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13日に母が亡くなりました。最期まで一生懸命生きた母でした。小柄な母でしたが、度胸は据わっており、最期まで治療方針も自らの耳でちゃんと聞いて覚悟を決めていた様でした。延命治療はしたくない。そう申していた母でしたので、心停止の後はそのまま見送りをすることに。。。息を引き取る瞬間まで姉と見守る事ができました。子供達が韓国で待っているので、私は今日帰ります。親の死に目にあえない覚悟で韓国に嫁に行きましたが、母を看取る事ができました。送り出してくれた健作さんにも、オンマの留守を我慢してくれる子供達にも感謝です。御通夜、告別式の日程の打ち合わせのみ、参席はせずに帰るので姉には申し訳ない思いでいっぱい。母似のしっかり者の姉なので大丈夫でしょうが。。。。ひとまず、ご報告まで。
June 16, 2016
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おはようございます。金曜日に日本に帰って来ました。母の容態がおもわしくないので、土曜日からは病院に泊まり込んでいます。もともと、透析患者の母。今回は貧血が酷くて透析中中断して市立病院に入院しました。いろいろな検査の結果、小腸に潰瘍らしきものを確認。そこからの出血だと判明しました。小腸の奥の方に患部があるので内視鏡等はかなりの苦痛を伴うとの事で見合わせ、粘膜を治療する程度の投薬、出血が続いている間は悪性リンパ腫の治療も透析もできないので、命に関わってくるという事。担当医の方が私が日本に来るまで、母の意識がしっかりしてるように薬でもたせていた感があるんですよ。一応、意識がはっきりしている母と話す事ができました。土曜日から『今日明日』と言われながらも母は頑張っています。15日の夜には仙台を発つ予定の私。ギリギリまで見守っていきたいと思います。
June 13, 2016
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久しぶりに実家の様子を書いておきます。実は母が悪性リンパ腫という病気にかかっておりまして。。。。透析患者でもあるので、あまり積極的な治療を拒んでいまして。まあ、夫を亡くしたせいか、今までのままでできるだけ苦しくない治療をしていきたいと思っているんですね。それはそれで母の意思を尊重していきたいと思っています。3年前に、子供たちを連れて実家に帰省したことがありました。父は心臓も悪かったし、母は透析一歩手前という状態で、もしかしたら、両親に子供たちの顔を見せてあげられるのは最後かもしれないという気持ちでした。それで、父は最後になったんですけどね。父は子供たちの扱いに慣れていないし、子供たちはわんぱくだし、2週間という短い間ですが、へとへとになった記憶があります。でね、温泉旅行に行った時も大変だったんです。父は体不調のせいか、物凄く怒り易くなっているし、子供たちはUFOキャッチャーをしたがったのですが、父が止めたおかげでめーちゃんは慟哭するし。父は子供連れOKの旅館ってだけでもありがたいのに、料理にいちいち文句つけているし。それで、日本には二度と行くもんかという気持ちになっていました。私は孝行嫁にはなれましたが、孝行娘にはなれなかったですね。実家の母も姉にまかせっきり。申し訳ないんですけど、でも戦う土俵が違うんだなって思うことにしました。たまにやりきれない気持ちになるんですよね。シオモニも私の親。大切な親。実家の両親もしかり。トシを重ねたせいか、いろいろなことが身に染みるようになりました。
May 26, 2016
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2月28日母の一時帰宅を待っていたように父が逝った。母は姉とともに自宅で一晩過ごしてみて大丈夫そうだったら退院すると言うことで一時帰宅をしたのだった。母の退院予定は今週末。私は子供たちの入学とかが重なり、すぐには帰れず四十九日あたりに帰る予定。つくづく親不孝モノです、私。
March 2, 2015
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韓国は旧正月なので、母に電話をしようと思い立ちました。二日連続で電話に出ません。いつもは家にいる時間帯なのですが・・・・。2階にいて降りてくるのに時間がかかるのかな・・・・?階段を急いで降りてきて転んだりしたら大変なので電話を切って携帯電話のほうにかけてみました。私の電話、家電にかけるときと携帯にかけるときと、料金が違うのですよ。いつもは安いほうの家電にかけるのです。携帯電話にかけても電話に出ない母。どうしたんだろうと電話を切りました。するとすぐに、姉から折り返し電話がありました。母が軽い脳梗塞の症状で入院したのだと言うのです。姉が母の電話を預かっていたのでした。聴くと月曜日から軽く麻痺症状があったそうですが、その日は透析に行ってきたそうです。