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食べ物について、今回はもう少し詳しく書きます。大連に着いてから、すでに3食、食べました。最初(昨日の昼食)は大学の学生食堂で牛肉麺、ま、特に美味しいものではないけど、5元(65円)という安さが嬉しい。夕飯は、雲南省名物、「過橋米線」なるものを食べました。これは、「つけ麺」みたいなもので、鶏のダシがたっぷり入ったアツアツのスープに、ライスヌードル(米線)を入れ、豆腐、鶏肉、ウズラの卵、モヤシ、シイタケみたいな具をたくさん入れていただくものです。私の頼んだのは、具が8種類くらい入っているセットで、お値段は10元(130円)でした。今日は、身体検査があったため朝ご飯抜き、その代わり、昼食はショッピングセンター地下の名店街で四川省名物、「麻辣Tang」なる鍋料理を食べました。これは、自分で具をいろいろ選んで、店員さんに調理してもらう鍋料理です。今回私は野菜やキノコ類を中心に、6種類ほどの具を選び、お勘定は11元(143円)。これだけで、すごくお腹いっぱいになります。とにかく、何食べても美味しいし、いろんな種類の料理があって楽しいです。しかも特筆すべきは、値段の安さ。未だ、一食で150円以上使ったことがありません。その他、フード付きのパーカとかキーボードとかテレホンカードとか、いろんなものを買ったけれど、とにかく物価が信じられないほど安い!昨日、空港で4万円ほど両替したけど、この調子だと、半永久的に使い切れないような気がします。
2005年03月03日
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昨日、いよいよ大連入りしました。思ったより、いい所でした。大連の街は、どこへ行っても清潔。ゴミもそんなに落ちてないし、私のこれまで行ったことのある中国の都市とは全然違う!むしろ、日本やオーストラリアの都市と言ってもおかしくないようなキレイさです。但し、道端で痰やツバを吐く人は時々いますけどね。あと、この街はあまりゴミゴミしてないのがいい。上海、北京、香港、台北などと比べると人口密度が断然低く、高層ビルやマンションはたくさん建ってはいるけれど、ギュウギュウ詰めというほどでもないし、空間に余裕があります。日本でいえば、ちょうど福岡みたいな感じかな。それに、海に近いのもうれしい。特に今度勤めることになる職場は、海からの距離がわずか1~2km。近くに、「海の眺望」を売り物にする分譲マンションもたくさん建っています。空気も、思ったほど悪くない。市の中心にいけばさすがに空気悪いですけど、私の職場はそこから10km以上離れた郊外で、海にも近いため、空気もきれいで、なかなか健康的な環境です。地方都市はいえ、さすがに中国だから人はいっぱいいるし、お店もたくさんあります。郊外でも、ショッピングセンターから10分も歩けば、別のショッピングセンターが出現するほどです。カルフール、ウォルマートといった海外資本も多数進出しており、買い物に困ることはありません。それに、食べ物が美味しい!!そろそろ字数が多くなってきたので、次回お楽しみに。
2005年03月03日
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今回が最後の、日本からの日記になります。 いま成田のネットカフェです。あと数分後には、大連行きの飛行機に乗ります。というわけで、明日以降の日記は大連から発信することになります。お楽しみに。
2005年03月01日
