たい荷物が、私の両肩からスルリと降りた。コピー食は、間違って食べる事故が恐いだとか、お友達が触ったら恐いだとか、随分お願いを、半分脅迫めいた言葉で告げる私の話を、いつも優しく聞き入れてくれた。卵抜きのマヨネーズを家から持って行き、使ってもらったりしていたが、徐々にアレルギー児が増えたこともあってか去年、、、ついに卵製品と乳製品を、保育園から全部追放してくれた。普通の子も、この保育園では卵と牛乳が摂取されることは、無くなった。うちにとっては、天国のような話だが、他のお母さん達は受け入れてくれるのだろうか。アレルギーのないお子さんの保護者から、何か意見が出ているのでは、という問いに、「いいえ、野菜を食べさして下さいというお母さんは沢山居ますけど、卵を食べさして下さいというお母さんは、一人も居ませんよ。大抵保育園で食べなくても、おうちでみんな、食べてるものでしょう。」と、優しく答えてくれた園長先生。この四年間、何の心配もなく預けることが出来た。それ以外のことでも、小さい事でも、何でも相談に応じてくれた。ありがとうございました。本当に、お世話になりました。この保育園で、私も一緒に随分成長させていただきました。本物の愛、無償の愛とは何か、教わりました。台所に立つのが嫌で嫌で仕方なかった毎日が、今は懐かしいです。…さて、これから小学校か。さて、今まで温い思いをさせていただいた分、鉢巻を締めなおして頑張らないと。
2010年03月27日
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タイトルの通り、喘息なんて一年半も起こってなかったので、勝手に完治だとか思っていて、ここに来てまさかの大発作!サチュレーションが91とか93とか、こんな発作は初めてだ。でも、本人はなんだかケロリとしていて、少し食欲がないくらいで、触るまで熱があるなんて思わなかった。日曜日、朝少し息子の動きが鈍いので熱をはかってみると、微熱があった。新型インフルエンザは、去年アレルギー担当の先生にワクチンを打ってもらっているから、大して心配もしていなかったが、昼過ぎ、息子を主人に預けて私が外出していたとき、主人からメールが入った。{信じられないかも知れないけど、熱が40.1度あります。どうしますか。}どうしますかってあんた…。日曜日だから、小児救急に連れて行ってと頼み、慌てて私も帰宅。後から路面電車で追いかけていると、道中で「受診終わりました」とのメール。インフルエンザではないので、様子をみて熱が下がらなかったら小児科を受診して下さい。とのことで、その日はあっさり帰宅。なんだか、今思うとヒューヒュー言ってたよ。確かに。でも、喘鳴だとは思わなくて、…なんだろう。本当に油断してた。だって、高熱が出てもせいぜい半日もすれば回復してきた息子だ。さて、次の日…。実は、主人はかかりつけの医師を嫌いになっていて、他の小児科を受診したがっていた。このこと、詳しくは…長くなるから、もうここには書かないけど…。でも、急な事を言っていても仕方ないので、とりあえず今回は私が今までのかかりつけの小児科に連れて行った。そしたら、聴診器をあててすぐに医師が言った。「喘息が起こってますよ。」しかも、なんと大発作が起こっていたのだ。え~~~!?だから、嫌なのよ。喘息とか、アレルギーをちゃんと診てくれる先生って、なかなか居ないから。昨日の小児救急だって、一応小児科の先生なのに、喘息に気が付かなかったじゃん。これで、どこの小児科に変更するの?あー嫌になる。至急、国立病院に行って、入院してね。ということになり、電話とファックスで紹介状を送ってもらい、その足で国立に。幸い息子は、二泊三日したところで、小発作に落ち着いてきた。熱が下がると、退屈で騒ぎ出す息子。小児科病棟は、言っても仕方ないんだけど、うるさくて落ち着かないし、狭いベッドに付きっ切りで夜一緒に寝ると、体中が痛くて我慢できなくなった私。「吸入器も家にあるし、もう家で管理できる状態になったので、退院さしてください。」と先生にお願いして、早めに退院してきてしまった。少し咳は残るが、息子も元気に保育園に通っている。保育園では、吸入もしてくれるし。あー、にっくきアレルギー。血液検査したら、数値が二倍になってたよ。IgE450とか、びっくり。あなどるなかれ、喘息。ほんと、びっくりした。
2010年01月23日
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ちょっと長いけど、下は高知新聞の記事。車3台接触、自転車含む3人死傷 2009年12月19日10時30分 18日午後2時25分ごろ、高知市潮新町2丁目の交差点を右折しようとしていた同市役知町、無職、浜口大さん(57)運転の乗用車が、対向してきた軽乗用車2台と接触。うち1台の軽乗用車が、弾みで道路脇の信号柱に激突した後、近くで自転車に乗っていた同市介良乙、無職、川村麗香さん(31)に衝突した。川村さんは全身を強く打ち搬送先の病院で間もなく死亡した。 信号柱に激突した軽乗用車を運転していた同市神田、無職、北岡博幸さん(59)は、前方が大破した車の運転席に体を挟まれ、救急隊に救出されたが、腰や腹などを強く打って重体。もう1台の軽乗用車を運転していた吾川郡いの町の男性会社員(38)は首にけがを負った。浜口さんにけがはなかった。 高知南署によると、北岡さんらは浜口さんの車をよけようとしたが接触し、男性会社員の車は中央分離帯付近で横転。北岡さんの車は前方の信号柱に衝突した後、歩道に乗り上げ、川村さんをはねたという。 現場は、潮江東小学校南東約40メートルの片側3車線で、国道と市道の交差点。同署が当事者や目撃者から事情を聴くなどして、事故原因を調べている。 【写真】 自転車の女性が死亡、男性1人が重体、1人が軽傷を負った事故現場(18日午後2時45分ごろ、高知市潮新町2丁目) 実は、ここは私も自転車で良く通る道。しかも、この日まさにこの事故の2時間前に通ったばかり。家に帰ってきて、テレビをつけるとこのニュースが流れていた。予定が少しずれていたら、私だったかも知れない。自転車で歩道を普通に乗っていて、事故に巻き込まれるなんて、やりきれない。
2009年12月21日
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10月の定期診療日。「いいですよ、卵アレルギーがあっても、ワクチン接種しますよ。」と、アレルギーでのかかりつけの医師が、さも当たり前のように言ってくれた。新型は、肺で増殖するからと、毎日メディアが脅すもんだから、私も他人事ではなくなり、診察時に聞いたら、あっさりと。「ただし、卵の殻が足りなくて、季節性でさえワクチンが足りないから、テレビのお知らせを毎日見て、予約の電話を何度もいれなきゃだめよ。」と念押しされた。わーっ、大変なんだー。で、何度も、何度も電話して、やっと取れた「新型インフルエンザワクチン」の予約。もちろん、息子のだ。喘息の薬は、今飲む事をストップしているので、疾患なしということで、普通に1~6歳の枠に選別されてしまっていた。こちらでは幼児は、12月4日からの接種開始ということで、11月はじめから、何度も予約が出来ないか問い合わせしていた。既に打ったよという、喘息児を横目に。1日毎に、病院からの返事が違うから大変だった。そして、待ちに待った当日。「新型インフルエンザのワクチンの予約をされても、来られなかった方は、キャンセル扱いとさせていただきます。次回の予約はいつ取れるか判りません。」などと書かれた張り紙をみて、なんだかぞっとする。ふー、息子は何事もなく、副反応もなく、無事に接種出来た~。(先生は、皮肉テストもせずに、通常通り、すーっと注射したので、実は少し心配した。)