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今日は大晦日、起きてから、現在午後1時まで何もしていない。 何もというのは、暖房器具を使用しているこの6畳の和室でずっと過ごしてる。 家事もまだ全然していない、食事は昨日の余り物 寒いし、丁度タイミングよく生理になって生理痛。ここ最近、生理痛がひどくなってきた気がする。それもあって、何もする気がしない。痛いからじっとして動かない、動かないから、ますます血の流れが滞って痛くなる、そんな気がする。この痛みは男性には分からないだろうなぁ・・たかが2日ぐらいの痛みだけど、来年は仕事もするし「生理痛」の薬でも買おうかと思う。今まで飲んだことがない、どんな薬が効くんだろう。よくCMとかで見るのは「ノーシンピュア」 今日は大晦日自分なりに大祓えの儀式をしようと思う。そのため、ホワイトセージも買ってきた。 それから家事もしよう、夕食は年越しそばだ動かないから、ますます痛いのだ!そろそろ重い腰を上げよう。 さっき、つけっぱなしのテレビを見て面白いと思ったこと。写真家の人へ一般の人からの質問。 「私は子供の運動会の写真ならたくさん撮れます。でも街中に出ても撮りたいと思うものがありません。私には才能がないのでしょうか」 写真家の彼の回答はさすがだった。「あなたは、自分の子供の写真ならたくさん撮れるんでしょ。それはあなたが、自分の子供を愛しているからだよね。だとしたら、他人の子供はどうですか?自分の子供だけにしか興味が持てないなら、それは非常に視野が狭いよね。 他人の子供にも同じように愛を持って接することが出来れば、それは世界規模の愛だよね。そういう目で、他の子供も見てください。僕があなたの家に行ったら、撮りたいと思うものはたくさんあると思うよ」 写真家って、楽しいこと、素晴らしいことを見つける天才なんだ。同じものを眺めても感じる心は千差万別。この世界は自分の見方でどうにでも変えられる私が杖を一振りすれば、私の中でこの世は変化する、自由自在。 彼の視線でこの世を見れば、どんな見慣れた、見飽きた風景もきっとワンダーランド。 愛を持ってこの世界を眺めれば、この世界は愛するもので溢れてる。 私もそういう視野でこの世界を眺めたい。 さぁ、そろそろこの6畳の部屋から出よう。じっとして動かないと、気も血も滞る。 先ずは家事から始めよう。ちなみに風呂掃除
December 31, 2010
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20代になったばかりの頃、大好きだったジョンレノン。彼の歌が大好きだった 今、彼の「starting over」が自分の中で流れてる。 今日、先日受けた仕事の採用結果の連絡が来ました。担当者の口調が沈んだ感じだったので「不採用だったか」と思ったら「採用させていただくことになりました」という言葉だった。 来年1月から3月までですが、また小学校で働くことになりました。子供との触れ合い、教育には関心があるので、とても楽しみ。 知らない小学校だったので、早速場所を確認した。 医療実習のボランティアがだんだん楽しくなってきた。来年からは私にとっては初めての実習ボランティアが始まるので、それも楽しみだった。 今回の仕事が決まったので、ボランティアは4月までは休止。収入にはならないけれど、楽しく、もっと学びたい、上手くなりたいと欲も出てきていたので、ここで3ヶ月休みになるのがちょっと残念。 でも、4月からまた始めるつもり。これが本当の自分のライフワークと呼べるなら、きっとまた始めるはず。 starting over来年から、また新しい生活が始まります。
December 28, 2010
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「ようやく母のことも乗り越えられたように思います」と、言ったとき「何かきっかけがあったんですか」と聞かれた。 何かあったんだろうか、いや特別な「何か」はなかった ただ、これじゃいかんと思った、このまま自分を責め続けて嘆いていては「いかん」と思った。 今年は春が来るのが怖かった。桜が咲くのが怖かった 母の葬儀の時、桜が満開だった。その桜を見て「華やかなものが好きだった母に似つかわしい」とうれしかった。 それが今年は怖くて仕方がなかった嫌でも母の最期を思い出す嫌でも母が亡くなるまでの数日間のことを思い出す 春がやってくるというのに、私の心はどんどんと重く暗くなっていった。 そして命日気にしてるわけじゃないのに、忘れていればそのまま過ぎても構わないと思っていたのに目は時計を意識した。 諦めて、母が亡くなった9時35分前、夫に「もうすぐお母さんが亡くなった時間だから寝室にいるね」ともうこの言葉を言うだけで泣きそうになった。 寝室の壁にもたれかかり、時計を見つめる母の最期が蘇る私の隣にはティッシュの屑の山が出来た。 もうこうなったら、泣けるだけ泣くと覚悟を決めて、母が好きだった曲・美空ひばりの「川の流れのように」を流し、母の遺品を取り出した。 泣けるだけ、泣いた。 そのせいだろうかこの時を境に、少しずつ、立ち直っていったように感じる少しずつだけど 出し切ったのかもしれない 片道一時間かかる距離を漢方診察に通い、漢方蒸しを受けるようになった。丹田呼吸を繰り返し、汗を流し続けていると、心が穏やかで平和な気持ちになった。 