madamkaseのトルコ行進曲

madamkaseのトルコ行進曲

Yaprak dokumu(落葉) その3


第55話

 夜の間に車に乗り込んでいたオウスに首筋を押さえられてフェルフンデは仕方なく車を進めた。道の脇で男が1人待っていて、それは例の、オウスの部下だった。車を止めると運転席を引っ張り出されたフェルフンデは後ろ座席に閉じ込められ、オウスに殴られた。男が代わってハンドルを握り、いずこかへ連れ去った。
 アリ・ルーザの家にジャンが電話をかけてきた。レイラが出ると「オウスのことでは心配要らない。君ともこれが最後の電話ではないからね」という。ハイリエはアリ・ルーザがオーデコロンまでつけて早々と出かけたので不機嫌である。アリ・ルーザのことで気を揉んでレイラを相手にぐずぐずと文句を言っている。レイラは母が見えない相手に嫉妬しているのを面白がった。
 だがその頃、アリ・ルーザはかかりつけの病院で血液検査を受けていたのだった。

 エディルネ・カプ地区の昔の城壁あとに連れてこられたフェルフンデは、秘密のアジトに引き入れられて、椅子に座らせられる。気丈にもまだオウスに対して威嚇するフェルフンデを、オウスは冷たく笑い飛ばし、吐き捨てるように言った。
「お前なあ、他人をとやかく言う前に自分のことを考えろよ、俺にした仕打ち、そっくりお返しするぜ」

 アリ・ルーザの家で、1人落ち着かず電話をかけようとしたハイリエが、レイラが来たので慌てて受話器を置いた。その手に女物の名刺が握られている。レイラは笑った。
「やーね、どこにかけようとしているのよ、こそこそと」
「別に・・・」
「ねえ、お母さん。ネイイル叔母さんちにお茶に行きましょうよ。私、出る支度してくるわ」
 レイラがいなくなるとハイリエはもう一度電話をかけた。ネジュラのペンションだった。受付の男に家主の未亡人ジュリザを呼び出して貰い「先日、うちの電話番号をお知らせするのを忘れたのでかけました。何かありましたらどうぞよろしく」と言った。
 ネジュラが学校に行こうと階段を下りてくる。母親からだとはおくびにも出さず未亡人はネジュラを送り出した。ネジュラは街を歩いていてもオウスの声が耳から離れない。ふとすぐそこにいるような気がして思わずたたずんであたりを見回した。

 オウスの留守宅に弁護士と警察官が来てジェイダに「オウスから連絡はなかったか」と尋問する。そして警察に出頭して書類を作成する必要があるといってジェイダの出頭を求めるのだった。
 一方城壁の地下のアジトではフェルフンデが駆け引きに出ようとしていた。
「何をする気なの。お金がほしいならあげるわ。私を自由にしてよ」
「馬鹿を言え。お前の銀行に全額下ろすと連絡を取れ。この男と一緒に受け取りに行け」

 刑務所では大部屋に戻ってこないオウスのことでボスが探りを入れさせたが、何の情報も得られなかったのでかんしゃくを起こしていた。オウスの部下の男にしっかり腕をつかまれたフェルフンデは仕方なく車を運転して再び街に出た。
 アリ・ルーザは診察と血液検査の結果、コレステロールが非常に多く、体重を減らす、油モノを食べない、1日45分以上のウォーキングなどの必要性を医師から言われていた。6ヵ月後にどんな体重になっているか、見せに来てくださいといわれてしまう。

 ハイリエはレイラと共にネイイルの家に来ている。娘達はセデフの部屋でお喋りし、ハイリエはネイイル相手にアリ・ルーザが新しい仕事を見つけたが、その社長がまだ若い女で、今朝などオーデコロンまでつけて出かけたということを不機嫌に語っている。
 レイラは「ジャン氏には、結婚している男と付き合うつもりはないときっぱり言ったわ」という。セデフは「結婚している男と付き合う可能性すらないわ、私には」と、暗にシェヴケットのことを語る。

 フェルフンデは男にしっかりと腕をつかまれながら銀行に連れて行かれ、預金のすべてを下ろした。25,000YTL(12月25日のレートで約250万円)だった。それはかつてオウスから口止め料で搾り取った金だった。その頃、シェヴケットはフェルフンデに電話をかけるがいくらコールしても全然出る気配がなく、家にかけてみるとこれまた誰も出ないので、レイラにかけてみた。レイラも知らないという。シェヴケットは気になりだしてヤマンのところに電話した。
「けさ、彼女は来るといっていたんだが、いまだに来ないよ。どうしたのかね。とりあえず来たら君に知らせるよ」

