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いのちの法廷 伊豆百合子著日本評論社発行 より抜粋 医者たるものが、なぜ病院と担当医を訴えなければならないというところに追い込まれたのだろうか。原告の久野病院長、恒子副院長(妻)は福岡県で個人病院を営んでいる。夫妻の3女は'92年視野狭窄をきっかけに脳腫瘍を発見され脳外科手術を受けたが、術後脳梗塞を生じ、一ヵ月後に亡くなられた。17歳。近藤誠 巻頭言本文より抜粋 しかし医師側に求められていたのはそんなレッテル貼りではなく、脳梗塞を起こした不幸を、お互いの不幸として共に悲しみ、そして懸命に乗り越えていこうという人間的な誠実さではなかったか。実際、患者や家族の求めるものはそれしかない。・・・・・・・ 手術の失敗による脳梗塞、脳浮腫、気管切開の遅れ、挿管チューブの取替えミス、MRSA感染、そして組織の病理検査がなされていない、カルテ改ざん、(カルテに穴があいている)、 医療にミスはある。しかし、医師たちが誠実であったなら、必ずしも裁判にはならない。患者に対して不誠実さが見えた時、患者は怒る。嘘をつかれた時、隠された時に、患者は裁判を起こすのである。(ダニエル・マッキール医師 ワシントン大学病理学) 臨床の現場にいると「この医者へただなーとか、これは失敗かな?」という場面に遭遇する。治療方針がぼやけていることもある、患者から、家族から、クレームがある。そういう場合ナースは医師(管理側)と家族の間にたって右往左往してしまう。しかしうまく行かなかった不幸を共に悲しみ、お互いに建設的に話し合える真摯な態度を持てるように、努力したいと思う。 これは自分に対する戒め。 最近特に、モチベーションダウンを感じて怖い。色々原因はあるがそれは個人の言い訳なのだと自分に言いきかせようとしている。こういう本を読むと少しは維持できるのではないだろうか。
October 31, 2006
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FMラジオのCM「今日ご紹介するのは、5Kg、6Kgの減量をお望みの方は、対象ではありません。10数キロ、2ケタの減量を強くお望みの方に朗報です。2週間で12Kg痩せた方もおられる・・・・」 2週間で12Kg??それは危ない。そんな危険なものを市販していいのか?? 本当に恐ろしいことをラジオCMで普通に流して・・・・ 怖さを知らないことが怖い。
October 31, 2006
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22世紀の医療を考えながら職場で業務をしています。 この患者さんには、これをしてアノ人にはこれとあれと・・・色々支援・介助いろいろ思いますが、圧倒的な人員不足はどうしようもないですね、やはり10対1ではなく7対1でもない、5対1は欲しいと。 しかし多くいても、各自のモチベーションが低いと意味がないし、手をかけすぎるのも自立(自律)を損なうし。・・・難しい。 でも22世紀には、必要性に即応できる体制であって欲しいと思います。
October 29, 2006
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昨日、私の誕生日でした。本日偶然訪問してくださった方は今日が誕生日でした。誕生日ラッシュは大げさですが、気分は晴れてます。
October 27, 2006
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年に一度の「誕生日」ゆっくりと過ごせそう。昨日娘が「一緒にケーキ買いに行こう」と言ってくれたので、夕方近くのお店に行きます。中学3年生だけれど未だ一緒に、行動してくれるのはうれしい。これが「しあわせ」なんですね
October 26, 2006
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今日ラジオを聞いていると、神沼恵美子さん(ABCラジオ)が「団塊の世代が定年退職を迎えるでしょ。そしたら離婚ですよ。奥さんは待ってるんです。旦那は、一生懸命働いた、上司から無理難題を言われ苦しい思いをして働いた。家族のためだと思って働いた・・・・んでしょう。けど奥さんも辛いのよ。朝から晩まで家事・育児・近所付き合い・PTAあらゆることをやってきて、しかも疲れた顔で帰ってくるなーんもせえへん旦那を迎える。いつまでこれせなあかんの?妻だっておなんなじですよ」 夫の言い分は私は充分理解できる。妻の言い分は「神沼さんに言われて気がついた」のが正直なところです。私は団塊の世代ではありません。 昨年自分の身勝手な言い分で、長年努めた病院を退職、次に努めたところも半年で退職。今新たな病院で勤務しています。役職から解放されたことが唯一の、そして最大の喜びですが給与は天と地妻には本当に辛い思いをさせています。神沼さんがラジオで話をすると多くの場合、嫁姑問題、夫婦問題をあっけらかんと話してくれます。近所付き合いのノウハウなどなど笑いながらも「あっそうか、自分の考えていることは男の論理だな」と気づかせてくれます。 働いてつらい思いをしているのは男だけではない。同じように女性もつらい思いをしているんだということ。 なにを今更!!
