Oh To Be Wicked Once Again

Oh To Be Wicked Once Again

「痕跡」の感想1~分かりにくい方

国立近代美術館の特別展「痕跡」の最終日に行って来ました。
「痕跡」というキーワードにちなんだ、いわゆる前衛的な作品たちを集めた展示でした。



とりあえず、感想その1
<偶然って必然のように「きれい」だけど、やっぱ偶然なんだろうなあ>


「でたらめな過程」で制作した作品が結構ありました。


たとえば、キャンバス(木の板だったかも)の上に溶かしたアスファルトをぶちま
けて、さらにその上にガソリンを垂らし、火までつけちゃった作品とか、高温に熱
せられた金属を木の板にくっつけて、いくつも焦げ跡をつけた作品とか、
キャンバスにぶちまけた絵の具の上を足で動き回って、
かき混ぜてぐちゃぐちゃにした作品とか。


でも、こういうのを見てると(特に焦げ跡のやつとか)、なんかやたら「きれい」
なんですよね。「きれい」って言うのは、美しいっていうんじゃなくて、
「秩序がある」という程度の意味なんですが、なんか不快感を
あたえるようなカオス状態じゃないんです。


それでまず連想されたのが、フリージャズです。フリージャズって、即興で演奏し
ていくため、いったいどこに行きつくのか分からない五里霧中感とか、今この瞬間
にしか聴くことのできない刹那感とか、そういうものがあると思うんですが、
でも、実際のところは、よく言われるように、「偶然性を装った必然性」
現象が起こってしまうことがままあります。


つまり、でたらめにやっているつもりなのに、いつの間にか一定のリズムに引っ張
られたり、同じフレーズを繰り返し演奏してしまうという現象が起こってしまいが
ちなんです。それって結局のところ、人間の中に内在してる秩序(リズム感とか音
感=必然性)に支配されているってことなんじゃないの、どこが偶然なんだよ、と
こういう話です。一般的に言われている「偶然性を装った必然性」は、これとは違
うものかもしれませんが、まあmahavishnu個人としてはそう考えているとご理解く
ださい。で、そうやってできたフリージャズの曲は、やたら「きれい」なわけです。


で、同じ現象が、上にあげたような作品の中にあるんじゃないのかなと。偶然では
なくて必然なんじゃないかなと。てんでばらばら、でたらめに、キャンバスの
上を這いまわっていたつもりだったのに、無意識のうちに
(あるいは普段の日常生活の癖で)見た目がきれいになるように
動いてたんじゃないのと。こう考えてみたわけです。


でも、塗料の入ったガラス瓶をキャンバスに投げつけた結果についてまで、意図し
て操作することができるもんでしょうか。目隠しをしたまま、手に黒い粉をつけて
キャンバスに塗りたくった結果をあらかじめ想定することができるもんでしょう
か。ある程度はできるようになるのかもしれないけど、結構練習しても、
完璧に操作することはできないんじゃないでしょうか。


そう考えると、「きれいさ」=「偶然性を装った必然性」とひねくれて捉えていた
のは、実は「きれいさ」=「偶然性それ自体の持つ美しさ」かもしれないなあ、と
こう思いました。「偶然性それ自体の持つ美しさ」っていうのは、たとえば
(理系の話は詳しく知らないので多少想像で書きますが)分子運動を
目に見える形で表した場合の美しさのようなもんです。


ある分子が次にどの分子とぶつかって、その後どの方向に進むのか、それは分から
ない。でも、観察を通じて、「ここらへんに飛んでくることが多い/あっちの方に
飛んでくることは少ない」という傾向はわかる。だから、「ここらへんには○○%
の確率で分布している」ってことは事後的に分かる(んですよね?)。


それを具象化できたとすると(たとえば分子1個1個に色をつけることができたと
して、その分子運動の結果を白い紙に写すことができたとすると)、色の濃いとこ
ろ/薄いところがきれいに出てくるはずですよね。それって結構美しく出てくるん
じゃないでしょうか?(以上理系の方フォローしていただけるとありがたいです^^;)


他にはたとえば、「テストの結果で統計を取ってグラフにすると、正規分布に近い
美しい形で出てくた」というような、そういうのも「偶然性それ自体の持つ美し
さ」だと思います。話を広げると、複雑系とかでもおもしろい話ができそうな予感
がしますが、そこまで行くと自分もわけ分からん世界なので、止めときます。


で、結局言いたかったのは、なんか偶然が積み重なっているはずなのに、結果的に
はきれいに出てきちゃってる自然現象/社会現象のような、それと似たような現象
が作品の中でも起こってるんじゃないかなあと、こう思ったってわけです。


ちなみに、そういう美しさって、あらかじめ知ることはできなくて、「後で
統計を取ってみたら、やたらきれいに出てきた」というように、「事後的に」
わかるものですよね? その点についてもこういった前衛作品の
特徴と一致するところがあると思うんです。


なんでかっていうと、こういう前衛的な作品って、できあがった結果そのものを見
るというよりは、むしろ結果に現れた「過程」を見るという方が、実態に合ってい
ると思うんです。つまり、作品に表れた絵の具の伸び具合だとか、しみの広がり
具合だとかから、その作品を作っていたときの体の動きだとか、時間的/空間的
な流れだとか、そういうものを想像するもんだと思うんです。というか、
作品そのものだけ見ようとしても、なんのこっちゃわからないもんだから、
その作品が制作された「過程」に目を向けるくらいしかほとんど
選択肢が無い、という方が正確でしょうか。


これは、事後的な結果としての作品の「きれいさ」が、偶然の制作過程の積み重ね
によってもたらされていることを想像(創造?)しているのであって、分子運動の
「きれいさ」が、偶然の分子の動きによってもたらされていることを
観察するのと同じことなんじゃないのかな、と思いました。




041219

「痕跡」の感想2~分かりやすい方


© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: