私のくじら事件


25mを10往復くらい、今考えれば信じられないくらい泳いでいました。
水泳は小学校の体育の時間にほんの少しやったことがある程度でしたが、父から「クロール」なるものの指導を受けて簡単に泳げるようになりました。

高校生になって姉が夏休み中に東京に遊びに行ったお土産として、当時流行っていた「くじら」をプレゼントしてくれました。「くじら」は空気を入れると1m50cmくらいになって、海やプールに持って行く「大きな浮き輪」みたいなものでした。

その「くじら」を持って海に出掛けることになりました。
姉と一緒に「くじら」に空気を入れながら車の後部座席で大騒ぎ。
海に着いてから座る場所を決めて二人で泳ぎに出掛けました。

途中何回か高い波が来て、浮き輪でグルグル波に巻かれていた姉は泣きながらリタイアして行きました。
私も何回か波に飲まれるものの、立ち上がると近くに「くじら」が居たのでまた捕まえて海に浮かびながら遊んでいました。

そして、また大きな波がやってきました。
「グルグルグル」って波に飲まれました。水中に溢れる泡が太陽の光で美しくキラキラと輝いていて美しいです。
水面が穏やかになって立ち上がると、近くに「くじら」が見当たりません。
遥か右前方にゆらゆらと移動している黒い物体発見です。
眼鏡をかけていないので「くじら」かどうかは特定出来ませんが、移動している形、位置から見て私の「くじら」に間違いありません。

「くじら」は沖から岸に向かってスイスイと波に乗っています。
全開で泳ぎますが、追いつきません。岸に向かってハイスピードで泳ぐ「くじら」とそれを追う女の子。
だんだんと岸に近づいて来て、遊泳している人もちらほら出てきました。

目標の「くじら」まであと100mくらいになった時、岸から飛び込んできた男性が私の「くじら」を抱えて持ち上げてしまいました。
(きっとあのおじさん、私の鯨を持って行って子供たちにあげちゃうんだわ)
いくら泳いでも追いつかないし、ましてやこの水の中歩いたって「私のくじら」にはたどり着きそうにありません。

とっさに
「私のくじら返して下さ~い」
と大声で叫んでみました。
目の前で遊んでいたお兄さんたちも
「おじさん、そのくじらこのお姉さんのだってよ。返してあげなよ」
と叫んでくれました。
聞こえているのか聞こえていないのかその男性は立ち止まりません。

とうとう男性は岸に着いてしまいました。
(なんとか事情を説明してみましょう)
と思い、水中で苦しい中歩きつづけます。男性の姿を追いながら。
泣きそうになりながら岸にたどり着きました。

そして大声で
「おじさん、私のくじら返して下さい」
と叫びました。

何とか男性に私の声が届いたようです。

立ち止まる男性にやっとの思い出たどり着いて
「すみません、そのくじら名前は付けてないんですが、私のなんです。返して下さい。」
何も喋らない男性。
「お願いします」
と、言って顔を上げると…父でした。



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