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言葉では、「理解する」「そのままのあなたでいいよ」と言っても、頭では納得しても、それが行動に自然と出てるかは別だ。 それに気づくたび、私って口ばっかりだ、といつも落ち込む。 私は医者じゃない、専門家(カウンセラー)じゃない、私は、私と言う一人の個性を持った人間で、その「私」を相手に出すとき(自分都合の感情も含めて)、それが相手を傷つけることがある。 自分の気持(想い)は、躊躇なくはっきり伝える性格の私。 自分の気持より、相手の気持を考えて行動する夫。 相手を理解する、認めるということは、自分を捨ててしまうということではない、と思う。 ブログで以前「奥さんは、旦那さんが治ると信じておられる・・」というようなコメントをいただいたとき私って、夫が治ると信じているのかと考えた。 私は、「夫が治ると信じている」この想いが一番になってはいない。 夫が、笑ってくれて、生き辛いというこの世界を楽しいと感じれるようになって、自分自身を心から愛せるようになってくれればと、願うけれど、そう願うことは私が一番したいことではなくて、 私がしたいと、一番に願ってこのブログも書いているのは、全く別の人同士が、それぞれが別の人格であると認め合い、自分を大切にしながらも、相手を受け入れて、共に生きていくことが出来ればと思うから。 それを私は強く願っている。多分、それは、きっと全てに通じる道ではないだろうか。 相手が摂食障害であるからとか、それを治すためとかではなく、自分を大切にして他人を受け入れていくことは、 おこがましいことを書くかもしれないけれど、 だれもが願う、「愛」とか「平和」に繋がる、道だと それを信じている。
March 31, 2008
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昨日、近所の公園の桜が満開だと、テレビが言っていた。そのせいもあってか、ベランダから公園を覗き見ると、多くの人が歩いてる。駐車場に向かう車の列が出来ている。 いつも食べるヨーグルトを買いに行くついでに、公園を通る。 シートを引いて、お弁当を食べている人。ベンチに座って、ギターを弾きながら何か歌ってるおじさん。「ここの桜を見るのは初めてだ」と歩きながら話す家族連れ。 駐車場は満車状態、長い車の列、空くのを待って、全てが駐車場に入るには、どれくらい時間がかかるのだろう。 ヨーグルトはお店の人に来月から10円づつ値上がりすると言われて、いつもは10個買うのに、今日は20個買ってしまった。最近、なんでも値上がり。 私も来週は、桜を見に行こうかと思ってる場所が2箇所ある。その時は、カメラを持っていこうかな。撮るのは苦手なんだけど。 そういえば、自分を愛する力で思ったこと。夫に、私はあなたを理解してる?と聞いたとき夫はうなずいてはくれなかった。でも、「君は、理解しようと一生懸命してくれる。それが、とてもうれしい、それでいいんだと思う」と言ってくれた。 私には、夫のその一言が、自分を支える力になる。
March 29, 2008
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今日の料理は、もやし炒め、ニラのちぢみ、もずくスープ。冷蔵庫の残りは野菜が大根、じゃがいも、玉ねぎ、肉はもも肉。今日、図書館に行ったら買い物して帰ろう。 食事しながら、また夫が話す。「僕は生きてることがストレスだ、僕みたいに自分勝手で、相手の言葉にすぐ傷つくような人間は、生きてていいのかと思う。どうして生きてていいのかわからない。」 私は、また何度も言う、「私は、幸せだよ。あなたには、精神的にも経済的にも支えられてるよ。今まで生きてきてよかったと、思ったこと一度もないの」と聞くと「小学生のころ、担任の吉田先生に自分の書いた日記に「よく出来ましたね」と金色に光る星型のシールを3つ、つけてもらったとき、あの時はとてもうれしかった。人から認められた気がして、僕は存在してていいんだって思えた。吉田先生が担任じゃなくなるときはすごく寂しかった」私が親から誉められたことはないの、と聞くと「一度もない、かけっこでも僕は足が遅かったからいつも一番にはなれなかった。その度に父ちゃんはがっかりして、いつも一番になれ、頑張れそれしか言われた記憶がない。」 私は、夫はすごいと思う、私の中では100点満点の夫だ。 私が、どれだけ夫のお陰で精神的にも経済的にも支えられ、感謝しているか言っても伝わらない。夫には、夫の力で手に入れたこの家も、財産も、少しも自分の自信にはなっていないのだ。 私は、夫が夫を、自分自身を愛して欲しいと思う。「どうして、私が素晴らしいって言っても受け入れられないの、それって、傲慢じゃないの」と思わず言ってしまった。 夫はしばらくして、「君が僕にしてくれるほど、僕は君に何もしていない、君の役に立っていない、迷惑しかかけていない、と思うから、僕は自分が嫌いなんだ」と答えた。私は「その当の本人の私が、迷惑なんて思ってない、感謝してるっていうのに、どうしてわからないの、それって言ってることおかしいと思う。」と言う。 いつもその繰り返し、になってしまう。夫が夫を、自分を愛するようにならなければ例え、どんなに社会的成功を収めたとしても、何をしても満足感は得られないのだ。 私も間違っていた、それを夫に示してもそれは間違っていた。 自分を愛する力は、どこから湧き出てくるんだろう。
March 29, 2008
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お風呂とベッド、食事の時は、夫が自分の気持(自分が今抱いてる想い)をよく話してくれる。 お風呂に夫が入ってきたとき、今度食べに行こうと思ってる鰻屋の話がしたくて、私の方ばかり一方的に話してしまった。 一息つくと、夫に「僕は君に話しかけたいことがあったのに、君ばかり話してて嫌だった。君の声がうるさく感じた」と言われた。 でも私もこのこと話したかったんだよ、と言って、あなたは何を話したかったのと、聞いた。 夫は、いつも僕の好きなようにさせてくれてありがとう。自分の好きなことを、罪悪感なく出来るようになってうれしい。そのことを一番に伝えたかったと言った。 私も、うれしいよ、ありがとう。と言って、私はまたいろいろ話した。 しばらくして夫が「僕は、すごくゆっくり考えて話すから、そんなにたくさんいろいろ言われて、質問されてもすぐ答えられない。もう少し、僕が答えるまで待ってて欲しい」と言った。 そうか、と思った。私は、よくしゃべる。自分の気持と言葉が直結しているような人間だ。だから、失言も多くて、今まで多くの人を傷つけてきた。 夫を理解したいと本気で思うようになって、夫婦の時間の流れがゆっくりになっている私の中で、流れる時間も、 私は今まで、いろいろと急ぎすぎている感じがする。 相手の言葉をゆっくり聞いて、自分の中でその言葉を消化するよう、自分の心をもっとじっくり見つめたい。昨日、夫が拾ってきてくれた桜の枝
March 29, 2008
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夫が今見てるのは、以前ドラマで放送されていた、草なぎ剛さん主演の「僕の生きる道」と「僕の歩く道」。 今って、パソコンのネットで過去のドラマが見れるんだ、驚き。好きなときに、まとめて見れるのはとても便利でありがたい。 私は見てないけど、夫のパソコンから漏れ聞こえてくるセリフを聞いてると、すごくいいドラマだと思う。特に「僕の生きる道」私は「死」に対して恐怖心があるから、人が死ぬドラマはいつも避けてる。でもこのドラマは好きだと思った。 すごく心に沁みるセリフが多い。 さて、今日も午後から近くの公園に散歩に行った。桜がほとんど満開に近い状態になっていたのでびっくり。つい昨日ぐらいは、まだ咲き始めだったのに。明日、どこかに桜を見に行こうかと夫に言うと「この公園の桜でいい」と言う。 予報では今日は「花冷え」と言ってたけど、その通り風が冷たい。ベンチでじっと座っているのも寒いので、堤防を散歩しない?と夫を誘ったけれど、風が冷たいから歩くのは嫌だと言う。じゃ一人で歩いてくるねとベンチを離れた。振り返ると夫がこっちを見てた。 堤防を歩き始めたけど、やはり風が強い。すれ違った痩せた年配の女性に「こんにちは」と丁寧に挨拶をされた。ウォーキング姿が多いこの道で、スカート姿で歩いてるのが印象的だった。 歩いてる途中で、何気なく、意味もなく振り返ったら、夫が自転車でこっちに向かってくるのが見えた。 不思議と、驚かなかった。「どうして来たの」と笑う。この感じが、夫と私を繋いでいる大切な何か、なのだと思う。 堤防を引き返すとき、先ほどのスカート姿の女性が、小さな巾着を広げながらベンチに座っていた。私は、なぜか彼女が気になって歩きながらチラっと見ると、また「こんにちは」と頭を下げられた。私も「こんにちは」と頭を下げた。話しかけたいなと、少し思った。 帰り道コンビニで、夫はコカコーラ・カロリーゼロ、私はオロナミンC(最近買う飲み物の定番)、それからピーナッツチョコ、ドンタコス風スナックを買う。 家に帰ると、オロナミンCの空き瓶に、桜の枝が刺してある。うれしくてどうしたのと聞くと、「地面に落ちてたから、飾って人に喜んでもらえれば、桜も喜ぶと思って拾った」と夫は言った。