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日本に来て3日目。毎日が、楽しいです。お風呂は最高だし、ご飯は美味しいし、街へ出ると、目に入るもの全てが美味しそうに見えて、全部食べてみたいんですが、でも胃袋はひとつしかないのが残念です。でも、それよりもっと楽しいのが、TV番組。最近は特に、世間で話題のあの人、ホリエモン関係の番組を見るのが、一番の楽しみです。ニッポン放送の経営権をめぐる、ホリエモンvsフジテレビの対決がどうなるのか、興味は尽きません。ま、私は詳しい事情は知らないし、TVを見る限り、ホリエモンはもともとニッポン放送の経営なんて興味なくて、単にライブドアの知名度を上げるために、わざと仕掛けたというフシもありますが、ま、どちらが「勝つ」にせよ、ショーとして外野から見ている分には、むちゃくちゃ面白い。なぜ、こんなに面白いのか?おそらく、フジサンケイグループみたいな巨大グループが、ホリエモンの仕掛けた株式売買にタジタジしている(見ました?あの日枝社長の憔悴しきった顔!)、そういう下克上的な「今の時代」を象徴しているからこそ、余計楽しく感じるのだと思います。バブル崩壊後の10数年は、日本経済および多くの日本人にとっては暗黒の時代、とよく言われますが、私はそうは思いません。むしろ、バブル崩壊が引き金となって、かつて日本株式会社と呼ばれた経済システムが崩れはじめた今の時代の方が、私にとってはずっと楽しいし、生き生きできるのです。おそらく、ホリエモンも同じように感じているのでしょう。私の世代なんて、しょせん終身雇用の恩恵にあずかれないもんね。国民年金とか、そんなもん、ハナからアテにしてません。自分の老後の生活保障なんてものは、自分の責任でやるべきものだと思うし、経済が激変するなかで、家族を食わしていけるだけのスキル・経験をつけるのも、自分の双肩にかかっている。食っていくために、場合によっては日本を脱出して、外国語を身につけて外国人と対等に渡り合っていかなくてはならない。それが今の時代・・・変化が激しい分、しんどいけれど、自分の努力や才覚が、そのままストレートに結果に出る、そんな時代が私は好きです。そう感じるのは、おそらく、私という人間が、変化というものに対するアレルギーや拒否反応がほとんどない性格だからなのでしょう。自発的な変化にせよ、外から強いられた変化にせよ、基本的に変化というものは楽しいと、私は感じます。そして、いかなる変化といえども、そのタイミングをうまく捉えれば自分にとってプラスにできると信じています。変化を楽しむ、この性格は、天性のものなのでしょう。世の中のすべての人が、私と同じように感じるわけではありません。おそらく、世代を問わず、日本人の大部分は、おそらく、変化というものに、ある種の不安感や恐怖感を感じるのでしょう。そう感じる人が多いからこそ、いまの日本には悲観論や閉塞感が溢れているのですよね?私がすごく元気であるのとは正反対に・・・変化を楽しいと感じる人間と、不安と感じる人間、両者が分かり合うことはほとんど不可能なのでしょう。私からみれば、既得権益にしがみつく(というか、しがみつかざるを得ない)人間を見ると、(言っちゃ悪いけど)どうしても「変化を恐れる小心者、臆病者、可哀相な人々」にしか見えないし、逆に彼らが私のような人間を見れば、「理解不能な化け物」にしか見えないのでしょう。そうした両者の世界観、人生観の違いが、ホリエモン現象に対する賛否両論につながっているのかもしれません。要は、ホリエモンが撹乱した後に来るであろう世の中を恐れる人々は、彼に対して生理的に反発するのです。私は、その逆です。ホリエモンが撹乱した後の日本の世の中が、自分にとってすごく楽しくなるだろうな、みたいな予感があるのです。だから、ホリエモンがんばれ!