これで7割、あと1回打つと、もう少し定着するけど、どうするか聞かれたが、断る。重症化さえしなければ、いいのだ。一人でもワクチンが回って欲しいという気持ちも、正直あったし。で、土曜日の夕方。なんだか息子の体が熱い。熱を測ると、8度1分…。えっ?ワクチン定着無し?でもねー、何で、お約束のように土曜日なんかに熱が出るかな。まあ、比較的元気だし、様子をみる。他に咳もくしゃみもなく、時々頭がズキッとする程度。急に、パッと両手で頭を抱える姿が可愛い。ハッ! ゴメン。軽くおかゆも食べたし、普通に過ごしているので、触らなければ熱があるなんて判らない。この子は、いつも風邪を引いても軽いし…と、高をくくる。日曜日、温水プールに行く予定を取りやめ、家で過ごす。一日中8度台で、下がる様子がない。今まで、こんなことがあっただろうか。夕方頃にはさすがに心配になってきた。でも、元気そうだし、ビデオは観ているし、結構食べ物を要求している。8度超えの熱なら、普通こんなに食べられるか?というくらい。でも、「おいしい?」と聞くと、「んなわけないだろ。熱があるから味も判らないに決まってるだろ。」と、どこで聞いてきたのか、熱があるときは味が変わることを知っていて、叱られた。まあ、これだけ元気なら救急病院なんか、かえって行かないほうがいいのかな。と、普通に扱う。幸い、夜になると、あれだけ、体温計が壊れているのではないかと思うくらいだった熱が、すーっと引いてきて、11時頃にはすっかり平熱になっていて、すーすーと寝息を立てて寝た。月曜日には、すっかり何事もなかったように元気になっていた。たまたま病院の開いている時間にかからなかったので、結局受診することはなかったが、今思うと、あれはインフルエンザではなかったのか…。今となっては知る由もないが、けっこうこのパターンで、軽く罹患している子どもも多いのではないかと考えたのでした。メディア、騒ぎすぎ。
2009年12月16日
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息子も、いよいよ一年生。ランドセルも机も、鉛筆すら構えてないけど、やはり気分が高揚してくるようで、就学前健診の当日は朝から大興奮。保育園では「血もとるんだろうか。」と、先生に相談したそうで、おかしい。健診は午後からなので、給食のあと迎えに行く。この保育園は、乳製品や卵製品は、一切使わない。改めて、感謝の気持ちと、あと数ヶ月でいたせり尽くせりの生活も終わるのか、という、これからへの不安が起こる。さて、寒い雨の中、とぼとぼと学校へ。会話は少ない。傘をさしている上、狭いのに車が多い通りだから、会話をすると危ない。そして、いまどき珍しく、うちの子は近所の大人たちに手を振りながら歩いていく。こんな小さな子に微笑みかけられ、手を振られたら、大人は皆ニコニコ顔になる。でも、ご時世が親を不安にさせるのも事実。誘拐は大丈夫だろうか…ああ、世知辛い。大人なら5分の道のりも、保育園児だと15分はかかる。校門は目立たない場所にあるので、行き過ぎそうになり、引き返す。到着して驚いた。少子化だと騒がれているのに、この狭い地でザワザワと活気づいている。集合場所の体育館の入口には、傘の花が沢山開いていて、順番を待っている。やっと順番が来て、名簿の最終欄に目をやると、119番の数字。昔から、この町で一番のマンモス校だとは聞いていたが…。なんだか、違和感を感じてしまう。100人を超える同い年の子達が、この地区にいる現実。総勢3名の保育園年長組の我が子が、とても小さく見える。いや、実際に小さいんだけど。(笑)偶然だけど、女の子に挟まれて立っていて、二人の肩くらいしかない背。しかも、その女の子たちに、「はい、立って」とか、世話されていた。(苦笑)まあ、小っちゃかろうが、元気だろうが、どうでもよくて、問題はそう、アレルギー。アレルギーだ。子どもたちが、10班に分かれて、上級生達に引率され、体育館から出ると、親たちは体育館でひたすら子どもの帰りを待つしかない。寒い。ふと、目に付いた女性の先生。さっき、壇上で挨拶をされていた教頭先生だ。すかさず、近づいて行く。他の父兄の方が話をしているので、少し待って声をかけた。アレルギーのことで…と言うと、丁度栄養士が職員室に居るので、話をされてはどうかということで、別の先生に指示をしてくださり、職員室へ。こんな展開になるとは思いもよらず、恐縮して着いていく。 エピペンという言葉は通じるだろうか。 除去食の意味を、ご存知だろうか。 触ってもだめなことが、理解できるだろうか。 (↑牛乳が飛んだり)不安は一蹴された。栄養士の先生は、とても親切で慣れていた。事故の例も勉強されていて、一人一人の子どもについて、メンタル面から考えてくれる方だと判り、ものすごく安心した。例えば、シチューが飛んでは危ないといって、保健室で1人だけ給食を食べさしたりしている現実が同じ市内の学校でもあることをご存知でいて、それは、その子がかわいそうだという気持ちでいてくれる方だった。ただ、どうしても仕方がなかったときがあり、本人と担任で話合いの上、担任の先生の横で食べさしてしまったことがあり、とてもかわいそうだったと言っていた。だから、うちのようなアナフィラキシーのある重篤な子は今まで居なかったとはいえ、特別に考えておらず、同じように対応していくし、何かあれば、その都度考えようということだった。とにかく、他の子と分け隔てのないようにしてあげたい。と思ってくれているな、と感じる。おでんのように、卵が入っているメニューは卵を投入する前に取り出してから出してくれるし、玉子焼きのようなメニューで、どうしても家で作ってきて貰うときは、担任を経由して、給食室へ、暖めてから、その子専用の食器に移して出してくださるそうだ。―縁の下の力持ち―保育園といい、小学校といい、うちって恵まれてる!今年だったから良かったというのもあると思う。数年前だったら、多分ここまで対応できなかっただろう。そういう意味でも、恵まれている。毎月の献立表は、前月の半ば頃原材料付きで回して下さるそうだ。その見本を見せていただき、またビックリ。その子のダメそうなものに、一つ一つ蛍光ペンで、丁寧にラインを入れてくれていて、この日はおうちで作ってきて下さいだとか、かなり詳しく書いてくれていて、ここまで時間を費やしてくれていることにも感謝した。あとは、主治医の先生に指示書を書いてもらい、提出するのみ。入学まで心配することは、なくなった。さて、職員室を出て、再び体育館へ。多分、晴れ晴れとした顔をしていたであろう私。教頭先生に、その足でお礼を言いに。「食というのは、人間のなかで一番大切な部分だと思っています。とっても大事なことです。」というお考えで、教頭先生もまた勉強をされている方だということがわかり、また感謝。ただ、アレルギーも多種多様化していて、と、これからの不安も少し口にしていた。確かに。小麦粉が舞っただけでもアナフィラキシーショックを起こしているHちゃんのお母さんは、どれだけ不安だろう。米や、小麦のアレルギーなんて、ちょっと前なら考えられないけど、ものすごい勢いで増えている。これから先、もう給食制度なんて廃止して、弁当持参が当たり前とか、選択できるようになるのかも知れないと思ってしまう。帰り道。息子に「教室で何したの。」と聞くと、「それが、…覚えてないの。ごめんね。」おいおい、ついさっきのことだよ~。(^_^;)うーん、大丈夫か、息子。緊張したのか。まあいいや。じゃあ、通学路を覚えているかどうか確かめるから、お母さんの前を歩いて行ってね、と、私の前を歩かして、またとぼとぼと、来た道を引き返す。無事、家に着いて一言。「僕は、本当はこの道通らないよ。大きな通りをいくから。」おーい!