March 28, 2008
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最近、保険の見直しをした。新しく加入したり、解約したり、 保険って、「万が一」を想定して加入するのだけど、万が一を想像し始めると、際限がない。あれもこれもと欲しくなる、不安はどんどん膨らんで、今加入している保険全て手放せなくなるし、もっと新たに加入したくなる。 夫は数年前まで、副業で保険のエージャントを短期間していたこともあって、保険にいくつか入ってる。 夫個人の意見は、保険は入る必要はないということ。 でも私の意見は、その「万が一」が不安で保険には入っていて欲しい。その原因はわかってる、自分が経済的に自立していないせいだ。夫の「万が一」の時の自分に自信が持てず、保険(お金)で少しでも安心を得ようとしている。 夫は「僕は、今までお金を手にすれば幸せになって、僕の中にずっとある不安感はなくなると思ってた。でも、実際にお金を手にして、家を手に入れても、この不安感はなくならない。お金や家を得ることが大人として立派になることだと思ってきたけれど、お金や家を手にしても、僕の心に満足感はなく安心できなかった。この底なしの不安感は変わらない。 お金では安心は得られない。 そのお金で得られなかった安心が、僕が僕を嫌いでも、そんな嫌いな部分でも君が愛してくれると言った時、僕の中で初めて得られた。 だから、保険で安心を得るというのは、僕の中では違うように思う。安心というのはもっと違う形である気がする。 実際、今は保険は必要かもしれないけれど、いつか自然にもう保険なんていらないね、と二人で思えるようになれたらと思う。」と言った。 そうだね、お金は重要。だって、お金があるから、快適な生活が出来て生きていける。私はお金がたくさんあると安心してる、お金が少なくなると、不安になる、これは事実。 でも、お金がたくさんあっても、心が幸せとは限らない。心の豊かさと、お金の豊かさは、一緒じゃない。これは、本当のことだと実感できる。私は、心の豊かな人になりたい。あこがれる、 いつか、保険なんていらないね、と自然に思える日、そんな日を想像すると、心が暖かくなった。
March 28, 2008
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今日の食事は、昨日から煮込んだ鶏肉のトマト煮込み。煮崩れるぐらいが好きなので、じゃがいもは小さめにと夫が言うのに、どうやら今日は大きすぎた。 今日も食事をしながら、夫がポツリポツリと話してくれた。 人は本能で、愛し愛されたいと思うのに、傷つくのが怖くて、一人で生きることが強さだとずっと思ってきたけれど、一人で強く生きると決めた人ほど、愛を拒絶する人ほど、本当は自分が嫌いで嫌いでたまらないのだと思う。 一人で強く生きてるつもりでも、足元は不安でグラグラ揺れている。自分を憎くて、自分を消し去りたいと思ってる。自分では死ねないから、人に殺してくれと思ってる。誰かから罰して欲しいと思ってる。 愛し愛されたいと思えるようになってきて、こんな僕でも愛してくれる人がいると思えることで、僕の中には安心が生まれてる。 でも、愛し愛されたいと思えるようになっても、今はまだすぐ、これからどう生きていったらいいのかわからない、なぜ菜の花を自分が食べるために摘んでいいのかもわからない。 ただ、愛するということは、傷つくことではなくすごく心が豊かになる生き方なのかもしれない、と感じられるようになってきた、まだうまくはよくわからないけれど。 私も言うそうだよね、人を愛しく思うことは、世界が限りなく広がる感じがするよね。私もまだ、愛って何かはよくわからない、どう生きるのがいいのかもわからない。 でも、人は一人では生きられない、それだけはわかってきたよ。
March 27, 2008
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今日、料理をしていたとき、ジャガイモや鶏肉を切っていたとき、「なぜ、人は他の命(菜の花のこと)を奪ってもいいんだろう」(今日、菜の花を摘んでいた時の夫の言葉)と夫が聞いたことの答えが、ふいに自分の心の中から湧き上がってきた。 自分なりの答えだけど、それは、人は一人では生きていけないから人は自分だけでは生きていけないから、こうして他の生命を、じゃがいもや鶏肉の命をいただいて生きている。 どんなところにいても、太陽の光、水、空気がなくては生きてはいけない。 自分一人だけでは完結しない生命の輪。 人と人、人と花、植物、動物、この地球上のあらゆるもののお世話になって、繋がってしか人は生きてはいけない。 このジャガイモも鶏肉も私の身体の血や肉の一部になってくれる。 そう思うと、全てがありがたく、とても愛しくなる。
March 26, 2008
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ニュースで近くの桜が満開になったと報道してたから、午後夫と二人で見に行った。 ここ数日で、公園の桜も咲きだした、神社の裏の桜の木、一本だけが満開に花を咲かせてた。 堤防を散歩しながら、夫が野草を見かける度に足をとめる。じっと、ある草をみてるので何かと思ったら「これは、犬のおしっこがかかってる」と言った。「不自然に草が濡れているでしょ」と指をさす。そんなの教えないでと笑った。 菜の花もちらほら咲いている。黄色い花をつけた菜の花は、どこにいても心を和ませてくれる。 夫が菜の花を見つけるたびに、足を止めて指を指す。「摘んで帰って、食べようか?」と聞くと「菜の花は好きだけど、自分で摘むのは気がひけるな。きっと一生懸命生きようとしてるのに、摘んでしまって良いのかと心が痛む。なぜ、人は生きるために他の命を取らなければいけないんだろう」と言う。 私だって、そんなのわからないと言いながら、ポキンと菜の花を摘んだ。柔らかく、きれいに折れた。私が摘み出すと、夫も摘みはじめた。 夫の言葉が心に残る。二人で、片手分づつ取った。 夫が堤防を歩きながら、「愛し愛されたいと願うことは、人間の本能だ。本当は愛し、愛されたいと思うのに、そうじゃないと心に背を向けて、抑え続けると、摂食障害になるんだ。」とまた言った。 帰ったら、夫が菜の花を水につけてくれた。 さっと湯がいて、かつおぶしとマヨネーズを絡めて食べた。ほろ苦い味がした。
March 26, 2008