2005年02月28日
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朝起きると、気温はマイナス2度前後。うちの実家のあたりはロクに建物もなくヒートアイランド現象とは無縁なので、朝の冷え込みはさすがに厳しい。でも天気がよかったので、早起きして手賀沼湖畔一周、約14kmのウォーキングをやってきました。3時間近くかかりました。この辺の田園風景は、基本的に30年前とほとんど変わっていません。東京への通勤に不便すぎて、住宅の建ちようがないのです。でも、私が子供の頃、セリを摘んだりイナゴやカブトムシをとりにいった、あの頃の風景が今でも健在なのは、嬉しいです。おそらく今後も、大きく変わることがないでしょう。オーストラリアに移住した人で、「この広い青空、澄んだ空気、日本では絶対に考えられない」みたいなことを言う人がよくいるけど、そういう人は、たぶん都会の中しか知らないんでしょう。同じ日本でも、東京から30kmも離れれば、そして鉄道幹線をちょっと離れれば、こんなに澄んだ青空と、見渡す限りの田園がありますよん。その後は、電車に乗って都内へ直行、池袋で集合して、東京の仲間とオフ会をやってきました。参加者は全部で6名。まずは、池袋西口、立教大学の近くにあるラーメン屋「海神」の名物メニュー、「アラ塩ラーメン」を賞味。その上品でデリケートな味は感動もの。しかもヘルシーで、食べたあとより健康になった気になれるのが嬉しい。そのあと、喫茶店で時間をつぶした後、池袋のロサ会館向かいにある、屋上温泉へ直行。サウナと薬湯風呂、麦飯石風呂などにゆっくりつかって、そのあとお座敷でビールを飲んで、ゆっくりくつろぎました。湯船にゆっくりつかるのは約1年ぶりなので、再び感激。次に山手線に乗って新大久保まで移動して、職安通り界隈に突如出現した「巨大コリアンタウン」内にある韓国料理屋「ハレルヤ」で夕食。男5人でテーブルを囲み、ダッカルビ、プルコギ、カムジャタンなどを食いまくり、マッコリ(どぶろく)やビールを飲みまくって、おつまみを頼みまくって、腹いっぱい食べて一人4000円足らずのお勘定で済みました。その後、噂の巨大コリアンタウンを探検。職安通りの東西500mにわたって、ハングル文字の海、韓国料理屋やビデオショップ、派手なスクリーン広告の嵐。そのディープさに感激。知らないうちに、東京にこんなに面白いスポットが自然発生してたんですねえ。そのあと、歌舞伎町界隈を歩いて、新宿駅で解散しました。楽しい一日でした。オフ会を企画してくれたタカハシさん、T-Kayさん、どうもです。明日は、地元・柏でオフ会です。毎日忙しい♪
2005年02月27日
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今日、早朝6時10分に成田に着きました。これから5日間、千葉県沼南町(来月、柏市に編入される)にある両親の実家に滞在して、3月2日には、いよいよ大連入りです。今日は、明け方こそ0℃の寒さだったけど、9時を回ると日が差してきて、北風が寒いけれども快適な陽気でした。うちの実家のあたりは、東京からわずか30kmとはいえ、通勤幹線から外れているおかげで、今でも田園風景のままです。空気も澄み、冬特有の、視界の良い青空が広がって、とても気持ちがいい。空を見ているだけで、散歩したくてウズウズしてくるような素晴らしい環境です。私の両親は、健康増進の意味もあって、毎日約10km歩いているそうです。万歩計で、累計1000万歩を目指して、がんばっています。1000万歩を達成するには、あと2年半ほどかかるそうですが・・・ま、こうやって楽しく散歩を続けていられるのも、この良環境のおかげなのでしょう。私が子供だった頃に比べて、この辺の空気はきれいになっているように感じます。やはり、ディーゼル規制のおかげなのでしょうか?逆にシドニーでは、もともと青い澄んだ空が自慢の街だったけど、相変わらずディーゼルなんか野放しだし、高速道路のトンネルはロクに集塵装置もつけてないし、今はいいけど、油断してるとそのうち、灰色の空になっちゃうぞ。
2005年02月26日