2009年11月25日
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某日、息子を保育園に迎えに行って、戻ってきた時、主人の手には、焼きとりが一本握られていた。同じ保育園のお友達のおじいちゃん、普段は息子をかわいがってくれるのだが、どうもアレルギーに対しては勘違いしていて、自分の孫にこっそり卵を食べさして治したとか言ってる。そのおじいちゃんが孫を連れ、焼きとり屋で一杯やってるときに、息子達が目の前の道路を歩いていたので、呼び止めた。そしてなんと、焼きとりを一本手渡したのである。主人も、最初は断っていたらしいが、酔っていたこともあり、無理に持たされてしまい、そのまま家に帰ってきた、というわけ。主人は、半分パニック。「どうすればいい?」と、焼きとりを掲げたまま私を睨みつける。いきなりダメと言えば、逆切れされるから…とりあえず皿に置くよう頼んだ。そして私は、その焼きとり屋に、原材料を聞きに行った。ところが、「企業秘密」とやらで、なかなか教えてくれない。「そんなに悪いものは使ってないよ、嫌ならやめといて。」そりゃ、そうでしょ。気分も悪くなるでしょう。すみません。でも、もし食べられるのなら、これからも買えるものが増えるってことだから、希望を持って来たんですよ、私。その思いから、私はしつこかった。で、「だし」が使われているところまで判明。だしといえば、乳糖か…。これ以上聞くと、本当に怒らすので、退散。お店のおばちゃん、ごめんなさい。(あれ以来、店の前を通れない私。)帰りがけ、おじいちゃんの、「○○(息子)が、かわいそうだろ!」という言葉に、涙した。食べて救急車で運ばれていたら、おじいちゃん、どっちがかわいそうですか?家に戻り、ダメだと報告。明日、焼きとり作ってあげるからと、息子に約束。目の前にある、おいしそうな食べ物は隠され、あとで息子の見ていないところで主人の胃袋に納まった。さて、翌日、せせりやもも肉を買ってきて串に刺し、はて、うちはIHだし、どうしようかと、結局炭火に近いかなと、グリルで焼くも、出したり入れたりしているうちに、何度もピーとスイッチが切れ、結局数本の焼きとりを焼くのに、ものすごい時間をかけてしまった。でも、息子は「おいしい。焼きとりってこんな味だったのか~。」などと感心しながら堪能してくれ、帖は消えた。いやー、でもなー、初めて作ったとはいえ、あんなに時間がかかると、さすがに二度と作る気はしない。串に刺さっているのが、子どもは魅力的なんだよね。だから、フライパンで焼いた焼きとりは、焼きとりに在らずなのだ。で、楽天市場でふと目に止まった焼きとり専用器。1度に焼鳥が8本焼けちゃう♪大ヒット中の「やきとり屋台」のワイド番!MYT-800 屋台横丁 *279これだ!でもなー…。使わないときに邪魔にならないかなー。あ、たこ焼きプレート、焼肉網も付いてるのか…。うーん。お気に入りに入れといて、置くところとか、後片付けとか、しばらく考えた。レビューも沢山見てみた。で、買った。ついに。即焼いてみた。(別に、宣伝って訳ではないが、)焼き加減も、おもちゃだと思っていたら、割と本格的に焼けるし、後片付けもそれほど面倒ではなかったので、買って正解だった。アレルギー児が1人居ると、生活も変わるよなー。
2009年11月19日
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“6歳。”年長組さんともなると、言葉が巧みになる。英語なんて、習ってなくても、聞きかじっては、どんどん使ってくる。あんなに、喋り初めが遅かったのに、今は言葉のつなぎや組み立ても、とてもうまく出来だした。ボキャブラリーも随分増え、もう完璧に近い。(褒めすぎ。)男の子なので、ヒーローごっこなども定番で、女ばかりの家で育った私には、すごく新鮮。さて、ヒーローごっこともなると、かっこいい横文字の名前の必殺技が飛び出してくるのだが、よく聞いていて笑ってしまった必殺技のタイトルを一つ。「めたぼりーーーーっく! しんど、ろーーーーっむ!」本人は、真剣にポーズを取っていて、大きく目を見開いてこっちを見ている。でも、どうしても我慢できずに吹き出してしまった私を見て、何か察したのか、顔を赤らめて去って行ってしまった。メタボリックシンドロームという言葉が、子供にまで浸透しているとは、メディア恐るべし。
2009年10月23日
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下の右の歯がグラグラしている。笑うと、ちょっと白いものが覗いていた。ほんのこないだの話だと 思っていたのに。まだまだ、いくらでも抱っこしていたい。いっぱい、いっぱい抱っこしても、し足りない。かわいい赤ちゃんだった頃のあの子には、もう会えないんだなぁ~。
2009年09月23日
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ヒヤッとした。自動販売機で買ったアイスクリームを、歩き回って食べている女の子の、わずか10センチ横を、息子はすり抜けて行った。丁度、息子の口元にそのアイスクリームの高さがあり、私は一瞬パニックになって、気が付いたら大声で息子の名を呼びつけてしまっていた。5歳にもなると、いつでも手をつないでいるわけにはいかない。ましてや、ここは公園。子供が走り回る場所だ。「アイスを持ってる人の近くに寄って行ったら、ダメでしょう。ちゃんと見てないと。」つい、キツい口調になってしまう私。困った顔をして、それでも私の目をしっかり見たまま、何度もはっきりとうなずく息子。こんなに素直でいい子なのに、なんで私は今この子を叱っているんろう。息子は、何にも悪くないのに。だんだん、息子の顔が、悲しそうな顔になってくる。無言になってしまった私を、黙ってじっと見ている。この顔はたぶん、今の私の心の「コピー」なのだ。息子は、私の気持ちを、ちゃんと解っているのだ。この子は、解っているんだ。だから、何度も何度も、うなづいてくれるのだ。涙を堪えて。せっかく、遊びに来たのに。普段、滅多に遊びに来られなくて、我慢させていて、やっと遊びに来られたのに。やっと、セミの抜け殻に触れるようになったのに。さっきまでは、楽しかったんだよね。ごめんよ、息子。あんたが悪いんじゃないよ。にしても、どこに行ってもアレルゲンが歩き回っているのは辛いなぁ…。よその子に「歩き食べするんじゃないよ」とは言えないしなぁ。そういう子は、親もやってるんだよね。ある意味、歩きタバコよりも恐いかも知れない。(どっちも嫌だけど。)
2009年08月16日
