『有頂天眼科』 拝啓ー三谷幸喜様


入院15日間の物語です。(良かったら映画にして下さいませんか)

 黄色は元気印
入院にあたり、着ていく洋服は何にしようか考えた。
そうだ! 元気印の黄色で自分で編んだ手編みのセーターに決定。
主人が仕事で同行出来なく、付き添いを快くというか、自ら快く引き受けてくれた陽子さん。
 私より大きな荷物を車に積み、予定の時間に迎えてくれた。
 4人部屋の病室に案内された。
窓際の陽あたりのいいベッドが、私のこれからのしばしの住家。
陽子さんは備え付けのチェスト、消灯台に持参の大きな荷物から、
黄色のパジャマ始め、ハンドタオル、バスタオル、黄色のコップを取り出し、綺麗に収納してくれた。
 極めつけは奥の袋から取り出した花篭。
チューリップ、スイトピー、ガ-ベラなど黄色の花ばかりで作られた花篭を差し出された時はもう『してやられた』って感じで感激!感激!
もし、そんな職業があるとしたら、陽子さんはまるで入院プランナーだ。
(入院に際してだけじゃなく、陽子さんは適度に覗いてくれて、15日間の入院生活も退屈なく、はたまた退院時のサプライズ等、)
 陽子さんが帰った後、二月なのに、太陽がサンサンとふりそそぎ、春のように暖かな病室で黄色に包まれ幸せを感じた。
入院なのにまるでホテルにチェックインしたような・・・・・・
 が、私が幸せを感じるなら感じるほど、陽子さんの今の状況に思いを馳せらずにはいられない。
ご主人は今ベッドの上、半年前位から、ご主人の病状を聞けない。
話題にすると、大きな綺麗な瞳を曇らせ、直、大きな涙を流すのだ。
毎日がご主人のことで大変で、身も心も疲れていると思うのだけど、何処にこんなに人の世話を出来るエネルギーが残っているのか。
 陽子さん! 本当に有難う!今回はドップリあなたに甘えさせてもらいます。
都会の病院で、春の夕陽がビルの隙間からもれる頃、黄色のパジャマに着替えあなたの事を思いました。


黄斑円孔
 それは1月の事だった。
12月仕事が忙しく、働きとおしだった。
どうもメガネが合わないようで細かい文字を見るのが辛かった。
メガネを調整しようと、出かけたのが始まり。
黄斑円孔が見つかった。
網膜の一番大切な黄斑に孔があく病気で、孔が邪魔して焦点を結べないので物を正しく見ることが出来ないということ。
前は手術も出来なかったようだけど、私は医学の進歩の恩恵を受ける事となった。
 主治医は北里先生、執刀医は矢部先生
PM3:40 手術着に着替え車椅子に乗せられ手術室へ
これから、心臓の手術でも始まりそうな、重々しい感じ。
ずっと昔、TVでしてた「ベンケーシー」が頭をよぎった。
人の身体の中で一番神経が集まっていそうな眼球
「白内障」の手術だったら、眼球の表面の手術だけど、
私の場合は眼球の一番奥の部分、
先生の話によると、拡大鏡を使いながら、三本の針を刺すと言う。
一本は照明用、一本は処置用、一本はガス封入用、これから実際に始まると思うと身体が固くなってしまう。
ひんやりとしたベッドに横になり、顔が動かないように頭全体をガムテープを大きくしたようなもので固定、手術する左目の部分だけが開けられ、クラッシックの音楽の流れる中、いよいよヤベッチの手が動き始めた。
点眼薬で麻酔がかかり、気味悪い感触で針が眼球に刺さる。
 眼を大きく開けてる必要があり、針の動き、先生の手の動きが、細かいところまで見える。
そもそも失血は無いのか、視覚的に出血を認識できないのは嬉しかった。障子体の部分がまるで卵の半熟白身のようにブヨブヨ浮き、何かに吸い込まれ行く。
網膜部分なのか薄い皮が剥がされて整理されて行く。
激痛があるわけではないが、気持ち悪く、怖く、深呼吸を繰り返しながら、自由になる片手はベッドの枠を強く握り締めていた。
 時たま、ピンポイントで傷みがあり「痛い!」って身体が反応してしまう。
「痛いときは身体を動かさず、口で言って下さい。いま一番大事なところですからね」って注意される。
「ごめんなさい」って言ったら、「いいんですよ」だって。
どっちなのよ!って、言いたかった。
最後に網膜を綺麗に貼り付ける為のガスが入れられ無事手術は終了。
このガスを網膜部に保つ為の『うつ伏せ寝』との戦いが始まった事をまだ私は自覚していなかった。
部屋に戻ると主人が見舞いに来てくれていた。
人生において2度目の入院、手術、 一回目の入院、手術、娘の出産、その時は主人からの花束がベッドの所に置いてあり、『お疲れ様でした』と書かれたリボンが結んであった事など思い出した。