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今から5分後、成田へ向けて出発です。今日も最後まで慌しくて、とても日記を書く時間がありません。明日は日本からレポートします。
2005年02月25日
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今日は出発前日。相変わらず目の回るような慌しさですが、なんとか時間をつくって、在シドニーの友人を誘って、レバノン料理レストランで送別会をやりました。平日昼間にもかかわらず、全部で6人(お子様含む)も集まってくれて、嬉しかったです。今回行った店は、シドニー郊外、アラブ系の人々が多く住むLakembaという街で一番美味しいレストランとされる「Jasmin」です。全部で5品注文して、食べまくって、お勘定は一人$8.5という破格の安さでした。私はこのレバノン料理をはじめ、中近東の料理がものすごく好きなんです。毎日、朝食はレバニーズ・ブレッド(パン)をピザにして食べてるし、パンにつけて食べる「ホムス」(砕いたヒヨコ豆にオリーブ油、ニンニク、各種香辛料などを混ぜてつくる。マーガリンみたいに、パンに塗って食べる)を手作りするほどです。いま住んでいる家の近所にも、中近東の食材を扱う店がいくつもあります。これから行く大連という街は、中国のなかでは国際的な街らしくて、中華料理のほか、日本料理、韓国料理などが食べられるようですが、さすがにレバノン・中近東の料理は食べられないと思うので、シドニーにいる今のうちに、食べておくしかない、というわけなのです。
2005年02月24日
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今日も出発前の準備などでものすごく忙しかったのですが、嬉しいことが二つありました。(1)クルマが売れたこと、(2)自宅を賃貸に出せたことです。特に、私の出発前に自宅を貸せたことは、予想外のうれしい誤算でした。当初は、不動産屋を通して借り手を見つける予定だったのですが、数日前、我々夫婦が慌しく引越し作業をしていた時、近所に住んでいる知り合いのオージー夫婦が、「もし出ていくのなら、この家を是非借りたい!」と申し出てきたのです。その時は、家の中も車庫も廊下も庭もゴチャゴチャの状態だったのですが、今日の午後までに何とか小綺麗に整理できたので、例のオージー夫婦に内見してもらいました。そしたら、話がトントン拍子に進んで、一気に2年間の賃貸契約の締結、というところまで話が発展しました。明日、賃貸契約書にサインをもらい、敷金を預かる予定です。これで、我々夫婦がシドニーに所有する不動産3軒のうち、2軒に借り手がついたことになります。残りの1軒は、つい先月買った(売買契約を結んだ)ものですが、物件の引渡しはまだまだ先(4月後半)なので、今後じっくり時間をかけて、良い借り手を見つける予定です。それにしても、賃貸に出した2軒とも、不動産屋を全く通さずに自分でテナントを見つけられたのが面白い。いずれも、近所の人や知り合いが借りてくれたのです!私見ですが、不動産投資の基本は、「一に立地、二に立地、三、四がなくて、五に近所づきあい」だと思います。
2005年02月23日
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今日も、長い一日でした。まず、朝9時から弁護士のところで住宅売買やローン契約に関する打ち合わせをやって、その後、余った荷物をチャリティに寄付しに行って、その足で中国大使館に行って観光ビザを受け取り、そのあと妻の職場で備品のスーツケースや妊婦用の制服を取りにいったら、すでにお昼過ぎになっていました。それから昼食を済ませて、要らなくなった読書灯やワイン類を友人宅に届けに行ったら、話が盛り上がってついつい長居をしてしまい、家に帰ったらすでに4時を回っていました。そのあと、本日のメインイベント「クルマ売り」が待っています。私は3日後にはシドニーを離れてしまうので、それまでに愛車カローラを何とか売り払ってしまいたい!たまたま、元の職場の仲間で興味を示した人間がいるので、そいつの家にお邪魔して、クルマを見てもらいました。その前に、中も外もきれいに洗車したのは言うまでもありません。この話は、どうやら商談成立になりそうです。明日、都合の良い時間にテストドライブしてもらって、問題がなければ代金を小切手で払ってもらうよう、すでに段取りをつけました。うまくいけば、RTA(陸運局)でオーナー変更の手続きを行い、即引渡しをする予定です。明日は、いま住んでいる家を賃貸に出すための交渉など、やるべきことが盛りだくさんで、忙しい日になりそうです。
