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これはかなり前、、、、6,7年も前から思っていたことなのだが、、、日本って優しく言うと、本当に自己アピールの下手な国であると思う。きつく言うとどこまでも感覚が鎖国的というか国際感覚がゼロというか独りよがりの国であると思う。日本国内ではあれだけ日本のスポーツから芸能ニュースから全国版のニュース、ローカルニュース日本一色である。海外のニュースといってもほとんどがアメリカ色の強い報道だ。これは7年前に日本に住んでいたときにみた感想だが、おそらく現在も似たり寄ったりで進歩がないと思われる。日本に住んでいる日本人の頭の中もかなり独りよがりになるように作られている。 一方イランで衛星放送をみると日本だけである、、、ニュースとごく一部の報道以外はスクランブルにしていて、契約してお金を払わないとみせてくれない、、、、、。中国などはアラブの大富豪にむけてバンバン企業が製品のアピールをしながら国内の状況を伝えていたり、中国の絶景をみせたり、映画やドラマをみせている。韓国もしかり、、、韓国などはニュースのほかに、芸能ニュースやドラマ、、、時代劇から現代のものまで字幕に英語、中国語、フランス語などを加えて映像を流している。中国も韓国も外国人向けに母国語を教える番組もある。したがって私は日本に韓国ドラマのブームに火がつくかなりまえにすでにイランで浸っていた。ドラマというのはとくに現代の作品の中に一般大衆の生活や思考、風潮があり、それだけでなくて、歴史的な文化、習慣、冠婚葬祭のしきたりなどがでてきて、その国を理解するうえで大切なことが面白いストーリの中で自然と現われてくる。そういうものを見ると、人々はその国に親密な感情がわき、行ってみたいとかその国の言語を習得してドラマがみたいとか、もっと知ってみたい、その国の人と仲良くなりたいとか思うものなのである。あれだけ仲の良いアメリカの映画に出てくる日本人は、、、、、、日本は日本の文化は、、、、誤解だらけである。日本人とは薄ら笑いを浮かべて、はい も いいえ も言えない何を考えているのか得たいがしれない、、、人々と言われても仕方がないのかもしれない。漫画だけがそういう現代の日本をよく海外に伝えているのかもしれない。でも漫画の中の日本もかなり偏っているはずである、、、日本は未来にむけてもっともっと世界に自己アピールをしていかなければいけないと思うけれども、、、こんな国際的な世の中であるのに、日本の自己アピールという面での努力はほんのかけらさえ海外にいる私には見えてこない。
2007年08月27日
金曜日に義妹の旦那さんの父のテヘランでの葬儀にいってきたのだけれども、、、、ものすごく咳き込んで皆になんでこんな病人がきたのか!!!!ってな感じで一斉に注目をあびてしまったのであった。今朝は声がでなくなって咳込む、、、医者にいって薬3種、シロップと注射2本してきた。咳はおかげさまでおさまった。多少風邪気味の息子と午後3時から店番も今日は休みにして午後8時15分前まで寝ていたのが効いたのか?一週間ぶりに咳き込まないで安眠できたので眠りをむさぼってしまった。
2007年08月26日
この風邪を持ち込んだ息子の従姉妹はようやく一週間前くらいから咳をしなくなった。しかし、一ヶ月以上前から咳き込んでいる姑はまだ咳をしている。姑からうつった息子は鼻水、くしゃみ、咳をしている。そしてとうとう、、、、、一週間前から私は喉がいがらっぽく、咳がでて、4日前からは咳き込むようになり、おとといから咳と痰がひどくて声がかれてしまった。日中もそうだが、夜中がとくにひどく今朝も明け方から咳き込んで眠れないほど。。。。。。店にでるといろんな香り、、、、石鹸、洗剤、香水、、、、、それで接客の途中でもひどく咳き込んで話ができないほどだ。咳をすると気管支からなんともいえない風邪独特の臭いがする。咳のほかはだるくなるくらいでたいした症状ではないのだがこの咳は本当にやっかいだ。日本の皆様もどうぞくれぐれもお気をつけて。
2007年08月23日
イランでの生活はこの十年急速な変化を遂げている。そんな中で若者達の傾向もかわってきたなーーーとつくづく思う。どんな変化かというと両性の中性化というか、、、、それにともなって結婚の形も変わってきているように思う。まず、兵役というのがあって、ここ30年、戦争がないためか、兵役に行きたがらない男性が増えた、兵役に行かないとパスポートが取得できないだけでなく家や、車も自己の名義でかえない。というわけで、なんとなく兵役免除のために大学や専門学校にダラダラと通い、籍をおいている男性、兵役を終えたあともたいした職につけない男性が多い。一方女性はどうかというと、大学受験では女性のほうが勤勉で近年の合格率は男性の2倍ちかくとか、、、、高学歴になればそれだけ就職の幅がひろがり、リッチな女性が増えている。結婚前にすでに車、家を自分名義でもっている強い女性が多々出現している。男性はわずかなお給料を鼻などの整形美容につかったり、若禿げに髪の毛を植えたり、、、、、女性と男性が入れ替わる傾向がみられる。来週の金曜日結婚式によばれたカップルがまさにそのとおり、、、、不動産で働いていた花婿、、、家探しにきた花嫁と知り合ってゴールインした。このカップルはまだ花婿が兵役を終えているだけ夫婦の問題は少なくてほっとしている。