一番、実感したのは、体重が40キロ台になったこと。この3年、体重は40キロを切っていた。38キロ台がずっと続いてた。 37キロになったらどうしようと怖かった。体重が40キロになったときとてもうれしかった。 身体は元気になろうとしている、生きようとしているということを私に伝えてくれていた。 2キロ増やすのに、3年かかったのだ・・私にとっては、貴重で、有り難い感謝の2キロだった。 今でも相変わらず、母の最期の数日を思い出すと辛い。テレビで人が死ぬ場面を見ると、100%母の最期の姿が蘇る。「私が~すれば、母は助かったのではないか」「どうして、もっと~してあげなかったのか」という思いが込み上げて、胸がギュッと苦しくなる、涙が滲む。 多分、この辛さはずっと残ると思う。 母親を20年ぐらい前に亡くした人が「あの気丈な母が料理も出来なくなって、私が作った料理を見て申し訳ありませんと、頭を下げた姿が今も忘れられない」と言った。 その話をする彼女の目は涙ぐんでいた思い出すと辛いから、母親のことはあまり思い出さないようにしていると言っていた。 年月がくれたのは、事実をありのままに見る力と、自分を愛する力。 母を恋しく想う気持ちは、ずっと変らない。 今もふと、「母はまだ生きている」と思う時がある。口では「私の母は亡くなりました」と言っていても、どこかで「うそ!!」と驚いている自分がまだいる。 それでもようやくそんな自分と折り合いをつけて、一緒に暮らしていけるようになった。 何となく、自分のしたいことが分かるようになった。 今の自分で、今の生活で、充分満足、幸せと思えるようになった。 昨日、不思議カイロPのKさんにも「今、幸せな状態ですね」と言われた。 相田みつをさんも言っていた「幸せは、いつも自分の心が決める」
December 26, 2010
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今日は、外は冷蔵庫のようですね。 昨日は、午前中一つ仕事の面接を受けて、夕方は夫の職場の上司の招待で「くるみ割り人形」のクラッシックバレーを鑑賞。(上司の娘さんが主役) 買って10年、2~3回しか来たことなかったアンゴラのロングコートを着て出掛けた。 バレー鑑賞の後は、ガストで食事。イベント帰り?と思われる母子連れグループがいて、騒がしいことまるでクリスマス。夫と二人浮いた服装で、食後のフリードリンク。 5杯ぐらいはマッタリ飲んですごく贅沢な気分になった。(ここのキャラメルマキアートとココアは私の好きな味) もうすぐ年末のせいか、テレビも映画などが多くなり、見たいものたくさん昨日はマイケルの「ジスイズイット」を録画した。 当分、夜はテレビタイムかな というわけで、面接のこと、バレー鑑賞のこと、一年を振り返ってなどブログに書きたいこともたくさんあるけど、書けるかどうか 最近、更新をしてなくても、ブログのアクセスが少し増えた実際、ちゃんと読んでくれている人がどうかは分からないけれどやっぱりうれしい ただ、つい先日、今年一年、漢方診察などでお世話になった先生にお礼のメールをしたら、とっても喜んでいただけた。「クリスマスプレゼントをもらったようでとてもうれしかったです。私のブログに掲載させていただきました」というご返信をいただいた。 テレビがついた部屋で、気ままに書いたメールなのにこんなに喜んでいただけて、驚いた。 改めて、言葉の大切さを想う。 もちろん嘘を書いたわけじゃない、正直な感謝の気持ちなどを書いたでも、テレビをつけながら気軽に入力した文章に、心がたっぷり籠もっていたかというと、言葉だけが上滑りしていたように感じる。 私にとって、文章で自分を表現するのはとっても大事。大切な相手への文章はそれこそ、事前には禊をするような気持ちで背筋を伸ばして打ち込みたい。 それを怠って書いた文章に「とってもうれしかったです。クリスマスプレゼントです」と書かれて、恥ずかしかった・・ 申し訳ない思いで一杯になった、書き直したい思いに駆られた。 だから、ブログもきちんと書いていきたい。忙しくて適当にとか、取り合えず書くというのは、やっぱり止めたい。 きちんと読んで下さる少数の方のためにも 自分のためにも書く時は、心を打ち込むような思いで正直に書きたい。
December 25, 2010
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今日、一つ求人の応募をしました。来年から3ヶ月という短期の仕事で、採用されれば小学校か中学校で働くことになります。 正直言うと今の生活にも満足しているので、絶対採用されたいという気持ちはない。でも、求人をみて迷わず「やってみたい」と感じたので、応募してみた。 最近の私はその先に何があるのかわからないけれど、クンクンと犬のように自分のしたい方向に取り合えず進んでる。 それでも私にはそれがとってもうれしい、自分がしたい方向が嗅ぎ分けられるようになっただけでも大きな一歩。 履歴書を出しに行った帰り道、歩いていると自転車に乗った女性に「こんにちわ」と声をかけられた。見覚えがなく反応出来ない、きっと不信そうな顔をしたのだろう、それを見て彼女は自転車を止めて振り返り「同じマンションの方ですよね」と言って来た。まだ分からない、でも口調を合わせて「あ~そうですね~こんにちは~」と返す。 