October 23, 2006
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薬害エイズ 終わらない悲劇 櫻井よしこ著を読んでいます。「阿部先生、患者を蔑ろにしましたね」は読み終えました。 こちらは、全体像を捉えるのにはちょうどよいです。 薬害の起こらない仕組みはできたのでしょうか?22世紀にはひっぱらないでほしい。
October 23, 2006
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櫻井よしこ著 阿部先生、患者を蔑ろにしましたね を読んで。 阿部先生とは、元 帝京大学副学長 故 阿部 英氏 のこと。事件のことは後日書きますが、阿部先生は40代後半まで、東京大学医学部で無給の助手として勤務していた。そうです。 ここがどうしても引っかかる。無給とは、勤務していても給料が支払われないこと。現代では改善されているそうですが(確認していません)当時は当たり前のこと。以前努めていた病院で、ある医師が、「医局には、無給の医者がゴロゴロいる」といわれていました。彼らは、勤務終了後関連病院の当直または、休日(本人の休み)に同じく関連病院の外来で診療し生活費を稼ぐ。 恐らく阿部先生も同様の生活を少なくとも20数年行っていたと思います。”苦労されたはず”の人が帝京大学に赴任したら、金のため、名誉のために人の命を蔑ろにしていく”さま”はを読んでいくと「人とはこうも欲の塊なのか」と奈落のそこを見る想いです。 しかしそんな人ばかりではないのがこの世の中。グラミン銀行の総裁の活躍を描いたNHK教育テレビをみてホッとしました。貧しいひとが更に貧しい人を搾取する”さま”は自らの首を絞めているにもかかわらず、止めようとしない。そこへストップをかけたのがこの人。 人間は、動物としての人と考えることのできる人が混在した存在なのでは?と
October 22, 2006
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入院中の人の中には、自ら動くことのできない人がいる。じっと天井を見つめ一日を過ごす。背中・腰が痛くてもただ耐えるだけの毎日。いつ終わるとも知れない日々が続く。 また、別の人は食べようという意欲が乏しく食事のときに「いらん、食べん」と口を開けない。しばらくして「すみませんが、水下さい」水分の要求は時々ある。薬も同様に呑まない。入れ替わり立ち代り、ナース・医師が説得するが反応はない。 私は、ナース。 毎日天井を見つめている人に、「この人の人生はこれで・・・・いいのか」80年も、90年も生きてきて最後がこれか!!哀れみを顔に浮かべる。 しかしそれは不遜な、僭越な、傍若無人な勝手な私の思い込みだ。 最後が天井を見つめるだけであろうと、薬を吐き出し、食べない日々を送ろうと、それはその人が80年、90年、生きた、「生き方」であり他人の私が批判するべきことではない。 ナースとしての心の"やりきれなさ"は私の勝手な思い込みであり、人生を美化し過ぎていると。面会もなく、世間から忘れ去られたような存在になった人を見るが、それがその人の人生である。 可哀そうではなく、そう思う自分の心の貧困さが寂しい。 勤務中、"心に浮かんだまま"を書きました。
October 18, 2006
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櫻井よしこ著 阿部先生、患者の命を蔑ろにしましたね 読書中。まだ1/3も読んでいませんが、故 阿部秀氏 の欲に対する執着とそれによってもたらされた「死」 今でも「マニュアル」について考えているのですが、この本にも裁判が主体でかかれています。そこでどうしても根拠という根元を明らかにする必要があります。例えば「帝京大学付属病院の第一内科の科長の職責」ということが問題になりました。非加熱製剤を投与しろと指示したのはだれか?という根元を問いただす。規程(マニュアル)では、科長は病院長の命を受け、当該診療科の所属職員を指導監督・・・」とあるので、責任者は故 阿部氏と病院長ではないか?しかし、実際病院長がそういう指示をした例が他にも、今回にも全くないので病院長の責任はない。と結論できる。こういうこと一つ一つを問いただし、実際とかけ離れているのか、否かを明らかにして責任者を割り出していく。 マニュアルは臨床現場では蔑ろにされていますが、いざ裁判では重要な根拠になります。
October 15, 2006