  うつ伏せ寝
 厳密に言えば手術を終えた昨日から、うつ伏せ寝もしくは横向きの体勢を保たねば成らなかった。
食事の時とか最小限に起きたりは許されるが、それ以外は守るようにと枕もとに張り紙がされた。
 U字型のクッション、首を載せるところだけがくり抜かれた枕型のクッションが渡され、これを上手く使って体体勢を保つようにとの事。
U字型の隙間に顔をうずめたり、二つのクッションを組み合わせて顔をうずめる空間を作ったり、色々工夫してうつ伏せ寝状態が保てれるよう頑張った。
 封入されたガスがまだ眼全体を覆っている。安眠できない体勢でも、上手く術後が経過しますようにと願いながら、ゴロゴロ体勢を取り替えていると何時の間にか眠っている。感心な事に、気付いたら仰向けに寝てた、なんて事は無かった。
 この状態で、結局はガスの大きさが眼球の半分くらいの大きさになり、ビー玉位になり、豆粒程になり、眼を覚ましたら消えていた10日目まで続いた。
自分のことであり、それなりに納得できるが、顔を支える腕やかたが痛くなり、夜中でも寝返りを打つ時、同室の三人には気を使った。
 仰向け寝を許された夜は、眠る事がこんなに楽な事だったのかと、自由に寝れることの喜びを味わった。


  年齢を明かさなかった女
 入院初日、いびきがうるさく耳栓の初体験をさせてくれた平良さん。
彼女は手術したものの、病院を信頼できなくて病院への不平で満ちていた。
手術したけど変わらない! 眼圧が上がらない! 等など覚えたての医学用語を並べ、まくし立てる。だったら、退院したらいいのではと言いたくなるくらい、可愛そうに思えてきた。
 眼だけではなく、耳も悪そうで、平気で大きな音は出すし、本来6:30が起床時間なのに、5:30くらいから起きて、部屋備え付けの洗面台を平気で使う。
隠すほどの年齢でもナイト思うのだけど(たぶん、75歳くらい)最後まで年齢を明かさなかった。
 私事として考えるときに、まだ私より20年多く生きておられるので、その間に年齢を隠さねば成らないような事態が生じるのか、考えてみても思い当たらなかった。平良さんからしたら、4人部屋の他のの3人が、自分の生い立ちから現在の状況など、隠すことなく面白くおかしく話す事が信じられなかったかもしれない。
 平良さんに比べたら、他の2人、瞳ちゃんとマダムカーサーは私と同じ人種
瞳ちゃんは農家のお姑さん、楽しそうな野菜作り、漬物つくりの話、お孫さんも内孫、外孫と恵まれ楽しい生活ぶりをキュッル、キュッルとしたような優しい声で話す。退院の日、近くのすむ娘さんのお迎えでパジャマから街着に着替え幸せそうに返っていった。
 マダムカーサー(カーサー天神という名のマンションに住んでいるので)は一人息子がいるが、まだまだ元気なので一人暮らしを楽しんでいるという。
詩吟と踊りの稽古が何よりの楽しみな様子。何年か前に1セット45万円もするベッドを10セット購入して、金儲けをしよう思ったが上手く行かず、結局は親戚に2束3文で譲ったとケラケラ話すカーサーも素敵だった。
退院の日は、まだしてはいけない化粧をバッチリ顔中に施し、紫の帽子とコートに身を包み退院していった。息子に連絡したら迎えに来てくれるけど、ここ出たらタクシーを拾うわって、少し寂しそうに見えた。