向こうがこっちを知っているのに、こっちは分からないなんて申し訳ない「よくご夫婦で運動して見えますよねご主人近くの山によく登ってますよね」とか、こちらのことをよく知っていて驚いた。 だんだん話しているうちに、先日の総会で言葉を交わした人だと気がついた。 子供もいないし、自治会や理事会の役員もやっていないので、マンションの人との交流はほとんどない。 それなのにこんな風に道すがら声をかけてきてくれるなんて、とってもうれしい。彼女は自転車を降りて、二人で話しながらマンションに向かった。「声をかけて下さってありがとうございますこれからもよろしくお願いします」と言って別れた。 このマンションにもいい人はいる。(私の価値観でのいい人=自分と気が会いそうな人) ちょっと前までは、管理費がバカ高いマンションだとかマンションについて無関心な人が多いマンションではないかなんて思ってたけど、 それは私が知らないだけ、住んでいる人をよく振り返ってみると、礼儀正しくいい人もいる。自分にとってのいい人、つまり一緒にいて心地よい人もいる。 私はマンションの住人全員を知らないし、全員の人と気が合うとは思わないけれど、いい人もいるこの事実の方が大事。 こんな言葉を聞いたことがある、私の好きな言葉「知を知れば憎しみはなくなる」憎しみは無知から生まれることが多い お互いを知り、理解しあえれば憎しみが消えることもある。 マンションに戻った後、コンビニに行ったらまたどこかで見かけた顔お互い気づいて会釈する、 いつもマンションに出入りしている宅配のお兄さんだった。この人も見ていて気持ち良い人、 気づくと、私の周りにはいい人もたくさんいる。私の気持ちを心地よくさせてくれる人 世の中の人が全部自分にとっていい人なわけはない、何億という人がいるのだから、個性もそれぞれ、そんなの当たり前気が会わない人もいる でもこの社会で生きてく以上、人との関わりは避けられないだからこそ、 この人生、自分にとっていい人と巡り合って過ごしていきたい。わざわざ、気が会わない人と出会う必要もない。 自分のことばかりに目がいってると自分の殻だけに閉じこもってしまうと 視野が狭くなる 欠点ばかり見ていると、その他のものが見えなくなる。 視野が広がると頑なだった心がほどけていくどうでもいいなぁって 受け入れられることも多くなる。
December 17, 2010
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自分のやりたいことって何だろうってずっと思ってた。医療に関心があると言っても、医療従事者としての資格があるわけでもないし、やっぱり資格や実績がないと「関心」だけでは現場で役に立てる機会は少ないと実感もした。 でも、今年の夏「留守家庭児童の指導員」のアルバイトをして、 医療実習のボランティアをして 自分の好きなこと、やりたいことがわかってきた。 ブログにも書いているけど、「医療」と「教育」 医療実習のボランティアなら医療従事者としての資格がなくても出来る。 教育では実経験はないけど「教員免許」があるから機会さえいただければ、この夏のように出来ることもある。 今の私でも出来ることは「ある」と気づいた一年 今日は、医療実習ボランティアの忘年会。私は車で20分ぐらいの距離だけど、他県から来ている人もいるのに驚いた。 「ないものばかり見ていると気づかないけど」すごく恵まれているんだと思った。すごい宝物は目の前にあるんだと気づく。 忘年会が終わった夜道。凛とした寒さに背筋がピンと延びる。寒いのは苦手だけど、冬の凛とした冷たさはなぜか好きだ。 禊にも似た、心が清められるような冷たさ 実感が湧かないけど、今年も残り少ないんだなぁ 自分の体調を崩した2007年 母が病気になった2008年、 母を亡くした2009年 そして2010年、 生きてる実感
December 16, 2010
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この季節になると極上の幸せを感じる時間がある。 それは、朝。外が寒くなればなるほど、布団の中は天国だ。ぬくぬくした布団の中に包まっていると極上の幸福が押し寄せる。 目は覚めているのに布団から出れない。一度起き上がってもまた、布団にもぐりこんでしまう。 そう、仕事をしていたとき、こういう生活をどれだけ望んでいたか好きなだけ寝ていられる生活。 その生活が今ある、それなのに不平不満を口にするのはあまりに傲慢すぎる。 今日は夫も休日朝8時、まだ夫も寝ている9時が過ぎてもまだ、 目は覚めているけど、私もまだ布団から出ない夫が傍にいると安心していられる。 夫に「まだまだ寝てていいからね、ぐっすり寝てね」と言って布団をぽんぽんたたいて夫の顔の辺りまで毛布を引きあげる。 あ~幸せだなぁ~と思う。 結局夫は10時、私は10時半頃布団からようやく出た。 なんて幸せな休日なんだろうこういう時間をいつまでも大切に、この幸せをいつまでも忘れずにいたい。 夫は最近変ったお菓子を買って帰らなくなった。 嘔吐もしていないらしい 20年近く続けてきた過食嘔吐を手放すことはとても困難だと思う。 夫のことで一喜一憂してしまう私まだまだだなぁといつも思う。 なんて自分は未熟なんだろう 愛とか信頼とか、それが大切だと分かっているつもりでもそれからずれた場所にいる自分に、いつも後で気づく 驚くほどの自我の強さ、自分のことしか見えてない。 今日もテレビを見ていたら、太った男の人が自分の太鼓腹を指差して「これは私の宝物」と言っていた。