 遺跡ではオウスがフェルフンデ達の帰りを待っている。調書を作成し終わったジェイダは弁護士に付き添われて警察の外に出た。歩き始めたジェイダが急に「あああ~っ」と下腹部を抑えてしゃがみこもうとした。急に産気づいてしまったのである。弁護士は通りがかりの老婦人にジェイダを見ていて貰い、タクシーを探しに走った。

 アリ・ルーザは家に戻ってきたが誰もいない。玄関を入ると電話がなっているので急いで出た。アダパザールのフィクレットからであった。
「あれあれ、また電話かい、お金がかかるんだよ、フィクレット・ハヌム」と姑のジェヴリエ。
 そこにタフシンが帰ってきた。たくさんの額縁を持っている。それは夏に行われた男の子達の割礼式の写真や、前妻が生きていた頃みんなで撮った写真を引き伸ばして額に収めたものだった。
「フィクレット、君が注文しておいたのが出来ているって知らせが来たから貰ってきたよ。いろいろこまごまとありがとう」と、タフシンは礼を言うのに、姑のジェヴリエは「あああ、あの頃はよかった。嫁が死ななきゃこんな苦労はしないものを」とフィクレットには辛い言葉を吐くのだった。フィクレットは自分の部屋に引っ込んでしまった。

 たくさんの写真額を作ったのに、フィクレットが写ったものは1枚もなかった。タフシンはフィクレットの傍らに行き、何とかフィクレットを説得しようと努めた。
「君はどうして自分の存在をもっと主張しないんだ。俺を嫌っているのじゃないか? 嬉しくないのか、ここにいるのが。どうして俺をもっと近づけてくれないんだ!」
 例によって母親が盗み聞きしているのは分かっているがタフシンは心のそこからフィクレットを振り向かせたいと願った。
「君が、どこで誰のために生きるかは君の自由だ。だからこそ、自分がどこで誰と生きるのかをきっぱりと決めてくれ、フィクレット!」 それだけ言うと、タフシンは部屋から走り出た。立ち聞きしていてぶつかりそうになった姑を見て彼は呆れる。だが、タフシンの心からの叫びはフィクレットを揺さぶった。
 いろいろな思いが胸に去来する。部屋に取り残されたフィクレットは深く考え込んでしまった。

 アジトに連れ帰られたフェルフンデから、オウスは金を奪い返した。さらに車の鍵も奪って部下に処分させた。フェルフンデは悪態をついたがオウスは無視し続ける。シェヴケットから電話がかかってきても話をさせてくれるはずもなく、フェルフンデにとって不安な長いときが流れた。

 隣家から戻ってきたハイリエとレイラは、台所で茹でた野菜を食べているアリ・ルーザを発見、
「これからは体重を落すためにウォーキングもする、君もやらんかね」と夫に言われたハイリエはてっきり出版社の女社長に気に入られようと夫がダイエットを始めたと思い込んだ。
「えええ、どうせそうでしょ、もう私なんか好きじゃないんでしょ。どうせ私はデブで年寄りよ!」とひがんでしまった。

 病院ではジェイダが元気な男の子を産み落とした。弁護士が付き添っている。ナースが綺麗に湯浴みを済ませた赤ん坊を連れてきた。涙ぐむジェイダ。オウスに知らせてやりたいが、自分が電話してオウスに足がついてはいけない。
 シェヴケットの銀行に製糸業のミタット氏が来る。何万YTLもの入金である。彼はシェヴケットにささやく。
「このところ全然来ないじゃないか」
「時間がなかったんですよ」
「忘れないで貰おうな、月曜日は返済期限だ」
「分かっています、ミタット・ベイ」
 ミタット氏が立ち去ると、向かいの席のギュルシェンが心配してシェヴケットの席に来た。
「シェヴケット、あの人にお金を借りたんじゃないでしょうね」
「いや、友人が借りる仲立ちをしてやったんだよ」
とっさに嘘をつくシェヴケット。ギュルシェンには分かっていたが、彼女はシェヴケットを傷つけないように言った。
「じゃあ、その友達に十分注意するよう言ってやって。あのミタット氏はすごく危険な人物よ」

 遺跡のアジトでは相変わらずフェルフンデがじりじりしていた。オウスは見張っている。シェヴケットの電話にも出して貰えないのでフェルフンデは別なことを思いついた。
「ねえ、ネジュラに会いに行かないの。アドレスを知っているのよ」
「黙れ!」
「○○通り、○○番地の、ユヴァ・ペンションよ」
「黙れ、黙れと言っているんだ~っ!」
 ネジュラを恋しくても今は会いに行けないオウスの気持ちを逆なでするようなフェルフンデの言葉は彼をついに逆上させた。オウスはフェルフンデを黙らせようと殴りつけ、次にイライラと歩き回った。
 銀行からこの日何度目かの電話を家にかけたシェヴケット。フェルフンデは家にも戻っていないという。ハイリエが2階からウォーキングの格好で降りてきた。身なりだけは一人前だったのでレイラにからかわれながら夫と共に外に出た。