  まるでモーニング娘
 入院患者の殆どが白内障の手術で5~7日の入院となる。
病気自慢をする気は無いが、私の15日の入院は、4人部屋の他の3人を二回転させた。前のメンバーの3人が退院した後、ベッドがあく間もなく午後には新しい3人が入院。メンバーが入れ替わりまるで『モーニング娘』みたいよって、東京に住む娘に報告した。
佐世保より加治さん、博多のごりょんさんの恒子ねえさん、宗像よりつんくばちゃん(モーニング娘の生みの親、つんくのお嫁さんが自分の親戚の人だと三日目に教えてくれる)瞳ちゃん、マダムカーサーの退院でちょっぴり寂しさを感じていたが、瞬く間に新メンバーに溶け込んだ。


 つんくばちゃんのカクラン
 入院患者の殆どが、当然のことだけど目だけは悪いが、ほかに身体の悪いところは何も無い。特に口はみんな達者。
手術後は安静にという事で、昼間っからベッドの上でごろごろが仕事。
それでも限界があり、新メンバーになった頃より、3時のおやつ時、夕食より就寝前までの時間、誰からとも無くおしゃべりが始まった。
その日もお見舞い客用の椅子を持ち寄り、特に恒子さんの博多弁でのおしゃべりが面白かった。私と加治さんが途中突っ込みを入れると、話は2倍3倍とふくらみ、他愛ない話だけどおしゃべりしながら、涙が出るほど笑った。
細い身体でおとなしく、それまで話に加わっていなかったつんくばあちゃん。
 突然、寝ていたはずなのに、起きてきて楽しそうに話に加わった。
聞いていて余りに楽しいので寝ていられないという。
つんくばあちゃんも優等生が一度不良仲間に入ったようで、消灯時間までベッドに帰うとしなかった。
 明け方の事、夜中の見回りとは違う看護士さんの動きで目が覚めた。
どうもつんくばあちゃんが熱を出したらしい。腕には点滴、頭には氷嚢、ただでさえ細身のつんくばあちゃんが一段と細くなり、横たわっていた。


  眼帯はずれ、入浴許される
 薄いステンレス製で、逆三角形をして、角に丸みを帯びさせたような形で、全体に小さな穴があいたもの、これが病院で手術後のガーゼの上からつける眼帯。
毎朝、主治医により、眼帯とガーゼを外し診察がある。
手術後、8日目の朝、「眼帯もう外していいですよ」って、突然、主治医の宣言。
ガーゼと共にそこあたりにぽんと置かれた眼帯が切なかった。
8日間も私と共にうつ伏せ寝に付き合ってくれた眼帯
今朝、お別れする事がわかっていたら、昨夜は最後の夜、いとおしく触り、お別れの言葉くらい交したのに。
 それでも入浴許可は嬉しかった。
冬場であせも殆どかかないし、気になったら拭けばいいけど、髪がどんどん時間をすって、重くなっていく様がたまらなかった。
しっかり湯船に浸かったあと、左目を意識しながら髪を洗った。
ドライヤーで乾かし、気分はまるでどこかシャンプーメーカーのコマーシャルの映像撮り見たいにサラサラ髪を何回を触ってみた。
日常は毎日するなんでも無い行為のひとつだけど、入院してひとつひとつが有りがたく、大切な事だと知った。パジャマを着替え、すっきり気分の今日は、窓より眺める2月の空が一段と青くまぶしかった。


 病院での出来事
 同じ主治医の患者さん、名つけて『イッシー』
岩石のように大きく固そうな身体のおじさん、身体に似合わない小さな笑顔を時たま見せるおじさん。
眼帯が取れた朝の出来事、トイレから廊下に出でた時「沿道さん」って声を掛けられる。私の名前? どうして? 簡単な事だった!
同じ主治医で毎朝の検診の時、順番を待っているとき、次から次に呼ばれる名前、
意識していたら直ぐ覚えられる。
それともうひとつ、食堂で自分のトレーを受けとる時、丁寧にも部屋番号と名前を告げるのだ。
「眼帯をつけたときも良かったけど、眼帯が取れていちだんと綺麗だ、ここ出たら一回ドライブしたいなー」だって。
悪い気はしないけど、嬉しいわけでもなく、聞こえたような、聞こえないような振りをしてその場をあとにしたが、イタズラ好きの私は頭の中で小説の題材がひとつ増えたとニンマリ・・・・・・
声をかけてきたイッシーが好きだとか、嫌いだとかの問題ではなく、入院生活でのこの出来事が楽しかった。
病室のほかの3人に話すと、ここは眼科だし、皆、眼が悪くて入院してるからねって、恒子姉さんに言われ、みんなで大笑い。