それを聞いて私は偉そうに「ほらね、太ったお腹でも宝物っている人もいるんだよ」と言った。太ることを嫌がる夫に、太ったお腹が宝物だと思う人がいることを強調したかった。 でも、これに対する夫の答えはとっても素晴らしかった。「僕はね、過食嘔吐する自分が宝物だと思っているから、それでいいの」 あ~そうだよね、今の状態が素晴らしいんだよね、そうだよね、 他人を素晴らしいと思っている以上、いつも今の自分には満足できない。 それを夫が一番よく分かってる。私の方が、分かってなかった。 ないものばかりを理想に求めてる。「過食嘔吐をする自分が宝物」と言う夫こそ「太鼓腹を宝物」と言っている男性と同じなんだ そのことが私には分からなかったでも夫にはちゃんと分かってた、 こんな私が傍にいても夫は強い力で自分のことをちゃんと見つめている一生懸命真剣に生きている精神的に助けられているのは私の方ではないか 夫の方が、よほど私より精神的に先に進んでる着実に進んでる、 夫に申し訳ないなぁ、恥ずかしいなぁといつも思ってしまう。 ごめんね夫あなたより、まだまだ未熟な私だけど 謝ることばっかりだけど私も着実に近づいていくからね この極上の幸せを忘れないように
December 15, 2010
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昨日ぐっすり眠ったせいかな、今日、伊豆旅行のブログを書いたけど、まだまだ書けそう書きたいことがある 今日6つ目のブログです。 先日クローズアップ現代をみたテーマは「延命、ある少女の選択」 18歳の少女は延命治療を拒否した。生まれつき心臓に障害があった。 背骨が曲がる病気で、気道を切開をしないと呼吸が出来ない、少女は言葉を失った。18歳になる少女は、もう延命治療はしないと決意する。 ある日、肺炎がきっかけで腎臓機能が弱まり、透析が必要になった。でも彼女は明確に拒否をした。「私は透析はしない」 透析をしないため、少女の顔はむくんで2倍以上に膨れ上がる。目も顔のむくみで半分以上見えなくなっている。 そんな娘の姿を見て、娘の気持ちを尊重し続けた父も心が揺れる。「生きられる可能性があるなら助けたい、せっかく与えられた命なのだから大切にして欲しい死んだら全て終りなのだから」 娘にそう訴えるでも娘は「私はがんばってきたよ今までずっとがんばってきたんだよ手術も受けた、苦しいこともずっとがんばって今まで乗り越えてきたその私がもうこれでいいと決めたのだからもう何もしない」娘の迷いない決断に父も驚く。 そして彼女は逝った。 透析をすれば楽になる、まだ生きられるそれが分かっていてもしなかった。彼女は言う「私は死んだら終りだとは思わない、魂はあると思うだから死ぬのは怖くない」親は願う、愛する娘に苦しんで欲しくない、少しでも生きていて欲しい。 私が母のとき、これだけは間違っていたと思うことそれは母の生死を私が考えてしまったこと。 今の日本の医療では生死に関わることは、まだ本人ではなく家族に告げることが多い家族に決断させることが多い。 だから、私が母の代わりになってしまってた。私が患者になってしまってた。 私が決めた、無駄な延命治療はしないと でも、母はどうだったんだろう・・と今も思う。 母の場合は生きたいと願っていたまだまだ自分は死ぬはずがないと信じてた、信じようとしていた。 私はその母の気持ちに寄り添って考えるべきだった。これだけはそうだったと言い切れる。 延命については難しい問題だと思う。ただ、本人の命を他人が決めるべきではないと思う。 そこに悲劇が起こる 少女の両親は苦しんだと思う今も苦しんでいるかもしれない でも、彼女の思いに寄り添って彼女の気持ちを尊重してあげたことは本当によかったと思う。 そのことが自分にとっては辛い決断でも、当の本人の気持ちを汲んだものであればそれは最終的には癒される だとしたら、母の立場になって、母の想いに寄り添いきれなかった私はどうか 昨年さんざん後悔したどれほど自分を責めたか分からない、 でも今は、それでも自分は自分なりに母を想い精一杯やったのだと思えるようになったようやくなった、気がする。 ということはどちらも癒されるのか(笑) それでもやっぱり、本人の気持ちを尊重するのがいいと思ってる。 でもすごいよね、その強い意志、決意 そう思えるほど、がんばったんだ。彼女は言った「人生って長さじゃないと想う、どれほど一生懸命生きたかだと思う」彼女はこの18年間、濃厚に一生懸命精一杯生きたんだと思うそれが自分でもよく分かっていたから、あんなにきっぱりと決断出来たんだと思う。彼女の今生でやることをやりきったんだと思う。 素晴らしい人生だったと思う。 そして、彼女の気持ちを揺れながらも尊重し続けたご両親、とても素晴らしいと思うどれほど苦しんだだろう これを「愛」という表現以外なんと呼べばいいんだろう・・ とても考えさせられた番組でした。
December 11, 2010
