2004.04.10
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地球

 あまりに大きな問題を含んでるし、自分の考えがまとまらないので昨日も書き込もうか、と何度も思い結局、止めてしまったイラクでの日本人人質事件。

 出来ることなら「解決して、よかった」となってから見聞きしたい、そんなズルくて小心者でなんの行動も起こせない無力な私。

 テレビ朝日の新番組「報道ステーション」は図らずもこの事件と共にスタートしたことになってしまって、今週はチャンネルを合わせるたび、古館伊知郎のカツゼツの良さが却って緊迫した雰囲気を画面を通して伝えてくるから、CMに切り替わると、一瞬気が緩んでフゥ~~ッとため息が出てしまうくらい・・・・。

 それでいてお笑いやバラエティ番組に替えてみても、なんだか陳腐に感じて笑えない。

 職場では同僚がTVで流れた3人の日本人が拘束された画像を、

 「なんか、あまりに見づらい映像でリアリティに欠けるし、実際に起こってる実感がどうしても沸いてこない」って言っていた。

 それだけ私達はクリアなものに囲まれて生活してるし、求めれば「納得のいく答え」が得られると、いつの間にか疑わなくなってると思う。

 怒りの矛先。

 やり場のなさ。



 そんな漠然とした、モヤモヤした感情をどうしていいかわからなくなってる。

 でも、それが現実。

 GOサインを出す人間はいつの時代も手を汚さない。

 常に現地、現場にいる人間一人一人が命を投げ出す形を否応なく取らされ、いつの間にかスケープゴートになる。

 今まで数回、イラク問題を書き込んだけど、いつも後味が悪い。

 どっか責任転嫁、他人任せの「負い目」があるから、だなぁ。

 その上、誰かの言葉に縋って少しでも楽になりたくて・・・曽野綾子さんの本をつい、手にとってみた。

 以前、付箋をつけたページを再度、かみしめながら読んでいる。

 『 日本人の好きな、人権という言葉と、正義の観念は、こうした場合、どのようにすり合わせたらいいのか。
「一人の人間の命は地球より思い」というのは、文学的表現であって、現実には十人の命を救うために一人を犠牲にするのが常識だ。

 私達はそれに間違いなく加担したのである。
 反対に正義を通すなら、誘拐犯には一円も出すべきではない。
 それは、自分を見捨てられ殺されることと、愛する者を殺されても暴力に屈しないことを、普段から覚悟することだ。

 と言うと「そんなことには、めったになりませんよ」と日本人は言う。めったなことを考えるのが、人間と動物とが違うところだし、国家としては危機管理の問題なのである。』

フェイス









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最終更新日  2004.04.10 17:51:04
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