  恒子姉さんの退院
 今日は入院生活をことのほか楽しくしてくれた恒子姉さんの退院
退院のお祝いに頂きものの花束から、カーネションを一輪とり、姉さんの胸につけ
「姉さん!ご出所おめでとう御座います」とふざけた。
そこに、ちょうどイッシーが現れ、今日が退院らしく挨拶に来た。
私の入院生活に面白い言葉をくれ、賑やかにしてくれたイッシーのこと、姉さんにつけてあげたように、イッシーの胸ポケットにもカーネーションを飾ってあげた。
イッシーは例によって、岩石のような大きな身体に小さな笑顔を浮かべ「沿道さんが退院するまでにお見舞いに来ます」と言い残し、大きなカバンと紙袋を下げ、寅さんみたいにして病院を去っていった。


主人との新しい関係
 どちらかと言えば、主人の身の回りのこと、掃除、洗濯、料理とけして上手じゃないけど、細々と整えて世話をしたいタイプの私。
結婚以来、当然のことと言うか、フルタイムでの仕事を消化しながらも、頑張ってきた自分が好きだ。
 というわけで、主人も気分転換で好きな料理を作ったり、年末の掃除くらいは一緒にする事はあっても、こと洗濯に関しては主人の出番はなかった。
もしかしたら、こういう私たちの関係は主人の洗濯に関する、重大な才能をつんでしまったのではと思ったりした。
 お産の時は里帰り出産で、母も元気だったし、その後、大きな病気も怪我もなくお産以来入院する事も無かった。
今回の15日間の入院で、主人と私の間に、今まで洗濯してあげていた私が、洗濯してもらうと言う、新しい関係が生じた。
慣れない事で恥ずかしい気もするが、今回主人に洗濯を頼む事となる。
 はたして、主人は私の入院中、3回ほど、パジャマ、タオル、肌着、下着を持ち帰り、洗濯して綺麗にたたんで病院に届けてくれた。
主人のトランクス、肌着、ソックスは結婚以来、何千回洗濯しただろうか。
思い出しては見ても、今回の3回と比較したりするつもりは毛頭無い。
ただただ、単純に感謝できる自分の気持ちが嬉しかった。
 洗濯以外にも、病院の食生活を少しでも楽しく美味しくするために、毎日色んな食べ物運んでくれて有難う!


  お友達からのお見舞い
 薄い水色と薄いヤマブキ色で白い生地に「忘れな草」を図案化したような小さな花が散りばめられた柄で、袖口と衿口にレモン色のレースがあしらわれたパジャマ。日頃はネグリジェ派の私も今回の入院でパジャマを楽しませてもらいました。
今日は名つけて「忘れな草」のパジャマに身を包み、腕を伸ばし忘れな草の本数を数えています。2月で表は寒そうですが、部屋の中でパジャマの花が一気に咲いたようです。忘れな草のパジャマをくれた瑛子ちゃんありがとう。
 壁に貼り付けた葉書は有藤さんからの励ましのお便り「現代の医学を信じて、命の洗濯をするように」って。
 友には今回の事で私が落ち込んでいると心配かけたようで、ごめんなさい! そりゃ、目の手術は怖いけど、心配しても始まらない、一度、覚悟を決めたらやるしかないって。
 あなたがくれた大きな真っ赤な苺は乾燥気味の部屋で最高に甘く美味しかったです。時間が有りすぎ、色々考えていたら、真っ赤な苺のツブツブ一つ一つから、小人でも飛び出して来そうで、娘が小さい頃に一緒に読んだ「コロボックル」を思い出しました。
あなたがお見舞いにくれたガーゼでつくられた2本のタオル、赤紫とベージュのストライプとオレンジ色の幾何学模様のもの、はだざわりも最高に気持ちよかったけど色合が素敵でいつも触りながら、眺めていました。
 日頃は元気印で、友達からのお見舞いを受けるなど、想像もしなかったけど、皆さんの暖かいお見舞い本当にウレシカッタデス。


