おいしくありたい! あたふたカナダ生活記

おいしくありたい! あたふたカナダ生活記

出会いから結婚まで2


彼は1998年10月の頭にスペインから韓国へ帰った。そこからカナダと韓国、大陸と太平洋を挟む遠距離恋愛の始まり。
その頃、私は使い捨ての駒のように働かされていた某旅行会社をさっさと辞めて韓国まで彼に会いに行って、日本で両親を説得し、また韓国へ行き語学学校にでも行くつもりで計画していた。
11月には会社も辞めて、荷造りをしてカナダを後にした。このときはもうカナダには戻ってくるつもりはなかったんだよね。。。「彼とならどこにだって暮らせる」って甘い幻想を抱いていた私。。。

彼の両親は快く受け入れてくれた。正直、「日本人なんて、ダメだ!」と目の前で言われることを覚悟してたけど、すんなり「息子の決めたことだから、間違いはないだろう」とのことだった(これが大間違いだった!)
問題は私の両親のほうだった。
私の両親は二人とも戦争の時代を生きた人で、父親は「大日本帝国」の教育を何年か受けた人。仕事や旅行で世界のいろんなところに行っていて、自称「国際感覚あふれる爺」と言っていたけど、やっぱり韓国人に対する感情はよくなかった。。。
父親は「日本でもなく韓国でもない第三国で住むのなら許してやってもいい」と言っていたけど、当時は「韓国に住む」前提だったので、やっぱり反対された。
それでもあきらめない私に父親は追い討ちをかけるかのように「たとえ、第三国で暮らすとしても、韓国人っていうのが気に入らん!だから、結婚することになっても、相手の両親に会うつもりはない」とまで言った。カナダで生活していて、どちらかと言うと差別される側だった私にとって父親の差別的な発言にはとてもショックだった。

年が明けた元旦、彼はうちの両親に会うために日本にやってきた。とりあえず、会ってくれたものの、態度は変えなかった。同席した兄には「じじい!いい加減あきらめろ!」と言われていたけど、「韓国に住む」ってことがどうしても許せなかったよう。
彼は二泊三日で韓国へ帰った。私も一緒に韓国へ発った。

私はプサン大学の語学研修センターの韓国語10週間コースの登録が済んでいたので、旦那の実家にホームステイをして学校に通うことになった。旦那はソウルから車で2時間くらいのソサンというところで働いていたので、月に一度か二度帰ってくるだけだった。幸い、弟君は日本語ができるので助けてもらったけど、弟君は卒論の真っ最中で忙しくて家にいることはほとんどなかった。

この韓国での約2ヶ月の滞在で韓国のいろんな面を見た。 最後のほうは気が狂うかと思ったよ。。。 旦那もそれを知ってた。でも「悪いところばかり見てるからそうなんだ!いいところもいっぱいある!」って言ったけど、体調まで崩してしまってたし、苦しくてたまらなかった。
本当はそのまま韓国にいて、そのまま結婚するつもりだったけど、息抜きがしたくて、往復チケットもってたから、とりあえずソルラル(旧正月)カナダに帰ることにした。
当時、カナダの移民法ではカナダの永住権は一年365日のうち180日以上カナダにいなければ無効となった。(今は5年のうち2年をカナダにいれば無効になることはない) 私は毎日のように、あと何日で帰れなくなるって数えて、悩んでた。それもカナダに帰ってきた理由のひとつ。
「とりあえず1ヶ月くらいカナダに行く。結婚できなければあと1ヶ月しか韓国にはいられないし(3ヶ月のビザだったから)」と言って韓国を後にした。


私がカナダに帰ってきてから、旦那は会社の近くで二人で住めるアパートを探した。でも私の態度がはっきりしないから結局、アパートを探すのはやめた。
ある日、日本から「密教占星術」の占い師さんが来ていて、診てもらった。そしたら「カナダに住むならともかくとして、韓国に住むとなったら大変よ。この彼、親の面倒を見たがるから、韓国に住むのならあなたは、ものすごく苦労する。あなたは多分、それには耐えられないでしょうね。相性もいいとは言えないし。もしできるのなら別れたほうがいい。辛いけど、もっといい人見つかるわよ」と言われた。
そんなこともあって、私は別れようと思った。占い師に「別れたほうがいい」って言われただけで、別れようと思うなんてばかげてると言われてしまえばそれまでなんだけど。。。そこまで追い詰められていたのかもしれない、今となっては。。。そう思う。
でも彼は「占い師の言うことなんて信じるな」と一蹴。(でも、あの占い師さん、当たってる!)危機は一日で終わった。

その頃、彼は仕事のことで悩んでた。朝8時から夜10時まで働く毎日。残業は付かないのはあたりまえ。ソサンという場所もいやだった。
私はその頃、アルバイトをしていて、お金も少し貯まったし航空券が高くなる前に韓国へ行こうか。。。と思っていた。すると彼は「ちょっと待て。会社を辞めるつもりでいる。辞めたらしばらくカナダへ行こうと思ってるから、航空券を買うのは待ってくれ」と言われた。
え?会社を辞める? で、どうするんだ?でも、まぁ それでカナダに来てくれるんだったらいいか。。そのとき話してくれるでしょう。。。と思っていた。そして、私はアルバイトを辞めて、他の仕事を探した。