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食事をしていたとき、夫がぽつりぽつりと話してくれた。 最近、わかってきたことがある。僕が、すぐ怒ったり、背を向けたり、人を許せなかったりするのは、心の中で「こんな僕でも愛してる?」そう人に尋ねているんだ、最近それがよくわかってきた。こんな、僕でも愛してる?そう確認したかったからなんだ。 以前、僕が「いつもモヤモヤ沸いてくる自分を憎む気持、自分が嫌で嫌でたまらない、そんな思いがいつもここ(腹)から湧いてくる、それが苦しい」そう言った時、君は「じゃ、その嫌いなところを全部ここに吐き出して、それを全部私がもらって大切に愛していくから」と両手を差し出してくれた。その時は、よく自分の気持がわからなかったけど、あの時から僕の中で何かが変わっていったように思う。今まであんな風に言ってくれた人は誰もいなかった、君が初めてだった。すごくうれしかった。 僕は今でも、自分を嫌ってる、憎んでる、それは変わらない。でも君は、そんな僕でも愛してると言ってくれる、その言葉を聞くと僕はようやく自分を肯定できる。 僕は、ずっと愛すること、愛されることを恐れてきた。愛しても裏切られるし、裏切られたり傷つかないよう愛に背を向けて生きてきた。 でも、今は愛したい、愛されたいと自然に思うようになってきた。 愛すること、愛されたいと思うこと、それはごく自然なことで、人間の本能ではないかと思う。 それは、お腹が空いたら食べたい、と思う本能と同じもので。でも、食べてはいけない、愛してはいけない、愛されたいと思ってはいけないと、自分を抑えて生きていた。当たり前の自然な本能をずっと否定して、抑えて生きてきた。 それが、僕の摂食障害だと思う。 夫は表情を変えず、淡々と一言、一言かみ締めるように話してくれた。 夫は、ずっと親からも周りからも「一番であること」「働かざるもの食うべからず」「お金は大切」と言われて、育ってきた。だから、お金さえあれば、この苦しみはなくなると、ずっと走ってきた。摂食障害を抱えながらも、(10年以上も)結婚した私には、「摂食障害はもう治った」と隠して、吐くときはいつも外に出て、隠し通した。一人でずっと苦しんで走ってきた。 でも、いくらお金が貯まっても、少しも心は楽にならない。稼いでも稼いでも、心の空虚さは埋まらない。かえって、お金を失う恐怖心が増えただけだった。 夫は、走るのをやめた。お金は自分を幸せにしてくれない。立ち止まり、途方にくれた。今まで、お金が幸せにしてくれると思ってここまできたのに・・・ これから、どう生きていったらいいのか、 私が夫の摂食障害を知って、一年が過ぎた。初めは、食べなければいいのか、吐かなければいいのかと、夫に食事の大切さ、健康のありがたさを訴えたこともあった。こうしたら、ああしたら、と言ったこともあった。 でも今は言える、それは間違いだと。これだけは、はっきり言える。 私に出来ることは、夫に食べて吐くことを止めて欲しいと願うことじゃない。 相手を変える、相手に変わって欲しいと願いことじゃない。これだけは、違うとはっきり言い切れる。 愛するって、ありのまま、理解するっていうことなのかも。 桜が、咲き始めましたね。菜の花を見に行こうかな、ありのままのあなたで、いいよ。
March 26, 2008
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昨日、夫は「薔薇のない花屋さん」の最終回を見てた。見終わったとき、すごくよかった、でも今回はいつもと違う感じで見られた、と言った。何が、と聞くと「いつもこういうドラマを見ると、うらやましくてたまらなかった。でも今回はうらやましいと思わなかった。僕には君がいてくれるから」と言った。 その同じ夜、私が「~な私でも愛してる?」という言葉を、冗談めいて話したら、夫がすごく傷ついたと言った。僕が「こんな僕でも愛してる?」と君に聞く言葉は、僕にとっては君と僕とを結ぶ宝物のような言葉なんだ、だからそういう風に冗談ぽく言われるのは、傷つくと。 違うよ、そんな気持で言ったのではないよ、と言っても、なかなか夫には届かなかった。二人でいろいろ話して、午前2時過ぎになった。 今日は、お昼を食べてから「つくし」を採りに行った。つくし採りなんて、小学生の頃以来かも。 場所は、中心部から離れた隣市の公園。田んぼの中にポツンとたたずむ、小山がある公園。 30分余りで着いた、二人で公園の用水路の土手をじっと見つめながら歩く。夫が「あった、あった」と土手をするすると降りていく。私もおそるおそる降りていく、普通の運動靴ではちょっと滑る。 近所の堤防は既に採り尽されてるけど、ここはあまり人が来ないせいか、まだつくしがあった。まだ、これから伸びようとしている赤ちゃんつくしもたくさんあった。 きれいなベージュ色、やさしい春の色、デジカメ持ってこればよかったな。 つくしのハカマを木陰になってる石段に座って取った。いつの間にか公園で遊ぶ子供たちが増えている。先日来たときはほとんど人がいなかったのに、と夫に言うと「今は春休みだから」と言われて納得した。ハカマを取りながら、夫が「どうして僕は、一度傷つくとすぐに立ち直れないんだろう、君がそうじゃないと言っても素直に受け入れられない。どうしてなんだろう、そんな自分が嫌になる。こんな僕でも、僕は自分のことが少しも好きになれないけれど、こんな僕でも愛してる?」と聞いた。 帰って早速、つくしの料理。つくしを醤油と砂糖で炒めて、卵でとじる。私にとっては、初めて食べるつくし。う~ん、頭の部分の苦味と食感が苦手かも・・夫は、気に入ったようで美味しいと食べてくれた。
March 25, 2008
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昨日の夜、このままブログを続けようか少し悩みました。 最近のブログは心情的な吐露になっていたから。私は、公開ブログで心情的なことを中心に書くことは本当は抵抗があるのです。 不特定多数の人が読む可能性がある公開ブログに、自分の心情を吐露するのは、勇気がいることだし、結局自己満足で終わってしまうようで、不愉快に思う人もきっと出てくると思っていたからです。 だから、出来るだけ公開ブログは心情面より、日々の出来事の事実を書くスタイルがいいと思っていました。 でも、最近はつい心の吐露ような一人よがりブログになっていたように思います。 それで構わないのかもしれませんが、それを公開して書き込んでいるの以上、内容の責任は持とうと思っています。 コメントでもいただきましたが、摂食障害は一人では治りづらい病気だと思います。 でも、なかなか人には理解されずらい病気です。特に一番理解して欲しいと思う人ほど、理解するのが難しいかもしれません。 心の深い部分は、きっと誰しも持っているものです。摂食障害は、それが「食」という形で出ています。そういう意味では特別ではないと思っています。 でも心の深さは人それぞれで、それを理解するのは難しいかもしれない、そんな簡単なものじゃない。でも、理解しようとすること、一緒にその深さを手を取り合って手探りでも辿っていくことが、癒し(治る)に繋がると思っています。 だから、このブログも他の人たちと一緒に手を取り合って辿りあう気持で書いています。 ブログを続けることを迷いながら、今日ブログを開いたとき新しいコメント見つけてうれしくなりました。こういう私のブログでも読んで下さる方がいるんだと、とてもうれしかったです。 本当にありがとうございました。またもう少し続けていこうと思っています。 ただ、あまり独りよがりにならないよう気をつけたいと思っています。
March 25, 2008
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午後は実家に行ってきた。 その時、母が叔母が私達夫婦のことを気にかけているよと教えてくれた。本当は母もきっと同じように気にしてる、でも私がすごく嫌がるからあまり言わない。「働いていない大人は、人に心配かける存在なのだろうか」とモヤモヤしたものが湧き起こる。 他の人に、自分の生き方や在り方を否定されると、不安になる。他の人と違う歩み(生活)をしているのと、周りに引け目を感じてしまう。 周りに振り回されず、いつも自分が自分でいるために、私は今に集中する。それがお味噌汁を作っているときならば、お味噌を丁寧に溶くことに、いつも今に意識を集中させる。今を大切に丁寧に生きることに、私が自分らしく生きる場所がある。 そうすると、恐れていたものは一つ、一つ減っていく。 そして、もう一つ、「~~な僕(私)でも、愛してる」と掛け合う言葉。この言葉は魔法の言葉かも。夫との間にいろいろなすれ違いが起きても、すっと心が落ち着く力強さを持っている。
March 24, 2008