2005年02月22日
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今日は7時前に起床。義理の弟宅で朝飯をごちそうになり、荷物の整理、昼食の準備、記念撮影などをしているうちに、いつの間にか9時になる。本当に、時間の経つのは早い。いよいよ、Wagga Waggaを出発して、シドニーへの帰途につく。今日は昨日と違って、私一人で運転しなくてはならないので、ちと気が重い。ちなみにこのトラックは、シドニーのレンタカー屋に午後3時40分まで返さなくてはならない。もし遅れるようなら、連絡電話を入れればその1時間後の4時40分まで借りられることになっているが、それを1分でも遅れたら一時間30ドル以上の延滞料金がかかるので、先を急がなくては・・・今日のWagga Wagga地方は快晴。しかも荷物がほとんど空なので、昨日よりラクにスピードが出る。シドニーに向けてどんどん距離を稼ぎ、Gundagaiで給油した後、一気にGoulburnまで突っ走る。着いたのは12:40で、昼食にちょうど良い時間。ところが、このGoulburnでバーベキューチキンを買ったり、食後の散歩をしたり、いつの間にか長居してしまい、1時間も費やしてしまったのが誤算だった。その後、シドニーまでの帰途を急ぐも、Campbelltownまで来たところで燃料(ディーゼル)が底をついてしまい、ガソリンスタンドを探すも、慣れない土地ゆえ、なかなか見つからない。ウロウロしているうちに、時間はいつの間にか、返却時間の3時40分に。急いでレンタカー屋に電話を入れ、あと1時間以内で必ず着く旨、連絡する。Campbelltownから、最終目的地Westmeadのバジェット・レンタカーまで、距離は35kmと短いが、途中、Liverpool近辺で渋滞に巻き込まれ、思うように進まず、イライラする。でも、Liverpoolを過ぎ、Parramatta近くまで来れば私のテリトリーなので、Coleman Streetなどの裏道をうまく使って、4時30分にバジェット・レンタカー到着。つまり、10分の差で延滞料金を免れたことになる。その後、タクシーで自宅に戻ると、さすがに長旅の疲れがドッと出てきた。妻などは夕食のあと、倒れこむように寝てしまった。私も、そろそろ寝なくちゃ。私のオーストラリア滞在も、残すところあと4日。泣いても笑っても、あと4日なんですよね。
2005年02月21日
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今日はいよいよ引越しの本番。昨日レンタカー屋で借りてきた3トントラックに乗り、義理の弟の住むワガワガ(Wagga Wagga)まで、片道470kmの長距離ドライブが待っています。朝、最後の積み込みを済ませると、あれだけモノで溢れていた家の中がすっかりガランドウになって、「こだま」が聞こえる状態になってて、びっくり!シドニーの自宅を午前10時前に出発する。今日もあいにくの荒天で、路面はところどころに水溜りができている状態。慣れない(というかほとんど未経験の)トラックの運転だけに、緊張する。途中、Mt Druittにある、E-bayオークションで知り合った人の家に寄ってベッドのフレームを詰め込み、Penrithまで西進し、その後はひたすら南を目指す。運転すること、1時間半。シドニー郊外の交通量の多さに疲れ果てた私は、Pictonまで来たところで義理の弟と運転を変わる。運が悪いことに、Southern Highlandまですごい大雨に遭い、視界が悪くなり、しばらく徐行を強いられる。そんなこともあって、昼食休憩地・Goulburnに着いたのは予定より1時間以上遅れた午後1時半。