行きはタクシー、帰りは地下鉄を使って戻ってきました。お風呂に入ろうとしたときに、転んでしまってこれはおかしいと言うことで救急車のお世話になりました。そのころには姉も到着し、近所に移転した市立病院があいていたのですぐ入院しました。左脚に軽い麻痺があるようで、その他は大丈夫なようです。左手も大丈夫だそうで、検査の後左手できちんとお茶碗を持ってもりもりご飯を食べていたと姉に聞きました。姉は父の病院、母の病院、母の白内障の手術の日程の延期のために眼科に赴くなど忙しい日をすごしたのが水曜日。姉が近くにいてホントに良かった。今の母は一人暮らし。会社の近くに部屋を借りている姉が戻ってくる予定ですが、家にはたくさんのモノが散在しているので、姉が戻るのは片づけが終わってから。姉には本当に感謝しています。母は透析患者なのでリハビリと並行してリハビリを行える病院に転院することになるそうです。前向きな母なのでリハビリも積極的に行うと思われます。
February 20, 2015
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実家の母から電話がありました。父の転院の日付が決まったというものでした。家から一番近所の病院に決まりました。父のかかりつけの病院でした。母が挨拶に向かうと、主治医の先生が『早くなんとか処置しないと命にかかわりますよ、と再三言っていたんですがねえ。』と如何にも残念な口ぶりでおっしゃっていたそうです。父は自分の命の危険を知っていました。ですが、処置をしないできました。病院に行き薬の処方だけをしてもらい、経過を聞こうとする母には『いつものとおり大丈夫だって。100まで生きられるってさ』というような事ばかり言っていたそうです。父の寿命は父が決めたんでしょう。仕方のないことです。近所の病院は最期まで看て下さる病院です。いざという時には延命治療をしない方針で、静かに見送ることにしようと決めたそうです。こういうときの母は決断力が強いです。父より度胸がある母です。母の意向に私も賛成です。父が最期を自宅ではないまでも自分の拠点と言える場所で過ごせるようになったのは本当に有難いことです。父が最近までアルバイトをしていたコミュニティーセンターのすぐ近くの病院。父や私たち姉妹の母校である小中学校の近くの病院です。27日に転院となります。姉もその日は休暇を取れました。母も80近くになっているので父の保護者にはなれないそうで・・・・・。姉が保護者になります。私は何も出来ませんが、父が安らかに過ごせるように念を送っています。
January 21, 2015
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実家から電話がきた。 家電の具合が悪いと言う。 実家の家電話にかけて確かめて欲しいって。 国際電話だよ。 ウチの両親,夫婦二人携帯電話をもってるけど それで家電話にかけるって発想はないんだな。 柔軟な思考って大切。 自分はどうなんだろうって振り返る。
July 28, 2014
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うちの父,手術はせずに退院したそうです。 手術自体も危ないようでこのまま様子を見ながら気をつけて暮らしていくことになりそうです。 心筋梗塞等の危険性が高いので,何か異常が見られるときはすぐに病院に駆け込むようにとのこと。 こんな事を考える私は不謹慎かもしれないけど,うちの父,もう充分生きたと思っているんだと思う。 私,なんとなく父の思いも分かる気がする。 私が同じ状況だったらどんな結論をだすのだろうか。 あまり長生きをしても大変なのは周り。 そうそう退院手続きをてつだった姉。父が今回断酒を決行したため実家にあったアルコールを持ち帰ったそうだ。 姉はうわばみなんだよ。 両親の保護者として何かあるごとにいろいろ頑張ってるからこういうご褒美もたまには必要かもね。
March 30, 2014
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実家の父,今日転院する。 腎臓の具合が落ち着いて来たため 心臓手術のために転院。。 母は透析のために転院付き添いは出来ず,姉が一日仕事を休んで付き添うことになった。。。 子供のいない伯母が母に言ったらしい。 "子供がいるんだからこういう時頼りなさいよ" うちの両親,精神的に自立してるから娘に頼ろうって言う選択肢が優先順位のはるかうしろのほうにあるんだよね。 まあ,二人とも病気持ちで年配なので,いざという時の保護者は姉がするようになっているんだよね。 それで今回もお姉ちゃんが頑張ってくれた。 私としては頭が上がらないよ。。 心臓の手術の日取りはまだきまってない。 小心者の父だが腹をくくって受けて欲しいものだ。
March 5, 2014
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