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夫に、「あなたがどんなに自分を嫌いでも、私があなたを好きでいるからね、愛して行くからね」と言ってから、夫が少し変わった。 時々、思い出したようにうれしそうな顔をする。「愛してるって言われることが、こんなにうれしいと感じるなんて初めて知った」と夫は言った。 「愛してる」って誰かに伝えるのって難しい。テレもかなりある(ブログでそれを書くことさえも)、そして「愛」って何だろうという自信のなさも。愛と言う言葉には、崇高さや重さを感じて気軽には口に出せない響きがある。「好き」は気軽に言えるのに、「愛」はなかなか言えない言葉。 でも、昨日は夫に言った、口に出てしまった。今でもよくわからない「愛」だけど。 それから夫はこういう風に私に尋ねる。「いつもテレビばかり見ている僕でも愛してる?」~~な僕でも愛してる? そしてこう聞く「僕の親は、こうしてテレビばかり見てると、いつもお前はだめな奴だと言った。どうして君はそう思わないの?」と。私はなぜと聞かれてもよくわからなくて、すぐ答えられなかった「よくわからないから、わかったら言うね」そう夫に答えた。 でも、食事をしているとき突然わかった。目の前の夫がご飯を食べているのを見ていたとき。なぜか理由はないけれど、とてもうれしくて幸せな気持になった、その時に。今わかったよと、夫に伝える。「なぜテレビばかり見ていてもいいと思えるのかわかったよ、こうしてあなたが存在してくれるだけで、うれしいと思えるからだよ」他のどんな立派な言葉よりうれしい言葉だと、夫は「この先も、僕は一進一退すると思うけど、それでも愛してくれる?」と聞いた。 「もちろん」と私は力を込める。だって、これからだもの。「愛してる」この言葉はゴールの言葉じゃない。この先はばら色で、何も悩みがない世界が広がるわけじゃない。 「愛してる」この言葉の重みは、足元の基盤となる。 この言葉を基に、これから二人の生活は積み重なっていく。きっとこれから先、また二人でいろいろ迷うだろう、悩むだろう、生きるってそういうことだ。でも「愛」はきっと、その生きることに力をくれる。その力強さは二人で育てて、強く大きくなっていくのだと思う。
March 24, 2008
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いつも買う野菜選びは、安いものが基準。だから必然的に、旬の野菜を買うようになっている。 最近の食卓は、緑の野菜がとっても多い。なばなのお浸し、小松菜の炒め物、きぬさやの卵とじ。ちょっと前までは、白菜、大根が常連さん。 食事一つ見ても、春だなと感じる。先日、公園に散歩に行ったときは「蕗の薹」を見つけた。 昨日の散歩の時は、堤防で腰をかがめて何かを探している人たちをみかけた、多分つくしかな。 私も取りに行こうかな、つくし。実は、つくしって食べたことない、食べてみようかな。今度の散歩の時、探してみよう。 桜もつぼみがピンクに染まってきた。 夫は今日もテレビを見てる、夫のお気に入りは、今は高校野球と相撲、かぶりつきでみるアニメの「ガンダム」。後は、「ゴクセン」夫は先生と生徒の交流を取り扱ったドラマが好きだ。終わってしまったけど「エジソンの母」も毎回欠かさず見ていた。 なぜ好きなのと言う問いに「何か大切なことを伝えてくれている気がするから、僕が子供の頃教えてもらえなかった大切なことを教えてくれるから」と夫は答える。 夫は、テレビを見るのは楽しくて好きなのに、一方こんなことしてていいのかと罪悪感が湧いて、いつも居心地が悪くなってしまう。大好きなテレビを見ているはずなのに、心から楽しめない。 自分の好きなことをすればいいよと言う私に、こうして自分の好きなことをしていたら、堕落した人間になってしまうのではないかと恐れてる。 いつも一番になれば幸せになれる、何か答えを得れば幸せになれると、信じてきた人間が、結果じゃないと言われても、素直には信じられない。 「どうして、こうして毎日毎日こたつでテレビを見ていてもいいと言えるんだ」と言われて、答えにつまる。テレビを見ることがいいか、悪いかではなくて、たぶん自分のしたいことをすること、自分が心からリラックスして過ごせる先に、何かが見えてくる気がする。 答えを気にせずに、自分のしたいことをしているその中にきっと答えは潜んでる。 何かの本にこんなことが書いてあった「悟りたい、と思ううちは悟れない。その気持を手放したときに、悟りは現れる」 夫に伝わるといいな。
March 23, 2008
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夫は自分の言葉に自信がない、いつも自分が言うことは間違っていると、自分が思うことは悪いことなのだと、そう思ってる、夫はよく言う。「自分のしていることは正しいことなのか、いつも自信がない、わからない」 私が「それはあなただけがそう思っているだけだよ」と言っても、夫は「どうしてそうだと言い切れるんだ」と言う。夫の心は夫のものだから、私が夫の心を変えることは出来ない。 夫は言う「僕は自分を嫌ってる、自分を信用できない、自分が嫌で嫌で仕方がない」 だったら、だったら、私が夫を好きでいよう。夫が夫を嫌っても、私が夫を好きでいるから、あなたが、あなたを嫌いでもあなたが、自分を愛せなくても、私があなたを愛していくよ私はあなたの心を変えることは出来ないけれど、あなたの心はあなたのものだけど私はあなたを好きでいるから、私はあなたを大切にするから、
March 22, 2008
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今日も晴れて暖かい、午後3時過ぎ一人で散歩に出かけた。暑くもなく、寒くもない、気持ちよく堤防沿いをぐんぐん歩いた。 歩きながら、夫と自分の違いについてまた想った。私は、すぐ感情を表に出す、想ったことはストレートに言葉に出す、心に溜めない。一方、夫は自分の気持より、いつも相手の気持を優先させる。ずっとそうしてきたから、自分というものがわからないくらいに相手に合わせて生きてきた。 そんな二人だから、ささいな会話でつまずくことが多い。私には何気ない一言でも、受け取る夫は違う。私が発したその一言が夫を傷つける。黙って、暗くなった夫を見て、自分の言葉に気づく私。何度この繰り返しが続いているだろう。 その度に、こう想う、「私ではだめなのか、」ではなくて「私だからだめなのだ」と。 昨日も、また夫を傷つけて心がすとんと落ちていった。出口が見えない、心の閉塞感。何か出口が欲しくて私は言う、「こんな私だから、私の言葉があなたを傷つけているんだよね。こんな二人が一緒にいても、あなたを傷つけるだけだよね」と。 夫は何も答えなかった。 その日は、母と会う約束があったので、「行ってくるね」とそのまま家を出た。 途中で、携帯に夫からメールが入った。「僕は、どんな君でもいいです。僕を助けてください。」 私も素直にメールを返す。「こんな私でもいいと言って欲しくて、あんな言い方をしてしまいました。とてもうれしいです、ありがとう」 夫は言う。「今までは、AかBだったらどっちを選ぶのが正しいのだろうとずっと悩んでた。正しい選択さえすれば、自分の悩みは全部消えるのだと、いつもいつも正しい答えを探してた。でも今は、どっちが正しい答えかを探すより、探している過程が大切なのではないかと思う。」 私だって、正しい答えなんてわからない。 ただ、答えを見つけてからでなくても、一緒には歩ける。閉ざされた気持になっても、心が落ちこんでいくことがあっても、夫がくれたメールの一言で救われる、そういう繋がりがあれば、私達は一緒に歩いて行けると思う。 気持ちよくて、いつもよりたくさん歩いた。
March 22, 2008
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ブログを書くのは、今の自分をきちんと見つめてそれを言葉にして、今を刻み込んでおきたいから。 あと一つは、夫や自分と同じように感じている人がどこかにいるなら、その人たちに何かが伝わればいいと思うから。 伝えたい何かは「何?」と聞かれれば、自分もまだそれを言葉にするほどわかっていない「何か」でも伝えられればと願う「何か」 夫が「俺は摂食障害を治すぞ」と言ってから、生活が何か変わったかといえば、特に何も変わってはいない。同じ生活スタイルの毎日、夫は、いつものように、夜散歩に出る。今もいつもの公衆トイレで、嘔吐をしているのかはわからない。 決めたことはお互いの気持はきちんと正確に伝え合う、ということ。 今まで、自分の気持より相手の気持ばかりを考えていた夫は、自分の気持を先ず考えて言葉にすることに、どうしても罪悪感を抱いている。罪悪感を抱きながらも、こうして自分の気持を言わずに相手に合わせてきたことが、自分を見失ってしまった(自分が苦しんでいる)原因なのだともわかっている。 でも、出来ない、 もう春ですね、静岡では桜が開花したとニュースで言ってました。昨日は、母と久しぶりに二人で会いました。美味しい中華料理のコースを食べて、お腹いっぱいで夜は食べられないくらいでした。食後には、春らしくイチゴのミルフィーユを食べました。母も今年71歳、老いて小さくなっていく母を見るのは少し悲しい気がします。でも、母と同様私も確実に年をとっているんですよね、不思議な感じです、心と時の流れが一致していない気がしてしまいます。今、夫はコタツで眠っています。テレビでは高校野球が流れています。