 アダパザールでは、夕食の支度をするフィクレットがほろりと涙をこぼしている。そこに子供達3人が学校から帰ってきた。一番下のジャナルが「フィクレット・アブラ、どうして泣いてるの?」と聞いた。
「何でもないわ。さあ、中に入って手を洗いなさい」
「あ、ボレッキのにおいだ。わあ~、ボレッキ作ったの?」とボレッキが大好きな兄のメフメット。
 デニズがフィクレットの肩に手を置いた。そしてフィクレットを促した。
「フィクレット姉さん、私の部屋に来て」
 ベッドに座るとデニズはフィクレットの手を取って言うのだった。
「もしかして、出て行くつもりになっているんじゃないの? だから泣いたんでしょ? おばあちゃんはお母さんに対してもああだったの、気にしないで。お願いよ、フィクレット姉さん。行かないで。どうしてもあなたが必要なの、私達には。この前のことであなたがかばってくれて以来、ますますあなたが大事な人になったのよ。どうかこの家であなたに不幸でいてほしくないの。」
 真剣なデニズの言葉にフィクレットは思わず彼女を抱きしめた。そしてもう一度考えてみようと思うのだった。同じ頃タフシンも農場の出荷を監督しながらフィクレットを思っていた。言い過ぎたのだろうか、フィクレットに判断を急がせ過ぎてしまったのではないだろうか・・・

 病院。ジェイダの部屋づきのナースが、母親と赤ちゃんの着替えが必要であると言いに来た。
「看護婦さん、道を歩いていて急に入院しちゃったものだから何の用意もないの。ここへ電話をかけてくださる?」
 カラキョイを歩いているネジュラに電話がかかってきた。
「ネジュラ、男の赤ちゃんが生まれたの。でもあなた以外に頼れる人がいなくて、赤ちゃんの下着が必要なのよ。どうか私を助けて・・・」
 複雑な気持ちではあったがネジュラは感じていた。ジェイダと自分は運命共同体のように生きる必要があることを・・・

 海岸を夫にぐずぐず文句を言いつつ歩いているハイリエ。
「ふん、オフ、オフ。こんな思いをしても女社長に気に入られようとしているのね。いい年をして」
「ハイリエ、実は今朝、私は血液検査に行ったのだ」
「え、なんですって。じゃ、あなた病気なの、アリ・ルーザ!」
「ふふふ、恋をしているのさ」
「冗談も休み休み言って。私に何も隠したりしないで。それでどうなの、アリ・ルーザ」

 ヤマンの会社にジャンが来る。そこへちょうどまたシェヴケットから電話が。まだ来ていない、来たら必ず知らせるよ、とシェヴケットにはそう言いながら、ヤマンはジャンに説明した。フェルフンデが行方不明だ、もしかするとオウスの逃走と関係があるのではないかと。
 アジトでは、オウスに高飛びの支度が整ったと電話が来た。後ろ向きのオウスの隙を見て、フェルフンデは椅子を持ち上げてぶつけたが、的を逸れてしまい、怒ったオウスが襲い掛かってきた。殴られ蹴られ押し倒された拍子に後頭部をぶつけて人事不省になってしまったフェルフンデを放置し、オウスは「ついにもう、俺とは会わなくて済むんだぜ」と捨て台詞をしてアジトを出て行った。

 アリ・ルーザの家にはヤマンとジャンも来ている。シェヴケットがいらいらと電話をかける。だがフェルフンデは電話に出ない。重苦しいときがアリ・ルーザ家に集まった人々にのしかかっている。
 どのくらいのときが経ったのだろうか。フェルフンデはわれに返った。体中が傷だらけで痛い。顔や唇からは血が流れている。やっとのことで彼女は起き上がった。片方だけ脱げたヒールを探すことも出来ず、足元に転がっていたハンドバッグだけを握ると、彼女は足を引きずりながらアジトの戸を開けて外に出た。もうすっかり日が落ちていた。