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丸山先生、今日はここに居ま~す!先生、気さくに握手してくれました。よさこい祭りも、最近ではテレビで有名な方が、ちょくちょくお見えになるのだ。広末涼子、島崎和歌子、いちむじん、う~み、溝端淳平…えっ。サプライズ的に出現する人がいるので、カメラを構える暇がなかったりするのだが、…。丸山先生は、観客と話したりして、すごく普通に振舞っていたよ。BUT!相変わらず、マナーが気になる夏の祭り。歩きタバコする人。(地元の商店街の男性他)地面にべったりと座り込むチーム(これだから、娘の学校ではよさこい出場禁止になっているのだ。)デパートの入口付近、クーラーが涼しいからといって、他の客が入れないほどべったりと座り込むチーム。(地元チーム。)座り込むチームは、横を通ると、数人の人に見上げられるのだ。だから、なんか、つい目をそらしてしまう。地下に進むと(デパ地下)、そのチームの一部の女の子たちが、試食に群がり、パクついていた。(踊り途中だし、当然買わない。)あー、恥ずかしい。この不況にこんなに県外の人が集まってくれるチャンスは無いんだから、せめて地元の人たち、もっとしっかりしようよ~。
2009年08月11日
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テレビを見ていて、ホットケーキやオムライス、クレープなどが映るたびに、どんな味?おいしいの?食べてみたい、おいしそう。と、興味が出てきた5歳半の息子。ここらでやはり、負荷試験をしなくてはダメなのか、やはり。保育園の園長先生や、近場の小児科医は、負荷試験反対派。やめておいたほうが、と、度々忠告をくれる。で、4月予定の乳製品の試験は、ふりかけ事件により診察含め断念(7月に延期)していたのだけど、とりあえず、「じゃあ卵にするか、牛乳にするか」と息子に聞いてみた。「卵を食べてみたい。今度は、頑張って食べる。」(前回は、歯を食いしばり、どうしても口に入れたがらないので、先生が無理にねじ込んだのだ。それでも食べてみたいと言うからには、よほどの覚悟か期待か。)これで、卵に決まり。当日はおばあちゃんに一個だけ卵を貰いに行った。おばあちゃんちから家まで、およそ3分の道のりを、大切に抱っこして持ち帰った。数年ぶりの玉子焼き。あーいい臭い。おいしそう。私の玉子焼きは、おいしいのだ。(当たり前ですね、自分好みに味付けてあるんだもの。(笑))念のため、菜ばしなど使わずフライパンを振り、卵を混ぜた時に使った泡だて器を駆使し、慎重に焼いた。菜ばしって成分が残りそうだもんなー。タッパーにラップを敷いてから玉子焼きを入れた。後片付けもキッチリ。何度もフライパンを洗った。さて、主治医の前にでた息子は、少し緊張しているようにも見える。一連のふりかけ事件を先生に報告すると、玉子焼きを食べたがったので持って来た旨伝えると、負荷試験をしてくれるという。他にも、試験をしているらしい赤ちゃんや子供が数人いたので、大丈夫かなと心配しながらも、小指の先ほどの玉子焼きを、息子の口に運んだ。「ぱくっ」今回は、覚悟もあってか、あっさりと口にする。もぐもぐ…飲み込んだ。「どんな味?」「変な感じじゃない?ピリピリしない?」「おいしい?それが卵の味だよ。」などと、先生や私や周りの者がしきりに尋ねるが、息子は目線を落としたまま口の中に残った玉子焼きを噛み締めた。完全に、おいしいという顔ではないのがわかった。とりあえず、すぐに症状が出なかったので、待合室で待機。二口目を与えて良いと言われたが、息子はもういいというから、すぐに食べさすのはやめた。今何も無いからといって、どんどん食べさしてしまった前回、これで失敗したのだ。取りあえず、何事も無くても15分後に二口目を食べられるかどうか、症状の観察が始まった。と、口のふちに小さなポツポツが少し。やはりだめだった。(二口目をやらなくて良かった~。)顔を、しかめ始める。どうやら気持ちが悪いらしい。5歳児は、上手に口で表現できない。長いすでうつぶせのまま、丸くなっていた。が、ほどなく寝てしまった。丁度昼寝の時間だからか。しばらく寝顔を見ていたが、これといった変化が見られない。が、ふと寝返りを打ったときに、露出された顔を見てビックリ。今度は目の周りに、大きい虫さされのような跡。蕁麻疹だ。今まで、こんなアレルギー症状の出方は初めてなので、戸惑った。変幻自在?アレルギーって、こういうところが恐いと思った。わからないことが、恐い。小学生に上がるまでには、何でも食べられるようにと願ってきたが、やはり無理のようだ。給食が全部は食べられない。コピー食のことを思うと、正直ゾッとするが、仕方がない。私がこの残り数ヶ月で覚悟すれば良いことなのだ。ただ、救われたのは、思っていたより症状が軽かった、ということだ。脱脂粉乳入りのふりかけのときも、今回の玉子焼きも、アナフィラキシーショックは起こさなかった。隣で小麦の試験をしていた赤ちゃんのお母さん、パンを数ミリ角食べさせただけで、全身が真っ赤に腫れ上がっていた。すごく悲しそうだったので、だんだん軽くなっているうちの子のこと話してあげた。家では、お姑さんをはじめ、アレルギーにあまり理解がないと話していた。自分のせいみたいに言われたり、「お母さんに叱られるから食べさせられない」という言い方をされたり。ふー、いずこも同じじゃ。アレルギーを宣告されたお母さんは、ただでさえショックを受ける。犯人探しはやめて、お母さんの力になってあげて下さい。あと、テレビの子供用料理番組って、なんでそんなに卵と牛乳を当たり前のように使うんでしょう。子供が皆、卵・牛乳入りのものが好きだからって決め付けてる?だから、メタボリック症候群なんていうものになるんだよっ!?( 怒+)
2009年07月19日
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保育園から戻ってきた息子は、なんだか様子がおかしくて、顔が笑っていても、目が笑ってない。で、とうとう私に向かって手を挙げてきた。バシッ!あいたっ、なにするの!と、叱った。おかしい、何かあるぞ。しばらくして、訳がわかった。息子は、お友達とケンカしてしまって、わだかまりを残したまま帰って来てしまい、気になって仕方なかったのだ。「みんなが、ごめんなさいしないといけないのに、ぼくはできなかった。だって、どうしてもごめんなさいが、できなかったんだもん。」(ごめん、本当は土佐弁だけど。)言い切ると、顔をタオルに当てたまま、オイオイ泣いた。5歳ともなると、普段あまり泣く事はなくなる。きっと、その小さな胸を、たくさん痛めたんだろうな。自分も悪かったんだと、ちゃんと解っている。えらいぞ。落ち着いた頃、しっかりと抱きかかえ、「大丈夫、君はこんなに優しくて、ちゃんとした子に育っている。明日、きっと仲直り出来るよ。」と、つぶやいた。うん、ちゃんと育って…は、いる。と思う。しかし、こんなに繊細で、今の世の中渡っていけるのか、息子。
2009年07月08日
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6年ぶりに、古巣であるバレエ教室の発表会を観た。美しく素晴しい、非の打ち所の無い発表会。全国的にもレベルの高い教室。こんな教室に自分も居たなんて、とても信じられない。何人かの後輩たちは、有名な団体で、プロのダンサーになって活躍している。ジブンは…
2009年06月15日
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私が保健所に相談した事がキッカケで、その会社は調べられたんだろうな。土曜日、ふと新聞に目を通していて、なんだか見た事がある商品が。あれ。「不正表示で、厳重注意」ひどいなー。脱脂粉乳だけじゃなかったんだ。「命に関わることはわかっています。ついうっかりなんです。どうもすみませんでした。」って、あれは何だったんだろうね。信じていたのに。