March 22, 2008
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夫は朝よく音楽を聞いている、同じ曲を何度も何度も、今日聞いていたのは「鬼束ちひろ」の「月光」と「エコーズ」の「ZOO」ZOOの歌詞の「愛を下さい、愛を下さい」という部分で、泣いてしまったそうだ。 愛が欲しいと思っているのに、そして相手は愛を与えてくれてると思うのに自分には、それが届いていないと感じるのが寂しくて、泣いてしまったと。 鬼束ちひろの「月光」も詩がとてもいいと言っていた。「月光」鬼束ちひろI am God's child.(私は神の子)この腐敗した世界に堕とされたHow do I live on such a field? (こんなところでどうやって生きていけばいいの?)こんなもののために生まれたんじゃない突風に埋もれる足取り倒れそうになるのをこの鎖が 許さない心を開け渡したままで貴方の感覚だけが散らばって私はまだ上手に 片付けられずにI am God's child.この腐敗した世界に堕とされたHow do I live on such a field?こんなもののために生まれたんじゃない「理由」をもっと喋り続けて私が眠れるまで効かない薬ばかり転がってるけどここに声も無いのに一体何を信じれば?I am God's child.哀しい音は背中に爪跡を付けてI can't hang out this world. (この世界ではやっていけない)こんな思いじゃどこにも居場所なんて無い不愉快に冷たい壁とか次はどれに弱さを許す?最後になど手を伸ばさないで貴方なら救い出して私を 静寂から時間は痛みを 加速させて行くI am God's child.この腐敗した世界に堕とされたHow do I live on such a field?こんなもののために生まれたんじゃないI am God's child.哀しい音は背中に爪跡を付けてI can't hang out this world.こんな思いじゃどこにも居場所なんて無い
March 18, 2008
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自分の性格とか、クセってなかなか直らない。 昨日の夜、夫が明日私の好きなバイキングのお店に行こうと誘ってくれた。 でもその日は、買い物をしたばかりだったから私は「食料たくさんあるから、明日は外食はしないよ」と言った。夫は「そうか、じゃやめるよ」とすぐに言った。 しばらくして、夫が今の自分の気持を聞いて欲しいと言った。何と聞くと、 うきうきする気分だったから、明日はバンキングに行きたいと思った、私を誘えば一緒に喜んでくれると、わくわくするような気持で「バンキングに行こう」と言ったけど、すぐに「だめ」と言われて、やはり自分のしたいことを言うのはだめなんだと、また自分を見失いそうになった。 自分が言ったことで、私に嫌われるのが怖くなって、いつものくせで「うん、わかった」とすぐに答えたと言った。 受け止めるって、そう決めたのに、私はまたそれが出来なかった。 夫の言葉を、受け止めて投げ返すのではなくて、すぐ打ち返してしまった。 大切なのは、バイキングに行くとか行かないとかではなくて、「それいいアイディアだね、」「ありがとう」と夫の言葉を受け止めてあげることなのに。 夜、またベッドの中で二人でいろいろ話した。夫が話しかけても返事をしてくれなかったり、横になって背を向けられると、自分が拒否されたようで悲しくなる。 理解したい、理解したいと、口ばかりで、全然理解できていない私のことがっかりしただろうな、傷ついただろうなと思うと、私がそばにいてもだめなんじゃないか、もっと他の人の方がいいのではないかと、いつもそんな想いに自分が沈んでいく。 そのことを夫に話したら、夫が「僕は寂しくて、わかって欲しくて背中を向けている、君が嫌いで背を向けているんじゃない、君に見放されたら、僕は本当に一人ぼっちになってしまう。もう誰も僕のことを理解してくれる人がいなくなってしまう。」と言った。 こんな私でいいのか、いつもいつもわかったと言って、気づくと、夫を傷つけてしまう、こんな私で、私は私が嫌になる。 夫と私は感じ方が驚くほど違う、それはごく当たり前のことなのに、そのことにずっと気づかず、一緒に暮らしてきた。 今までとは違う、二人のあり方。 心のキャッチボール両手を差し伸べて、受け止めよう、受け止められず、すぐ打ち返す、自分の臆病さ、
March 18, 2008
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昨日の夜、夫が大声で「俺は治るぞ、真剣に摂食障害を治すぞ!だから、~も(私の名前)協力してよ。僕は真剣だから、~も真剣に受け止めてね」と言った。 和室で本を読んでいた私は、びっくりして本を閉じ、背筋が伸びで緊張した。 そう、一緒に行くんだ。
March 16, 2008
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家族ってなんだろうな、私が「なのはなファミリーになろうね」と夫に言ったら夫が「家族になるんだよ、心の家族」と言った。 今まで簡単に家族って言葉を使っていたけれど、夫がそう言ったとき、初めて聞くような新鮮な言葉の響きに聞こえた。そして、想った、家族って何だろうって。 夫に聞いた。「家族って何だと思う?」夫は「何があっても、その人を見放さないこと。何があっても助け合う関係であること。」と答えた。 そういえば、結婚当初、夫は私によくこう言っていた。「もし僕の両親や他の誰かが黒と言って、君が白と言ったとき、僕は例えどんな理由があっても白と言う、君の味方をするよ」 そのころは、そう言われて戸惑ったものだ。 でも、今は想う、その時の、夫の想いを、その言葉に込められた想いを今なら、今なら、 家族。
March 15, 2008
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「今のままでいいじゃん、どうしてだめなの。私だって生きる意味とか、生きる自信なんかないよ、でも今まで生きてこれたよ。」そう言うと、夫は「それは、君には太い根が張っているからだ。だからどっちでもいいと思えるんだ。僕の根はとても細い、自分が何者かもわからないほど細くて、頼りなくて。それが僕と君との違いだ」と言う。 「根が太い、細いなんてわからないよ。私は自分が太いかどうかわからない。細くたっていいじゃない、太くなくても」そう言うと「太くても、細くてもいいと思える人が、根が太い人なんだ。細い自分はだめなんだ、と思う人が根が細い人なんだ」と言う。「あなたは、よく私と自分は違うと言うけれど、私はどこが違うかよくわからない。一人の個人として、それぞれ違う人間だという人格の違いはあるし、私は摂食障害じゃないけれど、だからあなたのことは理解できないと思われてるのは悲しい。あなたと私が違うと思うことは、私は食べて吐いたことがないことだけで、後は何が違うかわからない。」私は言う。 夫が昨日の本「食べない心と吐く心を越えて」を持ってきてあるページを示した。「一番僕のことがよく現れている箇所だ」 誰にも理解されたことがない。自分が何者かわからない、どう生きていいかわからない、もう取り返しがつかないほど時間がたってしまった辛さ。 たった一人でいいのです、自分を理解してくれる人と出会えたら つらさがない毎日と言われてもよくわからないくらい延々とつらい日々を過ごしてきたのです。 味気のない日々、モノクロの世界もうこれ以上進めないその気持を誰にもわかってもらえない。「理解するってどういうこと」私は聞く僕が落ち込んでるとき、一緒に落ち込んで欲しいわけじゃない。落ち込んでいる僕を、落ち込んでいる状態をきちんとわかってくれること、それが理解されるということ、そう夫は言った。
March 15, 2008
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夫が夢に出てきた。二人でどこかの観光地に出かけている夢。 一緒にいろいろ見て回りたいのに、夫はどんどん先に行ってしまう。 急いで追いかけるけれど、追いつかない。 夫は、楽しそうに走っていく。派手な明るいイタリア風のブラウスを着て駆けていく。 私はようやく夫を見つけて「早いよ、一緒に歩こうよ」と言う。 夫は楽しそうに笑っていた。
