古代のロマンをたずねてpart.2

古代のロマンをたずねてpart.2

秋津遺跡







秋津遺跡は京奈和自動車道御所道路の建設に先立つ試掘調査によって、新たに発見された古墳時代前・中期(約1700~1500年前)の遺跡です。





秋津遺跡




凄いでしょ~。
でもね、これは道路を作るためにたまたま掘った部分なのです。
つまり、この辺りはどこを掘ってもこんな感じなのかもしれません。




よーく見ていただいたら分かるかもしれませんが、これ全部土器のかけらです。
いくらでも出てきそうです。






土器のかけら







綺麗な形で出土されている土器や勾玉もありました。






出土物



今回発見された遺跡の形からこの施設には、古墳時代の埴輪の中の家型埴輪を囲む埴輪(兵を表現した埴輪)と良く似ているということが分かりました。







囲形埴輪




凄いですよね~。


葛城は古墳もたくさんあるし本当に凄い。



実は私は昔この辺りは葛城王朝のあったところなのではないかと思っています。


万世一系から考えると葛城王朝というのは出てこないのですが、私は三輪山の麓の崇神王朝と並立した形であったのではないかと思っています。


実は当時はいくつかの王朝があったのではないかと考えています。
日向にあった日向王朝が船に乗って東征し河内まで来て応神王朝になったのではないかと思っています。

そして、その応神王朝が崇神王朝を力で制圧し飲み込んだのではないかと考えています。


日向王朝は武器が強く、崇神王朝は敵わなかったのだと思うのです。


当時、並立していた葛城王朝は水軍も強く力では制圧することが出来ず婚姻関係という形で同盟を組んでいたのではないかと思うのです。


仁徳天皇の皇后が磐之媛(葛城系)というのが物語っているのだと思うのです。


天武天皇が『古事記』『日本書紀』を編纂した時には万世一系という形で天皇家の権威を高める必要があったので、葛城王朝は抹殺されたのではないかと思うのです。


欠史八代の王のなかで葛城の大王が4人います。
古墳も葛城に4つありますよね。


万世一系を貫くために、消しきれない葛城王朝の王達は崇神以前の歴史に組み込まれたのではないでしょうか。



なんて、勝手な考えです。
こんなことを考えながら葛城を歩くのは楽しかったですよ。



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