冷たい雨の降るこの町で簡単な昼食を摂り、早速出発。午後3時半、相変わらずの荒天のなか、Yass到着。そこで、運転席は再び私にバトンタッチ。不思議なことに、Yassから少し進むと、これまでの雨空がウソだったかのように、素晴らしい晴れ間となる。地図で確認すると、この辺がオーストラリア大陸を南北に走る大分水嶺(Great Dividing Range)の一部だそうで、分水嶺を越えると、天候が一変するらしいのです。おかげさまで路面も乾き、180km先のWagga Waggaまで、快適なドライブとなりました。いよいよWagga Waggaの市内に入り、間もなく義理の弟夫婦の住む一軒家に到着。時間はすでに午後5時50分。休憩時間も含めると8時間近くかかった長途ドライブに、いよいよ終止符が打たれました。その後、一息入れて今度は荷物の積み下ろし。我々夫婦と、弟夫婦の4人の協力により、1時間ちょっとで作業が完了。その後、夕飯はベトナム名物・生春巻をいただき、しばし雑談したあと、我々夫婦は地元のCountry Comfortホテルにチェックインしました。その後シャワーを浴び、ベッドに寝転ぶと、間もなく、泥のように熟睡しました。
2005年02月20日
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昨日、せっかく会社を辞めてヒマになったと思いきや、今日は一日中、目の回るような超絶的な忙しさでした。まず、朝起きて、4人分の朝ごはんをつくって、食べて、片付けて、そのあとメルボルンから遊びにきた友人を最寄駅までクルマで送って、その時点で午前9時。その後、洗濯や庭の手入れの傍ら、今日1時に予定されている(※)オープンハウスの準備をすすめる。(※.私は中国行きにあたって、シドニー都心部に所有するマンションを売るつもりなのです。オープンハウスとは、週末(通常は土曜日)、時間を決めてマンションを開放して、お客さんに見てもらうことです。)10時半を過ぎると、e-bayを使って売り払った品(シングルベッド、芝刈り機、家具など)の買い手が続々とやってくる。彼らと応対して、物品とお金の引渡しを全部済ませて、時計をみると、すでに11時50分。そろそろオープンハウスに行かなくちゃ!私の住む郊外Parramattaの街から、都心部にあるマンションまで、電車を使えばドアツードアで50分程度で着くはず。だから、オープンハウスには余裕で間に合うはずなのですが、そうは問屋が卸しませんでした。我がシドニーの誇る「シティレール」なる鉄道は、「先進国最低レベル」と呼ばれるほど、とんでもなくいい加減!特に、日本の電車に慣れた人間が利用すると、狂い死にするくらいフラストレーションがたまる、曰くつきの乗り物なのです。今日のシティレールも、案の定、やってくれました。Parramatta駅を予定の17分遅れで発車した上に、途中、各駅の手前でノロノロ運転しやがって、結局、目的地のセントラル駅についた時は、予定より30分の遅れ!時間も、1時をとっくに回っていました。ダッシュでマンションまでたどりつき、フロントの警備員に鍵をもらおうとしたら、誰もいない!急いで内線電話をかけて、「誰もいないぞ。早く来い!」と叫ぶと、「分かった、いま行く」・・・と言っておきながら、警備員が来たのは10分後!全く、オーストラリアって万事こうなんだから。何もしないでいるにはいい国なんだけど、何かをしようとなるとむちゃくちゃストレスがたまる!結局、オープンハウスが開始できたのは、予定の1時を30分も回っていました。呆れて帰ってしまったお客さんもきっと多かったことでしょう。せっかく、お金払って新聞広告まで出したのに、電車と警備員のいい加減さのせいで、台無しになったじゃねえかよ?どうしてくれるんだてめえ!と叫びたくなりました。とはいえ、最後に来たお客さんが興味深々で今後につながりそうだったのが、唯一の救いではありました。その後、セントラル駅に舞い戻り、ファストフードを買って電車に飛び乗り、今度は郊外のWestmead駅を目指す。引越しのために、バジェット・レンタカーで3トントラックを借りたのですが、その最寄駅がWestmeadなのです。