March 15, 2008
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昨日紹介した、「食べない心」と「吐く心」を越えてこの本には、なのはなファミリーという摂食障害の人を一年預かるNPO法人について書かれている。ただし、入所できるのは女性に限定されている。 夫はこの本を読んで「あぁ、俺は男だからここには入れない、もう自分は治らないかもしれないと絶望的な気持になった」と言った。 夫は摂食障害歴がもう10年以上になる。その長さと今の自分の年齢を思うと、先が真っ暗闇になると言う。 「人生、今まで一度も心から楽しいと思ったことはない」とつぶやく夫。私は「この家を明日から、なのはなファミリーにしようよ」と言った。 お風呂で、先に出た夫が、お風呂のドア越しに、「もし僕が女性で、一年間なのはなファミリーに入所したいと言ったらどう思う」と聞いた、 私はしばらく黙って、「いいよと言うと思うよ」と答えた。 夫は、「ありがとう、さっきこの家をなのはなファミリーにしようと言ってくれたとき、僕のことを真剣に想ってくれてる気がしてうれしかった。今の言葉もとてもうれしい」と言ってくれた。 私は、鼻がつんとして目が熱くなる。涙が出た。浴槽の中で、泣いた。 昨日も午前2時過ぎまで、ベットの中で話をした。夫は理解してくれる人を求めている。夫は「同じ摂食障害になった人しかこの気持はきっとわからない」と言う。 摂食障害になったことがない私はわからない。夫と私は育った環境も性格も違う。私と傍にいていいのかと、思うときもある。誰かに「こうすればいいのです」と教えてもらえたらと思う。 鼻がつんとして、目が熱くなる。
March 15, 2008
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夫が好きな本、「この人(書いている人)は、よくわかっている人だ」という本。 夫は、自分とその人が合うかどうかは、たいてい話して数分するとわかると言う。 最初、紹介された精神科医は、すぐこの人は違う、全然わかってないと感じたそうだ。 現在、お世話になっているセラピストも心底信頼しているわけではないと言う。不信感があると言う。 でも、この人はよくわかっている人だ、こういう自分を分かってくれる人が欲しい、と言う。 私はどんな存在なのだろう、と聞くと「この本を読んで」と言った。「君の場合は10回ぐらい読まないと分からないだろうけど」と。 「食べない心」と「吐く心」「食べない心」と「吐く心」を越えて有元 ゆかり なのはなファミリー出版
March 14, 2008
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少しづつ、冬服を衣替えしている。あぁ、もうこの服は次の冬まで着ないなと思いながら。 服をしまいながら、時は知らぬ間に確実に過ぎていることを実感する。 つい最近まで、この冬が終わることさえ忘れてた。この寒さも、寒さの中での生活も、いつの間にか身体に馴染んで繰り返される毎日。 冬が来るまではあんなに憂鬱だったのに。恐れの最高潮はいつも、それが現実になる直前だ。あとは、緩やかに慣れていく、それを人の生命力と呼ぶのか。 今、毎日毎日、確実に空気は暖かくゆるんでいく。 留まるものは何もない、と教えてくれる。この今の暖かさも、ある日突然変わる。境目はどこだろう、 今、一瞬の大切さを想う。手を伸ばし、空をぐっと握り締める。
March 14, 2008
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花粉真っ盛りの昨日、気軽に温泉に出かけた。スギが立ち並ぶ山の中へ、目に見えぬ花粉が飛んでいるのかなと思いつつ、 その結果が夜出た、昨日は、温泉に行ったせいか、眠くて眠くて10時過ぎにはお風呂に入ってベットに行った。 が、鼻が詰まって、ずるずるしだして息苦しい。 夫は、花粉は関係ないけど、またモヤモヤしてきて眠れないという。 買い物で、本当はじゃがいもが買いたかったこと、ミンチが安かったけど買わずに、後で私に「そんなに安いのに買わないなんてバカだね」と言われたこと、そんなことを思い出して、自分の気持をはっきり言えなかった自分にまたモヤモヤしてきたそうだ。 夫は自分が北海道に行きたくて、私が沖縄に行きたい場合、お互いの意見を尊重して、それぞれが行きたい場所に行き、それでも、お互いが信頼関係で強く結ばれているという関係でありたいと言い、 今までは、いつも私に嫌われるのが怖くて、自分の意見を押し殺して私の意見に合わせていたと言った。 私達が、気が合う、喧嘩をしない、夫婦だったのは、いつもいつも夫が私の意見に合わせていてくれたから、 本当の夫は私とは違う。一人、一人、別の生き物なんだから違うのは当たり前なのに、家族だからと自分と他人が切り離せなかった私。 夫は自分がわからない、とずっと言い続けてきた。でも、本当は夫は自分がすごくわかっている。 でもそのことが他人と違いすぎるのでそのことで、人から(特に両親)嫌われたくなくてずっと本当の自分の気持を抑えて生きてきた、 それが当たり前になってしまっていたから元々自分というものがないと、思い込んでいた。 夫はすごく強烈な個性を持っている。今までは、それがよく分からずに、夫と自分の違いが心のすれ違いのように感じてた。 こんなに近くにいるのに、心は遠く、お互い別々の暗闇の中を歩んでいる孤独を感じてた。 でも夫は自分とは違う、それを受け入れることで、実は楽になれる自分がいる。自分と夫を切り離すこと、でも心は繋がっている。 お互いを尊重するって、こういうことかもと少し実感した気がする。 夫も話して何かすっきりしたようで、鼻歌を歌いながらトイレに行くと、健やかな寝息を立てていた。 私は、鼻詰まりが治らない、ティシュペーパーを細くねじり鼻の穴につっこんだ。息苦しい、時計を見るともうすぐ午前1時。 ベッドに入ったのは11時ぐらいのはずなので、2時間ぐらい話していたのかと思いつつ、知らない内に眠った。 朝は、花粉症状は治っていた。夫は髪がライオン丸のようになっていた。
March 13, 2008
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今日、私が大好きな作家?さんのエッセイで、今の自分がすごく大事にしたいと思っていることと、同じようなことが書かれてあったので、これは大事に心の本棚にしまっておきたいと思い、メモ代わりに書いておきます。人が自分以外の誰かと密接に付き合っていくときに大切なことは、その人が何を最も大切にしていて、こだわっているかということを知り、そのことを何はさておき、大切にしてあげるということだと思う。 それが理解できないもの、共感できないものであってもその人が大切にしているんだということを尊重してあげないとダメな気がする。 私は知らず知らずのうちに、自分の価値感で相手(夫)を見ている。自分の価値感に外れた行為はだめなことだと、知らず知らずのうちに決め付けて、夫にそれを正すようにと強要している。 それに気づくこともなく、知らず知らずのうちに相手の大切な何かの中に、足を踏み入れて、それを踏みにじっている。知らず、知らずのうちに、ぐいぐいぐいと、押し進む、何て恐ろしいことだろうと思う。 自分を戒める
March 12, 2008
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今日は温泉に行った。夫の生まれ故郷近くに昨年出来たばかりの温泉。 今日は花粉がすごいと言ってたけれど、私はそれほど花粉アレルギーはないので、気楽に出かけた。 朝、マクドナルドに寄って朝マックをする。久しぶりすぎるほどの朝マック、もう10年ぶりぐらいかも。マックラップ、サラダマリネ味、美味しかった。 温泉には予定より早く着いてしまったので、夫と初デート?で出かけた、藤橋城に行こうかと車を走らせたけれど、途中看板に後8キロという表示をみて夫が行くのをやめた。私も、くねくね道で気分が悪くなっていた。 藤橋城は私にとっては懐かしい場所で、行きたい想いがよぎったけれど、大事なのは今。 思い出の中の二人ではなくて、今ここにいる私、隣にいる夫。 途中、「恋のつり橋」という看板が目についたので、渡ってみようと夫を誘う。渡っている途中、夫がこの橋は中学時代の通学路だと言ったので驚いた。この橋を渡った向こう側に中学校がある。その通学路だったこの橋がいつの間にか「恋のつり橋」になっていた。 車で、長いトンネルをいくつか抜ける。このトンネルを夫は中学時代2年生から3年生まで自転車で学校に通ったそうだ。家から学校まで自転車で片道一時間。一時間も通ったのは、夫が中学2年の時に家を引っ越したから。夫は引っ越してからも、今までいた中学に通いたくて片道一時間の距離を自転車で通った。 トラックや車が頻繁に通るこの暗くて長い、煙臭いトンネルの中を夫は中学時代、雨の日も毎日毎日自転車で通ったのだ。 そう思うと、今目の前に自転車をこぐ中学生が現れそうで、苦しい想いになる。時間を巻き戻して、その彼に声を掛けたくなる。 でも、その少年は今私の隣にいる夫なのだ。夫の手をぎゅっと握り、今を大切にしようと現在に心を合わせる。過去にとらわれて、現在を見失ってしまわないように。 温泉に戻って来た。最近出来たばかりの温泉なので、新しくてきれい。周りをはばかることなく話す、地元の人の世間話が聞くともなしに聞こえてくる。いいなぁ、こういう感じ、茶の間の一部化している温泉。心の中でフムフムとうなずきながら、笑いながら聞いてしまう。 ちょっと車酔いした気分だったけど、さっぱりした。温泉のほてりが身体に馴染むまで、休憩所でゆっくり休む。 帰りは回転寿司に寄るつもりだったけど、暖かい陽気なので外で食べようと、スーパーでお寿司やパンを買って途中の見知らぬ公園のベンチで食べた。
March 12, 2008
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「三日月」とだけ、書かれたメールが携帯に届いた。夫から、いつもの夜の散歩から。 時々、こんな短いメールが散歩中に届く。私は家にいて、夫を想う。どんな表情をして、どんなことを感じて今歩いているのかと。 私もベランダに出て空を見上げてみた。ベランダからは月は見えなかった。空も雲って見える。夫がいる場所の空は澄んでいるんだなと思う。 今日も吐いたのかと、ちょっとは気になる、正直に。サザンオールスターズの「愛しのエリー」。こういう歌詞だった。「泣かしたこともある冷たくしても、なお寄り添う気持があればいいのさ、」 何かつかみどころがない想いにとらわれてしまったりもうだめかもと思ったときでも、寄り添う気持があれば、いい、って本当にそう思う。 明日も春らしい暖かい一日だそう。明日は、温泉に行こうと思う。車で2時間ぐらいのところ。夫と初めてデートに行った場所に。
March 11, 2008
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しもやけが出来たようだ。右手の親指と人差し指、最近出来たのは左手の人差し指。第二関節の部分が赤くプクと腫れている。少し、痛痒い感じ。最初に出来たところは、カサカサになって皮膚が黒ずんでいる。ここの皮膚は死んでると思う。はやく新しい皮膚が出来て、蘇生するのを待とう。最初、関節部分が腫れているので夫に「リウマチぽくない」と言われて、えっと戸惑ったけど。経験上、多分これは「しもやけ」と思う。 しもやけになるなんて、中学生時代以来だけど。 なんで今年はしもけやけになったんだろう。年齢のせいか。以前しもやけは、すごく若い人か年配者しかならない、と聞いた気がする。 手の手入れを怠っていたせいか。 明日、ドラックストアーでハンドクリームを買ってこよう。ユースキンが、しもやけにはいいのか。ヴァセリンも評判いいらしいけど。 そして、今日は「足もだるい」これは生理痛と思う。 昨年は体調を崩して、半年ぐらい生理が止まってしまったけれど、今年になってくるようになった。 やはり生理はあった方がいい。 今日は、暖かい一日だそうだけど、部屋の中は寒い。足もだるいし、今日はこたつの中で本やテレビ、ネットをして過ごそうと思う。
March 10, 2008
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昨日、浜ちゃんの熱血教師のドラマを見てしまった。 面白くなかったら、消せばいいねとチャンネルを合わせたけれど、浜ちゃんの魅力にグッと引きつけられて最後まで見入ってしまった。 浜ちゃんっていいなぁ、これ浜ちゃんじゃない人が演じてたら最後まで見たかなと思う。 説教くさい熱血教師じゃなくてよかった。 生徒に「どうしてか教えて下さい」って言われたとき、浜ちゃん何というのかと、ドキドキして見てたら「俺だってわからんのや、わからへん」って答えてた。 その時、緊張していた生徒の顔がゆるんで浜ちゃんに心がすっと近づいた感じがした。 それから浜ちゃんはこう続けた。「でもな、俺はずっとお前のこと見てるで、いつもお前を見守ってるからな」生徒はすごくうれしそうな顔になった。 私は、ジンときてしまった。 私も何もわからないけれど、何もあなたの力になることは出来ないけれどそれでもそばにいるからね。
March 9, 2008
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心につんと響くことに出会うと、立ち止まってしまう。それが人ならば、どうしたらいいのかと戸惑う。 「わかるよ」 「大丈夫だよ」という言葉は、口の中で飲み込む。本当にわかってるなんて言えるのか、大丈夫なんて、お前にわかるのか、そういう言葉が聞こえて来て、私は立ちすくむ。そして、その後に続く想い「お前は何様」そう、私も同じなんだ、もし、あなたが非常識だと言われるならば、私だって非常識だ普通とか、常識とか、って何誰が決めるの?言ってる人だよね、その人たちがそう思ってるだけで、私はそう思わない。あなたと私はどう違うのだろう私にはわからない、同じでも、違っていても、それでいいんだよ、どっちが良いとか、悪いとかなんてないんだよ。 だから、何をしたらいいのかも、何を言ったらいいのかも、わからないけれど一緒に歩こう、一緒にテレビをみよう、 何をあなたに伝えていいかわからずにただ私は立ちすくむだけだけど足跡を残す。
March 8, 2008
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今日、2ヶ月ぶりに髪を切った。2cmぐらい。それほど短くしたわけではないれど、さっぱりした感じになった。美容院で髪もきれいにセットしてもらった。 家に帰ってから、机の上の鏡に顔を映す。いつもの見慣れた顔なのに、なぜか何度も見てしまう。明日には、寝癖でまたぐちゃぐちゃになってしまうだろうなと思いつつ、鏡の中の自分にニッコリ笑いかける。髪を手で触る、サラサラ、気分いいな。 3時ごろ、父から電話があった。今日、伊勢に行ってきたからお土産を渡しに来ると言う。お土産は「赤福」と干物。久しぶりの赤福、うれしい、とっても。赤福本店は、再開当初、待ち時間3時間ということもあったそうだけど、父は並ぶことなく、すぐ買えたそう。 父からお土産を受け取って、ついでに家の前にある喫茶店に行く。ここの喫茶店は、ピザが美味しい。喫茶店だけど、シェフがきちんとしたお店で修行した味がする。セットにすると前菜が出てきて、スープも本格的な味。それぞれピザとパスタをセットで注文した。いつものように父にご馳走になった。 ありがとうお父さん。
March 7, 2008
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昨日、夫が面白い夢を見たという。 夢の中で夫は自分の居場所を探して、自分の居場所がないのに不安を感じている夢。 すると、声が聞こえてきた。(夫が言うには多分、自分の心の声) 「イヤと言う場所に、あなたの場所があるのですよ。イヤと言っていいんですよ。」とその声を聞いて、夢の中で夫は「嫌と言っていいんだ」と思った瞬間、すごく心が軽くなったそうだ。 目が覚めて夫はこれからは嫌なことは嫌と言うぞ、と思ったそうだ。嫌なものは嫌。 もうすぐ春、来週からはグンと気温が上がるそう。こちらは最高気温が15度を上回るらしい。 桜の開花予報も出た、4月上旬。楽しみ。楽しみ。 夫に、「○○に桜見に行こうか、桜名所100選に選ばれてる場所だって」と言うと、「あんな遠いところ行くの、イヤだ。僕は、近所の公園のベンチに座って、ぼ~と桜を見てるだけでいい」と言った。 ちぇっ、ちょっと残念。でも公園のベンチに座って、ぼ~と見る桜、いいな。桜が咲くのが楽しみ・
March 7, 2008
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夫はよく心の中がモヤモヤすると言う。モヤモヤしたものが絶えず湧いてきてスッキリしないと。 私にはそのモヤモヤというのがよくわからなかった。 でも今日、はっと気がついた。夫は人から何かを言われたとき、すぐ返事が出来ないことがあると言う。この前も四十九日の時、夫が母に「ばあちゃんが夢に出てきた」と言ったとき、「会いに来てくれないから、ばあちゃん寂しいのかも」(実家にあまり来ないから寂しいという意味)と言われた時、よくわからなかったと言う。でも後で私と話していて、それは違うと気がついて母に「ばあちゃんは寂しそうじゃなかった、うれしそうだった」と言いにいっていた。 多分、私ならその場ですぐ出る言葉。でも夫はすぐにわからないと言う。自分がその言葉に対してどう感じているのか、すぐわからない。その気持が夫の中にモヤモヤを生み出している。 心から発せられる信号がすぐ言葉として出てこない。心のスィッチと身体の反応のアンバランスこの感じが、夫の言うもやもやなのではないかと思った。 そのことを夫に言うと、「きっとそうだ」と言っていた。そして自分の気持がよくわかるのがうれしいと。 私も夫のことがわかってうれしかった。 日曜日から、鳥ガラのような声になっていた夫。(土曜の夜、叫びすぎて)今日になってようやく、元の夫の声みたいになってきた。
March 5, 2008
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今日は夫のカウンセリングの日だった。カウンセリングには夫婦で行っている。一時期2回ほど、カウンセラーさんの提案で夫だけ行った。夫も最初は、一人の方が私に遠慮なく話せると思ったそうだけど、一人でも話すことは変わらなかったから、また一緒に行くことになった。やはり、一緒に行くと私にも自分のことがよりわかってもらえそうだからと言っていた。 このカウンセラーさんには、昨年6月からお世話になっている。私達が信頼している病院の専属女性カウンセラーさん。最初、一目見たときから私も気に入ってしまった人。夫ももちろん同じ、私には話せないことでもHさん(カウンセラーさん)には話せるとよく言っていた。「彼女には自分の言ってることが伝わってる感じがする、私にはそういう感じがしない、だから彼女には話せる」と。 今日も夫はすごくよく話した。印象的だった言葉は「最近、思ったことをすぐ言葉に出来るようになったんです。今までは、何か言う時はこういうこと言ってもいいのかなとか、いつも考えてから言っていた。今はむかつく時は、すぐむかつくと言葉に出せる。それがすごく自分との一致感があっていいんです」カウンセリングが終わる頃、イスに座りながら足をプラプラさせて身体を動かしながら話してた。すごくリラックスしてるんだなと思う。 一時間のカウンセリングが終わったのが12時過ぎ、朝を食べて来なかったのでお腹がペコペコ、行きに買った菓子パンを車の中で二人で食べながら帰った。
March 4, 2008
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昨日は夫の祖母の四十九日の法要だった。 法要が終わり、会食も済み、座敷で空の湯飲みをかたずけていた時に、ある75歳のキツネに似た男が声を掛けてきた。 夫は長男、両親とは別居している。夫の両親は夫が中学生の時にずっと奥(人口密度が低い地域)から引っ越して来て今のところに住んでいる。私には、その時の人間関係はさっぱりわからない。 来ている人の大半は知らない人ばかり。だからこの人もよく知らない。「あなたは○○君(夫の名前)の奥さんか」と聞かれそうだと答えると、いきなり「あなたは、この家に戻ってこなくてはいけないよ」と言い出した。(別居していてはいけないよ、ということ) 最初は、酒が入って絡んでいるのかと思い、笑い過ごしていたけれど、しつこく言い寄ってくる。「私は、大切なことしか言わない、いいかね。あなたはここに戻って来なくてはいけない、戻って来ないとこの家は潰れます、いいですね。それはご先祖に対して大変申し訳ないことです。」 どう答えればいいのか、適当に「そうですね、戻ります」とは言えない。私は正直に「今は何ともお答えできません」と答えた。 尚も、戻って来ないと~と話は続く。私が「そういうことは夫とも相談して決めますので」と言うと、「じゃ、○○君に話をしよう」と言う。最初、勝手にしてくれと心の中で思ったけれど、こういう人が、こういう自分の価値感を自分の価値感こそが一番正しく、絶対だと思い込んでそれを他人にも押し付けて要求してくるこういう人が、夫を傷つけてきたのだと気がついた。 「そういうことは彼には言わないで下さい。夫が苦しみますから」静かに、でもハッキリと言った。 その場には、他に10人ぐらい人がいたと思うけど、言わずにはいられなかった。 言った後、茶碗を引く手が少し震えた。 一瞬沈黙の後、キツネ顔の男は「じゃ、言わないでおこう」と言った。 後で、あのキツネ顔の男は夫の両親と同じ村の出身で両親がいろいろとお世話になっている人だと聞いた。
March 3, 2008
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昨日の夜はなかなか寝付けなかった、気づくと夫ももぞもぞしている。「寝れないの?」と聞くと「何かむかむかして眠れない」と言う。幼少期の親との関係を思い出すと、怒りが湧くらしい。「何か言いたいことあったら言っていいよ」と言うと幼少期のころの親に対する怒りの言葉がどんどん夫の口から出始めた。 夫は普段言葉遣いは荒くない、丁寧に話す。でも「くそっ」とか「~しやがって」「てめぇ~」とか普段はあまり聞いたことがない言葉があふれ出す。 そういえば、結婚当初夫は両親のことをすごく誉めていた。良い両親、理解がある両親。何か理想的すぎた夫の両親像。多かれ少なかれ、子供は親に不満がある。喧嘩も日常的にあっても不自然じゃない。 だから夫から出た彼の両親像が、綺麗すぎて違和感を覚えたのだ。 私に対してもそうだった。他人に私のことを話すとき、彼はすごく私を誉める。「こんないい妻はありません、何も不満はありません、彼女以外考えられません」と。聞いているこちらが恥ずかしくなるほど。その時は、うれしいという素直な気持で聞いていたけれど、今から思うと、痛いほどの夫の願いがその言葉には含まれていたのではと思う。 それなのに、その言葉を真に受けて私は思い上がっていた。「私は良い妻なのだ」と、 興奮してきた夫は、くるりと横を向いて、布団の中に顔を突っ込んで叫んだ。「ばかやろ~!!!!」3回ぐらい叫んだ、最後は声が嗄れていた。 しばらくすると落ち着いたみたいで、静かになって寝息が聞こえてきた。そして私も知らない間に眠っていた。 翌日、夫はいつものように起きていて、喉が痛いと言っていた。
March 1, 2008
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この冬、本当に重宝しているもの、レッグウォーマー(太ももまで覆える長いのね)と腹巻。この二つは、寒がりの私がどうして今まで出会わなかったのだろうと思う逸品。 この二つを装着して眠るようになってから、布団の中にアンカが必要なくなったし、何より夜中にトイレに目が覚める回数がめっきり減った。今までは夜、一回は目が覚めてトイレに行ってた。 それだけぐっすり快適に眠れてると思うけど、その代わり朝方トイレ(尿)に行きたくて仕方がなくなった。 朝、まだ起きるのに早く布団の中でぬくぬくとまどろんでいたい時間、ぐーとトイレに行きたくなる。今からトイレに行くともう起きたほうがいいという時間。眠気が勝って、もう少し我慢しようと布団に潜る。まだまだ寝ていたい。 そんなことが何回かあった。 そして今日も、行きたいと思ってから1時間は眠った。 起きてから早速トイレに行く。朝のトイレの色は濃い、今日も我慢をしたせいか、濃~い、う~ん、 そのせいか、今日は足と腰がだるい。(腎臓は腰と足のだるさに関係してるらしい) 腎臓はとっても大切な器官だと思う。暖かい布団の中で過ごす時間は、幸せのひと時だけど明日からは、トイレに行きたくなったらすぐ行こう!と昼間で眠くもない今だから強く思う。 ちゃんと行かないと、膀胱炎になるかも、怖い、怖い、ちゃんと行こう。朝眠いときもこの強い気持を忘れずに。
March 1, 2008
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