とにかく「楽だから」というのが最大の理由です。これは食器や鍋を洗 うのに洗剤がいらない、とかチョロッとなでれば洗い物が済んでしまって後片 付けが楽、というだけではなく、体がとても楽なのです。
もともと草食動物だな、と思っていました。もちろん動物性食品が嫌いとい うわけではありません。特に乳製品には目がないほうでした。ただ体が消化吸 収に無理をしている、大変苦労をしているなという感じがありました。胃腸が というより腸があまりよくないようなのです。父方の遺伝のようでもあります。 食べ過ぎなだけという意見もかなり真実に近いと思われますが。
そうしてひょんなことから玄米を食べ始めたのです。血液型別ダイエットと いう本に、私の血液型は玄米がいいと書いてあったからというなんともいい加 減な理由でした。でもそれまで一度も玄米を食べたことがありませんでしたし、 その上玄米のイメージはすこぶる悪かったので、もしどうしてもまずくて食べ られない、食べたくないと思うようなら無理はやめようと決めていました。
それがなぜか最初の一口から、オッうまい! だったのです。なんだおいし いんじゃん、というわけで、以来ずっと家では玄米を食べています。そしてそ の後またいろいろ本を読んだりするうちに、玄米さえ食べていれば健康が保て るというようなことを知るに至って、ならばもうこれしかないだろうというこ とですっかりはまってしまい、動物性食品は必要なくなってしまったのです。
考えてみれば、今までの食生活はどう転んでも食べ過ぎで、まあそのために 長年かなり重量オーバーで生きてきたわけなのですが、生活習慣病の予備軍と いうところまでにはまだ至っておりませんでした。それにしてもいずれ時間の 問題ではないかということろでしょう。
意志が弱い上に意地汚いので、目の前に食べ物があると好き嫌いはおいとい て片っ端から食べるという本能的な行動をとるたちで、多少冷静を取り戻して 減量に励む時期というのも時々やってきてはいましたが、こうした生活習慣を 断ち切れないと先はあまり明るくないであろうという自覚はもっておりました。 そんな折、玄米とめぐり合えたことは私にとってとても幸運だったと思います。
玄米御飯は好きだしおいしいので、やっぱりへたをすると食べ過ぎてしまい ます。しかし玄米御飯のいいところとして太りにくくなるということがありま す。そしてたぽたぽに緩んでいたからだが締まってきたようです。それに玄米 御飯だけで満足度が高く栄養的にもかなりバランスがいいので、もともと大好 きな漬物と味噌汁があればそれで大体必要な栄養は賄え、食卓が整ってしまい ます。
というわけで玄米御飯を炊くだけでほぼ食事の支度が完了します。実に楽で あります。そしてとてもトレンディーです。炊事に使う電気代、ガス代がかな り抑えられますから、なんといっても自然に省エネになってしまうわけです。 そして体の調子も良く、体脂肪率も低位置をキープしています。健康な生活が 送れることがまず第一なので、はまっています。
意識して動物性食品をやめようと思ったというよりも、この玄米御飯のおか げで自然に欲しくなくなり必要もなくなったわけです。それに玄米は強いので やはり強い食品である動物性食品と一緒に食べるのはやめたほうが良いようで す。
でもだからと言って厳格に玄米菜食をしているわけではありません。外食や 友人たちとの会食などの時は、特に気にせず何でもおいしくいただいています。 好き嫌いがもともとありませんし、楽しい時間を過ごすこと、おいしいと感じ ることが体にとってもいいことだと信じるからです。そして「ハレの食事」と いうことで位置づけしています。普段の玄米菜食は「ケの食事」としてエネル ギー補給や健康を維持することが一番大切な役割と考えています。
玄米菜食を始めてまだそんなに長い時間はたっていませんが、時々良い変化 がおきていることを実感しています。そのひとつに、味覚が敏感になってきた というのがあげられます。特別なものではない野菜や大豆の甘さに感動ともい えるぐらいの驚きを感じています。