レンタカー屋に着いて、手続きして、生まれて初めて運転する巨大な3トントラックに乗って、おそるおそる運転しながら、我が家を目指す。すると途中から、ものすごい雨が降り出し、雷が落ち、やがて、雨粒が雹に変わりました。そんな恐ろしい天気のなか、我が家に着いた時は、生きた心地じゃありませんでした。でも、一息入れる暇もなく、今度は引越し荷物の積み込み。ひどい雨のなか、2階と1階、車庫を往復しながら、荷物を梱包して、積み込む。毎回、引越しやって思うのですが、我が家は本当にモノが多い!多すぎる!で、その大半が妻の持ち物です。私の物は2割あるかどうか・・・私はシンプルライフ派なのに、ショッピング好きの妻は、どんどんモノを買っては、家の中に溜め込む。それを何年も繰り返しているうちに、とてつもない量になってしまうのです。さすがの妻も、あまりの荷物の多さに顔面蒼白になり、「これからは、モノ買うのを控えよう」と思ったようです。結局、友人二人に手伝ってもらって、男性3人、女性1人の手で行った荷物積み込み作業が終了したのは夜の9時近く。外はすっかり暗くなり、相変わらず雨が降り続いていました。一同、おそろしく腹が減ったので、近所Eastwoodにある韓国料理屋で暖かい鍋料理を食べに行って、その場で解散。その後、家に戻って、残務を処理して、シャワー浴びて、長い長い一日が終わりました。明日は朝から、義理の弟の住むWagga Waggaまで、3トントラックを運転しての約500kmのロングドライブです。明日も、長い一日になりそうです。
2005年02月19日
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今日が、IBMオーストラリア最後の出社日です。4年半の間勤めたこの会社とも、いよいよお別れです。嬉しいことに、職場の仲間がマレーシア料理レストランで、ささやかな送別会を開いてくれました(18名も集まって大盛況でした!)。その場で、餞別として、シドニー・オペラハウスのジグソーパズルもいただきました。「中国に行っても、シドニーのことをいつでも思い出してもらえるように!」という趣旨だそうです。どの国でもやっぱり、持つべきものは友達だと思いました。それから最後の引継ぎを済ませ、午後4時50分、上司に伴われて社員バッジを返却しました。その時点で私はもう、IBMオーストラリアの社員ではなくなりました。4年半使ってきた私の社内メールアドレスやイントラネットのIDも、全て失効しました。社員であることの義務や権利から全て解放されて、全くの個人として世の中に放り出された、そんな気分です。会社を出て、最寄りのバス停にたどり着くと、いつもより青い空が広がっていました。道行く人の表情も、いつもよりリラックスしているように見えました。時折りそよぐ風が、いつもより優しく感じられました。会社を辞める瞬間というのは、何ともいえぬ爽快感があるものです。「自分の人生を、自分の足で歩んでいる」ことを、全身で感じることができるこの瞬間を、私は愛しています。今回が、我が11年間の社会人生活で3回目の退職です。「会社辞めようかなあ?それともこのまま続けようかなあ?」という二者択一に悩まされた時、私は常に「転職」を選択してきました。それが果たして正解だったのかどうか、自分でもよく分かりませんが、ま、こんな暮らしも、私らしくていいんではないかと・・・「退職する爽快感」を味わうために??、私は今後の人生で、あと5回くらい、転職しそうな気がします。
2005年02月18日
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中国のスタッフが、旧正月休暇からようやく戻ってきたので、早速人事の担当に確認したところ、3月2日の大連入りまでに、中国の観光ビザを入手しなくてはならないという事実が発覚!ここでちょっと補足しますと、中国で働くには「就業証」という特別なビザが必要になるのですが、そのビザが海外(オーストラリア)では発給できないらしいのです。そこで、まず観光ビザで中国に入国し、そのあと現地(大連)で就業証に代えてもらう、という面倒臭い手続きを踏むことになったのです。