2009年06月08日
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表示漏れで、アレルギー症状が出た。脱脂粉乳の記載を忘れていましただ?ふざけんな。新聞に公示、回収するのに、何故一週間もかかるの?あー、詳しく書きたいけど、時間がないのだ!!といった、落ち込んだ日々が続いていて・・・何とか上の子も高校進学が叶い、バタバタの日々、更に主人の父親がまた肺炎で入院…。はぁ~なんと。さて、そのようにもやもやしていたところ、朗報があった。息子の保育園で、毎年小さなスーパーのお絵かきコンテストに出品しているのだが、今年の「母の日の絵コンテスト」で、なんと息子が『金賞』を取った。更に、別のスーパーのガラガラ抽選会で、一等の商品券3000円が当たった。うん。そうか。悪いことばかり続くわけじゃない。息子も、娘も、ちゃんと成長してる。
2009年05月01日
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法事で頂いた《ふりかけ》、内容を確認して息子に食べさせたら、咳が止まらなくなった。その日は油物だったし、風邪気味でコンディションは悪かったので、ナスの仮性アレルゲンかな、と、とりあえず薬を飲ませ、様子を見ていたら、すぐに治まった。翌日受診して、予備薬を貰った。一週間くらいして、またふりかけを食べさせた。今度は、咳のほか、くしゃみ、鼻水、そして極めつけに、「喉が痛痒い。」と言ったので、間違いなくアレルゲン混入を疑い、食べるのをやめさせた。大至急、投薬、吸入。久しぶりにアレルギー症状を見たので、気が引き締まった。ふりかけを見ると、販売者の記載は有っても、製造者の記載は無い。消費者センターに相談すると、保健所へ行くよう指導されたので、保健所に赴いた。次の日の夜、すぐに製造会社からお詫びの電話があった。全く聞いた事もない会社。不思議だよねー。私も含め、作っている人が誰だかわからない品物を、平気で口に入れている。いろんな製造会社のものをより集めて、詰め合わせてギフトとして売られている。製造会社は、丁寧にこう言った。「すみませんでした。私が“脱脂粉乳”の記載を忘れていました。」冗談じゃないよね。死んでたかもしれないんだよ。とにかく、これ以上犠牲者が増えないように、大至急、回収・公示のお願いをし、この日は事を荒立てもせずに電話を切った。毎日毎日、新聞を覗く日々。そして、公示されたのが今日。電話を受けた日から今日まで、丸々一週間もかかったのだ。おかしいよねー。なんでそんなにかかるの?その間にも犠牲者が出たかもしれないのに。小さい子だったら、アナフィラキシーショックを起こしていたかもしれないのに。“脱脂粉乳”だよー。信じられない。保健所には、クレームとして言ってはみたものの、なんて空しい…。もう私は、前向きにやり過ごす事で、苛立ちを抑えるしかない。「あー良かった。小さい頃だったら、死んでたかも知れないのに、こんなに軽く済んで。あー良かった。乳製品がまだ食べられないことが、今判って。試験が先延ばし出来たよね。(実は、来週経口誘発試験だった。)あー良かった。うちの子のおかげで、もしかして何人もの命が救えたかも知れないよ。」とかね。
2009年04月10日
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おばあちゃんが難病になって、入院したり、退院したり、おじいちゃんが危篤になったり、娘の反抗期がきつかったり、母が危篤になったり、手術したり…。毎日毎日、何かある。と思えるほど、大変だ。私自身の誕生日も、今年はそのまま過ぎてしまった。時々、どうしようもなくストレスが溜まり気持ちの置き場がなくなることがある。でも、…。息子のアレルギーは大変だけど、ちゃんと除去していて今は変化なし。そして、大声を出すようになってからは、喘息も起こりにくくなってきた。本当は、ケアが一番大変なはずの息子なのに存在が薄くなるほど、他のことが大変なのだ。アレルギー以外は、元気な良い子。その息子が私に言ってくれた言葉。「お母さん、大好き。 だって、いつも一生懸命だから。」何気なく言ってくれた言葉だけど、明日からまた頑張れると思った一瞬でした。この素晴しい日の出来事を、どうしても書き留めておきたかったのです。
2009年03月07日
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いつの間にか小鉄になってしまった息子。いつの日かアンパンマン列車に乗って、アンパンマン弁当を食べるのが夢だった。それなら作ってあげよう。どうだ。自然食品の梅干と、干しブドウで顔を作りました。もちろん、無添加弁当です。ちょっと栄養が偏っているけど、晩御飯でカバー。キャラ弁って、卵の黄色や、ハムのピンク、チーズのクリーム色など、食べられないものばかりだものね。私が頑張るしかないよね。(^v^)追伸、6年ぶりにトゥシューズなるものを持ち出してきて履いてみました。うーん、足が吊るわ痛いわ…。こんなもん履いて、舞台に出ていたのか。
2009年02月27日
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去年は、まず義母がパーキンソン病、義父が肺炎で危篤、そして、実母が大腸破裂で危篤、と続き、一時は立っているのがやっとの状態でした。さて、そんな3人も、徐々に回復。義母だけは、一生付き合っていかなければならない難病なので仕方がないけれど、義父が病気になったのを気に、何とか薬で自分を奮い立たせ、日常生活が出来るようになった。義父は車の運転をしなくなった以外は、完全社会復帰。83歳にしては、元気な義父。実母も、最近までは我儘を言い、なかなか自分の病気を受け入れることが出来なかったけれど、この一週間くらいで、何とか受け入れられるようになり、落ち着いてきたら、メキメキと回復している。退院は、まだ数ヶ月先になるけれど、8月24日から毎日通ってきた病院も、これまで通り退院まで毎日通うつもりだ。息子は、アレルギー検査がダメだったけれど、とっても元気に育ち、娘は反抗期真っ最中。プチ家出をしたこともあったが、今は落ち着いている。そんなこんなで、忙しくて更新することも出来なかった2008年だった。今年は、全てがだんだん良い方に向かう事を願っている。
2009年01月01日