例えば以前は安倍川餅が嫌いでした。理由は良くわからなかったのですが、 とにかく好きではありませんでした。でも考えてみればきな粉は大好き、お餅 も大好きなのに、この大好きな二つを一緒にするのがなぜいやなのか不思議で した。今はきな粉に砂糖を混ぜないで、ほんのちょっぴりの塩を入れただけの ものをお餅にまぶして食べています。これがすごくおいしいんです。きな粉の 甘みがとてもおいしいんです。砂糖が余分だった、ということに気づいたので す。
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さて、江戸時代の食生活をみてみますと、御飯に数種類の具が入った御御御 汁(おみおつけ)、つまり味噌汁と漬物というのが基本でした。なんと現在の 自分とほぼ同じなのです。しかもこれがなかなか良くできた食事なのですから 江戸時代の人々を侮ることはできません。
御飯をふっくらおいしく炊く方法も、江戸時代の人々が生み出したもので、 いわゆる「ハジメチョロチョロ、ナカパッパ・・・・・オヤガシンデモフタト ルナ」というあれです。これはかまどで御飯を炊くときの要領で、最後の「親 が死んでも」のところが「赤子泣くとも」というのもあります。ここが重要な 部分で、いわゆる「蒸らし」をさしているそうです。
御飯には、オリゴ糖・グルコースなどの甘味成分が含まれていますが、蒸ら すことによってこの甘味成分が出ていっそううまくなるのだそうです。オリゴ 糖というのは腸内の善玉菌(ビフィブス菌)の餌となるもので、整腸作用、病 気に対する抵抗力を強化するのに役立つものです。
つまりふっくら甘みのある御飯はおいしいというだけでなく、腸を守って長 生きの元になっているのです。そしてほとんどの栄養はこの御飯から摂るわけ ですが、消化吸収を助ける役目を味噌がします。そこで味噌汁を飲むわけです。 味噌は貴重品でとても大切に扱われたそうです。江戸時代以前も味噌汁はあっ たそうですが、ほとんどが糠味噌だったということです。その気持ちが「御御 御汁」という文字に表れているわけです。
そしてもうひとつ欠かせないのが「酵素食品」の漬物です。タクアンが一般 的ですが、このタクアンは米麹を使って30日ぐらい漬けて出来上がり、という もので、今のタクアンとは少し違うそうです。漬け時間が短い分、生きた酵素 や乳酸菌が豊富に含まれ、消化の助けになっていたのです。
無駄のない、質素でありながら出来る限りの完成度がこの食事にはあるわけ です。日本の風土に合った植物や微生物を最大限活かした先人の知恵は、お見 事・あっぱれと言うほかないのではないでしょうか。
一方現代に目を向けると、一日三十品目摂取するのが健康のためにいいとい うのが以前言われておりました。種類さえ多ければそれで良いのでしょうか。 数合わせのために冬にトマトやきゅうりを食べることに抵抗を感じました。今 は野菜を何グラム、果物を何グラム食べろなどなど細かいことをいろいろ言っ ているようですが、体重も身長も年齢も性別も好みも違う人間が、なぜ同じ量 の野菜や果物を毎日毎日食べなければいけないのでしょうか。その辺の根拠を 明らかにしてもらいたいものです。
人の言うことをいちいち気にしているとやってられないので、ほっとけばい い、というのが今の本音です。自分の健康は自分で考えて作っていけばいいわ けで、自分にあったやり方を自分で試行錯誤しながら見つける、結局それが一 番いいと思っております。
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だんだん肉や魚を食べなくなっても、最後まで卵と乳製品は摂っていました。 乳製品はヨーグルトが大好きだったのでよく食べました。そのまま食べられて 料理する手間もかからないし、冬の寒い朝にも冷たいヨーグルトをバナナにか けたり、シリアルにかけたりして食べていたのです。