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宿を出ると、海産物センターに向かう。団体客が来る情報が行き届いているらしく、着くと干物の試食でお出迎え。 干物の匂いが購買意欲を誘ってる。 人生の先輩方の購買意欲も素晴らしい、日本の経済はこういう人たちで支えられている高齢者ブラボー、高齢者は日本を救う。 私は父から伊豆と言えば「金目鯛」金目の干物が欲しいと頼まれていたので、それを購入。自分達用には試食で焼かれていた目指しを購入。(試食は先輩達で一杯だったので食べれなかったけどね) 伊豆スカイラインを経て十国峠に向かい、大湧谷で昼食。 そうそう富士山見ました。今までで見た最高に大きな富士山。 小学生の頃富士山に登った記憶があるけれど、大人になってからは初めて間近に見る富士。富士山が見えるたび歓声が上がる、やはり日本と言えば富士綺麗に見えたのは一回ぐらいで、あとは頭の辺りはすっかり雲に覆われてしまった。 それでも富士は富士、他の山を圧倒するこの存在感、ガイドさんが「二番目に高い山を知ってますか」と言うけれど誰も知らない、私も全く知らない夫の「やはり一番じゃないといけないっていうのはこういうことなんだよね」という言葉がすごく印象的だった。 一番は誰でも知ってる、でも二番になると知らない、一番以外はその他大勢と同じ 大湧谷は黒温泉玉子が有名らしい。硫黄の匂いと、煙がもくもく上がる。こういう雰囲気って大好き。 20代のT君が「僕玉子大好きなんです」と言って10個買っていた。この玉子の賞味期限は2日なんだけど食べ切れるのか、一個食べると7年長生き出来るらしいけど、食べ過ぎはかえって寿命を縮めそう。 そういえば、人生の先輩Yさんのお孫さんがT君と同じ年だそう。そして娘さんは私と同世代らしいということはだよ、 私の子供はT君ぐらいの年であるということでこの事実に私は「うそだ~」と絶叫してしまった!!!!!!!!! T君とは同じ年の感覚で話していたなのに息子????????????? 小学生、中学生ぐらいまでならいい、それ以上、しかも20代の青年が自分の息子なんて受け入れられない でもそのうち、ついに孫という時期が来るんだろう・・ あぁ、恐ろしい、恐ろしい気持ちは20代から全然進んでいないのに外見だけはどんどん年を取っていく・・ ここを出ると芦ノ湖箱根を経て岐路に向かう。せっかくここまで来たのだからもう少しゆっくり観光したいのだけど 今回の旅行は団体旅行、人生の先輩方との交流なのだから主旨が違う。 また、5時間ぐらいバスに乗って岐阜に戻った。 戻る頃は、疲れてへろへろだった。やっぱり長距離のバス旅行は私には向いていない、じっとしている時間が長いのは苦手だ。 でも違うことで得ることも多く、とっても楽しい旅行でした。夫と職場の人に感謝申し上げます。
December 11, 2010
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朝6時頃、自然に目が覚める。先輩方はまだ寝ているようだけど、6時には起きると言っていたので「みなさん6時ですよ」と声をかける、 朝食は7時半、簡単に身支度をして朝風呂に向かう。朝からにぎわう大浴場 風呂から出ると、外もすっかり明るくなっていた。今日も晴れそうだ、朝日がきれいに海に映える。夜は気づかなかったけど、浴場からもよく海がきれいに見える。 髪を乾かしていると、掃除の人に先輩が「こんな朝早くからありがとうございます。綺麗にして下さってありがとうございます。」と声をかけていた。 私が心がけようとしているけれど、言えないことをこんな風に自然に言える人生の先輩に改めて感動した。 そういえば、「ありがとう」という言葉をよく口にするご年配の方って多い気がする。そういう意味でもやはり日本の高齢化は悪くない 日本の高齢者はすばらしいと思う。 部屋に戻るとまだ食事まで時間がある先輩の方と宿の前の海を散策することにする。 ひんやりした朝の空気が気持ちよい。ロビーは朝からお土産を買う人たちで賑わっている。 朝食をして部屋に戻り荷物を整理出発は8時半。 宿はとってもよかった、「銀水荘」部屋も広く綺麗眺めは海が目の前で絶景、お風呂も広く気持ちよいこんな大規模旅館、泊まったのははじめてかも食事もよかった、量はちょっと少なめだったけど、質は◎ 人生の先輩方と同じ部屋で過ごせた経験も得がたい貴重なものだった。不思議と母のことはあまり思い出さなかった母と同じくらいの年齢の人も多かったのにね 3時間ほどの宴会もとても楽しかった、たくさんの心の交流会 団体旅行の醍醐味を充分満喫した。 元気一杯でバスに乗り込んだ。
December 11, 2010
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午後6時半からはいよいよ宴会。 お宿の人に案内されて会場に向かう、というのも、ここは大規模旅館、宴会会場も複数あってとても広い、初めてだとどの会場に行っていいか分からないだろう。広い廊下をずんずん進んでいく。 食事は、こじんまりとしているけれど上品な感じで美味しかった。 ここで驚いたのは、夫達の活躍。今回旅行での夫達の役割は、宴会の盛り上げ役。 舞台に立つ人たちの後ろに立って、一緒に歌い踊って場を盛り上げる。 みんなの気持ちも一気に盛り上がる。そしてみんなに挨拶、お酒やビールをついで回る。 初めて見る夫の違う一面、すごいな~と改めて感心した。 夫の職場は地域の人との繋がりを大切にしている。だからこういう地域の人たちと触れ合う会には積極的に職員を派遣する。地域の人たちあっての自分達の病院だという認識がある。これって、すごく素晴らしいことだと思う。 それに20代の若者達、介護の仕事している彼ら、先輩達との触れ合いがとても上手。 一番若いO君なんか、先輩と一緒にダンスを踊ってた。いいね~、よっ、お似合い。 