2007年08月22日
今イランではおもしろいドラマが沢山作られている、社会を風刺するものも多くあって、最近は仕事を見つけるためにイラン人がアフガニスタンに扮して仕事を得るというような話があるようでアフガニスタンに扮している俳優がイランで国民的人気のある人が演じていることもあり人気を博しているらしい。イラン人にしてみれば外国人労働者に扮しないと仕事も得られないという失業者率の高さを風刺しているものと思われる、、、、、私は子供が漫画以外みせてくれないので最近はNHKのニュースをみるのも苦労しているからみていないが、、、、、しかし、それがイラン在のアフガニスタン大使館からクレームがついたということだ。イラン人がアフガニスタン人の様相をまねてアフガニスタン訛りでおもしろおかしく話しているのが馬鹿にしているということではないかと思う。イランではかなり前からアフガニスタンの出稼ぎ労働者が沢山いる。日本でも外国人労働者は3Kの仕事を請け負うことが多々だがイランでもしかりである。
2007年08月20日
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』のイランでチーズを意味するパニールについて説明しているページ、パニールで検索すると出てくるページを見た。ここでアフガニスタンとして説明されている言葉panir -e khom イランでは KHAM 生の意味panir-e shour SHUR 塩辛い Qishmesh イランでは KESHMESH 干しブドウの意味はペルシャ語だった。そして一週間くらい前に、CNNだったか、BBCをみていたら、アフガニスタンの麻薬患者の若者の特集をしていた。それをきいていたら麻薬患者の若者は、ペルシャ語を話していた。私が普段きいているペルシャ語とは発音が少し異なり日本語でいうと方言とか訛りのような感じの発音、イントネーションの違いだったが、私にも何を話しているのかがわかった。、、、、ということがあった。タジキスタンもペルシャ語だということだ。イランはかつて大ペルシャ帝国を築いた歴史がある。必要に迫られて覚えたペルシャ語だが、馬鹿にはできない。日本語を覚えてもこうはいかないだろう・・・
2007年08月20日

言葉の使用のところで、”日本語で計算してからペルシャ語に直すと時間がかかった”とかいたが、これは日本の数字の桁のとりかたに由来すると思う。フランス人がフランス語で計算してから英語でお客と接してもさして時間はかからないのかもしれない。日本には”万”という単位がある。これが実に曲者で、ペルシャ語は千で数字を区切る。千がいくつあるかで、千以上の数字を示すのだ。日本の場合は”万”。。。。2万、20万、200万、、、、ペルシャ語では、2千 20千、200千というふうに桁があがる。そしてこれが混乱をまねき、日本語からペルシャ語の値段に直すときの、弊害になる、、、、。しかもペルシャ語にはもうひとつ問題がありイランではリアルが通貨単位なのだが、イラン人は普通買い物をしたり、値段を聞いたりするときはリアルではなく、トマンを使う。品物の値段の表示はリアルでありながら、お釣りを示す場合はトマンを使うのである。10リアルが1トマンである。品物などの標準価格をしめすのもリアルで示している会社が多く、うちも含めてイランの店ではたいていリアルで、値段を表示してある。店を開店したてのころは、よくひとつゼロを示し忘れたことがあった。大きな失敗ではレジャーに品物の値段をいれるときに、ゼロをひとつ足し忘れ、ものすごく安く品物を売ってしまったこともあった。私はイランの大統領の政治にはほとんど期待していないのだが、イランの貨幣単位をリアルからトマンに変えてくれる人がいたらぜひ投票したいと思っている、、、それぐらい日常生活に、いらぬ面倒をかけているのが、リアルとトマンだと思う。ペルシャ語のほうにもこういう問題があったので、日本語を使わずにペルシャ語でダイレクトに計算できるようになって、すっきりさっぱりになったのだった。にほんブログ村
2007年08月18日