卵もゆで卵ならそれこそ簡単で、台所も汚れない、値段も安い、で三拍子揃っ た優れものだと思っていました。これらを食べなくなってみてよかったと思う のは、ゴミの減量です。牛乳パック、卵のパックのリサイクルは自治体やスー パーなどで行われていますが、買わなければゴミは出ません。
ゴミの面で言えば、動物性食品のほうが包装がどうしても厳重です。野菜は 包装なしでも大丈夫ですし、パックに入っているものを避ければかなりゴミは 減らせます。食べることもできないし、売り場から家まで運ぶためだけのもの (いや、実際は産地から売り場へ運ぶためのもの)のために頭を抱えて苦労し ている我々現代人はあまり賢くないのかもしれません。
国内でBSEが発覚したときは既に、動物性食品の問題はちょっと遠くの話で した。自分が食べないからあんまり気にもせず関係ないか、といういい加減な 発想でおりました。しかしながら、報道されている家畜の現状を見るにつけ、 これで問題が起こらないほうがおかしい、と思うぐらい状況はおかしいです。
窓の無い家畜舎で一生を終える鳥や豚の肉が本当に安全で安心して食べられ るのでしょうか、本当においしいのでしょうか、はなはだ疑問です。疑問に思 わない人がいたらそれも不思議です。
一番驚いて、そしてものすごく悲しかったのは、妊娠・出産をしなくても乳 を出すように品種改良されたのか、ホルモン注射をするのか良く分からないの ですが、そういう乳牛がいるということを知ったときでした。そんな牛の出す 牛乳は飲みたくない、そんな牛乳を飲んでいたとしたらなんと愚かなことかと 驚愕しました。
家畜は早春に子供を生んで春から夏にかけて乳を出します。寒い冬の朝に私 ががつがつ食べていたヨーグルトはいつどんな牛から搾りとった牛乳を使って いたのでしょう。知らなかったではすまされない、家畜への冒涜だったのでは と恐ろしくなります。
動物には自分が取ってくることができるものしか食べないと言う本能が備わっ ているそうです。小さい子供で肉を食べるのを拒否する場合が時々ありますが、 その子はその本能をまだ失わずに持っているために嫌がるのかもしれません。
その本能を持っていたいと思います。そう考えると牛も鳥も豚も魚も私は食 べられません。かろうじて鶏が産んだ卵を掠め取ってくることと、牛の乳搾り はできましたからその二つは最後まで食べていたわけです。
ベトナムやフィリピンなど東南アジアには、孵化しかかった卵を蒸して食べ る習慣があります。ずっと以前から気になっている食べ物で、だから一度は試 してみたいと思っていますが、両国ともまだ行ったことが無いし、これから行 く予定もないし、行ったとしても食べられるかどうかわかりません。
でもやっぱり一度は食べてみたいです。病みつきになるおいしさだと聞きま す。現地の人も初めて子供に食べさせるときは部屋を暗くして、そのものを見 えない状態にして食べさせるのだといいます。味を覚えてしまえば、見た目は 関係なく好きになるからだそうです。夏の暑いときに食べると身体にとても良 いとのことで、かの国では必要な食材なのでしょう。これも身土不二、郷に入っ ては郷に従え、ということでしょう。
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飽食の時代を生きてきて量も質も充分になりました。でもどの時代の人々よ りも健康かというとそれほどでもありません。そこから得た教訓は、必要な栄 養をとるのではなく、身体によくないものは摂取しないという考え方です。
例えばバナナ。甘くておいしいバナナは誰でも好きだし今ではいつでもどこ でも手軽に手に入れることができます。でも南国の果物ですから身体を冷やす 作用があります。バナナから必要な栄養をとろうとすると身体を冷やしてしま う、とすれば食べるのと食べないのとどちらが身体のためにいいのでしょうか。
