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ウチの近所には、6.25動乱のときに北韓から渡ってきた人と結婚した人がいる。
奥さんは、南側の人で、旦那さんが北からやってきた人。
その家は、ホーバク(かぼちゃ)が良く実るという土地にあるから、ホーバクの家と呼ばれている。
二人の間には、子供はいなかった。旦那さんのほうは、北に残してきた家族がいたような話を聞いた気がするが,あまり詳しくは知らない。
奥さん(といってもお婆ちゃんの年代だが)のほうの甥っ子が、車で10分足らずのところに住んでいるので、
いろいろ面倒を見てやっているらしかった。
ウチのシオモニが、よく遊びに言っていた、通称「杏の木の家」のおばちゃんとは、母方のいとこにあたる人だが、お互いに行き来はしていない。
妬みがちな、「杏の木の家」のおばちゃんは、きっと北から渡ってきた「失郷民」が、国から支給される
手当てがねたましいのだと思う。
ウチの村のおばあちゃんたちは、シオモニを含めて、「杏の木の家」の杏の木の下に集まって
夏中遊ぶのが習わしになっていたのだけど、このごろは、うちのシオモニはその家にいけなくなった。
よくたかり(仙台弁で欲張りのこと)の「杏の木の家」のおばちゃんに合わせるのがほとほと疲れたのと、
「杏の木の家」まで歩くのが億劫になったため。
それで、この間、うちのシオモニはホーバクの家のおばちゃんのところに遊びに行くことにした。
豆乳を一箱、手土産に持って。
もちろん、ウチの健作さんが車で送っていくのである。
人のあんまり来ないホーバクの家だから、ウチのシオモニが来たら、ついつい涙をこぼしてた。
そのときの話に出たこと。
小豆粥が食べたいのだが、買ってきてくれる人がいないのだということ。
韓国の小豆粥は独特。
特に全羅道の小豆粥は「汁粉うどん」といった感じ。
ホーバクの家のおじちゃんが入院しているとき、付き添いながら、何度か食べたそうだ。
おじちゃんは亡くなってしまったが,今でも時々小豆粥を食べたくなる。
でも汁粉うどんは手がかかるし、誰かバスで10分の商店街まで行かないと食べられない。
と、ウチのシオモニに愚痴っていたそうだ。
ウチのシオモニも小豆粥が大好き。
うちの子供たちも。
早速、ウチの家族が食べる分を買ってきて、ホーバクの家にも分けて持っていった。
近くの出前が出来るお店は、中華とチキンくらい。
小豆粥は、車で10分の商店街のあるところまで行かないと手に入らない。
ウチの場合、健作さんが買ってきたりするので、シオモニは好きなときに食べられるけれど、
ホーバクの家のおばちゃんはそうは行かない。
足腰が不自由なので、なかなか商店街のあるところまで行けない。
行っても、商店街の中を歩くのも大変。
まだまだ福祉制度の整っていない韓国で、子供なして老いていくのは不安だらけなんだなあ。
と私が、しみじみ思っている横で、ウチのシオモニは失郷民がもらう手当てのことをうらやましがっていた。