息子は10月半ばで4歳になる。ペルシャ語はほとんど他の子供達と同じようにつかっているが、日本語のほうはどうもあまり芳しくない、、、私がいっていることはほとんど解するが、日本語で返事をしない。。。でもあまり強くいうと、日本語で話しかけることを拒否されそうで、、、、、長い目でみることにしようと思う。。。。言葉というと単に意思疎通の道具と思われるが実はそうではない。二ヶ国語を話す子供達が、ときに学力が伸び悩むことがあるそうだ。その原因は両方の言葉が、中途半端だからだそうだ。二ヶ国語をはなす人たちも、思考するときに使う言葉は一つなのだそうだが、思考するときの言葉が未熟だと、高い次元の思考ができないそうである。だから思考するときにつかう言語を、しっかりと学ばないといけないそうである。考えてみると私は27歳の誕生日には、まだペルシャ語が話せなかった。現在38歳である。読み書きに支障があるものの、日常会話で苦労することはない。息子が日本の何かに興味をもつようになったら、自分できっと言葉を覚えるであろうと期待している。さてここまでが実は私が書きたかったことの前置きである。私は言葉というものが思考するための道具である、ということを書いたが英語を勉強して、そんなことを考えたことは一度もなかった。私は日本人だし、英語を解するものの日本語で思考することがあたりまえで別段それに気をとめることもなかったというのが本当のところだ。しかし店番をして面白いことがわかった。私は、最初お金の計算することに、大変苦労していた。それはどうしてかというと、ペルシャ語の値段を日本語の値段になおして計算して、おつりという答えをまた日本語からペルシャ語にしていたから時間がかかったのだった。しかし毎日計算していくうちに一週間もしないうちに、ペルシャ語でダイレクトに計算できるようになっていた。それからはもう普通のイラン人よりも早く計算できるようになった。そして言葉というものが思考する手段であることを、実感したのだった。それでおもったのだが、英語の授業でも、店員と客の設定で英語で値段をきいたり買い物をさせたり、おつりを計算させるというのはどうか?と。。。。外国の言語を実際に使うということが脳みそで体感できるはずである。にほんブログ村
2007年08月18日

英語は中学高校のとき、苦手でもなかったが好きでもなかった。でも大学を私立の文系に決めたときから、必死に勉強するようになった。単語、熟語の暗記と、速読に毎日長時間を費やした。国語は文学史と古典、漢文くらいでほとんどせず、世界史も行き帰りの電車、、、片道一時間くらいは乗っていたので、家では英語と闘っていたといっても過言ではない。こうして多少鍛えられた私の英語は、大学一年のときの英語のテストで、ある教授のテストは私が最高点だったそうだ。。。。しかしその後、大学3,4年と外国語の授業がなくなり 今考えるともったいなかったのだが、、、英語から離れてしまった。イランで暮らすようになって英語は、、、大学時代に記憶していた、多くの単語が記憶から消え去っているが、本当に私の役に立ってくれていると実感する。ペルシャ語ができなかったとき、それは私の意思疎通の道具となってくれた。そして、日常生活でペルシャ語に何の差支えがなくなってからも、衛星放送の映画やドラマ、、、イランで売っているDVDなどでも英語の字幕がある場合は、それで十分楽しめる。もちろん衛星放送でやっているドラマなどをみるのは、最初は字幕が早くて追いつけなかったが、半年もみているうちに目がなれてきて、速読できるようになった。そして最近は店にでているとき外国製品の英語の説明を楽に解することができる。第二外国語でフランス語をとっていたことも、ほんのちょっぴりだが無駄だったわけではなく、香水などのフランス語の表示で、なんとなくおぼろげな記憶をたよって、わかるものもある。。。最近は英語ができないイランの若者などが、外国製品の化粧品を片手に私に質問しにくることも多々ある。百パーセントわかるわけではないが、ほとんどの場合理解できる。そういうとき本当に英語を勉強してよかったと思う。人生いつどこで何が役に立つか本当にわからない、学生の方々はこんなこと勉強しても無駄だなどと思わず、勉強する機会があったらなんでもある程度身につけておいたほうがいい。身につけた知識が、いつか実際に自分の身や生活を助けることになるかもしれないから、、、。 にほんブログ村
2007年08月18日