 アダパザールの家ではデニズが食卓を整えている。姑は「フィクレットは何やってんの、こんな中学生の娘に食事の用意をさせて」と毒づいていた。
「フィクレット姉さんは用事があるの。さ、ちびっ子達、席に着きなさい。おばあちゃんもほら」
「一家の主が帰ってこないうちに席につけるかい。どうしたんだい、あの女はもう」
 そこにタフシンが帰ってきた。フィクレットが奥の部屋から出てきた。タフシンもジェヴリエも思わず目を見張った。デニズだけが微笑んでいる。髪を綺麗にカールさせ、ばっちりと化粧をした魅力的な女が立っていたのだ。
「タフシン、今日は2人で外で夕飯にしようと思って待っていたの」
「え、そうか。じゃあ、さっとシャワーを浴びてくるよ!」
 タフシンはうれしげに風呂場に駆け込んだ。姑が慌てて叫ぶ。
「あれ~、じゃあ、私も一緒に外で食べるワイ」
 フィクレットは毅然として言った。
「ジェヴリエ・ハヌム、いいえ、あなたは行かれません。なぜなら今夜はタフシンと私が2人だけで出かけるつもりなんですから」

 ネジュラは病院でジェイダの産んだ赤ん坊を見ていた。
「可愛いねえ、奇跡ねまるで。こんなに小さいのにほら、なんでも一人前よ。ああ、素晴らしいわ、ジェイダ」
「ありがとう、でもこれから先どうすればいいのか。この子にはお父さんもなく、私にはお金も力もない・・・」授乳しながらジェイダは泣いた。
「オウスは知っているの?」
「知らないのよ、まだ。電話を持っていってしまったし、うっかりかけられないし」
「そうね。でもジェイダ、あなたはとうとうお母さんになったのよ。新しい人生を生きなければいけないわ。泣いていないで、さあ」

 城壁あとのアジトから抜け出したフェルフンデはやっとのことで通りに出てきた。タクシーを捕まえ、息も絶え絶えに自宅の住所を告げる。運転手は人の良さそうな若い男で、何か事情があって大怪我をしているフェルフンデをいたわりながらアジア側のアリ・ルーザ家に急いだ。

 病院からネジュラは職場に電話し、友人の出産で手伝いをしなければいけないから休みたいと言った。そしてこまごまと買い込んできた赤ちゃん用の下着などをふくろから取り出した。
同じ頃海辺で逃走用のモーターボートが来るのを待つ間に、オウスはネジュラに電話をかけた。ネジュラはジェイダが目を覚まさないように、急いで廊下に走り出る。
「オウス、どこにいるの。あなたの息子が無事に生まれたのよ。私はジェイダに付き添って○○病院にいるの」
 オウスは天を仰いだ。

 アリ・ルーザ家ではヤマンとジャンがひとまず引き揚げるところである。家の外に出たヤマンはジャンに言った。
「さっきオウスの弁護士から知らせが来た。ジェイダがオウスの息子を産んだそうだ。もしこのニュースがオウスに伝わっているとすれば、ヤツは必ず病院に現れる」

 アダパザールでは、レストランでタフシンとフィクレットが語り合っている。フィクレットはアダパザールでタフシンと共に生きる決心をしたのだった。
 ようやく幸せを掴もうとしている姉フィクレットとは対照的に、ネジュラは複雑な思いでジェイダの面倒を見ていた。オウスの子を産んだジェイダにはもう憎しみも何もないが、とうとうここまで関わってしまっている自分が理解できない。それでも小さな天使の横顔は子供を生んだことのない若いネジュラにとっても心が清らかに洗われるようである。ジェイダが授乳しやすいように起き上がるのを手伝っているとき、ドアが開いて突然入ってきたのはオウスだった。
 ネジュラはオウスに赤ん坊を抱かせる。
「これが俺の息子か。ジェイダ、産んでくれてありがとう」
 かつて冷酷そのものだったオウスが父親となって涙を浮かべ感動しているのだった。ジェイダもネジュラも胸がいっぱいになった。そのときまたドアが開いて数人の警官が入ってきた。その後ろにはヤマンとジャンが・・・
「ネジュラ、俺の息子をどうか面倒見てやってくれ」
 その一言を残し、手錠でくくられたオウスは高飛びの夢も破れ、再び連行されたのだった。

 同じ頃、アリ・ルーザ家にはタクシーが到着し、運転手が意識も朦朧としたフェルフンデを車に残して玄関の戸を叩いた。すわと飛び出すシェヴケットとアリ・ルーザ。気丈にも車を1人で降りようとしたフェルフンデは、夫と舅の腕に抱かれた途端、がっくりと気を失った。


第56話

 病院の待合室。アリ・ルーザ、ハイリエ、レイラ、銀行の友人ギュルシェン、ヤマン、もいる。フェルフンデは命にこそ別状なかったものの、殴られた顔や頭にひどい怪我をしていたので、医師の治療を受けている。シェヴケットが付き添い、傷の手当を終わって出てくる。
 待っていたみんなは改めてフェルフンデの傷のひどさに胸を痛めた。そこに弁護士ジャンが、当直の裁判所へ申し立てのため必要なレポートが出来た、と持ってくる。