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手術をしたりして、ICUに閉じ込められると、ピーピー、シューシューと規則正しい音に囲まれる。目を開ければ、沢山のチューブに繋がれて、拘束されている。口は、開けっ放しにされて、肺まで酸素のホースが通っている。体は勿論、動くはずがない。昼も夜もなく明るい。一日中、音の中で過ごす。そしたら、どうなると思いますか。ICU症候群(シンドローム)という言葉を、元看護士の友人から聞いたのは、母が幻覚を見たり、おかしいことを言い始めて間もない頃だ。言うといっても、口には酸素のホースが入っているから、筆談だ。毎日毎日、8度以上の熱が続いていたから、最初は、熱にうなされているだけだと思った。ところが、どうやらそうでもなく、熱が下がってからも、ウサギや犬に囲まれていたり、家で2回寝たとか、小さな子どもの姿が見えたり、屋根の上に女の人が居るのが見えたりしていた。ICUから出ても、家に帰ろうと、寝返りも出来ないのに、起きようとしては体が思うように動かないのを怒って暴れたり(もちろん、実際には暴れてはいない。そのように興奮していたということだ。)、先生が巡回に来たら、睨んだりしていた。私は、こんなに元気なのに、なんで繋がれているの?私は、もう帰りたいのに、なんで体を動くようにしてくれないの?(たぶん、紐で繋がれ、ベッドに縛られていると思い込んでいる。)酸素がうまくいかなくて、急きょ気管切開してから、一ヶ月以上声を出していない。鼻に、栄養のチューブを差しているのだが、何回も自分で抜いてしまった。目が開いていて、誰が尋ねて来たのかも分かっていたりするのに、同じ目で幻覚を見ている。居るはずのない小さな子どもに、私の目の前で手招きをしている。カーテン伝いに走っているウサギを、野鼠が食べてしまったらしい。手術から一ヶ月経つ頃、あまりにも酷い幻覚に閉口して、先生・看護士・介護師・元看護士など、いろいろな人に相談し、ネットで検索もしたが、アドバイスもいろいろ。とにかく、否定をしてはいけないそうだ。そして、普通の生活に近づけてやらなければならない。話し相手も居ない、1人部屋だから難しい。気管切開したら、なかなか症候群から戻るのが遅いらしいし、年が年だから、ヘタをすると、そのまま老人性痴呆症に移行することもあるらしい。大変だとばかり、看護師長さんに相談して、テレビを見せてみることになった。でも、テレビカードがなければ見られないし、買ってあげても、カードはなかなか高価だから、母も遠慮しているのか、それとも疲れるのか、すぐに消してとジェスチャー。バレエ音楽を持ってきて、MP3で聞かせたり、新聞を見せてみたり、週刊誌を枕元に置いてみたり。話しかけたり、筆談させたり…いろいろな刺激を、とにかく試してみた。師長さんの「運ばれたのが日曜日じゃなかったら、開腹手術も早くできて、術後もこんなにかからなかったのにね。」という言葉が、忘れられない。さて、この一週間、母は幻覚を見ていないようだ。回復が早かったのか、何が良かったのかは分からない。単に、普通のペースで回復しただけかもしれない。母は、目の輝きが戻ってきた。本人は何にも覚えてないのか、どこまで現実なのか、知っているのか、知らないのか…、今日、筆談で「私、どのくらい失神していたの?」と書いた。リハビリも始まったし、この分だと再手術の時期も思ったより早いかも知れない。
2008年09月30日
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義父も母も、相変わらず集中治療室で頑張っている。時々、「がんばれ」の言葉に首を横に振る母。死の渕から、一週間。熱が下がらない。辛くてたまらないんだろうな…。そんなとき、ふと荷物が届いた。忘れていた。夫の誕生日。普段は、夫にケーキなんか買わない。辛口だから、アルコールがあればいい夫。でも、今年は息子のために、試しに食べてみたかったケーキを注文していた。本番は、息子の誕生日なんだけど、そのケーキの存在を知ってから随分経つので、息子が待ちきれず、「ケーキ、ケーキ、あといくつ寝たら…」なんてしょっちゅう言うもんだから結局、じゃあ試してみようということになり、一番早く来る誕生日の人、つまり夫の誕生日に注文していたのだ。お絵かきケーキ。リクエストに応じて、絵を描いてくれる。もちろん、アレルギー対応だ。かなり高価だけど、奮発。息子のリクエストは、JR四国バス。息子の喜びようは、ここに書ききれない。全員が無言で、あっという間に、食べつくしてしまった。危篤の身内を二人抱えて、げっそりと沈んでいた私たちに、ゆるやかな時間が流れた。
2008年09月01日
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7月に、息子の経口誘発試験で落ち込んでいたのもつかの間。薬を飲ませ間違ったり(夫)、確認しないまま飲ませたり(夫)。(以前は乳製品から作られていた薬。現在は乳は使われてなくて、結果的には良かった。この話は、ブログに載せるつもりだったけど、あまりにも情けなくて、その気が起こらなかった。同じ過ちを繰り返すところだった。)その後、娘がストレス性胃炎を起こし、胃カメラ検査。原因は学校でのコミニュケーションによるトラブル。というか、思春期に起こりがちなストレス。これは時間が解決するだろうけど、今娘は戦っている。次に、部活中の熱中症。今年は暑いので、体育館で締め切ったスポーツというのは、辛い。まあ、点滴一本で、解決。次に、舅が倒れ、一週間後には、実母が倒れた。二人とも、今ICUで戦っている。二人とも、最初は危篤だった。舅は、80歳も過ぎているので、普通は、この状態だと、大抵死にます、たぶん、もうダメでしょう、などと言わるほど酷い肺炎だった。が、日ごろ畑仕事などをしているせいか、なんと、持ち直した。今日は、自発呼吸も出来るようになったという報告があった。危篤は脱したのだ。良かった。問題は私の母。腹部に激痛が走り、普段我慢強い母が、自分で救急車を呼んだという。救急病院から私の携帯に電話がかかったのが、朝8時半。不運1 評判の良くない病院からだった。救急車の人に希望も言えないまま、空いている病院に、そのまま運ばれてしまったのだ。そう思い込んで、居てもたってもいられなかった。駆けつけると、「便が溜まっていたので、浣腸しました。もう帰っていいですよ。」と言われ、なぁんだ、と、ホッとしたが、どうも様子がおかしい。帰れる状態ではないようなので、落ち着くまで少し待合室で、休ませてくださいとお願いしたが、一歩も動けず、冷や汗をびっしょりかいている。ますます、痛みが強くなる母。不運2 日曜日だった。若い当直の先生。所見では、悪いところは見当たらないが、検査する必要があるかも知れないので、明日内科の先生に診てもらいましょう。と、入院することになった。明日…?今日は、内科の先生が居ないから?…。この状態で明日まで我慢して待つのか。ところが、入院してベットの上にやっとの思いで座っている母は、ますます全身の痛みを訴え、冷や汗が次から次へ出てきて、どんどん状態が悪くなってくる。「もう、何もすることないから、あんた達(私と妹)は、もう帰り。」と強くいうし、朝飛び出したまま、息子の昼ごはんは、アレルギー用レトルトを電話で指示したままだったので、家の方も気になる。こんなとき、息子がアレルギーでなければ、外食でもさせたら良いのにと、悔やみながら、一旦家に戻り用事を済ますと、ほどなく病院から電話がかかってきた。「お母様の様子が急変しました。すぐに来て下さい。」急変?一体…。訳が分からない。便秘って言ったよね。朝、激痛が走ってから、11時間経過していた。「お休み中の先生を呼んでいますから、もう少しお待ちください。」自転車を飛ばし、汗を拭きながら到着した病院のナースステーションで言われた。