古代のロマンをたずねてpart.2

古代のロマンをたずねてpart.2

武烈天皇陵





武烈天皇というのは色々なエピソードのある天皇で以前からどうしても行ってみた方御陵です。



父は仁賢天皇、母は雄略天皇の皇女・春日大娘皇女です。
同母姉妹に、手白香皇女(継体天皇の皇后・欽明天皇の母)がいます。




武烈天皇





武烈天皇は、妊婦の腹を割いたり、人の生爪を剥して山芋を掘らせたり、池の樋から人を流して矛で刺殺したり、人を木に登らせて射落したり、女を馬とつるませるなど猟奇性を帯びた愚行を行ったとされています。



また天下の飢えを忘れ、日夜問わず宮人と酒食に溺れた。『天書』『先代旧事本紀大成経』には、金村が天皇の暴虐を深く憂えて、これを諌めたという記述もあります。



武烈天皇陵



そのため、どんなに恐ろしい天皇なのかと想像していた時期もありました。

しかし、色々調べて行くうちに武烈天皇は6歳で皇太子に立ち、10歳で即位、18歳で崩じ給わるとあります。


そんなに幼い時に天皇になり、たった18歳で亡くなったとあれば数々のエピソードをそのまま鵜呑みにするのには不思議すぎます。


幼い子供を影で操ったものがいるのではないでしょうか。
そして、なんらかの意図のもとそういったエピソードを書き加えたのではないでしょうか。


大悪天皇の記述は雄略天皇にも見られることから、武烈天皇は実在せず雄略の部分伝承との説もあるそうです。


また、血縁関係が薄い(→継体天皇参照)次代の継体天皇の即位を正当化する意図が『日本書紀』側にあり、武烈天皇を暴君に仕立てたとする説もあるようです。


確かに、その方が不自然さがないですよね。



それから現在、武烈天皇陵とされている傍丘磐坏丘北陵(かたおかのいわつきのきたのみささぎ)は実は前方後円墳ではなく方墳であったり、大きさも天皇陵としては小さすぎて、近年では狐井城山古墳が武烈陵とする意見も多いようです。




今回は、武烈天皇陵とされている御陵へ行くことが出来て、満足でした。



このあと、近くの平野塚穴山古墳へ行きました。


平野塚穴山古墳





後の時代に石室の蓋に阿弥陀如来様が掘られたようです。
歩いていて、つくづく思うのですが、この辺りは古墳の宝庫ですね。




阿弥陀如来





そして、太子道はまだまだ続くのでした。


太子道



このあと、般若院や白山姫神社へと向かったのでした。

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