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おいしくありたい! あたふたカナダ生活記
出会いから結婚まで1
旦那(ヨン)とであったのは1997年7月のナイアガラ。
当時、私はトロント、ナイアガラのツアーガイドで週に2回はナイアガラに宿泊していたのです。ある日のこと、仕事が終わり、お客を下ろしたホテルの近くの韓国レストランで夕飯を買いに行った時、そこのオーナーのおじさんとすこし話をした。そのころ、私はESL時代の韓国人の友人たちに触発され、韓国語を独学で勉強していたので、そのオーナーのおじさんとも韓国語を交えた会話をしていた。おじさんは「どうしてそんなに韓国語を知っているんだ?」と聞いてきた。私は「友人に韓国人が多くて、韓国語を勉強しようと思って始めたのはいいんだけど、その友人はもうみんな韓国に帰ってしまったから、今は教えてくれる人がいないんです。だからなかなか上達しません。」と言うと、おじさんは「よし、わしが紹介してやろう!」と言ったので、私は「まぁ、ご挨拶」と思いながら名刺を渡した。
おじさんの話では、アメリカのバッファロー(カナダ、ナイアガラの川向こう)で弁護士だか医者だか(どっちだか忘れちゃった。。。)をしている韓国人男性がいるとのこと。。。まぁ、きっとご挨拶だろうな。。。と思い、特に期待もず数週間が経った。
そんな名刺を渡したこともすっかり忘れていた頃、会社からいつものように仕事の「旅行行程表」が届いた。そのとき、電話でオフィスのアシスタントさんが「なんかねぇ、なぞの韓国人からじゅりぃさん宛にファックスが来てるからそれも一緒にファックスします。」と連絡があった。
ん?謎の韓国人?
旅行行程表と一緒に「謎の韓国人」からのファックスも一緒にファックスされてきた。文面を読んで「あ!あれだ!」と気づく鈍い私。。。
なになに。。。仕事の長期出張でカナダに来ています。。。新しい人と出会うことが好きで、ここでも友達ができたらいいなぁと思います。今度、ナイアガラに来るときは一緒にビールでも飲みましょう。。。
フムフム。。。なるほど。。。いつもナイアガラに泊まるときはすることがなくて、宿舎(契約しているB&B)に早くから引っ込んでるだけだから、飲み仲間がいるのは楽しいかもしれない。次にナイアガラに行くとき、会ってみようかしら。。。
そして、それから2週間後に仕事が終わった先のホテルのロビーで待ち合わせをした。
ホテルのロビーは人の出入りが多く、どれが彼なのか分からないんじゃないかって不安だったけど、彼がロビーに入ってきたときは人目で「この人だ」って分かった。一目見たときに「お友達」って思った。つまりタイプじゃなかったんだよね。
それから、ナイアガラに泊まる時は毎回、彼と会ってご飯を食べたり、一緒に飲んだりした。
最初はお互い、「友達」って思ってたけど、だんだんそれが変わっていって、1ヶ月後には「恋人」になっていた。
ナイアガラ時代は明らかに私が彼を思う気持ちのほうが、彼が私を思う気持ちよりはるかに大きかった。いつも、彼は言っていた「僕が君を思う以上に君は僕のことを好きでいてくれる」その言葉がとても辛かった。
彼はいつかは韓国へ帰る。それがそれほど遠い未来でないこともお互い分かっていたし。
彼は「この先、僕たちはどうなるか分からない。僕たちの未来の可能性は二つしかない。別れか結婚か。でも今の時点ではどうなるか分からない」とはっきり言った。この言葉は私の胸に痛いほど突き刺さった。
この頃はガイドから旅行会社へと転職をしていたから、彼と会えるのは週末。それも毎週は会えない。そして会うたびに泣いていた。
「先が見えないなら別れよう」って一度は決心して、それを彼に告げたとき、彼は「少し考えさせて。別れるかどうかはそれから決めよう」といった。彼は驚いていたようだった。それまで彼としてはそれほど真剣に私とのことを考えてなかったようだったし。