彼は8月半ばで仕事をやめ、8月終わりにカナダにやってきた。
彼は「アメリカの学校に行くことを考えている。アメリカに通訳、翻訳、同時通訳養成の学校があるから、そこにいこうかと考えてる」と言った。
アメリカじゃなくてもカナダでもそういう学校ないかなぁ。(結局なかった)カナダならビザの取得云々の制限もなく私は働けるから、アメリカよりカナダのほうがよかった。結局、前々から興味のあったITの学校に行こうと彼はいろいろ学校探しをしていた。
9月末、韓国から連絡があり、弟が急遽結婚することになったから帰らなければならなくなった。彼は10月半ばに一人帰って行った。
彼と一緒に過ごした1ヵ月半は、先行きが不安になるようなことばかり。けんかは毎日だし。本当に大丈夫なんだろうか? 
彼は繰り返し「韓国で暮らせるか?」と聞いてきた。正直、不安だった。韓国では体調もボロボロになったし、気が狂いかけたし、とにかく苦しかった。でも、きっと彼が一緒だったら大丈夫だろう。がんばれるだろう、って思った。
「がんばってみる」と言った次の瞬間、彼は「僕の両親と一緒に暮らしてくれるよね?」と。目が丸くなったわよ。。。「ちょっと!それは聞いてない!」と言うと「努力はできるでしょ?」と。ううううう。。。騙された気分。 そんなこんなでけんかが絶えることがなかった。
今思うと、あのときやめときゃよかったって思う。「愛は盲目」っていうけど、全くその通りだよね。

彼が韓国に帰り、弟の結婚式がすみ、次は私たちの結婚式の段取りとなった。ここでもまたひとモメ。
野外写真を撮るかどうかでひとモメ。どうにかこうにか結婚式の日が決まり、私の航空券の手配がすみ、私の両親も「仕方がない、娘の結婚式に出ないのは申し訳ないから。。。」としぶしぶ結婚式に来てくれることになった。

12月29日に私は韓国、プサンに向かった。
時差ぼけで頭がふらふらしているのに、彼の実家に着いて2時間後にはウェディングドレス選びに出かけた。頭がふらふらしているのにご飯を食べさせられ、死ぬ思いだった。。。
1月3日、野外写真撮影。これってものすごく高いんだよね。私は「そんなのお金の無駄だ~! その分を何か生活のためにまわしたほうがいい!」と言ったけど、彼が「僕がしたい」と言ってすることに。「あんたがしたいんだからあんたがお金出しなさいよ!」と言って話はまとまった。
この日、ものすごく寒かった。更に海辺での撮影がたくさん。ウェディングドレスは半そで。
撮影が終わった頃、咳が出るようになっていた。これは風邪だ!
案の定、翌日には熱っぽくなり、翌々日には医者に行って注射を打ってもらった。

彼は結婚式の後、慶州へ行こうと計画を立てていた。宿泊先は彼の親友の奥さんが持つコンド。まぁ、それはいいんだけどさ、彼は「僕の友達も一緒に連れて行きたいんだけど、いいでしょ?」と。はぁ?結婚式の後の旅行ってのは、新婚旅行みたいなもので。。。それを友達と一緒に行くって。。。韓国ではこういうこと当たり前なんですか? と思ってしまった。どうやらそうじゃないらしい。その親友とその奥さんと一緒に飲んだとき、奥さんが「全く信じられないわよね。新婚旅行に友達も連れて行きたいなんて!言うほうも言うほうだけど、その話に乗るほうも乗るほうだ!」と。
最後にはあきらめて二人で行ってくれることになった。あぁ、前途多難。

200年1月9日、結婚式当日。朝から雨。もうとにかく忙しくてよく覚えてない。とりあえず、式があった。人が来た。それくらいしか覚えてない。
式が終わって、友人たちとのパーティーがあって、カラオケ行って、それから慶州に住んでいる彼の幼馴染が送ってくれた。
一泊だけだったけど、まぁそれはそれで楽しかったかなぁ。。。
ちゃんとした旅行はカナダに行ってから、どこかへ行こうね。と言うことになった。

旅行から帰ってきて次の日、私はまたカナダに帰ってきた。彼はビザを取ってからカナダに来ることになっていた。

韓国人がカナダの学生ビザを取る際、必ず健康診断を受けなければならない。彼はこの健康診断でひっかっかってしまった。軍隊にいたとき、結核になった。その結核の後がレントゲンに写っているため、別の検査が必要になった。その検査に3ヶ月くらいかかるとのこと。彼は、その3ヶ月が待てずに「カナダに行って申請する」と言ってカナダに来ることになった。


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