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精神年齢ってどうやって計るんでしょうね。ウチの健作さんのお兄さんの息子さん。(ぶっちゃけてめーちゃんの従兄)精神年齢が7歳と診断を受けてきた。ウチのお兄さん(ウチと言い切れる私ってすごいかも)は教育熱心だった。特に長男である『ソンゴン』にかける期待は大きかった。自分の教育方針にそぐわない時はソンゴンを思い切り叱ったりした。ひどい時はパイプで叩いたりもしたそうだ。中学生の時、自分の好きな服を着ようと買った末広がりのボトムス。(ラッパ?ブーツカット?)それが、自分の許容範囲じゃないとパイプで叩いたそうだ。そうなると誰も止められない。奥さんがかばおうとも止められない。ソンゴンには妹がいるのだが、正直2番目は要領が良いし、怒られるようなことはしない。一番目ってチャレンジャーで、結構怒られることするから、ソンゴンが標的になる。(お兄さんは日常的に暴力を振るう人じゃないんですよ。ただ、一度怒ると歯止めが利かなくなる傾向があるんです。私は過去に怒らせて、でも弟の奥さんを殴るわけにも行かず、悔し泣きしてました)それで、ソンゴンは心を閉ざしてしまった。私たちはそれを知らずに過ごしてしまった。やがてパニック障害として症状が現れた。発作が起こると、自分より弱い立場の存在に手が出る。妹がその対象。そして、自分の通っている教会の牧師の息子を殴ってしまい、警察沙汰の後、強制入院。退院後は2年にわたって、カウンセリングを受けていた。そして、久しぶりにまた病院に行った。そして、心理テストを受けた結果が『精神年齢が7歳である』と言うこと。ガタイは良いんだよ。183センチに100キロくらい。おもえば、食べることで精神的飢餓感を満たそうとしていたのかもしれないな。レーシック手術(っていうの?)を受けて近視を直してまで海兵隊にまでいった子だった。お兄さんもソンゴンを愛していないわけじゃ無い。方法が間違っていただけ。愛を受けたい年齢のままで留まってしまったソンゴンの心。お兄さん自体、自分と父親の関係がうまく形成されていないようなんだよね。それで、自分の息子との関係形成に問題が出たんだと思う。そこがウチのの健作さんと違うところ。健作さんは末っ子だったら、父親に可愛がられて、関係も程よく形成されたみたい。(彼は典型的な末っ子だ)彼が取り乱した時、もう自分の父親の言葉は彼の耳に入らない。ウチの健作さんの言葉だったら、聞き入れるんだそうだ。ウチの兄弟達には良くしてくれるんだよ。きっと、自分が受けたかった愛をうちの子たちに注ぐことで代理満足を得ているんだと。知ったから、今から取り戻せる。そう祈る気持ちでいる私である。具体的には何も出来ない私だから。
December 7, 2013
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私は、洗濯をしながら、牛の世話をしながらいろいろ一人で考えている。コーヒーを飲むのでもなく、一休みをするのでなく、この時間が私の『お一人様の時間。』悩みがあるときはとことん考え、解決策を見出していく時間。友人の悩みを共有して、思いをはせる時間。こういう時間なのだ。洗濯機でガンガン洗ってしまえば楽なのかもしれないけれど、私にとって、この『お一人様の時間』がとっても貴重。黙々と作業をしながら、いい考えが浮かんでは消えていく。消えていく考えも多いが、それはそれで私の肥やしになっていると思う。牛の世話もそうなんだよね。一人で黙々、いろいろ考えながら、作業していく。いつも面倒くさくて、大変で取り掛かるまでは辛いんだけど、終わるとさっぱり気分爽快。私にとっては祈りの時間にも似ている。苦行の時間でもあるのかもしれない。楽な仕事ばかりしている人より、ずっと、気持ちの成長が出来ているんじゃないかと自負している。ブログのネタも作業をしながら考えることも多い。ゆる~くスピリチュアル的な要素が入っている日記は大抵、作業中に考えたこと。わすれない時はね。大抵、仕事を終えると、キレイさっぱり考えたことを忘れることが多いのだ。考えたこと、録音しとこうかしら。。。。。
December 7, 2013
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だんだん、私も変わってきた。フェイスブックで友達の近況やお知らせを見ると、うらやましい思いや、ヒガム思いが出てくるときがあった。こちらは韓国の田舎だからね。日本にいるときとは違う。できないことも多い。『いいな~うらやましいな。私はこんな片田舎で大変なのに』と言う思いがわいてきてた。やっと、消化できて来た。幸せそうな、近況を見て『自慢』と受け取るんじゃなくって『幸せのおすそ分け』と受け取ることができる様になってきたこの頃。そうやって、自分の気持ちを切り替えると、自分が幸せになる。やっとわかってきた。遅いかもしれないけれど、一生わからない人もいるかもしれなくて。いまさらだけど、変われた自分がいとおしい。
November 23, 2013