そして市長さん私は最初から市長さん同行の旅行だと思っていたけど、やはりそういうことはない。市長さんは、公務が終わってから、この宴会のためだけに新幹線に乗り、伊豆まで来てくれた。そして一時間ほど滞在してまた岐阜に帰ると言う。 そんなら、お互い地元にいる時に会って交流すればいいじゃないかと思うけど自分を支える会の旅行だからと、わざわざ伊豆に来て下さるその行為はやはりうれしい。 後援会の人たちの挨拶、市長さんの挨拶を聞いていると気持ちが盛り上がり、感動もした。心が通い合うというのは、こういう瞬間なのかも。 もう新幹線の時間があるからと帰っていかれる市長さんに惜しみなく拍手をする。政治的なことはよくわからないけれど、尊い仕事だと思うし、自分達のことなのだから無関心であってはいけないとも思う。 6時半から始まった宴会、8時半を過ぎても終わらない。一曲が終わるたび、おひねりが飛ぶ、盛り上がる。 けれど、私もだんだん眠くなってきた・・20代のB君も眠そうだ。 この宴会はエンドレスに続くのではないかと思うほど、人生の先輩の方々はとてもパワフルだ・・高齢化高齢化と言うけれどそれが良くないことのように響くけど、こういう人たちが増えるなら日本の未来は明るいと思ってしまった・・ 9時半前に、宴会は終わった。 部屋に戻り、お茶をみなさんに淹れた。先輩の方から「普段、お茶は淹れることはあっても淹れてもらうことなんかない、黙っていてもお茶が出てくるなんてありがたい」と喜ばれて、私も恐縮しうれしくなった。 10時過ぎ、寝る前にもう一度大浴場に行く。相変わらずたくさんの人でにぎわっていた。 後はもう寝るだけなので今度は時間も気にせずのんびり入る。 きれいな三日月が露天風呂から見えた。 11時過ぎ就寝。
December 11, 2010
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宿は稲取温泉「銀水荘」 部屋は4階。エレベーターは2つあるものの前には長い列。 これじゃ、一体いつになったら乗れるのか・・夫達は階段に向かった。 私も階段でいいんだけど、ここは団体行動だとじっと待つ。 でも、Yさんが「行くよ」とズイズイとエレベーター前に寄りじこみ2回待っただけで乗り込んだ。若輩者は先輩について行くのが一番。 部屋に着く、窓から広がる海に歓声が上がる。 丁度夕焼けの時間帯で海も空も茜色。 なんせ200人、混むのを避けたくてすぐ温泉に行きたいけれど、団体行動、団体行動と心でつぶやき、みなさんとお茶でのんびり一服。同室は、70代のOさん、Tさん、60代のYさんと私の4人。 年代の離れた人と過ごすのは少し不安だったけど、みなさん気さくな方たちですぐに打ち解けた。 混んでいるだろうな、これも団体旅行の醍醐味だよな、と思いつつみなさんと大浴場に向かう。 上がり口、スリッパを見るとやっぱりすごい数。でも、脱衣所も広く、浴室も広いのでそれほど気にならない。 芋を洗うような状態を想像していたけれど、それは杞憂だった。 6時半からは宴会、それを頭の隅に覚えつつ、ゆっくり洗い、ゆっくりお風呂に浸かる。シャンプーの種類も三種類ぐらいあった。 私が思うに、よい旅館、ちょっと高級な感じの旅館ってシャンプーとかアメニティーもよいものを使ってる。 安物のシャンプーが備え付けてある風呂は、風呂上り髪がパサパサになってしまうのでよく分かる。 ここのシャンプーは「馬油シャンプー」「ロイヤルゼリーシャンプー」「柿シャンプー」馬油シャンプーは髪がサラサラしっとりするので、帰り売店で購入した。 良いものを出して、それを売店で売るって、よい商法だと思う。 風呂から上がり、髪を乾かし、顔の手入れをしていたら、また同室の人は誰もいなくなってしまった。 みなさん団体旅行に慣れているみたい、すっごくテキパキしている。今回の旅行では何度もそれを痛感した、そして感心してしまった。 人生の先輩からは見習うことが多い。 風呂上りに、外でお茶とお菓子のサービスを受ける。お菓子は「かりんとうまんじゅう」これがとっても美味しかった。 帰りお土産で購入することに決めた。
December 11, 2010
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今年は思いもよらず3回旅行した。 一回目は夫の誕生日に浜名湖へ 二回目は、夫の職場旅行に同行してTDLへそして、三回目、これも夫の仕事関係で伊豆へ 夫がらみの旅行ばかりで、夫には本当に感謝しています。 さて、伊豆旅行朝7時集合なので、6時半には家を出る。 7時前に集合場所についてもまだ誰もいない、7時集合、7時半出発なので、7時に着くのは早すぎると思ったけどその通りだった・・みんなが来るまで近くの喫茶店で一休み。 天気はこちらは午後山沿いでは雪が降るとのことだけど伊豆の方は晴れるらしい、ラッキー、ツイテル 7時半近くになると人が続々と集まってきた。参加者は60~70歳ぐらいの女性がほとんど。 夫の職場関係からは夫を除いて20代の男性5名の参加。40名が同じバスに乗り込んだ。 バスに乗ると会長さんの挨拶集合場所が違うものの、バスは全部で5台、総勢200名以上の旅行と知って驚いた。 バス一台の旅行だと思ってた200名以上が同じ行動をするなんて、修学旅行以来かも・・ 途中2回の休憩を挟んで、12時頃静岡の沼津ICに着く。休憩があったとはいえ、4時間以上もバスの中にいるのは疲れる・・ICを降りたらずぐ食事となった。 