古代のロマンをたずねてpart.2

古代のロマンをたずねてpart.2

太子道




今回のコースは


二上山駅→大阪山口神社(穴虫)→大阪山口神社(逢坂)→戎神社→顕宗天皇陵→志都美神社→武烈天皇陵→平野塚穴山古墳→平野車塚古墳→般若院(薬師堂跡)→尼寺廃寺跡→白山姫神社→JR畠田駅



という道のりでした。




羽曳野市の史遊会に参加したのです。
なんせ、この辺りは古代史好きの私と先輩が二人で地図をみてもとてもたどり着くことが出来ないくらいややこしい道です。
かなりのツウ好みだと思うのです。




南大阪線二上山駅から歩いて大阪山口神社へ向かいました。




大阪山口神社は二つあります。
一つは、穴虫というところで、もう一つは逢坂というところにあるのです。






どちらが本家本元の大阪山口神社かというのはとても難しいものがあります。
『古事記』や『日本書紀』やその当時の文献にも時々登場するのですが、その文献によって半々とも言われています。





山口神社というのは山を守る見張りのような役割があるのだそうです。
穴虫の大阪山口神社は二上山を守るような場所にあり、大阪越えの穴虫峠の入口にもなっています。


御祭神は、牛頭天王、八幡、春日の諸神です。
古来より奉納宮相撲が有名なのだそうです。




私としては、こちらが本家ではと思えるほど古く落ち着いた神社でした。




大阪山口神社(穴虫)




一方、逢坂にある山口神社は綺麗で、気持ちの良い神社です。




神社の神主さん(吉田さん)が山口神社について詳しく説明をして下さりました。



御祭神は、大山祇命(おおやますみみこと)、素盞鳴尊、神大市比売命です。
本殿は県指定文化財なのだそうです。




大阪山口神社(逢坂)




まず、拝殿の奥の本殿とご神体を見せて下さるとのことでした。




↓の亀石が、御神体なのだそうです。





亀石





そして、その奥に本殿がありました。





本殿




山口神社出て、次は戎神社へ向かいました。
御祭神は、蛭子命です。





戎神社




そして、(伝)顕宗天皇陵へ向かいました。

顕宗天皇の祖父は敏達天皇です。
父は、敏達天皇と広姫(息長真手王の娘)とのあいだに生まれた押人彦人大兄皇子です。


押人彦人大兄皇子は聖徳太子の父である用明天皇の後に天皇の候補者として名が上がったのですが、権力闘争に巻き込まれ雄略天皇によって殺されたと言われています。




允恭天皇→安康天皇→雄略天皇→清寧天皇とまで続いたのですが、そのあと子供がいなかったので押人彦人大兄皇子の子供である億計王(オケ後の仁賢天皇)と弘計王(ヲケ・後の顕宗天皇)に白羽の矢が当たったのです。



オケとヲケは父が権力闘争に巻き込まれ殺されたこともあって、逃亡して身を隠していたのですが、後継者がいなくなったため探し出された。


そして、身分を聞かれた二人は自分たちの素性を名乗らないで口を閉ざしていたのですが、何度も聞かれ弟のヲケが身分を明かしたので天皇家に迎えられました。



兄は弟の功労のお陰だと皇位を弟に譲り顕宗天皇が誕生したのでした。




顕宗天皇陵



顕宗天皇が亡くなったあとは、兄のオケが仁賢天皇として即位したのでした。


ところで、オケとヲケ、良く似た名前ですね。


実は『オ』という字には年が上という意味があり、『ヲ』という字には、年下をいう意味があるのだそうです。


大兄(オオエ)は『オ』の字を使い一番年上の兄を表しているのだそうです。

そして、もう少し詳しく言うと『大』はオホと発音するのが正しいのだそうです。

だから、大兄は正確にはオホエと発音するのが当時の音なのだそうです。



ちょっと横道にそれてしまいましたね。



さて、顕宗天皇陵のあとは、志都美神社へ行きました。


御祭神は 天児屋根命、誉田別命、底筒之男命


志都美神社は元は清水神社と言ったのだそうです。

元禄時代に盲目の僧侶が境内に湧いていた清水で目を洗って霊験があったとの伝承があり江戸時代の『大和史』や『大和名所図会』に「清水(志都美)八幡」として紹介されているのだそうです。


何故、『清水神社』が『志都美神社』になったのかは不思議ですよね。


志都美神社


ということで、今日はこのくらいにしておきます。


続きは『武烈天皇陵』からです。

武烈天皇も色々エピソードの多い天皇です。
では、今日はこのあたりで…。



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