その頃には、彼は年が明けたらスペインに移動になることが決まっていた。
スペインへ行く1ヶ月くらい前になると、彼は「やるだけやってみよう。だから心配はしないで」と言ってくれた。
スペインへ行く日。ヨーロッパへのフライトは夜便。おにぎりをたくさん作って、彼にもたせた。彼がゲートに入って行く姿はもう涙で見えなかった。
スペイン時代
彼がスペインへ行ってしまってから一週間は彼と一緒にいた頃のことを思い出しては涙。彼の言葉を思い出しては涙。どこにいても涙が出た。一度、地下鉄の中で涙が止まらなくなり、前に座っていたおばさんが「これ使いなさい」とティッシュをくれたこともあった。
彼から電話があったのは2週間後。とにかくうれしかった。たった5分足らずの会話だったけど、涙が出るほどうれしかった。
それから更に1週間するとかれからファックスが届いた。彼の住所が書いてある。それから、私は毎日、手紙を書くことが日課になった。当時はまだPCは高価なもので、今のようにメールもポピュラーでなかったから、手紙と電話が二人をつなぐものだった。国際電話も今のように安くなかったし。一ヶ月の電話代がアパートの家賃より高かったこともあった。あの頃、月平均450ドル電話代がかかってた。格安のプリペイドテレフォンカードも更に使ってたから、実質的に電話代に500ドルくらい使ってたことになるかな。。。あの安い給料で、家賃、電話代、食費、交通費払って、さらに貯金してたんだから、私ってすごいな。。。ケチケチ生活の達人かもしれない。
春の兆しがカナダにも見えてきたある日、彼に「休みとって会いに行く」と言ったけど、彼は「少し待って」としか言わなかった。それから1ヶ月して「5月だったら来てもいいよ」と言ってくれたので、さっそく航空券、ホテルを手配、って言っても旅行会社で働いてたから、航空券も若干(本当に若干)安く、ホテルもキチネットつきの安いホテルを押さえた。
5月の終わりの週、私はロンドン経由でスペインのセビリアに向かった。一つの決心をしていた。
まだ彼が先のことを考えてくれないのであれば、もう終わりにしよう。それをちゃんと伝えよう。
最後の日に伝えようと思っていたのに、ホテルについて、部屋に荷物を運んだとき、彼が「この先も一緒にいたい」と言ってくれた。私は「もし、何も考えてくれてないのなら、これで最後にするつもりでここに来たの」と言うと、「そう思ってた。もし何も考えてなかったら、会いに来るなって言っていた」と言ってくれた。でも、彼は「でもこれはプロポーズじゃないからね」と念を押した。
相変わらず私の手紙を書く日課は途絶えることなく7月になった。ある日のこと、会社に電話がかかってきた。なにやら彼は泣いている?ど、どうしたの?なにか辛いことでもあったの?と言うと、彼は「お願いがある。僕と結婚してくれないか?」いきなりの言葉でびっくりしたと同時にうれしかった。でもそこは会社。冷静を装うけど、私の顔はかなり緩んでいたと思う。彼は「また夜、電話する」と言って切った。
はっきりと彼から「結婚」の言葉が出たので、とてもうれしかった。
8月、たまたま会社が4日間休みだからといって、強行スケジュールでカナダまで来てくれた。そして9月にはまた私がスペインに行くことを約束した。
9月、2度目のスペイン。私は幸せの絶頂だった。
そして10月、彼は韓国へ帰任した。
彼と一緒ならカナダを去る決心もたやすいことと思ったし、韓国に住むことも受け入れられるって思った。
「愛」は「妄想」を生むのかしら。。。とにかく「愛」の力ってすごいねー。
スペイン時代が一番幸せだったと思う。。。
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