200名が一斉に大広間で食事 食事が終わったら「柿田川湧水」で富士山の湧き水を見て、伊豆最大級の名瀑「浄蓮の滝」へ 午後3時を過ぎた頃、滝につく。滝つぼまでは300段ほどの階段を下る。 日が翳ってきて、空気がひんやり寒くなってきた。滝つぼに下りる途中、もう戻ってくる人とすれ違う。さすが200名もいるとこういうこともある。 滝につく、「う~ん、滝だ」と滝を眺めるみんなワイワイ携帯やカメラで写真を撮る。 バス移動ばかりで、身体の気が滞っている感じ。滝の前で、深呼吸を何度もしたり軽く身体を左右にひねる。 気づくと、辺りは誰もいない、夫もいない。私一人が、夕方の薄暗い滝つぼ近くで滝を眺めてた。心の中で「ちゃんちゃんんちゃ~ん」と火曜サスペンスの曲が流れるシチュエーション。 みんな行動が早い早い、200名が滝を見る場所はなくても、みんな見て写真を撮って、トットト戻るから渋滞しない。 団体旅行の流儀を垣間見る。個人で来たら、こんな旅行はしない、せっかくの滝だもの、ゆっくり滝を眺めたい、辺りを散策したい去るのが名残惜しい 惜しいのでウロウロ歩いていたら夫から電話があった「もう戻ってるから、時間に遅れないようにね」 戻る時間もあるし、寒いので、私も戻る。登りの階段はきつかった、体力の衰えを感じる。 滝の入り口の休憩所で無料でお茶の振る舞いがあった。でも、多くの人が群がっていて飲めそうにもない 諦めてバスに戻る。 今日の宿、稲取温泉に向かう。滝から一時間ぐらい。 車中カラオケが始まった。 人生の先輩達が歌う歌はほとんど分からない。それに暗い・・ どうして演歌の詞って暗いのが多いんだろう 夫の職場グループは、スマップやウルフルズなどを歌う知ってる歌は私も盛り上がれる。 歌っている間に旅館に着いた。
December 11, 2010
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伊豆から帰ってきました。とっても楽しかったです が、疲れました岐阜から伊豆まで休憩も入れてバスで5時間ほど・・ ずっと座っているのって本当に疲れる座っているだけなのに疲れる、 止まったら死んでしまうマグロのように、身体が硬直してしまう。 夫は平気みたいなので、私はつくづく長距離のバス旅行には向いていないと気づきました。 でも、いいところもたくさんありました!! 先ず、泊まった旅館がとってもよかった、稲取温泉「銀水荘」600名も泊まれる大規模旅館ですが部屋も温泉も、食事もとっても素晴らしかったです。 海のまん前の旅館なので、全ての部屋がオーシャンビューでした。 部屋は初めてお会いする方々と4人でしたが人生の先輩達と一緒に過ごすことで、とっても楽しい時間を過ごすことが出来ました。 素晴らしい貴重な経験でした。 また、夜の宴会で夫の活躍ぶりを見れたのもとってもよかった!さすが我が夫!! それから、わざわざこのために駆けつけてくださり、またすぐ帰っていかれた市長さんの姿にも感激しました。 また、詳しくは明日以降に書いていきます。 よろしければまた読んで下さい。 今日、伊豆から帰ってきて思ったのですが、岐阜は寒いですね~~~ バスで疲れてしまったので、今日はよ~く眠れると思います。 温かいお風呂に入って眠りたいと思います~~~。
December 10, 2010
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明日から伊豆に行って来ます。一泊二日、稲取温泉というところに宿泊します。 昨日、夕方夫から電話があった、仕事中のはずなのに何だろう・・と思ったら「明後日の伊豆旅行で急に二人キャンセルが出た。無料でいけるから、行かないか」 名目は、研修旅行でも、内容は単なる旅行(と思う)主催は「市長を支える会」で、市長さんと一緒に伊豆に行くらしい。 夫は職場からの参加、費用は会社持ち。税金ではありませんで、急に行けなくなった人がいるので代わりの人を探しているらしい。 私はよく分からないけれど、支える人は一人でも少ないといけないらしい・・気ままな無職生活の私、「行きます」とすぐ答えた。 「後一人、誰か探してくれないかな」と夫に頼まれた。 支える人は一人でも少ないとよくないらしい 無料で伊豆旅行、温泉宿に泊まれるこんなブラボーなことってないのに電話した人全てに断られた。 急な話しだもんね・・子供がいたり、仕事があったり、急だから都合がつかなかったりとそういう理由で断られました まぁ、声をかけたと言っても、気軽にこんな話がいきなり出来る知り合いもそんなに多くないので、数人だけど・・・ それで思った。あぁ、母がいたらものすごく喜んだだろうって・・絶対「行く」って言ったのにって・・旅行好きな母だった。 元気な頃、何度「一緒に旅行したい」と言われたかそして、それを実行してあげれなかった後悔・・ 夫に「あと一人は、母を連れて行ってあげてもいいでしょうか骨壷持参と言うことで・・」笑いながら言ったけど、笑うに笑えない話・ 結局、私の周辺では行ける人は見つからなかった一緒に行きたい人はいるんだけど、みんな都合が悪いらしい 無料で伊豆に一泊出来るんだよ~誰か一私と緒に行きませんか~ で、思った。私って、すご~く、暇な人なんだろうか「明後日伊豆に行けるか」と言われてすぐ「行けます」と言える私 世の中そんな人って少ないのだろうか でも、無料で伊豆にいけるなんて有り難い限り参加者は、恐らく50歳以上の方達ばかりだろうと思うけど(いや、もしかしたら60歳以上かも) 全く面識のないそういう方達と、バスツアーで、一緒の部屋に寝泊りする。しかも会の名前は「○○市長を支える会」どんな旅になるのか、不安をかかえつつも、楽しみでもある。市長さんと間近に会えるのはいいことかも、特に市政に対する熱い思いはないけれど、こんな機会はめったにないだろう 自分達の市の市長さんだもの そもそも伊豆なんて小学生の頃の家族旅行以来ほとんど記憶がない。どんなところだろう 夫も仕事の一つとして参加するので私も私で楽しもうと思う 行って来ます~~~~~