  花・・・花・・・・花
 入院初日より、入院プランナーよろしく世話してくれた洋子さんより贈られた、黄色の花のみで作られた花束にはじまりました。
 あなたからの水仙の花は、甘い香りを部屋中に広げ、同じ部屋の人からも喜ばれました。
 あなたからの梅の小枝、ふさわしい花瓶まで一緒に、窓辺で2月の青空に映え、ひそやかな香りを放ち、楽しませてくれました。
 急に冷え込み雪が降り出した朝はグレーのそらに広がるドット模様とコラボして面白かったです。
 あなたからのピンクの花だけで作られた花篭、チュ-リップ、ガーベラ、スイートピーが、あなたの気持ちのように柔らかく、長く窓辺をかざってくれました。
 若いあなたからの、若い感性でまとめられた花束、珍しい紫のチューリップ、黄色の大きな菊、薄ピンクのカーネーション、春らしく猫柳と桃の花もそえられた花束、固く閉じていた桃のつぼみが、翌日、濃い桃色の花を咲かせたのは感激でした。
 やがてお雛様の季節、桃の花から小さい頃の事を思い出しました。
毎年はお雛様の飾りを出してもらえなかったが、雛飾りが描かれた掛け軸風の巻物は毎年出してもらえた。素朴では合ったが、子供心にもその色合が雅でお雛様の雰囲気を充分味わえた用に思う。
あなた達からのフリーズドライの花束、生花に負けず劣らずの花束有難う!
何時までも枯れないフリーズドライの花束よろしく、私たちの関係も何時までもね。


  バラの花束
 ついにと言おうか、ようやくと言おうか、退院の日がきた。
退院の準備を整え、最後の検診待ちをして、部屋の皆と談笑していた時、突然部屋の前に現れたイッシー。
 3日前に寅さんの雰囲気で退院していったイッシーだったが、今日はスーツにネクタイを締めやって来た。
 「約束の見舞いに来ました。」と差し出すバラの花束。
 真っ赤な大輪の10本と、ピンクのバラ2本組み合わせたもの。
 どういう意味があるのかわからないが、もし、イッシーが私の大好きな人だったら、赤いバラは男性でピンクは私、大好きな男性が私を守ってくれている、と考えただろう。
 残念ながら、イッシーはこの私の想いには当てはまらない。
 私の想いをよそに、イッシーは「こんな気持ちになったのは初めてです。」なんて照れている。
 余計なことにならないようにと考えたら、口から思わず「私は主人がいますので」なんて言葉が出て、もしかしたら、イッシーだって『ちょっとした遊び、遊び』って思っているかもしれないのに、恥ずかしかった。
 イッシーは嫌いではないが、私の中では、そこらの道を歩いている知らないおじさんと同じだった。
 まあ、イッシーのプライドを考えると、私の入院生活を楽しく演出してくれた面では評価の価値があり、入院とともに思い出に残る人で有ろう。
 ことの次第を見守っていた、つんくばあちゃんが口を開いた。「お家に帰っても大将(主人のことらしい)にはこの事、絶対言わない方がいいよ」って。
 つんくばああちゃん心配かけてしまいましたが、大丈夫ですよ。
 主人に言うとか、言わないとかの問題の前に、このバラの花束は私が飾りたくて、たまに花屋さんで買う花と同じくらいのものだから・・・・・


  退院
 主人の迎えで無事退院できました。
病状は手術してはっきりと良くなったとは思えないが、主治医の話では時間の経過を待つしかないという、信じるしかない。
 玄関前に立った時、陽子さんからの退院に関してのサプライズが待っていた。
 鉢植えの花が2鉢、紫の花と、ピンクと白の咲き分けの、大輪のサイネリアの花。
 入院中は鉢物は根がつく=長引くと言う事でお見舞いには持って行かないが、陽子さんはそこあたり心得ていたようで退院と同時に鉢植えの花を届けてくれた。
もう、陽子さんには入院から退院まで「してやられた」って感じで完敗、有難う!
 陸(愛犬)もシッポをちぎれんばかりに振りながら迎えてくれた。
頬擦りしながら、陸と退院を喜んでいるところに、娘からの電話。
 小さな命の陸の歓迎で、もう感情的になっていた私に、娘の声が追い討ちをかけた。
 今だにその時の感情は説明できないが、涙がポロポロこぼれ、電話の声も涙声になってしまった。

 日頃は何気なくしている、できている、『ふつうのこと』が
 本当は価値のある、大事な事だと知った。
 これからも今回の入院を思い出しながら、日々を大事に暮らしていきたい。

 主人はじめ娘、兄弟姉妹、まわりのお友達、本当に有難う御座いました。

                                 完

















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