観光ビザの申請にかかる日数は、4労働日。私のシドニー滞在の残り日数が1週間しかないことを考えると、今すぐ申請しなくてはならないのは明らか。そこで、今日は早起きして、妻と一緒に、中国領事館に行って申請することにしました。在シドニー中国領事館は最近、都心近くのCamperdown地区に移転したばかり。かっこいいマンションが建ち並ぶ一角に聳え立つ、コンクリート打ち放しの、モダンな外観な施設がそれです。その偉容(というか威圧感)に、思わず「さすがだ・・・」。中国の国力を見せ付けられたような気がしました。ところが、一歩外に出ると、ビザ代行業者、写真屋、コピー屋、飛行機チケット屋、土産屋の類がずらり!立ち並ぶ看板はもちろん中国語オンリーで英語など一言も書いてないし、どの店も中国人で溢れかえっている。「何だかんだいっても、やっぱり中国だよなあ・・・」。その後、職場に直行し、その後はひたすら作業、作業・・・残務を片付けるだけで、いつの間にか夜7時を回っていました。土壇場まで仕事に追われるのは好きではないけれど、ま、仕方ないっすよね。明日は、IBMオーストラリア最後の出社日です。泣いても笑っても、あと一日なんですよね。
2005年02月17日
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シドニーでの暮らしも、残すところわずか9日となりました。でも、余韻にひたってるヒマなど全然ない!毎日、引越しやら仕事の引継ぎやら、不動産関係の雑務やら、妊娠した妻のサポートやらで、日々、目の回るような忙しさ。極端な話、食べるヒマも惜しいほどです。昨晩も、7時近くまで仕事して、その後、妻の送り迎えして、引越し作業やって、夕食つくって、食べて、その後、会社の仕事片付けて、不動産ローンの書類を読んだら、いつの間にか12:00を回っていました。でも、空いた時間を利用して楽天BLOGに登録して、一応、トップページらしきものはつくりました。BLOGってラクでいいやあ。中国行きと勇気 (PM 04:08)仕事の引継ぎがむちゃ忙しいけど、あと二日の辛抱だ!!中国への転職にあたって、職場の仲間がたくさん、お祝いのメッセージをくれました。嬉しいです。なかでも特に目立ったのが、"You are a brave guy!"(お前は勇気ある奴だ!)というメッセージでした。Braveというのは、もちろん褒め言葉(特に我々男性にとっては)ですので、もちろん嬉しいんですが、そのニュアンスのなかに、微妙な違和感を感じてしまう部分が、なきにしもあらず・・・「果たして、オーストラリアを離れて中国へ行くことが、それほど勇気ある行動なのだろうか?」と思ってしまうのです。これはおそらく、「オーストラリアを故郷ないし母国」だと思っている人と、「オーストラリアを異国」だと考える人との間の、感じ方の違いなのでしょう。私にとって、オーストラリアは異国です。そりゃあ、この国に5年近くも住んで、この環境にもすっかり慣れて、地元民みたいな顔して日々暮らしてはいますけど、それでも異国には違いありません。私にとって、オーストラリアも中国も、どっちみち異国には代わりないのです。思うに、本当にBraveかどうかが試されるのは、「母国を離れて異国へ移動する」時ではないでしょうか。ですが私は、5年前に日本からオーストラリアに移住することで、その過程をすでに済ませちゃってる!ですので、これから中国へ就職・移住することが、大して勇気を必要とすることとは思えないのです。少なくとも私自身にとっては・・・それに、今いるオーストラリアと比べて、中国は明らかに私の母国・日本に近い(少なくとも距離的、歴史的には)ので、心情的には、「古巣のアジアへ帰る」みたいな感じもするのです。ところで、「日本→オーストラリア→中国」への移動っていうのは、何となく「Jターン」に似てませんか?たとえば、宮崎や鹿児島の出身の人が、まず東京に出てきて、それから博多に戻って就職するような・・・ま、何はともあれ、これから中国で何が起こるか、楽しみです。
2005年02月16日
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