December 8, 2010
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私は、昨年母をガンで亡くしました。8ヶ月あまりの入院生活で、私は母のキーパソンとして母に寄り添ってきました。 こんな言い方は本当に自分勝手な見方だと分かっていても「もしかしたら、母は私のために病気になり亡くなったのではないか」と思う得るほど、母の病気、入院生活、そして死、は今までの人生順風満帆、ほとんど悩んだり、苦しんだりしたことがなかった私にとっては大きな衝撃を与えてくれました。 人はなぜ、生まれてきたのかという問いはあまりしない。 答えはきっと、今を生きているうちに自ずと分かってくるように感じるから。 ただ、自分の感覚を大事にしてそれに従って生きていこうと思う。 母を亡くしてから、ガンと向き合う活動をしている人たちにも出あった。ガンの人たちが安心して治療が出来る医療施設を作ることが目的だと言う。 その目的に向かって、みんな少しずつ自分達で出来ることを形にしている。そんな姿を見ると素敵だなと思う。 ホスピスケアをすすめる会の人たちとの出会いもあった。 でもどこにも深くは関わっていない。宙ぶらりんな私。 その中で、これかもと思っているのが医学生に対する、医療実習の模擬患者。 この話を聞いたとき、すぐ迷いなくやってみようと思った。 今から思うと、なぜやろうと思ったのかよく分かる。教育、医療、医師と患者とのコミュニケーション どれも私に関心があるものばかり。 参加し始めたのが今年の2月ぐらい。実際、模擬患者として医学生と向き合うようになったのはつい最近。 授業後の医学生との交流会つい、自分の熱い気持ちを語ってしまいそうになる。 実在の人物、ハンターアダムス医師をモデルにした「パッチアダムス」この映画をここ最近は紹介するようにしている。 私が大好きな映画。 自分に想いが溢れている時は、どうしても一方的になってしまう。もう少し心にゆとりが持てるように・・ いつも後で反省することがある、「もっと、もっといいところを見て誉めてあげればよかった」どうしても、期待があると、誉めるより、「もっと、もっと」と要求してしまう。 医学生に期待するくらいなら、自分が医者になればいい。 教育とは、育てること。誉めてあげること、期待しないこと、 この二つは外さないようにしないと・・・ いつも気をつけているつもりでも、つい「~して欲しかった」という言葉が出てしまう。 この前も、全く気づいていなくて、後で教授に指摘され驚いた。 医師でない私が、今出来ること。それを精一杯やり続けます。
December 4, 2010
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先日、父の健康診断結果を父と一緒に聞きに行った。「受けたほうがいいよ」と言っても恐らく受けないので、夫が勤めている病院に、私も一緒に行くからと連れて行った。 結果、標準よりLDL悪玉コレステロール値が高く、HDL善玉コレステロール値が低い。医師に「今はコレステロールを下げる良い薬があるから飲んだほうがいいよ。飲んだほうが長生き出来ますよ。」と言われ、私が言っても馬耳東風な父は素直に「はい」とうなずいていた。 恐るべし、ドクターの一言。 夫も、悪玉コレステロール値が標準より高い。夫にも薬を飲んで欲しいけど、なぜだか薬は飲みたくないそうだ・・・いい薬が出ていて、医師も勧めてる。飲めば下がるんだったらそれでいいじゃないかなんで飲むのが嫌なんだ、とヤキモキ、イライラする私。 結局、一生懸命飲んだらと勧める私の徒労に終わる。 他人を自分の思い通りには出来ない特に夫、 夫からいつもそのことを学ばされる。 昨日は、大学病院に学生さん相手の医療面接のボランティアに行って来た。なんか、ボランティアというと大げさだけど、私にとっては学びの場。 なんで、やり始めたか・・・--------------------------------------------------- 書き始めたらとても熱く語ってしまい、長くまとまりのない文章になっていたので全部削除しました。 医療に関する思いを語り始めると、まだ自分の中でまとまりがついていないので熱い思いだけが先行してしまい、いつもうまく書けません。 でも今、一番私がやりたいと思っていることです。 少しづつ、行動して、自分の中で形にしていきたいと思います。 いつか、ブログでも医療に関すること、自分が関わっている医療実習についても書けたらいいなと思います。 まとまりなく、自分の中で熱い想いが渦巻いているときは言葉で表現するのは難しいですね・・
December 3, 2010
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