 アダパザールの家。2人きりで外食を楽しんだタフシンとフィクレットが帰宅、姑ジェヴリエは慌てて仮病を装う。「う~、死にそうだよ、苦しいよ」と訴えるがタフシンは信じない。彼がフィクレットの寝室からいつものように夜具一式を持ち出したので、やっと姑は機嫌を直してイッヒッヒと笑った。

 ヤマンの車でハイリエとレイラは一足先に自宅に送られる。ヤマンは「オウスの弁護士からジェイダが男の子を産んだと聞いたので、私が警察に知らせて逮捕に繋がったのですよ。病院に息子を見に来たところを捕まったのです。そうだ、病院にはネジュラがいましたよ」
 それを聞いたハイリエとレイラは驚いた。ことにレイラは「どうしてネジュラがジェイダの病室にいたの。おかしいわ、私にはとうてい考えられないことだわ」と目を丸くする。家に着くとネイイルとセデフ親子が留守番をしていた。「あ~あ、今夜は10年もいっぺんに歳を取ったような気がするわ」と、ハイリエはネイイル達に深いため息をつきながら言うのだった。

 フェルフンデは調書作成のために呼ばれているので、シェヴケットとアリ・ルーザとジャン弁護士に付き添われて病院から警察に回った。警察の入り口で、数人の警官に連行され階段を下りてきた手錠姿のオウスを見たシェヴケットは、「こいつ、殺してやる!」と殴りかかった。警官に抑えられたシェヴケットの悔しさ以上に、この男のために2人の娘と長男の嫁がひどい目に遭わされたアリ・ルーザは、無念さにこらえきれずオウスをしっかりと指差しながら、「この汚い男め、よくも娘達を滅茶苦茶にしてくれたな。私の家族に二度と近づくな!」と叫ぶのだった。

 警察でフェルフンデの被害額の申し立てが25,000YTL(約250万円)というので、そばで聞いていたアリ・ルーザとシェヴケットはその額に驚き互いに顔を見合わせた。
 家では女達ばかりが話し込んでいた。どうしてオウスの息子を産んだジェイダの部屋にネジュラがいたのか、理解できないとレイラが言う。一方そのジェイダに付き添っているネジュラはオウスの弁護士に電話して、オウスが脱走したあとフェルフンデを襲い、金を強奪した罪でさらに刑が加重されることを知る。ジェイダはまた泣いた。

 夜が更けてフェルフンデの調書作成は終わり、ジャン弁護士の車で家に送ってもらうため警察を出るとき、アリ・ルーザ親子は今一度オウスに遭遇する。傲然と肩をそびやかしたオウスは護送車で刑務所へと送られたのである。刑務所では牢名主のボスが、オウスが捕まって戻ってくることを刑務官から聞き祝杯を挙げている。

 家ではアリ・ルーザ達の帰りが遅いとハイリエが気を揉んでいる。そこに当人達が帰ってきた。出迎えたネイイルが思わず息を呑んだ。フェルフンデはジロリとセデフを見て、自分達の部屋に入ってしまった。だがシェヴケットは1人書斎にこもって妻のそばに行ってやろうとしなかった。
 ネイイル親子は自宅に引き上げ、ハイリエは寝室にいるフェルフンデを案じてレイラを見に行かせる。一方アリ・ルーザはシェヴケットの傍らに腰を下ろした。
「どこから出てくるんだ、あんな大金。あいつはまたウソをついているんだ。つくづく嫌気がさしたんです。あんな女とはもう・・・」とシェヴケットはうんざりしたように言った。
「シェヴケット、後悔しても何も生まれないのだぞ。落ち着いたらよく話をしてみなさい」と父は静かにたしなめるのだった。
 ハイリエがフェルフンデのためにチョルバ(スープ)を作って持ってきたがフェルフンデは何も飲みたくないという。アリ・ルーザは「今夜はゆっくりお休み。それが一番だ」とみんなを促して出て行った。