すぐ来て下さいって言ったでしょ…そして、母の顔も見られないまま、廊下で30分以上待たされる。妹も駆けつけていた。ほんっとに、この病院は、どうなってるの!と、半ば腹も立ちながら、母の容態が心配でたまらない。やっと来た先生は、内科ではなく外科の先生。「腸に穴が開いて、破裂しています。そこからお腹の中中に、便が撒き散らされて、とても危険な状態です。すぐに開腹手術をしなければ、致命的です。」つまり、ほっとけば死ぬってこと。更に、手術中や、後にも、危険が伴うという説明を受けた。説明は、とても丁寧だ。手術だから、内科ではなく、外科の先生が来てくれたのだ。何で、朝の8時に救急車を呼んだ母が、夜の8時に、そんなことを言われているのか。ずっと痛みを我慢していた、母がかわいそうでならなかった。腸が破裂して穴が開いてれば、そりゃー痛かっただろう。この前、娘が胃に穴が開いた胃炎とは、スケールが違う。でも、こうなったらお願いするしかない。休日中の看護士さんも、呼び集める必要があるので、もう少し待つようにいわれ、ひたすら待つ。そして、やっと手術室に入ったのが9時すぎ。手術時間、早くても、日付は超えます。と言われ、手術室の前に待つところがないので、1階の外来の待合室で待った。待っている間に、「さっきまで、偶然だけどよその救急病院の看護士さんと、話をしていた。」という、叔母が駆けつけて来た。おばは、「その看護士さんの居た病院は、さっきまでてんやわんやだったらしいよ。」と言った。この病院は、…少なくても私が待っている間、救急車の音が2回だけだった。早朝見た医師がまだ働いている姿を、何度も見かける。不安材料を数えても、仕方がない。先生を信じよう。あんなに一生懸命になって、説明してくれたではないか。休日なのに、至急駆けつけてくれたではないか。母が死ぬと決まったわけではない。手術は、12時半に終わった。意外と早くて、それはほっとしたが、実は、炎症が酷くて、時間をかけると危険だから、早く閉じたかったのだとのこと。だから…、不運3 母は、人口肛門になってしまった。もっと早く、破裂をみつけてくれて、すぐに手術してくれたら良かった。日曜日じゃなかったら良かった。倒れた時、意識がしっかりしていて、沢山の医師がいる希望の病院を言えたらよかった。たら・れば、を言っても仕方ないが、命にあてはまらないと思う。そして幸運…母の手術は成功し、この世に戻ってきて、回復に向かっている。外科の先生、手術で母の命を助けてくれて、本当にありがとうございました。休日を返上して、駆けつけてくださり、感謝します。看護士さんも、何人かの方が、休日を返上して集まってくださり、ありがとうございました。気が緩んだため、夜中に大声で泣いてしまって、患者の皆様、ご迷惑をおかけしました。でも…母にとって幸運かどうかわからない。人口肛門になったことを、母はまだ知らない。70歳過ぎてもバレエの先生でいることを、生き甲斐にしていた。日曜日、その日は、他のレッスンを受けに行くのだと、張り切っていた。娘である私にとって、死ななかったことがどれだけ嬉しいか分からない。でも、母は意識がしっかりしてくると同時に、いろんなことを知るだろう。その時に、どう思うのか。自分の姿を受け入れ、これからしっかり生きていけるのか。母の強いプライドは、ずっと健在のままでいられるのだろうか。母のバレエ人生は、死ぬまで続けることが出来るのだろうか。8月24日、永い1日だった。
2008年08月26日
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たった、1ミリ四方の卵焼きで、玉砕。疲れた。
2008年07月07日
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明日、久しぶりに経口誘発試験なのです。前回、カステラで玉砕した息子、実は、一口目に「おいしい~」って言ってしまったため、次から次へと口に入れられるまま、食べて食べて、ついに反応が出始めてからは早かった。トイレから出られず、えずき、喘息まで誘発してしまった。だから、今回は、絶対にカステラは嫌だと言った。そう、もういろいろと喋れるようになったから、分かりやすくなった。玉子焼きで、勝負。せめて、良い卵をと、「土佐ジロー」という銘柄の卵を買ってきた。一個60円。小さい。普段卵なんか買ったことないので、高いのかどうかなんて意識にない。また、あんな息子の姿を見るかも知れないから、嫌なんだけど、ひょっとして食べられるようになるかもしれない。期待は禁物。だけど…「早く、アレルギーを治したら、どこにでも連れていってあげられるのに。あれも、これも食べられるのに。早く治せよ。」と、本人に向かって、心無い言葉を発する夫。自分で治せるものじゃないのに。悪気はないんだろうけどね。早く、アレルギー地獄から出してあげたい。
2008年07月06日
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長いこと更新していないので、そろそろ書き込んで置かないとね。(笑)いやー、2月、3月は、青色申告の手伝いとか、あとパーキンソン病の義母のお手伝いに通ったりして、忙しい毎日を送っています。その忙しい合間を縫って、毎日作る娘の弁当のことで一言。「あのね。同級生のお母さんたち。(一部だろうけど、複数。)うちの子はアレルギー対策もあって、手作り弁当なんです。お金だけ与えて、パンを買いに走っている娘さんは、うちの娘の弁当から、おかずを分けてもらっているのを知っていますか。」なんだか、最近娘の体が、アトピー性皮膚炎だらけで、いつも血まみれ。多分、隠れてお菓子を食べているからだろうと、叱り続けていたけど、なんだかそれだけではないみたいで。で、聞いてみたら、弁当のおかずを取られる、その代わりに、まずい冷凍食品のおかずを、「私、これ嫌いだから。」と、無理やりくれる。だから、嫌々食べているときがある。と、娘は言い訳する。そりゃね。コミニュケーションも大切だし、仕方ないよ。私だって、冷凍食品を入れるときもある。まずくても、その子のお母さんは一生懸命、お弁当箱に詰めてくれているんだから良し。アトピーの原因はそれだけでなく、ストレスなんかもあるだろうしな。許せないのは、パンを買いなさいと、毎日育ち盛りの娘に、お金だけ与えている親。私は、中学の時は、親が忙しかったから、自分で作っていた。たとえ昨日の残り物でも、詰める材料だけはあった。パンだけよりはマシだよね。パンとジュース。中学生が毎日、パンとジュース。普通じゃないと思う。食育…大切です。『砂糖・塩に数日漬け込んで軟らかくした、 安い(笑)牛肉のステーキ弁当』どれくらい、娘の口に入るのだろうね。
2008年05月13日
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アレルギー児にとって、「どれを食べても良い」バイキング新年会、去年は予算の都合で行けなかった。今年も、本当は行くつもりはなかったのだが!実は、新年明けて、お年始に行ったときのこと、私は気が緩んでいたため気付かなかった。お年始と言えば、豪勢なお節料理が並んでいるじゃないか。お節料理なんか、息子は食べられない!こんなことを忘れて、昼時空きっ腹の息子を連れて行ってしまった。お年始はなりゆきだ。本当は、挨拶だけしてさっさと帰るつもりだった。しかし、親戚の流れにのって、座敷に座ってしまった。割り箸を割ろうとしながら、「どれを食べよっかな~。」とニコニコとはしゃいでいる息子を見て、青ざめた。「どれ、食べれる?」と、あどけない顔で聞いてくる。「うー、どれも食べれんねー。」「…。」黙って割り箸を、元に戻す息子。しまった~!後の祭り。息子を、泣かせてしまった。ごめんよ、息子。来たばかりで、すぐに御暇するわけにもいかず、何とか食べられるものはないかと台所に。そこで目に付いたリンゴを貰い、包丁をよく洗って剥かせてもらい、ウサギリンゴにして、機嫌を直してもらい、やっと息子に食べてもらった。リンゴ…ありがとうございました。すみませんでした~。…私はといえば、例のごとく一部の親類の苦言・嫌味に耐えまくっていたけど、昼ごはんを食べさせないと、と、息子を連れ出すことに成功。「かわいそうねー、かわいそうねー、」と言いながら、目の前でパクパク食べるなー。(ここだけ言わせて下さい。王様の耳は…、でお願いします。)悪気がないのは解っているけど…。その後、家に帰って来てもご飯も食べず泣いている息子、どうやらお年玉でおもちゃを買うのを楽しみにしていたのが、ちっともおもちゃ屋に連れていってくれないじゃん、と思っていたのもあったみたい。後で判ったけど。まだ飲んでいた夫を呼び出し、おもちゃ屋に息子を連れて行ってもらい、お年玉でおもちゃを買ってきた。機嫌は直った。…息子はすぐに忘れただろうけど、「どれ食べれる?」と言ったときのニコニコ息子の笑顔は、今も私の心のシコリとなって残っている。元日から大失敗。というわけで、その時決心したのだ。そうだ!新年会で、思いっきり食べさせてやろう。新年会はフランス料理なのだ。金額が張るので迷っていたが、食べさせてやりたい。と、その日のうちに申込書を書き、投函したのだ。そして、今日。いよいよフランス料理&「食べ物のお店デビュー!!」一番乗りだ。生まれて始めてのレストラン。シェフの料理が並ぶ。早く来すぎたので、息子は耐え切れず、ラップのかかっている料理を「抱っこして見せて」とせがみ、始まるまでずっとラップ越しの料理を見続けていた。まぁ、ただでさえ食いしん坊だからな。何とかのワイン煮や、スズキの何とか…、イカの…よく覚えてないや。そして、お楽しみ「デザートバイキング」。アレルギー食の良いところは、いくら食べても胸にもたれないことだな。卵・乳入りのケーキだったら、これだけの量は食べられないよな。途中、息子をトイレに連れていったときに、あまりにもパンパンに、いや、カチカチに固まった息子のお腹を見て、びっくりして笑ってしまった。これぞ「はちきれそう」というのがピッタリ。思わずツンツンして、張り具合を確かめてみたが、石のようだった。(笑)どれだけ食べたの!?ああ、高くても参加して良かった。料理も、雰囲気も最高、ちょーおいしかった~!!新年会の感想を、記入しているとき、息子が横からこう言った。「○○(息子の名)は、おいしく食べて、とても楽しかったでしゅっ。って書いといてね~。」
2008年01月13日
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娘の学校でのクリスマス会、息子の保育園でのクリスマス会、アレルギーの会でのクリスマス会、そして、今日はおうちクリスマス。いやー、アレルギーが大変だと思うときはこんな時。買い物に行くと、みんなチキンやケーキをポンポンと買っていく。それを、横目で見送り、朝早くから準備。何で今日、祝日なの~!息子、邪魔だけはしないでね。今日は、ちょっと頑張った。サツマイモのクリームで、ブッシュド・ノエル。中身はリンゴのコンポート。リンゴとお芋って合うよね。最初、ふくらし粉を入れ忘れて作り直す事態に!!でも、もちもちして、そっちの方が私好みだった。ラッキー!息子が大好きな散らし寿司は、人参・ごぼう・こんにゃく・薄揚げ、そしてヒジキ。味付けは、きび酢とてんさい糖と塩。卵もどきをかぼちゃで作る予定だったけど、時間がなくて断念。焼き海苔を刻んで、大葉を散らすとそれなり。鶏は、魚用のグリルで簡単に塩コショウだけで焼いて、エビは、片栗粉をつけてオリーブオイルでソテー、仕上げにケチャップとパセリを散らす。ひっじょーに、美味しかったです。甘栗と苺は、実家からの差し入れ。食べず嫌いの息子、栗だけは食べなかった。買い物以外は、家にこもって料理三昧。アレルギーの家庭は、みんなこうですか~?あー疲れた。でも、みんな美味しそうに食べてくれて、ありがとう。
2007年12月24日
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待ちに待ったアレルギーの会のクリスマス会。朝、私が気持ちよく夢を見ていると、なにやら肩を叩く。「おかあしゃん、クリスマス会に間に合わんで、早く起きて。」息子が、何度も私の布団を叩く。ポン・ポンポン…。ポン・ポン・ポン・ポン…。う~、そんなに楽しみにしていたのか。目覚ましが鳴る前に、私はしぶしぶ起きた。かわいい顔して、息子がちょこんと私の枕元に座っている。まだ外は真っ暗だ。慌しく朝の支度をして、準備O.K。さて会場に到着、私は会場の準備。飾りつけや、料理運び。始まる前から疲れたが、綺麗で美味しそうな料理を見ていると、疲れも吹っ飛ぶ。作ってくれた皆さん、ありがとう。席に着いたとき、息子はニコニコ笑顔で、数々の料理に目を奪われている。「おなかしゅいた~。」と言いながらも、おりこうでじっと座って待っている。やっと食事の時間になった。私たちがバイキング形式の料理を取りに行っている間も、ひたすらじっと座って待つ息子。終始、顔はニコニコだ。さて、取ってくるもの取ってくるもの、どんどん食べつくし、お腹がパンパンになった。まるで、お腹の中に何か入っているようだ。食べても食べてもまだ入る。アレルギー児は、みんな今日のこの日が待ちどうしい。みんな、笑顔。沢山並ぶ料理、息子はどれもこれも迷わず全部食べてもオッケー。数種類のケーキをはじめ、料理はあっという間になくなった。それにしても、こんなに食材が限られているというのに、なんでこんなにおいしくて素晴しい料理が並ぶかな。いつもながら、感心してしまう。本当に素晴しい。会員さんが作って持ってきてくれていた料理の一つが、あんまり美味しかったのでちゃっかりレシピを聞いてきた。食事が終わると、プレゼントの時間だ。サンタさんにプレゼントを貰い、それを持ったまま他の子が包装を開けるのを見ていたので、「開けてもいいよ。」というと、ニコッとした。そして中身を見るや「これ、欲しかった~。良かった~。」と、大はしゃぎ。今年はサンタの顔をみて泣かずに、ちゃんと「ありがとう。」と笑顔で言えた。去年、保育園のクリスマス会で、自分の父親が化けているサンタだったにもかかわらず、大泣きだったとは、とても思えない。成長したなあ。この調子で、アレルギーの方も良くなって欲しいなあ。
2007年12月16日
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