温帯に住む人間は食べなくてもいいし、むしろ食べないほうが長年冷え性で 悩んでいる人にとってはいいかもしれません。数十年前は当たり前にない食べ 物だったバナナが、今は当たり前に売られしかも物価の優等生といわれるぐら い安価です。流通という貨幣経済のために健康を売り渡してしまったのかと考 えると憂鬱になりませんか。
草食動物に肉食をさせたツケがBSEであるように、食べた食材そのものから の影響ではなくその食材がどのように育てられたかに影響を受けるようになっ ています。家畜なら餌は何を食べたかということ。野菜ならどのような土壌で 育ち、どのような肥料や農薬が使われたかということも知らないでは済まされ ません。
有機栽培といっても、例えば肥料として使う野菜のくずについていた農薬や、 家畜の糞尿を堆肥にして使えば、その家畜に使われていた抗生物質など、化学 物質に反応してしまう化学物質過敏症やアレルギーが増えているそうです。
やっぱり江戸時代に戻るしかもう道はないのかもしれません。いろいろな現 代の問題を敏感に感じ取る人がいる一方で、ファーストフードやジャンクフー ドを食べ続ける人、アレルギーどこ吹く風、の人もいます。鈍感なのか、頑健 なのか難しいところです。
有機栽培ではなく、自然農法という方法があります。まったく自然に任せ、 肥料も農薬もやらずに、植物本来の力によって成長させます。在来種のものや 野生の山菜や木の実を取って食べるというのに近い方法です。
ハーブなどもともと強い植物はあまり品種改良がされていないと聞いたこと があります。雑草と呼ばれて敬遠されてきたタンポポやハコベ、ドクダミなど の草たちを少し食べるというのが、今日本では一番安心で安全な食事になるか もしれません。
江戸時代もこういう野生植物は盛んに食べられていました。寛永20年(1643 年)に出版された「料理物語」という本に、江戸初期の普段の料理に使われた 材料とその料理方法が具体的に書かれています。畑で栽培される野菜だけでな く季節ごとの自然の野菜もいろいろに活用していたようです。たんぽぽ、ハコ ベ、ヨモギ、フキ、つくし、うどなどなど現代でも参考になりそうな内容です。
それでも現代の空気と水と土壌の汚染は逃れようもありませんから、江戸時 代のものと同じとはいかないでしょう。いかに恐れ多いことをしてしまったか ということを改めて感じます。きれいな空気と水と大地を回復させなければ、 何をやっても対処療法に過ぎないのかもしれません。
何を食べたら良いのかわからなくなってしまう昨今の食事情。身体によくな いものは避けようとしたら、何も食べられるものがなくなってしまいそうです。 毎日欠かさずすべての人がしている食事、だからこそ一番大事なはずなのに、 だからこそ日常的すぎて、重大事件として受け止められないのかもしれません。
飢えを知れ、足るを知れ、食べすぎだ、太りすぎだとほざいている自分がい て、そういう日々にも餓えて死んでいく人たちがいます。イスラム教のラマダ ンはそういう苦しみを知り、分かち合うために必要なものと聞きましたが、そ のとおりです。お腹がグーっとなって御飯を食べれば、感動的においしく幸せ が満ち溢れてきます。
そして体にいい食べ物体に悪い食べ物という言い方の傲慢さというのを最近 感じています。どんなものでももともと人間の食べ物として存在していたわけ ではありません。一つ一つ命を持つ人間と同じ生き物です。同じ地球上に存在 する価値は同じようにあります。それを食べる側が一方的に、これは体に悪い と決めつけ悪者扱いしたり、いいとなれば取り尽してしまったりと、あまりに も酷い話です。本当に体に悪いのは、人間が撒いた農薬や汚染してしまった水 や土壌の影響を受けているということではないでしょうか。
感謝の気持ちを常に持って日々の食生活を送りたいものです。「空腹に勝る 美味なし」
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