口内炎は実は高校時代から定期的にひどくできるようになった。子供の頃からおおきな口内炎がひとつふたつはできていたが、高校一年のときにカキ氷のようなものを紙コップとストローで食べた後なんとストローが口に当たった部分すべてが口内炎になってしまった。それがきっかけで、、、、かれこれもう20年になる。私の場合アレルギーが原因だと思う。喉の奥、扁桃腺があるところもびっしりとできることも多々。。。最近わかったことだが、花粉症などのアレルギーの薬、,抗ヒスタミン剤であると思われる ケトティフェンという薬、、、非常に眠くなる薬をのむと口内炎が日増しによくなるからだ。このケトティフェン、すごく小さい薬なのだが、それをまた四分の一にして夜寝る前に飲むがまだ朝起きるのが辛くて、お昼頃まで頭がボーーーっとしている。指も定期的に腫れ、これは大学一年からなりはじめた。現在も左手小指と右の中指の第二間接がみにくく腫れてゆがんだ指になっている。イランにきてからはマルチヴィタミンとACIDFLICと鉄分の薬を毎日飲んでいる、、、これでだいぶ症状が軽減されるが疲れ、睡眠不足、ストレスなどがたまるとよくない気がする。口内炎でお困りの方は一度アンチヒスタミン剤を試してみることをおすすめ。
2007年08月16日
このあいだの金曜日の夜、久しぶりに息子をつれて公園にいった。ほんの少しだけ、、、おそらく30分ぐらいいたのだが、、、ものすごい人だった。イランは娯楽施設がほとんどないから夏は夜、手に手に夕飯、球技、バドミントンなどの遊戯、ピクニック用のガス、ヤカンなどをもった人々がたくさんピクニックシートを敷いて座っていたり遊んでいたり、キャバブを作っていたり、、、お正月13日のスィーズダ べ ダル の様相だった。時間はおそらく9時近くだったのだが、まだまだ続々とそんな格好の人々が訪れていた。おそらく9時からきて12時過ぎまで夕涼みではなく夜涼みするのだろう。ものすごい人、ものすごい賑わいであった。この光景を日本人がみたら何事ぞ!と心底びっくりすることだろう。遊園地なども夏は夕方から開いて夜中まで営業して、これまた夜間に盛況である。イランでは夏の夜の恒例。文化習慣というのはこうまで異なるのである。
2007年08月13日
最近大喧嘩している人が多い。ここ一週間でたぶん3件自宅付近で目撃した。最初はあまり大声なのですぐ近くとおもいきや、大通りの向こう側の小路だった。なんか手に棒をもって追い掛け回していた。後で店の客にきいたら喧嘩の常習家庭で親戚の一人に、、、その家庭の妻の兄弟に、、、、麻薬中毒がいるらしい、、、、。その次は店の前で大喧嘩、、、、あげくのはてに次の日みてみたらうちが植えた街路樹の若木をぽっきりと折られていた、、、おそらくそれをもってあいてを追い掛け回したか威嚇したのだろう、、、迷惑千万である。そして昨日再び店の前で、、、、体力ダウンしている私には信じられない、、、みんな若いのか?体力がありすぎてあまっているか?暇なのか????そんな無駄な体力があったら私に!!と言いたかった。
2007年08月13日
ここんところネットの接続がひどかったこともあったが、体力がダウンして指が腫れ、口内炎ができはじめていそいで薬を飲んでひどくならなかったが、、、足首の腫れは慢性化して毎日の礼拝も医者から座ってやるようにいわれてしまった。とにかくだるくて、ねっころがっていたい、、、しばらく本を沢山読んだのだがここ3,4日は読書も5分ともたずに うとうと、、、でも息子が安眠させてくれない、、、午前中は掃除、洗濯、飯炊き、アイロンかけ、息子をお風呂にいれたりで午後少しやすんだら店番、、、、9時、10時までいるのでくたくた、、、、。あっというまに朝になり夜になり、、、また朝がきて、、、、。日々は過ぎていく。。。。後一月するとまた断食月がやってくる。こんな体力でできるのかしら?と不安。断食する前から胃腸になんか問題があるようで胸焼けとか自分の口臭がきになるこの頃でもある。
2007年08月10日
子供を育てるようになってから頻繁にポテトチップスを食べるようになった。ポテトチップスというのはおそらく世界的な食べ物ではないかと思う。そしてそれだけ身近な軽食というかスナック菓子なので、その国の食文化を多少なりとも反映しているんではないかという気がした。ここhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%86%E3%83%88%E3%83%81%E3%83%83%E3%83%97%E3%82%B9ではカレーとかラーメンと一緒にアメリカ生まれのポテチの土着化のことが書いてあった。日本では海苔塩、醤油、コンソメ、わさび、キムチなどの味があるとあった。さて、イランではどうかというとイランの場合、塩、プレーン、ケチャップなどの定番とともにイラン的なビネガー、イタリアンパセリとたまねぎ、ピザ、ヨーグルトとシャロット(にんにくに似ているがにんにくのように臭いがのこらない)などがある。イラン人の子供はポテトチップスにヨーグルトをつけて食べたりもするようだ。
2007年08月01日
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