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昨日、「Dr.コトー診療所2006」を見ました。これが未来の医療像なのかな?という想いです。医療者と受診者の人間関係が良好な状態が見ている私に感動を与えてくれました。 良好な状態とは、受診者の生活、生き方、が主軸にあってそれをサポートするのが医療という構図です。 同じく昨日ですが、図書館で高齢者同士の話が耳に入ってきました。 「久しぶり。今日は歩いて来たんです。前に自転車に乗っていたらこけて頭打って先生に診てもらったら先生が「自転車に乗るのは止めなさい」といったので止めた。歩いて30分かかるんや。」 聞いていてそれはおかしい!と 自転車でこけるのは当たり前、乗るのを止めたら自転車に乗る運動神経は衰退するだけ。機能を維持するためには、乗ることではないの? 医師に言われてそのとおりにするという、その気持ちが既に「高齢者」なのではないのかな? 高齢者であっても、自らが自転車を活用して動くことで自分の生活をしていくその・・・・・ 自主性というか、自立性はどうなの?と。 医師のいうとおりの生活を送ることがそんなに大事?自分はどこに?
October 13, 2006
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社会的入院の方々をみていると、人生とはなんだろうか?と暗い気持ちになる。病院を転々とし家には帰れない。やがて施設入所の順番がきてそこで生涯を終える。家で生活するには、自立には問題がある。例えば「リウマチ」で物を掴むことが不自由になったら、トイレに行けなくなったら、食事を作ることが、・・・訪問という支援があるが、体調という厄介なものと付き合っていくには、とりあえず病院か療養型か? こういう場合、グループホーム・・・しかしあれはある程度自立していなければお世話になるばかりでは・・・将来はどうあればいいのだろう?
October 12, 2006
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MAPでは、現在の医療のここが悪い、医師はこうあるべきだ・・という議論を重ねてきましたが、それでは後ろ向きな思考ばかりで疲れがドットでていました。 前向きに、メンバーである自分が楽しくいなければ、という思いからポジティブ思考前向きに、楽しく語り合おうと思います。 そう思いながら毎日の仕事をしているのですが、これが中々・・・・ 患者さんには、笑顔で・・・まずはこれを実行しています。病棟にある鏡をチラッとみて 笑顔・笑顔 まず最初の一歩。
October 11, 2006
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現代の医療のここがおかしい、あの医者はヤブだ!!あの看護師は許せん。医療費の国民負担が増加しているのは、・・・・。など医療に対する不満は後を絶ちませんが、まっ、そこは肩の力を抜いて「ではあなたの理想の医療とは?」と聞かれた時、どう応えますか。 私は、昨日「分娩台よさようなら」という本を手にして数ページ読みました。(著者大野明子さん。)その抜粋ではないけれど、そこには「本来お産は自然なもの、それを不自然な状態にしたのは、医師ではない。」ではだれが犯人なのでしょうか?それはしいていうなら国民です。自然な分娩とは、必ず数パーセントの残念な、望まない結果がある。それを受けいれられずそれを回避するためには「安全なお産」を目指した。その結果が・・・。 でも、例えば「アッぺ=急性虫垂炎=盲腸」の場合、開腹し”盲腸を切れば”治ります。切らなければ、高熱に侵され腹膜炎になり不幸な転帰を迎える場合もあります。内科受診すれば”抗生剤”治療、外科受診なら「手術」でしょうか。 でもいずれにしても「治る」のです。 このように、医療とは人の生存・やすらかな死にとって必要不可欠なものです。22世紀の医療はどうなっていればいいのでしょうか?
October 6, 2006
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MAPでは「医療とマニュアル」について話し合っている。この日記を読んでくださった方に、アンケートを取りたいので、どうかご協力をお願いします。アンケート1、あなたの会社または病院で「マニュアル(手順書)」は、ありますか?2、その「マニュアル」は、なぜあるのでしょうか?3、もし「マニュアル」がなければ、仕事はどうなるでしょうか?4、その他ご意見をください。
October 1, 2006
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