全11件 (11件中 1-11件目)
1
じくじくじくと湧いてくる これは、悲しみ なんだろうか なぜ私は悲しいんだろう 誰も私に悲しめと言っていないのに だとしたら、私は自分で悲しみを選択しているのか それとも、私を私たらしめている母と同じDNAが 母の悲しみを私に伝えているのだろうか 私は母から生まれて来た、母の一部そのものだから 母が足が痛み出すと言ってから、私も時々、足が痛む。 母が幸せでありますように、と今の母に願うことは酷だろうか 胃がしくしくと痛みを伝えてる身体は心に正直だ。 悲しみはどうして、どこから湧いてくるんだろう私が悲しむことで、誰かが幸せになることはありはしないのになのに私は、悲しんでいる、誰かのために、ではなく自分のために 呼吸のリズムに心を合わせる 自分の中から湧いてくる悲しみならば、この悲しみを変えることも自分で出来るだろうか それとも我が子を愛しむように抱きとめ続けることも出来るだろうか 悲しみは私の中にい続ける。
June 27, 2008
コメント(0)
先日、母のことをブログに書いたけど、その母の症状が尋常じゃなくなってきた。 現在は、自力で歩くことや排泄をすることは出来ず、寝たきり状態までになってしまった。 私はこの現実に追いつけず、心がぐるんぐるん混乱している。 母の足がむくみだしてから数ヶ月。その間、母はある公的病院で診察を受けていて、異常なしと言われてた。だから母の症状も、年齢的なものでそのうち治るだろうと思っていた。たかが、足のむくみ。母の心配も特に真剣に取り合っていなかった。 ところが、足のむくみは治らず、それどころかだんだん歩くのもままならなくなってきた。 健康重視の暮らしをしてきた母が、歩く速度も私と全く変わらず歩いていたあの母が、今はおしめをつけて、身体を少し動かすのも痛い痛いと訴える。 そして、医者はその原因はわからないと言うのだ。母の兄弟(私の叔父・叔母)は、病院の医療ミスだ、訴えろと憤っているらしい。 医療ミスかはわからないけれど、私も何が何だかわからない。検査をしても異常がないというのに、母は歩けなくなり、寝たきりになってしまった。 今週、ついに病院を別の公的病院に変えた。 公的病院はたった一つ、二つの検査でも一日時間は拘束される。しかも、毎日は出来ない、全ての検査が終わるのは7月中旬になってしまう。 母は70歳、私にとっては、まだまだ若若しい母だった、つい先日までは。それがあっという間に寝たきりになってしまった。その現実に私の心はついていけない。 綺麗好きで、どこに行くにも化粧をし、アクセサリーを身につけ、帽子を被ることを忘れなかった母。その母が、尿を垂れ流して冷たいと訴える。 自分の方が大変なのに「健康に気をつけるんだよ」と私を気遣う母。母というのは、どんな状態になっても私の母であり続けようとする。 そんな母の姿を見ていると、苦しくて胸が張り裂けそうだ。 母がいない場所で、美味しく食事をしていたり、テレビをみていたり、普通に過ごしていることに罪悪感が湧いてくる。 人はいつか必ず死ぬ。それは頭ではわかっていた。わかっていたけれど、もし母がこのまま、近い将来死んでしまったらと思うとパニックになる。 どうしようもないのにどうしようとパニックになる。 今の母の姿が受け入れられなくて、つい母に冷たくしてしまう自分がいる。その一方、母に対する罪悪感で自分が押しつぶされそうになっている。 強くなりたい。 母の苦しみ、父の嘆きや苛立ち、全て受け止めていたら私は潰れてしまう。それは出来ない。 私はどうしたらいいのか、私は冷酷なのか、いろんな思いが心の奥からじわじわじわじわ湧いてくる。 強くなりたい。ただ、今はひたすら自分で自分が立っていられるよう、そのためだけに。強くなりたい。 今はそれだけ。
June 27, 2008
コメント(0)