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日本語と、韓国語を使うようになって、自分の気持ちをストレートに表すことが出来るのは、自分にとっては韓国語と言うことがわかった。私にとっては韓国語のほうが直接的に気持ちに響いてくる言語なのだ。でも日本語の奥ゆかしさは捨てがたい。こうやってブログで日記を書いていると、日本語では自分の思いが60%くらいしか表現し切れていないのではと思えてくる。100%表現しようとすると、くどくなる。難しいところ。 でも、やっぱり日本語を巧みに扱う人はいて、そして、わたしの表しきれない思いを汲み取ってくれる人もいるんだなあと感心したり。koalakoalaさんという方なんですけどね。私よりは主婦として大先輩で、日記を拝見しているととても勉強になるし、私と同じように姑でご苦労された方。その見方で見てくださるためか、私の言いたいことをきちんと汲み取ってくださる、同じ世界を持っている方だなと思う。koalaさんは私が表現しきれない感情を表現していたりして、「ああ、私の日本語がまだまだなんだな」と思ったり。(私の日本語は退化する一方のような気がする。日常では韓国語を使っているので)共感するとあったかくなるし、力が出るなあ。わかってもらえるということは嬉しいことなのだ。
November 19, 2013
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お兄さんたちが、藁の作業に協力的である。これは本当に面倒くさい作業。今年はベイラーを自分達で買ったが、これが一長一短だった。自分達のペースで仕事を進められるのはいいのだが、機械の故障がいちいち、仕事を妨げた。トラクターを運転する同業者がぶつけたりなんだり、故障させるのだ。そのたびにウチが修理代を払うのは何で??って感じだけどね。とにかく藁を束ねたものを田んぼから拾い集めて、積み上げておいて、そして、雨が当たっても平気なようにビニールシートで覆う作業。これをきちんとしておかないと雨がしみこみ、腐る原因になる。一年分の藁を集める作業をするため、とても大変。それを今回は甥っ子、姪っ子が手伝っている。他人を雇うと、日当を出さなくてはならないからと、姪っ子甥っ子が自分から言い出した。(ちょっと天気が悪いと、休んでしまう傾向はあるのだが)いろいろ不平を言い出したらキリがないから、感謝していけるところだけ、切り取って感謝していこうと思う。そうじゃないと、精神衛生上よくないから。これだけしてあげたのに、認めてもらえなかった。これだけしてあげたんだから、相手も私にこのくらいしてくれなくちゃ。みたいな考えでいると、自分がクサってくるんだよね。相手に期待しないで、『してもらったら、本当にありがたい、ラッキー』くらいの思いでいないと、自分が苦しくなっちゃう。サクッと、心を空っぽにして、気持ちよくなろう。そう思って、暮らしていると自分がラクになる。お兄さんたちにも期待はしないでいたほうが、自分が楽になった。協力的なお兄さんたちに感謝して、あとで、なんかでお返ししていきたいもんです。
November 6, 2013
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米がなくなった。うちは6人家族なので40キロをひと月半くらいで食べちゃうのかな?ウチの健作さんは精米所から40キロ一袋を大人買い(ッて言うかな、こういう場合)してくる。その時のおじちゃんが言っていた言葉。『勉強なんて出来ないやつもいるし、出来るやつもいるんだ。 それで社会が成り立っているんだ。 頭いいやつばかりいて会社勤めしているやつばかりだったら、 誰が精米して米を韓国民に食べさせると言うんだ。 俺みたいなやつがいなかったら、輸入米しか食べられないんだ。』いい事言うねえ。本当だよ。皆がみんな偉くなったところで、社会は回っていかないよね。人間の体だって同じだよ。頭もあれば、手足もある。肛門みたいな一見キチャナイところもあるけど、肛門の細胞が『私汚いのはイヤ~』とか言ってストライキ起こしたらもう、生きていけないもんね廃品回収業者とかゴミ処理場の人がいなければ社会が回っていかないよ。そういう大変な仕事を請け負っている人も尊敬されるべきなんだ。そしてそういう仕事をしてる人も自負心を持つべきなんだ。ウチのめーちゃんもハル君もひーちゃんもそういう意味で社会の一員にナってほしいと思うんだ。そして、ウチのシオモニみたいに引退しかけている人はきっと、報われるために余生を過ごしているんだと思うんだ。役に立つだけが生きている意味じゃないと思うもの。実は、少し落ち込んでいたんだよね。私。子供三人生んだ若い日本人オンマがいるんだけど、午後からいろいろ活動しているみたい。私なんて不妊期間は長かったし、以前も今もシオモニのおかげで自由に外出は出来ないし牛の世話なんてしてって自分と比較しちゃってチョッと落ち込んでいたんだけどね。でも、精米所のおじちゃんのおかげでまた頑張ろうって思えた。
April 23, 2012