 シェヴケットは書斎にこもったまま1人で鬱々とした朝を迎えた。フェルフンデはよく眠れない一夜を明かした。シェヴケットがひどく怒っている様子でとうとう寝室に来なかったので彼女は心配でならなかったのだ。
「シェヴケット、ありがとう、何もかも」
「ふん、お前はほかに何か隠していることはないのか。どうしたんだ、あの大金は」
「あのお金は私のよ。母が送ってくれたのよ、シェヴケット」
「どうしてそうやって、すぐに嘘をつくんだ、ええ?」
「嘘じゃないわ」
 アリ・ルーザが起きてきた。フェルフンデは寝室に戻った。レイラも起きてきた。彼女は言った。
「お父さん、知ってる? オウスの子を産んだジェイダの部屋にネジュラがいたんだって。ネジュラたち、変よね。まるでカル・クマ(妻と妾)みたいになったのね。お父さん、私、悪い夢を見たわ。いつでも夢の中にネジュラが出てくるの。ネジュラが道の途中にいて、私を呼ぶのよ。そして道の終わりにはオウスがいるの。悪い夢よ。でも私は絶対に後戻りはしないわ」

 ペンションから1人の男が出て行った。2階では早朝から女主人ジュリザが怒鳴り散らしている。相手は向かいの7号室のプナルという若い女である。
「これだけじゃないだろう、もっと貰っているはずだ。出しな、ほら!」
「本当にそれだけだってばぁ」
「お黙り! ポケットを見せてみな。ほら、これはなんだい!」
 ジュリザはプナルのポケットに隠してあった50YTL札を引っ張り出した。ちょうどそこにディスコバーから夜勤明けで戻ってきたネジュラが上がってきた。彼女は思わず足を止めた。7号室のドアが荒々しくあいて女主人が出てきたのだ。

 アダパザールの朝。タフシンがソファで寝ていた寝具を畳み、寝室にやってくる。彼はダブルベッドを見下ろす壁にかけてあった最初の妻との結婚写真の額を外した。
「君にすまないことをした。この写真がある限り、気持ちが休まるわけもない」
「いいのよ、タフシン。私はかまわないわ」
「これは子供達の部屋にかけよう。子供はきっと喜ぶさ」
 そこに姑が入ってきた。
「あい~、何をするんだい」と金切り声を上げる。タフシンはかまわず額を子供部屋に移した。
「ふん、とうとう亡くなったうちの嫁の写真まで追い出したのかい。ヤズックラル・オルスン(悪いことをした人間に言う)、サナ・ヤズックラル・オルスン!」

 アリ・ルーザの家では、まだ起きられないハイリエの代わりにレイラが朝食の支度をする。お盆に載せたフェルフンデの朝食を、シェヴケットに託す。シェヴケットはベッドの端に腰掛けてフェルフンデの顔を見た。唇も切れて腫れ上がり、ひどい怪我である。フェルフンデは身体を起こすのも辛そうだ。シェヴケットは枕を背中に当ててやった。フェルフンデはぼそぼそとトマトを一口食べ、チャイを飲んだ。飲みながら嗚咽がこみ上げてきて、しくしくと泣き出してしまった。
 夫はもう、自分の何も信じてくれない、愛してくれてもいない、愛するどころかきっとこんな風になった自分を嫌っているに違いない。シェヴケットもいつも気の強いフェルフンデが泣くのを見ているうちに、可哀想になって思わず抱きしめた。こらえきれずに大きな声で泣くフェルフンデ。 若夫婦の部屋から漏れてくるフェルフンデの泣き声に、テーブルについていた家族は心配したが、アリ・ルーザは「大丈夫、きっと元気になるよ」とみんなをなだめた。

 刑務所では、オウスは独房に入れられている。看守が塩がたっぷり入ったチャイの受け皿を持ってやってきた。
「オウス、お前は塩が大好きなんだってな。以前の牢仲間の差し入れだ」
 オウスは皿を受け取り、塩の下に入っていた紙切れを見た。牢名主の皮肉な歓迎であった。これからまた何が起こるのか、何年の刑を食らうのか皆目分からないが、わが子がこの世にいることだけは確実だ。オウスは不屈の反逆心を秘めて汚い独房のベッドに腰掛け、じっとしみだらけの壁を睨み続けた。

 病院ではジェイダの母親がこっそり訪ねてきていた。
「おーお、この子はおじいちゃんにもよく似ているよ。お父さんの機嫌を見はからって、お母さんがきっと説得するからね。まだあのアパート(オウスの)は引き払ってないんだよね。だったら住むところだけはあるんだから、ジェイダ、今しばらく辛抱しなさい。」
 涙ぐんだジェイダは母親の胸に顔を埋め、ヤマンの家を追い出されたとき以来、初めて安堵したのだった。

 泣いて泣いて心ゆくまで泣いたフェルフンデは、シェヴケットの腕に抱かれて眠った。アリ・ルーザがウォーキングに出る支度をしていると、電話が鳴ってハイリエが出た。アダパザールのフィクレットからだった。ハイリエの口調から何かを察したフィクレットはすぐにイスタンブールに行くと言って電話を切った。
「好きなだけ行って来ていいからね」と姑は言ったが、フィクレットは明日には戻ると答えた。
 フィクレットが出て行くと姑は喜んで元気に踊りまくった。

 アダパザールからフィクレットがやってきて、フェルフンデの惨状を見て目を潤ませた。
「ゲチミッシュ・オルスン。たいへんだったのね」
「ありがとう」 フェルフンデは素直に礼を言った。そこへジャン弁護士が来た。
 フェルフンデを銀行に連れて行ったオウスの部下が捕まったが、持ち出された車はすでに昨日のうちに解体屋に処分されてしまったとのことだった。アリ・ルーザは朝行かれなかったウォーキングに、レイラはオヤ夫人のカウンセリングに行くので一緒にジャンの車で家を出る。

 父と妹が出かけてしまうとフィクレットはシェヴケットにそっと聞く。
「シェヴケット、あなた、どこかからお金を借りているんでしょう。さっき、ちょっと話の様子で感じたの。どのくらい借金があるの?」
「借りたとき30,000YTLだったけど、返すのは35,000なんだ。ちょっと必要に迫られて借りたんだけど」
「私も少しなら手伝えるわ。でも、何千YTLって程度だけど」
「とんでもない、フィクレット姉さん。フェルフンデにもお金があるし、あとは自分が何とかするよ」

 海岸通りでアリ・ルーザが降り、レイラとジャンはオヤ夫人のもとに向かった。途中、信号待ちで止まると、窓拭きの子供達が駆け寄った。「要らないよ」と制するジャンを無視して女の子は窓を拭く。レイラがふと見ると、女の子の着ているだぶだぶの汚いコートは、何週間かまえに自分が脱ぎ捨てた、あのペンベ(ピンク色)のコートだった。レイラは否応なくネジュラを思い浮かべた。

 そのネジュラが大学から戻ってくると、7号室のプナルと別な部屋の若い女がドアを開けたまま喋っているのを見た。
「入ってもいいですか。お聞きしたいことがあるの」と言うと、プナルはさっと警戒の色を示し、体よくネジュラを追い出してしまった。

 家の前に車の音がしたのでオヤ夫人が2階の窓から覗くと、レイラがジャンの車から降りたところだった。胸騒ぎに襲われるオヤ夫人。だがレイラは屈託のない顔で、「さっき、ジャンさんが私の家に来て、オウスの共犯が捕まったことを知らせに来てくれたんですよ。ついでに乗せて来て貰ったの」と言った。「あっ、そうだったの」と、夫人はなぜか急にほっとした自分を感じた。

 アリ・ルーザの家。フェルフンデのお見舞いにギュルシェンが来ている。アダパザールのタフシンからも電話が来て、フェルフンデに見舞いの言葉を告げた。
 フィクレットが明日帰るというと、電話口の向こうで「もっとゆっくり、なんならずーっと帰ってこなくてもいいと言いな」と騒ぐ姑の声がした。夕食となり、ギュルシェン、フィクレットもテーブルを囲み、フェルフンデも席に着いた。

 その頃、ジャンも家に戻っていた。だが夫人は家にいない。彼は考え抜いた末、結婚指輪を外しテーブルの上に投げ出すようにおいた。オヤ夫人が外出から帰ると、10歳の娘がいない。
「ジャン、早く帰ったのね。それとも私が遅いの? ああ、私が遅いのね。ヤームールはどこ?」
「両親の家に預けたよ。今日こそ君とじっくり話し合いたい。離婚したいんだ」
 勝気なオヤ夫人だったが、外された指輪と夫の言葉は大きな打撃だった。彼女は「私、ヤームールを迎えに行ってきます」と即座に立ち上がってコートをつかみ外に出た。門の外で、夫人はこらえきれずに泣いてしまった。

 テーブルについてもフェルフンデは何も食べず、みんなの顔を見回していた。みんな心配そうに彼女の顔を見ては話題を反らすように無関係なことを喋っている。フェルフンデが口を開いた。
「どうしてみんなそんな芝居してるの。どうしてそんなにお通夜の席のようによそよそしいの。どうせ私ははみ出し者だわ、そうなんでしょ」
 席から立ち上がったアリ・ルーザは、部屋に入ろうとしたフェルフンデの手を押さえた。