最近、母の体調がすぐれない。もともと、少しでも身体に変調があるとすぐ病院に駆け込む母。母の妹(私からすると叔母)も、母以上の心配性。そんな叔母が今日、母のところに来たらしい。母から電話がかかってきた。 精密検査を受けて異常なしと言われたけど、症状はよくならない。叔母ももっと徹底的に検査してもらった方がよいと言う。入院も考えている。明日にでもまた病院に行こうと思う。全てがつらく私は本当に困って悩んでいる。 そんなことを延々と訴えられた。母は興奮すると、ずっと一方的に話し続ける、私が電話から耳を遠ざけて話を聞いていなくても、それに全く気づかず一人で話し続ける。 そんな母に私はいつもイライラしてくる。 今日もイライラしてきた。 だから、窓際の棚の上に腰を下ろし、カーテンを開けて窓の外を眺めた。 小雨の淡い背景の中、山の木々は立体的に浮かんで映る。きれいだな、と心が落ち着く。 受話器を持つ手を下ろして、ぼんやり山を見つめ続ける。母の声が小さく、遠く聞こえる。 こうして、私はただ聞いていればいいんだな、母は私の意見を求めているわけじゃない、(だって聞かないから)ただ誰かに自分の不安を聞いてもらいたいだけなんだ。 それを、私にはストレートに受け止める器量はない。だから私は受話器を遠ざけ、山を見つめる。私にはそれしか出来ない。 でも、と思う。なんて、母と私は似ているんだろう。 自分の健康に対するこの病的なほどの神経質さ。異常がないと言われても、消えない不安。相手への不信感。人の声を聞き入れることで、不安は少しは減るというのに。 自分で不安を飼って育てていることに気づかない。自分の囲いは狭くなり、不安は増幅を始め、逃げ場がなくなる。 病んでいるのは身体だけじゃない。 私も去年、全く母と同じだった。だから母の気持はわかりすぎるほどよくわかる。 ・・・違う、母と同じ、ではなくて私は母とそっくりなんだ。 健康に対する神経質さも、一方的に自分の意見を押し付け、人の話を聞かないことも。 そう気づいたとき、「ぞっ」とした。私は、私ではないのか・・この今の私という人格を培ってきたのは、他の誰でもない「私」なのだと信じていたのに。 なのに、まるで私のこの性質は母のコピーだ。いつの間にか、意識すらしていないのに、すりこまれている性質。 なんてこと、なんてこと、そういえばとあれもこれもと思い当たる。私のあの部分やこの部分は父のコピーだ。特に父の場合は、私が嫌っている父の部分が実は私の中にもあったのだ。それに気づかされた時は、吐き気がした。 さんざん嫌って憎んできた父の部分だったから。 私は親のコピーなのか・・・ 私は私を育てている、と思っていたのに、 私は、誰だろう。
June 22, 2008
コメント(1)
今日、友人から電話があって今から野菜を届けにきてくれると言う。 一瞬、「あっ、どうしよう」と意識が彼女から離れて思考した。 ほんの一瞬、多分、時間にしたら数秒の間、沈黙。 でも彼女はすぐに「あっ、都合悪い?やめようか」と聞いてきた。 意識は彼女から離れているのに、想いは伝わってしまう。 新鮮な驚きと感動、 どうして伝わったんだろう、一瞬の間、に彼女は敏感に反応したのだろうか。 実は、同じ今日、父とも電話で話していてこういうことがあった。 なぜだろうと思いながら、この二人は似ているなと思った。人を思い遣る心の厚さ。 不思議だな、例えば、こちらが伝われ、伝われと思っても伝わらない想いもあるのに、伝える意識がなくても伝わってしまう想いもある。 それは受け手の資質なのか。 私は今まで発信することばかりの人生だった。 受け手になったことはあるだろうか、たくさんの人の想いを払いのけ、踏みつけ、全て、自分の都合のよい解釈をして進んできたんじゃないだろうか。 何も言わない、一瞬の間にも人は想いを伝え合うことは出来る。
June 20, 2008
コメント(0)
今日、夫が面白いことを言っていた。 満腹感と実際の満腹の違いについて前のブログに書いたけど、それを聞いて夫の中では驚きがあったそうだ。 夫の中では食べることに関しては私は理想だったそうだ。 私は、少食で普段あまり食べられない。すぐ満腹になってしまう。そんな私は夫にとっては、自分が「そうありたい姿」だったそうだ。 だから、そんな私でも自分と同じように、満腹なのに空腹感が湧いてしまうということに、新鮮な驚きがあったのだと言う。 胃はいっぱいなのに、満たされない空腹感に襲われる夫にとって、少量で満足出来る私は理想だった。自分も満腹感を得られるようになりたい、ずっとそう思っていたのが、私の言葉を聞いて何かが変わったそうだ。 満腹感が得られるようになりたい。満腹感が欲しい、と思うのではなくて 自分でこれでいいんだって、決めてしまっていいんだ。 そう思えるようになったそうだ。 私はなぜ夫がそう思えるようになったのかはわからない。それより、夫が私のようになりたいと思っていたことに驚いた。そんな風に私を見ていたなんて初めて知った。 私は自分が今まで知らなかった夫の一面に出会えると、とてもうれしくなる。 そういうことを一つ一つ知って、伝え合ったりすることは、とっても大切に思えるのだ。
June 13, 2008
コメント(1)
最近になって気づいたこと。 空腹感と実際の空腹のズレ。 普段、食事は一日2回。だいたい午前11時ぐらいと、夕方に食べる。 午前は、あぁお腹空いたという実感がすごく湧いている。 でもそれから夕方の食事にかけては、時々、空腹感と実際の空腹にズレを感じることがある。 「何か食べたい」という欲求が湧いてくるのに、私の胃はまだ午前中に食べた食事を抱えてる。 でも、欲求にずるずる引きずられて、だらだらとお菓子を食べ始めてしまう。 そのお菓子が刺激物だったり、自分の嗜好に合う味だったらもう止まらない。まるでお菓子会社の戦略にどっぶりはまったようになくなるまで食べ続ける。 そして後で、胃が気持ち悪くなるのだ。そりゃそうだよね、だって胃はもともと要らないって言ってるんだもん。 身体は要らないのに心が欲しがる。自分の身体と心なのにバラバラになっている。気持悪い。 どうしてだろう、空腹感を命令する脳の働きが狂ってるんじゃないかと思う。 そんなことを昨日、夕方の散歩のとき夫に話したら、夫もその気持がすごくよくわかると言った。夫も、お腹が空いていないのに食べたいという欲求が湧いてくるんだそうだ。 それって何だろう、と振り返るとたいていそういう時って、心が満たされていない時だと気づく。自分の存在が取るに足らない存在で、ここにいることに居心地が悪くなっているときに、私の中で空腹感が湧き上がる。 本当に身体も心もお腹が空いているときは食べると幸せになれる。「あ~食べた~」という充実感がある。 身体が要らないときに食べても、ますます身体は重くなるばかりでその重みは罪悪感に変わってのしかかる。 きっと、欲しいのは食べ物じゃないんだ。もっと違うものなんだ。 身体に取り込みたいと思っているのは、こういう食べ物という形あるものじゃないんだ。 それって何だろう、 夕方の赤く変わる龍のような2本の筋雲風が川を渡って私を抜ける、川は空の蒼を映して濃く光る。 とりあえず散歩は私の心を満たしてくれる。
June 13, 2008
コメント(0)
心ごと抱きしめてそう願いながら、あなたに言葉を吐き出してるのに伝わらない。私は壁に向かって話してるんじゃない、空に向かって答えを求めているんじゃない、「あなた」に話しかけて、受け止めて欲しいのに、もっと何か言って欲しいのに、「そうだね」あいづちだけじゃもの足りない。もっと、もっと話してよ。 いつの間にか、願いが、不満や怒りに変わってる。ぶくぶくぶく、 湯船に沈みながら、どうしたらわかってもらえるだろうと考える。誰にならこの想いを受け止めてもらえるのだろう、誰か誰かと求め続ける思考。 夫は自分の想いをあまり表に出さない。私に何か要求することはめったにない。夫に何かを頼まれた記憶がほとんどない。 でもずっと、こうして私と同じ想いを抱き続けてきたんだ。 私は言葉に吐き出して相手にぶつけてしまうけど、夫はそれをせず、ずっと心の中で「どうか自分をまるごと受け入れて」そう叫び続けていたんだな。自分の中で抱えて抱えて抱え続けてきたんだな。私には苦しくて出来ないな、自分ひとりで抱え続けることは・・ でもその想いは伝わらなかった。私には受け止め切れなかった。いつも外に出てくるのは、「さみしい、悲しい」想いじゃなくて他の感情にすり替わってしまうから。「さみしい、悲しい」思いは、心のずっと奥で怯え続けてる。 本当は、相手に助けて欲しいと請い願っているのに、口から出るのは批判の言葉。「どうしてわかってくれないの」 夫も同じなんだ、みんな誰かに自分を受け止めて欲しいんだ、私だけじゃない。もやもやいらいらしていた気持がシンと落ち着いた。 どうして、他の誰かなんだろう。他人に求めてもだめなんだ、この淋しさや悲しみを一番わかっているのは「私」なんだから 自分で自分を抱きしめる わかってくれる他人や誰かを探し続けるのではなく、神様にそれを乞い願うのでもなく、 自分で自分を抱きしめたい どうしたら、そう出来るんだろうそう思いながら、眠ってしまった。 翌朝、夫に抱きしめて欲しい心について話した。ずっと人に言わず、抱え続けて苦しくなかった?吐き出さずにいるなんて私には出来そうにないよ、と尋ねると、夫は「抱えきれないから、食べて吐くことで、きっとバランスを取っていたんだと思う。そう思うと自分ですごいなって思うよ。」そう言った。
June 6, 2008
コメント(0)
![]()
ひろさちやの「道元」を読む 著・ひろさちや ひろさちやさんのこのシリーズはとても読みやすく、わかりやすい。仏教のことをよく知らない私でもすらすらと楽しく読める。 この本を読んでいて、最近もやもやぐるぐるしていたことが少しすっきりしてきた。忘れないように書いておこうと思った。----------------------------------------- わからないことをわからないと自覚する。 冬が去って春がくる。しかし、冬は冬であり、冬が春になるのではない。どんな状況にあっても、今の自分をしっかり生きる。今の自分を大肯定する。 苦とは、思うがままにならないことを思うがままにしようとするとき生じる。苦しいときは苦しいのです、苦るしみを失くそうとするから苦しいのです。------------------------------------------何か、この部分だけ抜き出すと言葉の羅列なので、間抜けた感じで、よくわからないと思いますがピンときた人は、読んでみてください。 「あるがままを受け入れる」ということについて、わかりやすく書かれた本です。私が下手な感想を書くより実際に読まれるのが一番だと思うので、先ずは紹介まで。 ひろさちやさんの「空海」「法然」「日蓮」「道元」「親鸞」を読んだ。私が馴染みやすかったのは、法然とこの道元だった。 それにしても、お釈迦様の教えがこうして日本に入り、仏教として様々な形で現在も根付いているけれど、何千年前も今も人の心の部分は全く変わってないのだなとしみじみ想う。説かれていることは今の私が読んでも、生々しいほど脈打って心に響く。 目まぐるしく変わっていったのは、全て外の世界。そう気づくと人という存在の不思議さを想う。
June 4, 2008
コメント(0)
朝からずっと降っていた雨が上がった。午後2時過ぎ、雲が薄く流れ、空が明るくなってきた。 夫がそわそわと、半そでTシャツに着替えて、山歩きに出かける。今日は朝は雨降りで山に行けなかったから。 空はみるみる明るくなって、灰から青くなっていく。ベランダにすずめがやってきてぷるぷると翼を震わせる。 ベランダに出て外を眺めた。雨上がりの景色ってどうしてこんなに綺麗なんだろう。目に映る見慣れたアスファルトの地面、家々の壁や屋根、そして山も全て雨に濡れ、てらてらと生まれたての景色に見える こんなとき、どうしたらこの景色を言葉で伝えれるだろうと考えてしまうけど、何も出てこない。 写真を撮ろうと思うけど、この空気の質感は私には伝えられない。 あぁ、綺麗だなーと結局一人で幸せに浸る。 綺麗だと思うのを見ると誰かに伝えたくなってしまう。自分の心の中で抱え込むには、大きすぎるものだから。 自分の目で見て、肌で感じている以上のことを他の誰かに伝えるのは出来ないことかもしれないけれど、 どうにかして伝えたい、とつい思ってしまう。 そう思う心が書きました。
June 3, 2008
コメント(0)
朝、山歩きをしている夫から携帯にメールが届いた。雨以外の日は、夫は毎朝山歩きに出かける。三時間ぐらいかけて山を3往復ぐらいしている。 メールの一文に「・・僕はいつも君の機嫌を損ねないように緊張しています。僕は自分の気持を表現するのが怖い、だから君が自分の気持をストレートの表現してくるのが怖いのです・・・」ということが書かれてあった。 読み終えて、どう返信したらいいのかわからなかった。でもきちんと読んだことは伝えたくて、返信はしたい。 「私はあなたに緊張して欲しくないです。あなたが自分の気持を恐れず表現してくれるとうれしいです。」という想いが頭に浮かぶ。 それをメールに打ち込もうとして、ふと手が止まった。 どうして私は、人に何かするように求めてしまうんだろう。 緊張してしまうと言ってる人に、緊張して欲しくない、と言うのはすごくおかしなことだ。 表現できないと言ってる人に表現してください、と言うも同じだ。 そう言ってしまうことは、その人を否定しているのと同じことだ。その人の言葉に真剣に耳を傾けていないから言ってしまうのだ。 そんなことに気づかないなんて、相変わらず私は全然わかってない。 「何と返信しようか」ではなくて、夫が「何を伝えたいのか」を受け取るように、もう一度メールを読み直す。 そうだ、そうじゃないか。夫は自分は気持を表現できないと、きちんと私に伝えてくれている、それでいいんだ。これが夫の私に伝えたいことなんだ。 夫の言葉がストンと落ちてきた。「きちんと気持を伝えてくれてありがとう。うれしいです。」 そう入力して返信をした。 夫が帰ってきて、食事をしてるとき「今日、メールありがとうね。きちんとあなたが気持を伝えてくれてうれしかった。」と言うと、「あの返信を見て、僕の言いたいことがきちんと伝わったんだなと思ったよ」と言ってくれた。 「ありのままを受け入れる」ということをやっと身体で感じれるようになってきたみたいでうれしくなった。
June 2, 2008
コメント(0)
最近、風が強いのかすごく気になる、ドアの音。 住んでいるのはマンションの2階。私達の部屋の斜め下に出入り口があるのだけど、そこを住人が通るたび「バタン!」とすごい音が響いてくる。実際、自分も利用すると風の強い日はものすごい勢いと音で扉が閉まる。 以前管理会社に何とかならないのかと、問い合わせたら扉の調整を弱くすると、今度は風圧でしっかり閉まらなくなるから、防犯上扉を重く調整してあるとのことだった。要するのに、音は我慢してくださいという感じの対応だった。 く~、私は音に結構敏感。あのバタン、バタンという音が、ものすごく気に障る。そもそも、閉める人が気をつけてくれれば、あんな音はしないのに。そう思うと、心は暗く、音を立てる人を恨んでしまう。きっと、この音が気になるのは、せいぜい2階の住人ぐらいだろう。 と思っていたら、夫も気にならないと言った。う~ん、やはり、同じ現象でも感じ方は人それぞれなんだ。あぁ、私も音が気にならない人になりたい。どうしたら、そうなれるのか、夫がうらやましい・・ そしたら、今日、昼間は「バタン」という音が気にならなかった。 何かうれしくて、自分を誉めたくなった。 そうそう、何かだんだん音に過敏になってきて、扉の音だけに留まらず、車のエンジン音や、子供の甲高い声までも、神経質に反応するようになっていた。挙句の果てに、あぁこんなとこ引っ越したいと不満のスパイラル。 これって、ヤバイなと思ってた。こうしてどんどん、自分で自分をある方向へ追い込んでしまうんだろう。気づかないうちに。 今もまた音がした、今度は気になる、やっぱり「イラ」っとする。 そりゃそうだよね、気になるものは、気になる。それも事実、 でも気にならないときもあった。それも事実、 そして、夫も気にならないそうだ、それも事実、
June 1, 2008
コメント(0)
全11件 (11件中 1-11件目)
1