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私は交通事故にあったことがある。小学校3年生の終わりだから1980年、3月1日のこと。私の実家は国道4号線沿いにある。とても交通事故の多い交差点の前である。私はバスに、撥ねられた。バスが、交差点を通過しようとした時点では信号は黄色だったらしい。しかし、私と姉が渡る横断歩道にさしかかる時に信号は換わり、私は青信号になった瞬間に横断歩道を飛び出したのでこういう結果になった。目撃した姉は本当に驚いたと言う。だって目の前で妹がバスに撥ねられたのだから。姉の話によると、私は5~6mとばされて、羽根突きの羽根のように、頭から落ちた。派出所の前だった為、すぐ救急車が呼ばれて病院に運ばれた。そのときは右肩の方にヒビが入ったことだけを確認して、帰宅した。その日の夜から、何度もはいた。頭が割れるように痛かった(実際、割れていたのだが) 翌日国立病院に運ばれて入院。頭蓋骨骨折と小脳の隣りに血腫が出来ているのを確認する。(頭から落ちて頭が無事なわけが無いのよ)そして翌日、手術。3月3日だった。両親は医者にこう言われたそうだ。「手術をしてみないことにはなんとも分かりませんが、 万が一のことを考えてご家族の方をお呼びになってください。 確率は五分五分です。」私は何にも聞かされなかった。ただ、なされるがまま。でも、酸素マスクをつけられる状況から、手術をするんだろうなとおぼろげに考えていた。麻酔をかけられ、薄れていく意識の中で神様に祈った。(当時、日曜学校に通っていた。) ・・・・・・どうか、また目が覚めますように・・・・・・・ 手術は3時間かかったそうだ。幸いなことに血腫は小脳にかかってはいなかった。血腫をレーザーで焼いて取り除くことが出来た。嘔吐も血腫が小脳を圧迫していた為だと判明。あとは安静にして回復を図るのみだとの事だった。手術が終わったあと、親戚一同が集まっていた。(万が一の場合の葬式のために)私には後頭部にそのときの手術の後が残っている。頭の手術の時にはずした頭蓋骨は外したままだそうだ。だから、私は後頭部に骨が無い部分がある。首の筋肉が分厚く覆っている部分なので、あまり生活に支障は無いが・・・。・・・・・・どうか、また目が覚めますように・・・。初めて真剣に祈ったのはあの時。そして、私たちは何者かに授かった命を生きているのだろうなと感じ始めたのもあの時。
March 29, 2012
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私には今3人の子供がいる。5月で満7歳になるめーちゃん、4月に満4歳になるハル君、同じく4月に満2歳になるひーちゃんである。全部、健作さん、もしくは健作さんの家族に似ている。私に似ている子供はいない。私、健作さんに似た娘(うちの健作さんは微妙に女顔なんだよね)がほしかったし、私に似た男の子がほしかった。(私はオトコ顔)うちの家計に似た子がほしかったなあと、ふと考えていたら、心の中で声がした。ホーバクがそうだったんだよ。ホーバクが、私に似た子供だったんだよ。ああ、やっと腑に落ちた。そうだったのか。ホーバクはめーちゃんが生まれる7年前にお空に帰ってしまった男の子である。なかなか嫁姑関係が大変で、いびられて体の調子も悪くて、子宮頚管が短いことも知らなくて、結局お空に返してしまった子供である。その子が私に似ていたんだな。遭いたかったな。顔も見れずに終わっちゃったもんな。いつかお空で会えたとしても辛いだろうな。御免って謝りたいな。抱きしめてあげたかったな。たぶん、万が一もう1人子供を授かるようなことがあったとしても私には似ていないだろう。。。。そう確信した。
March 27, 2012
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ウチのシオモニ、長生きである。今年、数えで95歳、誕生日が来ると満で94歳になる。苦労してきた人だ。途中で欠けてしまったが、4人兄弟の長女で生まれ3人の弟の面倒を小さいころからしてきた。18歳で嫁に来て、19歳で長男(健作さんの長兄)を生み、46歳に健作さんのすぐ下の弟を生むまで12人の子女を出産。そのうち6人は欠けてしまったが。(それで今は健作さんが末っ子)若いうちから夫の浮気、姑と夫の折檻に耐え、頼りにしていた次男には白血病に死なれ、健作さんと手をとりあうように生活してきたと言う。そして、健作さんの嫁に来たのは私。はじめは言葉も通じずシオモニも辛かったと思う。今は体が不自由になってきて、私が世話をしている感じ。ウチのシオモニ、夫である健作さんの父親がなくなるとき、夫にこう言われたそうだ。『お前は俺のせいで苦労したから、その分長生きしてほしい』シオモニは報われたいんだと思う。生きている間、少しでも報われる時間が必要で今、永らえているんだと思う。恨みを少しでも晴らすために、自分を解放するために。苦労してきたシオモニにはそういう時間が必要なんだと思う。そう、思ってもシオモニによくできていない自分がいるきっとシオモニも私たちを一緒に暮らしているのは本意ではないであろう。韓国は長男重視だから。長男に看て貰いたい気持ちがあるだろう。長男が頼りなく、次男は死んでしまい、健作さんしかいないのだ。三男は生活が実質無理だと思うし。死を恐れるようになったのだろうか、夜に電気を消さないシオモニ。テレビもつけっぱなし。きっと、暗くなると不安になるのだろう。そう思って、シオモニにもっと優しくなれると私も成長するのだろうな。。。。
March 26, 2012
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