「フェルフンデさん、まあ落ち着きなさい。誰もそんなことは考えてもいない。いいかね、食卓は一家の人間が集まる大事なところだよ。ときには向かい側や横にいるものといやおうなしに顔が合っても当たり前だ。それも家族なればこそじゃないか。お通夜の席だなんて考えてはいけない。みんなが君を心配して、話をしたいが君を疲れさせまいと話しかけるのを控えているのだ。いままでも何度もあったじゃないか、いろいろと。だが全部それを解決してきたじゃないか、私達家族は。そうじゃないかね?」
 やわやわと説得するアリ・ルーザの言葉は、フェルフンデの頑なな気持ちを少しずつほぐしていった。急に幼い子供のように、フェルフンデはしゃくりあげてアリ・ルーザの胸に顔を埋め泣き出した。その髪を、肩をやさしく撫でてやりながら、アリ・ルーザは顔にも心に大きな傷を負ったフェルフンデを癒そうと務めた。
 やがて素直にまた席に着いたフェルフンデは初めて笑顔を見せ、みんなを安心させたのだった。

 その晩、ディスコバーでネジュラはチーフのウミット青年に、今のペンションを出たいので、少し前借できないかと相談した。彼はそれなら別の宿が見つかるまでうちに来ててもいいよと快諾し、借金についても都合する、と言ってくれた。

 アダパザールではデニズが弟達を寝かしつけ、サロンに戻ってきた。ソファには父タフシンと祖母のジェヴリエがいて、ジェヴリエは「家族5人でうまくやれるじゃないか。ほかの人間なんか必要ないよ」とフィクレットをのけ者にしようとタフシンを説得している。
「おふくろ、そんなこと、言うなよ。俺はフィクレットが好きなんだよ」
 普段大声を出したこともないタフシンがむきになって声高にそう言ったので、デニズは微笑みながら父を冷やかした。
「お父さん、恋をしてるの?」
「恋か、そうかもしれないな」
 タフシンがちょっとテレ気味に答えた途端、デニズは目を瞠った。そしてサロンから走り出てトイレにこもってしまった。思い切り泣いてデニズは出てきた。タフシンは娘をしっかりと抱きしめて、
「悪かったよ、お前のお母さんのことも、もちろん好きで一緒になった。だけど、お父さんは好きだとか一言も言わなかったんだ。フィクレットにも言わないだろう。わかってくれ、お父さんはそういう人間だ・・・」
 同じ頃、フィクレットが屋敷の2階の窓から、アダパザールの家族を思い浮かべていた。

 バイトから戻ってきたネジュラは、ペンションの受付でジュリザに呼び止められた。ちょうどそのとき、1人の男が「こんばんわ。どこにいるのかな」と聞いた。
「あ、2階の7号室よ」とジュリザは愛想よく言った。
「今のはプナルの叔父さんなのよ。ところであんた、出るといってるって? 駄目、どこへも行かせないわ。それにもう少し家賃を安くしてあげてもいいわ」
「あら、そうなの。じゃ、とにかく今月分これで」とネジュラは家賃を押し付け、自室に駆け上ってタンスの荷物をボストンに詰め始めた。

 7号室のプナルは黒いキャミソール姿でなまめかしく男に言った。
「ねえ、あんた、初めての人だよね。前金でいただくことになっているのよ」
「いいよ、いくらだい?」
「100ドルよ」
「ドル札はないなあ」
「YTLで払ってくれてもいいわ」
 金を受け取ったプナルは、引き出しにしまった。男は無線機を取り出した。
「よし、踏み込め」
 プナルは仰天して悲鳴を上げた。
「きゃーっ、ポリスよ、ポリ~ス!」ペンション中に響き渡るその声と同時に、どこかに待機していた数人のポリスが踏み込み、外には2台のパトカーがランプを点滅させている。周辺は黒山の人だかりとなった。何事かと顔を出したネジュラはがっしりした手に腕をつかまれた。
「お前も来い!」
 プナルと一緒にポリスに腕をとられたネジュラは「放して! 写真を撮らないで!」と叫びながら連行されていった。無論報道陣もこの家宅捜索にはカメラの放列を敷いていたのだ。

 翌朝、アリ・ルーザの家では朝食の支度をレイラとフィクレットが手伝い、整ったところにウォーキングから戻ったアリ・ルーザが入ってきた。新聞を買ってきたのを見たレイラが、
「どれ、オウスのことが出ているかしら」と広げたが、その下にこんな見出しがあった。
「売春グループ、摘発さる」
 一瞬レイラは目を疑った。警官に腕を取られた若い女はまぎれもなくネジュラだったからである。
血相を変えたレイラを見て、フィクレットもフェルフンデも駆け寄った。ハイリエも息が止まるほど驚いた。アリ・ルーザが洗面所から戻り「どうしたんだね?」と、黙りこくっている女達に聞いた。
「何かあったのか?」と新聞を取り上げて開いたアリ・ルーザの顔もみるみるゆがんでいった。





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